Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

暑い日が続きます

2024-09-05 09:46:33 | 日記
 本当に近年は暑い日が続く7、8、9月です。今夏は汗疹に悩ませられる歳周りとなりました。頭の中も痒いので、スッキリとショートカットにしてきました。洗髪がし易くなりました。そして、見た目高齢者スタイルの定番になった感じがありありです。

 さて、長休みしがちな私のブログ。今年ももう9月に入り、そう大した実績を残さずに過ぎてしまいそうです。うの華も途中だし、エッセイもポツポツUPです。少しずつ纏めて行きたいと思っています。
 
 今日はこのページに来ています。こようと思えばすぐ来れるのに。不思議と足が遠ざかってしまいます。ここでふふっと、この表現で良いのかしらと思ったりしています。書き物なので、何かしらの手先表現がないかなと考えたりするのです。手が止まる、筆が止まる、目前で何をどうと考えているとそうですが、短期長期にお休みしがちな書き込みだと、休稿を使ったものかしら?。スランプ中とか。

 まだまだ未熟ですが、気ままに書いている私です。本も良いですが、編集は疲れます。ぽつぽつですね。少し涼しくなって、意欲が湧けば、また何かしら書きに来れると思います。

今年のお盆を終えて

2024-08-23 11:54:58 | 日記
 昨年は母の初盆ということもあり、何かと気忙しく過ぎたお盆でしたが、今年は気持ちも落ち着き、極めて冷静に過ごせたお盆でした。外出も墓参り以外、特筆するような外出先は無く、大抵は家にいて過ごしました。そうして両親は素より、自身の先祖に思いを馳せた1週間でした。

 と、そうこうする内に、私は家の近所におられた自称「お姉さん」、の事を思い出しました。私がその方におばさんと言うと、「未だ嫁に行っていないからお姉さんです、私のことはお姉さんと呼びなさい。」と言われたものです。私は面白がって、この方とその遣り取りを数回行ったものです。そうこうする内に、その方はその家の近所界隈の皆さんの祝福を受けて、幸福そうにお嫁に行かれました。

 さて、この方の事を思い出したのは、父に思いを馳せていた時でした。私に作家にならないかと言い出した父、最初に父からこの言葉を聞いた私は、あれっ!と思ったものでした。その後、また突拍子もない事を父は言い出したものだと、私は不思議を通り越して不審に思ったものでした。この言葉は、つい前日かその前日に、先のお姉さんから私が言われた言葉でも有ったからでした。「あんた作家になりなさい。」、とお姉さんは言ったのでした。

 思い出せば、父の言葉も、「お前作家になるのか?。」が第一声でした。こう問われても、そんな職業を知らなかった当時の私には、皆目意味不明です。答えようも有りませんでした。只々、直近で父とお姉さんの発した単語の、不思議な一致に驚いていただけです。

 当時の私は「偶然」という事、言葉を知っていたのですが、そんな偶然が有る筈無い、という事には全く考えは至らず、ただ妙な事だとのみ一片、脳裏に奇妙に感じ取るばかりでした。

 人生百年時代を通り越して百二十年時代と言われるようになった近頃、そう思うと現在は丁度人生道半ば程、まだ先は長いのかと悠長に達観すると、私は妙に欲を出しているではないか、と笑ってしまうのでした。

 さて、乱筆蛇足ですが、「あんた作家になりなさい。」云云と、ある日お姉さんは窓辺から顔を出して、如何にも私を待ち構えていた風情でこう私に言いました。彼女は一人頷くように続けると、「あんたの話し方をみていたら、そこに向いている、そうしなさい。」と、最後にはこれが留め、決定です。と言わんばかりで、私は判決同様に申し渡されたのでした。

 この時の私は、作家なるもの、この世に存在しているという知識等皆無、職業への知識等も殆ど持ち合わせてい無かったのですから、何それ?という、虚をつかれた状態で立ち竦み、パタンと締められた白い障子戸を見詰め、ポカンとしていた様に思います。相当昔の事なのでこの時の記憶は曖昧です。
 
 その後の私は、近所とはいえ、他家のお姉さんに自分の将来云々を決定された事に反感すると、それと無く反発したりしたものでした。ぶうぶう文句を言った事も有ったと思います。その方の言葉に言い返したりもしました。そんな私に、それそれ、その物言いだから作家に向いていると、お姉さんは言うのでした。また、私は別の面でもその道に進むようにと勧められたものでした。今から思うと、確かに後者は当たっていたと苦笑する私です。

 さて、細かくはもう忘れました。数回このようなやり取りをして、お姉さんは私に帳面の様な物とペンを示して、もう書いたから。ほれこの閻魔帳に書いておいた。もう決定したからこの話はお仕舞いだ。そんな一方的な言葉、態度で話は終わり。窓辺にこの方を見る機会はそれ以上無かったと記憶しています。思い出したついでに、私は還暦の記念に出した私の本を、記念品としてプレゼントしたのでした。存命であれば、そのお家の見知っている姉弟の方は、共に百歳前後になられるのではと思います。なので2冊の記念品を包装、贈呈致しました。


煮物の香り

2024-03-12 08:44:54 | 日記
 久しぶりなので、あまり筆が乗りません。暫くはエッセイを続け、腕鳴らししたいと思います。

 昨日、近くのスーパーの物産展で竹輪を購入。厚揚げや大根と共にそれを煮込んで、昨日の夕飯にしました。今朝もそれを温め直して、美味しく頂きました。大量生産の安価な品物とは違い、確りとした食感の練物でした。噛み締めるその味に、昔ながらのお店の品質を感じていました。

 その後、2階で用事を済ませ、階下に降りて来た時の事です。私は廊下に漂う煮物の残り香に出逢いました。ほんわりとして温もりのある香気です。『懐かしい…、』、これは何処かで嗅いだ事がある匂いだと、私は直ぐに気付きました。私の臭覚の記憶にある香り。そうして直ぐに合点しました。『これは母の里の台所の香りだ。』。

 私はよくこの香りに出逢いました。母の実家にいて、台所に足を踏み入れた時にほんわりと、その台所特有の、壁等の身に染み込んでいる様子にさえ思えた、その場所独特の所有物としての香りでした。当時の私は何時も、これは何の匂いだろうか?、と疑問に思っていたものです。
 
 「そうか、あれは練り物を入れた煮物の匂いだったのか。」

相当の年数を経て、当時の練り物と同等の品を材料にして、煮込み料理をしたお陰で、今朝私はその香りに合点したのでした。

 まぁ、エッセイの不出来な点はお許し下さい。


2024年3月ですね

2024-03-06 11:05:05 | 日記
昨夏からの久々の投稿です。今年もよろしくお願い致します。

さて、長く続いたコロナ禍が漸く過ぎたようだ、と思っていたところ、今年は新年から能登地震があり、過去数年同様に、今年も今迄のところ忙しなく過ぎて参りました。特にこの1年は個人的な家庭の事情もあり、尚更に世話しなく落ち着かない日々でしたが、皆様には如何お過ごしでしたでしょうか。本当に、3月になってホッと一息ついた私です。

私ももう高齢です。知人の訃報を目にすることが多くなりました。厄災や災害ばかりでなく、明るいニュースも聞きたいところです。身近なニュースなら尚更です。辰年に期待したいですね。


猛暑の夏2

2023-09-15 15:58:58 | 日記
 母と私はサイズも違うので、当然合わないものなのですが、Fサイズというものや、中には着苦しいからと、母が通常着るより大きいサイズを指定していた物も有り、私もどうやら着る事が出来る衣類が有ります。
 その中から、私は、着てみようかなと思い、今夏幾つか着用したのでした。やはり一寸ときついかなと思い、私も太ったものだと若かりし頃を懐かしく思い、私の幼い頃の、若かりし母の顔を思い出したりしていました。
 さて、気付いた方もおられる事でしょう。いくら親子といっても、私が無断で母の衣類を借用しない人間である事や、その他一寸した我が家の異変から、母の変化を感じ取った方がおられる事でしょう。そう、その勘は正しいです。今年、母は父の元へ旅立ちました。私は母の衣類を貰ったのです。