Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

1646回 「夏の海」

2013-08-18 16:04:23 | アート・文化
お盆前後、毎日暑い日が続いています。
お盆を過ぎるとクラゲが出てくる、そういったりしますが、まだ海で泳いでいる人もありました。
ウォータースポーツが盛んな浜辺でもありました。
     「夏の海
 今年の夏の海は
凪いで海底の見える静かな浜辺
それでも海風を浴びながら
浜の風景をあちらこちらと
パラソルをかざして見るテトラポット
タコライス、かき氷、カレーパン
テント、車のバックを屋根に
折りたたみ椅子に並んだ車の影々
本当にごみもなく砂浜のタイヤの跡静かに
湿った砂の跡は人口の砂の跡かと
ひっそりと帰って来たまた行きたい浜辺

墓参り

2013-08-16 09:17:31 | 日記・エッセイ・コラム
 昨日お盆は家も墓参りに行って来ました。
私が仕事だったので、夕方遅くの時間になりました。風がそうなかったので蝋燭も線香も点ける事が出来て大変よかったです。
風当たりの強い場所なので、線香と蝋燭を点けずに終わる時が間々あるのです。そんな時はとても残念な気持ちになりますね。年1回くらいのことなので、せっかく来たのにという気持ちが強いからでしょうか。
父の初盆という事で、早朝墓の様子を下見に行きました。乱れているようなら片付けようかと思ったのです。幸いそれほどでもなく、そのまま手持ちに持っていった花類を置いてきました。
父の好きだった花と実。夕方ゆっくり来るつもりだったので芙蓉は後回しです。
父は芙蓉の花も好きで気に入っていたようでした。
美しい花は誰でも好きなものですね。あの世で喜んでいる事でしょう。
伯父達の墓には百合とアスターを、今年は桔梗や実物はやめにしました。あっさりと少しだけ豪華に。
そんな感じで墓参りを済ませました。
夕日を浴びて帰り道、少し来た所でハット気付くと、伯父達の墓に花だけ置いて、線香と蝋燭は点けずにお参りもまだだった事に気付きました。
どうしましょう?戻りましょうか?
そんなこんなで、進む車をUターン。
また菩提寺に戻って、きちんとあちらとこちらに線香蝋燭お参りと、さらさらではありますが一通り済ませて。
この頃にはお日様も山の中、黄昏て、まだ明るさが残る中を帰宅でした。
家に着いて、ゆっくりと晩御飯。平凡にお盆当日が過ぎて、なんら変化の無い日常、今日はそんな感じでうら盆でしょうか。

明日はお盆

2013-08-14 18:16:53 | 日記・エッセイ・コラム
 いよいよ明日はお盆です。
花や線香お花など、墓参りの準備に余念の無い時期です。
私は今週は忙しいので、あまり気が回らないのですが、お店に行くと並んだ多くの花束に目が行ってしまいます。
供物とか、果物のセットなどにも目が向くのですが、何となく買う気に無らなかった今日でした。
しかし、暑いです。こんな時はやはりクーラーです。
かき氷も食べたいし、冷たい飲み物も欲しいし、なんだか考えもまとまらなくなってしまって、先送りです。
という事で、今日はお仕舞いです。
     「供養花
 並んだ花束の数々に
気に入る花の顔を求めて
あちらこちらと値段の波をぬって
角を曲がれば百合の花
高嶺の花の百合の花
歩く姿の百合の花


いつまでも

2013-08-12 10:20:32 | 日記・エッセイ・コラム
 「何時までもあると思うな親と金
父は折に触れてよくこんな言葉を私に言ったものです。小学校、中学校、時には高校と、これが最後くらいの頃でしょうか。
父が祖父母に言われた言葉なのだろうと、私は聞くたびにそう思ったものです。父は転職を何回かしていました。会社勤めの前は家の家業を手伝っていましたから、定時収入を得るようになったのは会社に出てからでした。
元々丈夫な方ではなく、休日になると半日布団の中、活動は午後からという風でしたから、休日に何処かへ行くといっても、ドライブ程度、ちょっと喫茶店などにより休憩、お茶や軽食で帰宅が常でした。それさえもたまにの事でした。
質素を旨とし、一汁一菜なども口癖のような言葉でした。
私が大学入試にかかる頃は、お金が無いから県外に行くなら短大に、しかも公立でなければお金は無いと言われたものです。
幸い、短大でも授業料の安い公立に合格でき、安上がりについたと父はご満悦であったようです。
入学して通い始めてすぐの事、父は私に奨学金を受けるように薦めました。使わないで貯めて置けばその分利息だけ儲かる、という業突く張り(けち臭い事)を言ったものです。
若い私は閉口しましたが、出すだけ出せという父の言葉に逆らうまではしませんでした。
卒業して直ぐに、私は奨学金を一括変換しました。後ろめたい気がしましたし、借金を早くに返してしまいたかったからです。
私の貯金から出しましたが、父も自分の通帳から送金するという風に二重払いになった経緯があります。
私の子になると、実際に母子家庭ということで、奨学金は欠かせないものとなりました。今回は父も高齢という事で、何時まで孫の学資が続くか分からない、私も体調を崩し働けないと、危機迫る感じがありました。刻一刻の時の流れの中、不安でもあり、孫の卒業と同時期の父の死は、私にはまさに感無量の思いがありました。
考えてみると、私の修学から父は常に、自分は何時まで持つかという思いがあったのかもしれません。奨学金を貯めて利息を云々の欲張り面の裏に、子への就学の責任感があったのかもしれないと、今は思ったりします。
親の心子知らず、子の心親知らずとよく言いますが、そうかもしれません。

猛暑!

2013-08-09 09:20:28 | 日記・エッセイ・コラム
梅雨明け後、ぐずつく日もありましたが、暑い日が続いています。本当に猛暑ですね。
昨日は母が行きたいと希望していた法務局まで出かけました。
何をしに行ったかというと、相続の手続きです。と、母が言うには、届けないと不利益になることがあるからとか。
よく分からないままにいざ出かけようと、細かく話を聞いてみると、というか考えてみると、父の不動産はもう母名義で固定資産税が来ているのでした。
役所への相続代表者の名前を母にして書いたのは私です。あれで事足りているのではと、気付いて、車のハンドルを握りながら、
「この前株は全てお母さんに名義変更したし、お父さんの遺産って家と土地の他にあったっけ?」
と確認。もちろん無いのでした。
近くの島の土地も、買った時から母名義だし、何を今更届けるのだろうか?届けなくてもよいのでは?と思うのでした。
相続税にしても、母と姉妹の相続税控除以上に遺産は無いのでした。届けなくてよいし、よかったと過日思っていたのに。
先月から、やたらと母が法務局に遺産相続手続きの相談に行きたいとせがむので、
私の方でも、それでは家は母に、土地は母子で3分割にでもしようかと考えてしまいました。
でも、それ以前にもう全て母の持ち物になっている現状でした。
馬鹿馬鹿しい、何でこんな苦労を。
昼寝を途中で起きて、しかも分かりきったことに付き合って法務局まで
そう思いながらも、母の相談を待つ建物内のベンチでした。
少々不安もありました。
何か私の方で勘違いしていたら困るという事です。
母いわく、妹の方では、もう何もしないで放っておいたらと言ったそうです。
暫くの後、受付窓口から出て来た母は、やはり何もしなくてよい、だけど母の死後姉妹が争うのが心配なら…。
争いません。均等に2分の1ずつ分ける事になっているから。と母にも念押し。
法に定められた通りに私達は分割、相続する事になっています。
そう多くない遺産なので、母で消費した残りを姉妹で分割、それでよいと思っています。揉める事もありません。
暑い時に、暑い思いをしてと、
ファミレスで冷たい甘いデザートを親子で食べて、ゆっくり帰ってきました。
最後に一言、母の言う事を聞いているとろくな事が無い。
とだけ言っておきました。
母いわく、妹の言う通り何もしなくてよかった。
ですって。
母に連れ回されるのはうんざりと私が思っていることにも、きっと母は気付いていないと感じる私でした。