東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

日本橋散歩・龍閑橋を訪ねて

2016-06-25 | 散歩
  龍閑橋(りゅうかんばし)、左へ行けば呉服橋があり北町奉行所、
  右へ行けば神田、湯島へ続き、神田明神下の銭形平次の縄張り。
  江戸時代の話にはよく出て来る場所なので、
  いろいろ思い出しながら興味津々で歩いて来ました。


  

     それは外堀通りに並んでいてそこだけ歩道が広くなったような感じの
     場所にありました、フェンスに囲まれていて写真には不似合いだったけど
     橋のトラス構造はよく見えました。




  

     どうにもフェンスが邪魔だったので一段高い所へ上がってみました、
     1926(大正15)年製の「龍閑橋」。
     橋柱がちょっと傷んでいるけど残っています。




  

     これも腕と首を伸ばしてフェンスの上から、
     日本で最初の鉄筋コンクリート・トラス橋だったとあります。
     まあ江戸時代の橋を残すのは無理でしょうね。




  

     フェンスにあった説明板。
     右の川みたいなのが江戸城外堀、左から流れ込むのが龍閑川、
     その川に架かっているのが龍閑橋ですね。
     今は道路になっているこの川は今でも千代田区と中央区の境になっています。




  

     埋め立てられ道路になった龍閑川の跡にある信号、
     いま龍閑橋の地名はここだけじゃないのかな?。
     龍閑橋?竜閑橋?、
     資料を見ても現場を見ても龍閑橋、竜閑橋が混在してます。




  

     Uターンして会社の方へ。
     外堀通りを渡るJR線、手前から奥へ山の手・京浜東北線、上野東京ライン、東北新幹線。
     長さ30.47m、橋台はコンクリート構築で表面は化粧煉瓦使用。




  

     また会社の前まで戻ってきました、真向かいにある常盤小学校。
     窓がカッコいいけどフェンスにネットではねぇ、、、。

     1873(明治6年)3月 - 幼童学所と称しとして本町一丁目に創立。
     第二次世界大戦時の防空壕が残っている。
     体育館の事を『講堂』と呼ぶ。
     ほとんどの生徒が学区外に居住し、学区外から越境通学することが当たり前。

     ドイツ表現派やアールデコなどのモダンなデザインを取り入れた校舎は、
     東京都選定歴史的建造物に指定され、
     また、経産省の近代化産業遺産にも選ばれています。


     今回は急遽予定を変更したのでやっつけ仕事でした。m(_ _)m
     後になって資料を調べたらまだまだ何かありそう、
     この次のやっつけ仕事のめどが立ちました。^^;
                                                            6月22日 龍閑橋を訪ねて
         

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2 コメント

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Unknown (くぅ)
2016-06-26 14:25:21
もしかしたら、jugemuさん江戸時代からずーと生きてる?
=^-^=うふっ♪
江戸の世の中に生きていたらどんなだったろうね。
わたしなど、きっとお手討ちにされてただろうね。
罪状は、不敬罪かな?
それとも・・・(*´m`)むふ♪
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くぅさん (jugemu)
2016-06-26 20:02:53
江戸時代から生きてるかって?、
このごろ自分でもそうじゃないのかなと思うようになってきた。
70年前と140年前ってそんなに違うとは思わない、
生まれた年に立ち返って、もう一回後ろを見れば
そこはもう江戸時代だもんね。♪

江戸時代に生きていたらきっとその前の
織田さんとか豊臣さんの時代を掘り起こすんだろうな。

お手打ちにされんの?、思い当たることある?。
殿様の言うことを聞かなかったりとか、
「ざけぇんじゃねえよ!」、、、はい、不敬罪ね。?

殿様の言うことを聞かなかった花魁が拉致されて舟に乗せられ
吊るし切りにされたという話、来週ごろUPされるかも。(゜o゜)
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