東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

昭和ノスタルジー

2024-03-31 | 散歩

  百花園へ行くときはいつも河川敷を走る
  けどこの日はマラソン大会があると河川敷は通行禁止に。
  仕方ないので一般道を走って行きました
  帰りに小さなお稲荷さんでタイムスリップなどを。

 

   元宿堰(もとじゅくせき)稲荷、
   小さいだけではなくかなり古いお稲荷さんです。

 

 

   朽ちかけたとは言わないけどかなりの時代ものですね。

 

 

   宝暦4年(1754年)創建で東京電力千住火力発電所の守護神とされた時期もある。
   かつては「千住四本煙突守護社」と呼んでいたころもあるとか。

 

 

   東京電力千住火力発電所は巨大な4本の煙突を持っていたが、
   見る方向によってこの煙突は1本から4本に見えた
   付近住民などからは「お化け煙突」の名で呼ばれ、
   操業当時は映画などの作品にも時折登場するなど
   地域のランドマークとして親しまれていた。

 

 

   私が東京へ出てくるちょっと前の写真、
   西新井橋はまだ木造でバックにお化け煙突が写っている。

 

 

   もう一つこんな看板もあります、「いつでも夢を」ストーリーのまち。
   懐かしい映画です、当時は日活映画の新作が出るたびに丸の内日活へ通っていた。
   受付の横にはスリッパが置いてあり下駄ばきで来る客は履き替えさせられた。

 

 

   日活のドル箱だった純情コンビ、浜田光夫と吉永小百合、
   サユリストという言葉も流行ったね。

 

 

   「いつでも夢を」は橋幸夫と吉永小百合のデュエット曲で第4回日本レコード大賞受賞曲。
   レコードが先でそのあと映画が作られた。

 

 

   ちょっと行くと道路沿いに葛飾北斎の「富岳三十六景 武州千住」の画。
   この辺りから見て描いたものらしい。

 

 

   いろいろな説明がなされていたけど一部を。

 

 

   マップもあったけど地元の人しか分からないよね。

 

 

   更に遡って「弘法大師御作 子育て地蔵」なる石柱も、
   肝心の子育て地蔵はどこにあるのかな。
   「墨堤通り」という今も幹線道路、弘法大師も歩いたのかなぁ。

 

 

   墨堤通りの脇にある元宿堰稲荷、
   ずーっと走ると向島百花園の近くまで、さらに浅草まで通じているらしい。
   一般道は信号も多く混むのでもっぱら河川敷を走っているけど
   この日は走らせてもらえなかったので仕方なく一般道を走りました。

 

          data:EOS70D/EF70-200 1:2.8 L。 撮影  3月 17日  元宿堰稲荷神社

          

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 農業公園、春の草木の花々 | トップ | 百花園には来たものの »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
くぅさん (jugemu)
2024-03-31 13:10:09
まあお稲荷さんてそんなものです
ほんとの庶民の心のよりどころですから、
神社に見返りを求めるのは邪道
日々の暮らしを感謝する所ですぞ。

丸の内日活は最高級の映画館
全館レッドカーペットが敷き詰められ
イスなんかは厚みが30cmくらいありました、
座るとずぼっと体が沈んじゃう。
当時は下駄ばきで来る人もいました
絨毯がたまらないのでスリッパに、
料金は忘れたけど電車は10円で乗れた時代です。(^^♪
返信する
Unknown (くぅ)
2024-03-31 09:27:10
おいなりさんも、裏から見ると・・・
お掃除道具があったり、
あんまりありがたみを感じないフツーの所なんですね。^_^;

下駄履き、履き替え・・・ひゃぁ~!
東京の映画館でも、そんな時代がありましたか。(人●´ω`●)
返信する

コメントを投稿