東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

山谷堀から三ノ輪まで

2019-06-27 | 風景
  山谷堀は王子の音無川から根岸・三ノ輪・吉原を通って隅田川に至る運河です。
  江戸の頃には舟で隅田川から遡って吉原へ行くのが"通"とされ
  日暮れ時ともなると猪牙(ちょき)舟で混みあったようですが
  私は"通"ではないのでママチャリでね。


  

     聖天さまと今戸神社の間にある山谷堀、ここから三ノ輪へ向かいましょう。

     今戸橋は山谷堀が隅田川に流入するところにあり
     吉原への入り口でした。
     今は埋め立てられ親柱だけが残っています。
     そして江戸時代には「今戸焼」と呼ばれる焼き物の産地でした、
     今戸神社の招き猫も今戸焼で作られたんですね。




  

     今戸橋から吉原の近くまでは山谷堀を埋め立てた山谷堀公園が続きます、
     約700mの公園は春には桜の並木がきれいです。




  

     途中までしばらくの間は水の流れなどしつらえてあり
     夏場には子どもたちの絶好の遊び場に。




  

     子規の句碑があります。
     牡丹載せて 今戸へ帰る小舟かな  子規

     この"牡丹"は本当の牡丹の花なのか、はたまた遊女なのか
     議論の分かれるところですが、、、。
     根岸に住んでいた子規は猪牙(ちょき)舟で山谷堀を遊んだのでしょうか、
     三ノ輪からほど近い朝顔市で有名な入谷鬼子母神(真源寺)にも句碑がありますね。




  

     紙洗橋
     江戸時代は今に勝るリサイクルの時代、トイレットペーパーは
     "浅草紙"と呼ばれ街で回収された古紙はこの辺りで再生された。
     古紙を煮て溶かした後この山谷堀の水で冷やして作る、
     職人は冷えるまでヒマなので近くの吉原で遊女などをからかう。
     買う気もないのにちょっかいを出すのを「冷かす」というのは
     ここから来たと、、、wikiには無かったかな。

     山谷堀公園はもう少しあるけどこの辺から土手通りに出て三ノ輪へ向かいましょう。




  

     浄閑寺へやって来ました、しばらくぶりです。
     しかしさっきから雨が落ちてきました、雷のない雷雨みたい
     空が暗くなりひょっとするとひょっとするかもです。




          

          新吉原総霊塔
          明暦の大火が起きるまで吉原は今の人形町のあたりにありましたが
          火事のあと吉原は浅草に移され以降「新吉原」と呼ばれました。

          慰霊塔のお地蔵様の上の空間には遊女たちのためにいろいろな供え物が、
          化粧品、アクセサリー、髪飾り、、、今でも贈る人は絶えません。




  

     その横には花又花酔の有名な 「生れては苦界 死しては浄閑寺」の碑。




  

     向かいにある永井荷風の文学碑にはどこかのグループが、
     リーダーがついていていろいろ説明していたけど雨が本降りに。




  

     期待はしていなかったけどここにはアジサイはありませんでした。
     藤棚の下でしばし雨宿り、
     見上げると藤の花が咲いていたけど喜んでいる場合じゃないよ。

     ここからは自転車での通勤コースを帰ります、
     途中の神社や寺に寄りながらアジサイを見つけようという思いだったけど
     その前に帰られるかどうかが大問題です。
     日光街道を傘さして自転車で帰るわけにもいかないしねえ、、、。

          data: EOS70D/EF17-40mm 1:4 。 撮影 6月22日 山谷堀、吉原から三ノ輪まで
          

コメント
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