東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

元吉原から芳町を歩く

2017-07-11 | 散歩
  今の人形町辺りは歌舞伎小屋や人形芝居の小屋などがあり
  人形使いがたくさん住んでいたため人形町と呼ばれた。
  また吉原が浅草に移ったあと芝居小屋も浅草に移り
  あとに芳町など花柳街が生まれた。


  

     元吉原は新吉原と同じ町割りだったとされる、
     入口には大門がありその通りの名が大門通りとして今も残っている。




  

     「お母さん早くぅ」、「いま行くわよぉ」・・・
     実の母娘でしょうね、遠慮のない会話が聞こえた。

     元吉原の東の端と思われる所に「末広神社」、
     吉原の地主神・産土神として信仰されていた。
     修復した際、末廣扇が見つかったことから「末廣神社」と名付けられた。




          

          境内の大きな木の根元におキツネ様、
          これはこれでちゃんとした社だそうである。
          江戸にはこんなお稲荷様も、ままごとみたいだね。




  

     ちょっと足を延ばして元吉原を抜けた浜町あたりに「笠間稲荷神社東京別社」。
     ここは紋三郎稲荷とも呼ばれ、旧笠間藩主牧野氏の邸内社だったという。




  

     境内にはキツネがたくさん集まっていた、
     私みたいに会議のため日本橋に集まったのかな。
     江戸には本当にお稲荷さんが多い、
     「伊勢屋、稲荷に犬のクソ」江戸に多かったものの代表と言われた。




  

     人形町通りから日本橋川の方へ足を運ぶ。
     とたんに雰囲気がが変わって独特なムード、
     吉原や芝居小屋が浅草に移ったあと深川から芸妓が集まって花柳街ができた。
     陰間茶屋が生まれ、若衆と呼ばれる10代から20代初頭の少年が接客した。




  

     よし梅 芳町亭。 昭和初期に建てられた木造の2階建ての日本料理店。
     関東大震災後に待合として建てられたと考えられている、
     昭和初期の数寄屋風の意匠が整った建物で国の登録有形文化財に登録された。




  

     かつての芳町を偲ばせる小路、
     ビルの間を抜けてくると突然異空間に迷い込んだようだ。




  

     この小路の隣は「大観音寺(おおかんのんじ)」、
     いろいろな神様が祀られているが「韋駄天」さまも。


     仏舎利を盗んだ鬼神を追いかけて取り返したとされる
     俊足の神様・韋駄天(いだてん)が境内の一角に祀られている。
     東京マラソンのコースにも近く、数年前から市民ランナーの参拝が目立つようになったとか。

     以前から紙製の「韋駄天尊の肌守」を授けていたが、
     「汗で紙がぬれてしまう」というランナーからの要望を受け、
     竹製で携帯ストラップにもなる「木札守」と
     ウエアに張れる「ステッカー守」なども製作している。


     例によって時間に追いかけられそれこそ韋駄天走りで回った元吉原、
     時代も古くまた火事で焼け野原になったため全貌は分かりません。
     でも探す楽しみも、新しいネタを掴んだらまた歩いてみたいですね。


                                        7月3日 日本橋、元吉原を訪ねて
          

  
コメント (2)
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