シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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この1曲で記憶に残った男ランツァ

2024年04月26日 | 1曲だけで大注目
YouTube から Mario Lanza and Kathryn Grayson sing "Be My Love” (https://www.youtube.com/watch?v=j86MXFE80zE) で大声で歌うランツァに少し呆れた表情のグレイソン、Mario Lanza and Kathryn Grayson perform “Madame Butterfly” の第一幕最後のクライマックス部分「嬉しい夜、限りない星 Dolce notte! Quante stelle!」(https://www.youtube.com/watch?v=wBEl4ZZTqJQ)。 どちらも映画『ニューオーリンズの美女』から。
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映画『ニューオーリンズの美女』中のオペラ寸劇「蝶々夫人」の場面を歌っているシーンを YouTube で見ました。 演じているのは2人とも米国人です。 米軍人ピンカートン役をマリオ・ランツァが、蝶々夫人役をキャスリン・グレイソンが演じています。
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"The Toast of New Orleans ニューオーリンズの美女" (1949) __ 監督ノーマン・タウログ 音楽ニコラス・ブロズキー/ジョニー・グリーン
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日本未公開の映画ですが、劇中歌の “Be My Love” (ブロズキー作曲) は世界的に有名で、ランツァの代表的な曲として知られており、当時のレコードが 200万枚も売れたそうです。

今でも テノール歌手が時々歌い、デル・モナコ、ドミンゴ、カレーラスも CD 曲集の中に入れています __ デル・モナコ・ゴールデン・アルバム (’62 DECCA)/ドミンゴ 愛の歌 (’76 DG)/カレーラス わが心に歌えば (’93 TELDEC) など。
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映画中の他の寸劇には2人で『椿姫』からの「乾杯の歌」を歌うシーンもありますが、あまり魅力的ではないようです。

また 歌い踊る場面で、すがる共演女性を振り切るために別の男性ダンサーに、その女性を放り投げる演技とか、映画とは別の映像で女性を相手に歌う場面で いきなり女性の両腕を掴んで歌い、歌い終わるとその女性を放り出すなど、(乱暴?) 豪快な個性的演技も …

冒頭スチル写真右は映画の最後の部分で、「蝶々夫人」の聞かせどころ部分を舞台で歌う設定ですが、映画の中では グレイソン演じる女性がランツァ演じる男性を憎からず思っているが、なぜが嫌う素ぶりをし、この二重唱の後 ランツァがグレイソンにキスし、幕が左右から閉じるのです。

しかし 幕の内側でグレイソンがランツァの頬に平手打ちをバチンと喰らわし、舞台裏で逃げ回り、最後にはグレイソンがなぜかランツァを受け入れてメデタク (?) 終わるのです。 その最後の場面でも “Be My Love” 伴奏の一節が被っていました。
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大声で 雑な感じもするランツァとグレイソンの歌唱力は、映画中ではそれなりに聴けますが、歌劇を丸々全曲吹き込むにはやや弱いかなと感じました。 ですから、2人ともオペラ録音は残していませんが、ランツァはポピュラー曲集が残っています。

グレイソンは小柄な体のようですが、小顔のパーツのそれぞれが大きく、特に眼が大きいのはヒロインにピッタリです。 映画や舞台では眼が小さいと、どこを見ているのか分かりませんから、小さい眼の人はヒロイン向きではありませんよね。

映画を最初から最後まで見たわけではないですが、映画中の他の曲も聴いてみても、“Be My Love” と “蝶々夫人” 以外は特に印象に残りません。 40歳前で亡くなったランツァは “Be My Love” を残してくれた … これで充分かも知れません。
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ウィキペディアから __ キャスリン・グレイソン Kathryn Grayson (1922~2010) は、合衆国で活躍したソプラノ歌手・女優で、12歳から声楽を学び、ミュージカル映画のソプラノ歌手として売り出され、フランク・シナトラやマリオ・ランツァ、ハワード・キールという男性歌手との共演を重ねた。 50年代半ば以降はレコーディング・テレビ・ラジオ・舞台への出演を中心に活動。

マリオ・ランツァ Mario Lanza (1921~59) は合衆国の歌手、映画俳優。 力強い独特なテノールの歌唱でコンサート、ラジオ番組への出演等を通じ、時代の寵児となった。 本格的なオペラ歌手を目指したが、身体と精神を患い夭折した。
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今日はここまでです。