シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

特殊な感性を持った少女

2013年03月21日 | 動物いろいろ生態
写真は、「野生のティッピ―動物と話す少女」(小学館 1997-06)。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
天然の野生児だね、この幼児は。 アフリカから母国へ戻って、普通の学校に馴染めなかったというのも何となく納得できます。 それと その先進国社会での順応については書かれてはいないけど、恐らくは こういう性格の人は先進国社会では適応できないだろうと想像しますね。

というのも 動物の世界はウソがないのに比べ、人間社会というものは本音と建前があり、その社会が高度化すればするほど、その度合いが強まるからです。 例えば “人種差別をしてはいけない” ということになっているけど、実際は細かな点で色々と差別はあるものです。

(フランス社会には詳しくないので) 米国社会で “売り家あり” という看板があったので、連絡先の不動産屋に日本人が行ったら、もう売れてしまったとの返事だったが、その後 同じ家の前を通ると あいかわらず “売り家あり” 看板がずっと出ている__つまり そこの地区は白人にしか売らないことにしていて、白人が来たら売るが、有色人種が来たら売れたといって、実質的に有色人種の流入をコントロールしているというもの。
…………………………………………………………
10歳くらいの年頃では学校生活が中心になるが、教師がいつでも疑問があったら聞きにおいで、といったとする。 それを放課後 教師の帰り際に聞きに行ったら、どういう対応になるか? 

一応 教師は対応するだろうが、面倒くさそうな表情をしてしまうのではないだろうか。 すると あの先生はいつでも聞きにおいでといっていたのに、いやそうな顔をしていたということになる。 これがウソのない動物ばかりを相手にしていた子供には、なかなか分からないということになってしまうだろう。
…………………………………………………………
友人関係でもそうだ。 家が同じ方角だから一緒に帰りましょうと、同級生にニコヤカにいわれたとする。 それではと 毎日一緒に帰ろうとすると、最初の1、2回は付き合ってくれるだろうが、連日となると同級生はうんざりし、露骨に面倒だという顔になっていくのでは? これも、あの同級生は自分から一緒に帰ろうといったのに … と幻滅してしまう。 こういうことが重なると、本音と建前の2面性の使い分けに疲れてしまうことは簡単に予想できます。
…………………………………………………………
社会に入っても様々な出身学校や地域の派閥というものがあって、表面上は仲良くしていても、本人がいないと悪口というものが出易いものです。 「Aさんは頭の回転が早いんだね」と褒めても、本人がいないと、「フン 有名校出を自慢してばっかり」とか、「Bさんは変なクセがあっていけすかない」といっていても、本人が来たら さも仲のいいお友達とばかり笑顔で話すとか、上司にハイハイとさも同調しているようでも、上司がいない席では悪口ばかりいうとか、こういうことはいっぱいあるものです。 これらをイチイチ気にしていたら、身が幾つあっても持ちません。 そういう複雑な現代社会は、幾ら世界に開かれているとはいっても、現実には見えない壁というものがあちらこちらにあります。

日本はそうした現代社会の中では、どの位の開放度があるのでしょうか?
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「大親友は野生動物たち。生まれてから10年間、アフリカのジャングルで育ったリアル・モーグリ少女」(3月15日 カラパイア) _ ※追加1へ
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
以上


※追加1_ ラドヤード・キップリングの小説『ジャングル・ブック』の主人公、モーグリは幼児文学の中でも常に最も魅力的なキャラクターの一つにあげられる。 オオカミに育てられたモーグリが、動物たちとスリリングな冒険を繰り広げているそのシーンにワクワクと胸を躍らせたものだ。 ディズニー映画にもなった"ジャングルブック"は、今でもお気に入りの1本として名前を挙げる人も多いだろう。

そして現実にも、まるでモーグリのように、動物たちと触れ合いながら幼少期を過ごした人間の子が存在する。

民話やおとぎ話の中に登場する野生動物は、他の動物の赤ちゃんを傷つけたりしないのがお約束だ。 しかしリアルな世界でもそれが通じるのか徹底的に検証されたことがない。 人間の赤ちゃんが人喰いライオンに殺されていた、と伝えられるケースも複数ある。

しかしティッピ・ドゥグレの物語は特別だ。 彼女は現在23歳。 兄弟はいない。 両親の名はアラン・ドゥグレとシルヴィ・ロバートといい、二人は共にフランス人の野生動物専門カメラマンだ。 そして両親の職業と、彼らが仕事のためにアフリカで暮らしていたおかげで、彼女はユニークな幼少期を過ごし、驚異的な方法で野生動物と交流する機会に恵まれた。

彼女の名前は成獣のライオンを自宅でペットとして飼っていたという女優、ティッピ・へドレンにちなんだものだったが、幼いティッピもその名に違わず、早い時期から野生の動物達との間に並外れた絆を結ぶ能力を示していた。

ティッピの母親シルヴィは当時を振り返り、「大自然の中でこの娘と一緒に自由に過ごせた日々は夢のようだった。 彼女はとても幸運な女の子で、生まれた時から10歳になるまでずっと自然に囲まれて育った。 動物達がいて、人はまばらで、まさに3人きりの素朴な暮らしだった。 彼女の考え方はそこに住む動物達と同じだった。 自分と同じ大きさの動物達は友達だと思ってた。 そしてそういった状況で暮らすため、自ら想像力を巡らせていた」と語る。

それは本当のことだった。 その動物達と小さなティッピの写真はとても愛らしかった。 ボサボサ頭で、下着一枚で、ちょっとだけお腹が出てる彼女の姿は “モーグリ” とほとんど変わらなかった。 そして完全に動物達の世界でくつろいでいる様子だった。 中でも1番可愛らしい写真は、テディベアを抱っこする6歳の女の子みたいにウシガエルを抱擁している一枚だ。

ティッピはカエルを窒息させそうなほどがっちりと抱きしめている。 カエルがすごく苦しそうに見えることに関してはこの際脇に置いておこう。 また他にもゾウに乗っていたり、爬虫類にキスしてたり、ワニの頭に片足を乗っけて立ってたり、チーターに手を舐められてたり、そしてダチョウを乗りこなしているように誇らしげに頭を反らせているティッピの姿がある。 "彼女の幼なじみ” は "普通の幼なじみ” より、ずっとバラエティに富んでいた。

ティッピの愉快な仲間たち、それは J&B という名のヒョウ、ゾウ、ワニ、ライオンの子供、キリン、ミーアキャット、ダチョウ、マングース、チーター、ヘビ、シマウマ、カメレオンや巨大なウシガエル達だった。

極めて危険だとされる動物が、幼いティッピを彼らの一員として受け入れることができたのは非常に驚くべきことだ。 彼女の両親によると、“彼らは非常に優しく彼女に接して、常に傷つけたりしないように気をつけていた” という。 特に、ダチョウのリンダは、ティッピに怪我をさせることを非常に恐れていた。 そのため両親も、リンダがわが娘を乗せている所を見る機会は滅多になく、たまに乗せたとしても小さなティッピを落としてしまうことを危惧して全く動かなかった。

また アブーという名のゾウと娘の関係について、シルヴィーは語る。 「彼女は全然怖がらなかった。 アブーと体の大きさが違うことも気づいてなかった。 彼女は彼の眼を覗き込んで話しかけてました」 また、ティッピはただ動物達と仲良くしていただけではない。 ナミビアの原住民と共に成長する彼女は彼らの庇護の下、厳しい自然で生き残るためのあらゆる種類のサバイバル術を学んだ。 彼女は彼らの言葉を話すことができ、狩のほか植物の根やベリー類で飢えを凌ぐ方法も知った。

人生のうち最初の10年をそのような環境で過ごしたティッピは、その後両親の故郷であるフランスに戻った。 彼女は地元で有名なフランスの公立学校に入れられた。 しかし都市での暮らしはうまくいかなかった。 彼女は両親が望んだような、"文明的な暮らしを上手に受け入れる” ことができなかったのだ。

パリの他の子どもたちとはほとんど共通点が無く、彼女にとって学校へ行くことは苦痛だった。 彼女が通学したのはたった2年間で、その後両親は在宅教育を受けさせた。 その教育はしっかりとしたものだったが、彼女の独特な人間性は残されたままだった。

23歳になって映画を学び、フランスで全国的に人気のあるゲーム番組に使用されるトラの世話をした。 また “Tippi of Africa” という本を執筆し、その作品はベストセラーになった。 しかし現在の彼女の生活はほとんど知られていない。

最後に聞いたのは、常に自身がアフリカ人だと信じている彼女がナミビアのパスポートを取得したがっているという話だった。 野生の友情を再開するため、彼女はアフリカに帰っているかもしれないという噂もあるそうだ。

以上

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。