シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

反省・総括しない政党

2009年09月12日 | 政治家 政治屋?
写真左は、東国原宮崎県知事に衆院選の出馬を要請し、「次の総裁候補にしてくれるなら」と元お笑い芸人にいわれ、醜態を晒した古賀前選対委員長。 右は、選挙戦期間のほぼ毎日、朝と夜、たった1人で駅前に立ち続けた河野太郎氏。

自民党は8月衆院選で大敗しました。 民主大勝の裏返しですが、なぜ自民党は大負けしたのか、両院議員総員で大反省会をし、総括すべきじゃないでしょうか?
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「自民・古賀氏、派閥解消に反対=森、町村氏は "再生会議" に苦言」(9月10日 時事通信) _ ※追加1へ
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「自民総裁選 動けぬ若手、動かぬベテラン」(9月9日 産經新聞)
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「政権交代選挙が民主・自民双方に残した課題」(9月3日 花岡信昭/日経BP net) _■ 民主党の勝利ではなく、自民党の自滅 ■
事前のメディア予測で「民主 300超」は既定事実のように受け止められていたものの、「308」の衝撃はやはり大きかった。 とにかく、日本政治初の本格的政権交代が現実のものとなったのだ (※追加2へ)。
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「民主勝ち過ぎ、"2大政党制" 雲散霧消か_自民残党、"野党の覚悟" と "乗っ取り" の算段」(8月31日 井上 理/日経ビジネス) _ ※追加3へ
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小泉郵政民営化の是非も総括せず、あいまいなまま造反議員の復党を認めて、郵政民営化選挙で当選した "小泉チルドレン" と反目し合うまま、だらだらと毎年首相の首をすげ替えてきたような政党は、大敗して当然と思いますね。

半世紀も政権の座にあると、党の体質はどうしても保守的になります。 かつては暴風雨が吹いても嵐がじっと過ぎ去るのを待てば、いつかは青空がやってきました。 それが身に染み付いている古参議員は、反省しようとしないのでしょう。

反省の議論をし出すと、古参議員は自分のどんな反省すべきところをほじくり返されるか分かったものじゃありませんから、兎に角そういうアラだしはしないようにという方向の発言になるのでしょう__早くいうと責任を取りたくないのです。

こういう改革する気のない組織は徐々に世の中の動きから遅れ、気が付いた時には現実は遥か遠くにいってしまい、慌てて追いかけてもなかなか追いつけないものです。 なぜなら、そういうことをしたことがない「古参議員が支配する古い組織」ですからね。

こういう体質だから、「動けぬ若手 動かぬベテラン」などと書かれるんですよ。 見出しだけで中味は大体想像できますから、読む必要もないですね。
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かつて東独に「トラバント」という国民車がありました。「1958年から91年まで長期に渡って生産された。 長いモデルライフを通じ、大規模なモデルチェンジは行われなかった」のです。 なぜモデルチェンジされなかったのか? それは競争がなかったからで、初期の設計のまま ずっとモウモウと黒い排ガスを吐き続けて走っていました。 ベルリンの壁崩壊後は、当然 淘汰されて消えてしまいました。
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ここで反省もせず・誰も責任も取らず・古参議員をのさぼらせたまま・体質も変えないようだったら、自民党も "トラバント" と同じ運命を辿ることになるでしょう。「反省ザルの爪のあか」でも飲ませてやりたいですね。

以上


※追加1_ 自民党古賀派の古賀誠会長は10日の派閥総会で、党内の一部中堅・若手が派閥解消や世代交代を求めていることに対し、「そんなことで自民党の再建ができるような簡単な状況ではない。 今置かれている環境をしっかり守りつつ、いかに前進させるかという方が大事だ」と反対姿勢を示した。
 
また、町村派の町村信孝会長は同日の同派会合で、総裁選に向け党再生策の提言を検討している中堅・若手主導の「党再生会議」について、「機能がはっきりしない。 新総裁を縛るようなことをしてはいけない」と批判した。
 
同派相談役の森喜朗元首相も、同会議が18日に中間報告をまとめることに関し、「再生会議は早く結論を出そうしているが、それでいいのか」と苦言を呈し、慎重に再建策を検討すべきだと強調した。
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※追加2_ 55年体制真っ盛りの自民党政治を見てきた立場からすると、今度の総選挙の結果は、民主党が圧勝したというよりも、自民党が自滅的惨敗を喫したという印象のほうが強い。 現に世論調査では、「ばらまき型」の民主党マニフェストの評判は芳しいものではなかった。 にもかかわらず圧勝したというのは、政策選択とは別の力学が働いたとしか思えない。

民主党の選挙戦は、小沢一郎代表代行が仕切った。 いってみれば、この結果は「小沢マジック」による。 4年前の「小泉マジック」の裏返しだ。 あのときの「小泉チルドレン」は「小沢チルドレン」に変わった。「小沢ガールズ」などという言葉も飛び交った。
 
小泉首相 (当時) は「郵政民営化」を単一争点とし、「自民党をぶっ壊す」と叫んだ。 その言の通り、自民党は壊滅的打撃を受けたことになる。 今回は「政権交代」「生活第一」が飛び交った。 同じ体質のワンフレーズ・ポリティクスである。
 
国民の間に広がる逼塞感、将来不安を払拭するには、バラ色のばらまき満載型マニフェストが効果をあげたということだろう。 実現可能性は抜きにして、子育て中のサラリーマン家庭は「月2万6000円」の子ども手当に期待し、農家は戸別所得補償にすがった。

鳩山由紀夫氏はいかにも「いい人」として映る。 政治家は人柄がいいか悪いかという次元よりも別の要素が必要であるようにも思えるが、小沢氏のこわもてイメージから鳩山氏への代表交代が実にタイミングよく行われたため、ある種の転換効果が起きた。

■ 新しい集票機能を探しあぐねたまま、総選挙に突入した自民党 ■
自民党は「小泉後」の総検証がきわめて不徹底なまま、首相の1年交代を続けてしまった。 麻生首相は100年に1度の経済危機に直面して、「全治3年」を宣言、4本の予算を成立させ、GDP 年率換算 3.7%、株価1万円台回復など、それなりの成果をあげてきたようにも見えるのだが、そうしたことはまったく評価されなかった。

高級ホテルのバー通いから始まって、漢字が読めないだの、有力閣僚の朦朧会見だの、東国原
宮崎県知事への総選挙出馬要請だの・・・といったポカばかりが指弾された。 解散のタイミングは、政権発足直後を含め3回ほどあったはずなのだが、結果からすれば、やはり読み誤ったことになる。
 
言ってみれば、自民党は「時代」をつかみそこねたということだろう。 小泉構造改革は一定の評価を得る一方で、自民党の旧来型集票マシーンを崩壊させた。 支持団体の再構築、あるいは、それに代わる集票機能を探しあぐねているうちに、総選挙になだれこむことになった。
 
55年体制以降、自民党は「政官業トライアングル」といえる構造をつくり上げてきた。 右肩上がりの時代にはこれが有効に機能したのだが、そういう時代ではなくなったということか。
 
鳩山氏が「脱官僚依存」を掲げるのは、自民党型トライアングルにくさびを打ち込むことを意味する。 これが時代感覚とぴったりマッチした。

_以下略_
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※追加3_「この国に2大政党制を根付かせよう」「そのために1度、民主党にやらせてみてください」「政権交代が必要なんです」__。 幾度も念仏のように唱えられた民主党の言葉に、国民は応えた。

2大政党制を目指した小選挙区制が導入されたのは1996年の衆院選。 それから5回目となる総選挙で、民主党は悲願の政権奪取を果たした。
 
しかし、その一翼を担うべき自民党の負けっぷりが、あまりにひどい。 単独過半数を大きく上回った民主党とは対照的に、前回議席の半数をも下回った自民党。 1955年の結党以来、経験したことのない甚大な傷を負った。
 
「小沢 (一郎代表代行) さんは、民主党が新しい自民党になればいいと考えている。 2大政党制を根付かせる気はない」

選挙を終えて、ある自民党の大物議員は、こうつぶやいた。 自民党の瓦解もささやかれるほどの大敗に、党内の士気は大きく落ちている。 それは、自民党の危機であると同時に、2大政党制の危機でもある。

その男は、自身の名前が大きく入ったたすきをかけ、スタッフを誰もつけずに駅前にぽつりと立ち、しゃがれた声を張り上げ、帰路に着くサラリーマンや学生を出迎えていた。
 
「河野太郎です! おかえりなさい! 河野太郎です! お疲れ様です! 河野太郎です …」

選挙戦、残すところ20数時間。 8月28日、JR 茅ヶ崎駅、夜の9時。 この日河野は、朝は同じ場所で通勤客を見送り、日中は選挙区内をつぶさに回り、夕方は駅前2カ所で遊説を行い、夜は3カ所で個人演説会をこなした。
 
最後の演説会が終わったのは夜の8時半。 すぐさまクルマに乗り込んだ河野は、茅ヶ崎駅へ着くと1人で降り、階段を駆け上がり、いつもの場所に立った。 そして、2時間近くもの間、声を張り上げ続けた。 こんな日が、毎日、続いている。

3代続いた「河野ブランド」の地盤を引き継ぎ、全国的な知名度を誇り、前回の選挙では全国で2番目となる得票率を稼いだベテランの代議士が、まるで新人候補のように、自身の名を連呼し続けていた。

●「おまえは一番外れているから、自民党の冥王星だ」●

河野であっても、「厳しい」「苦しい」と言い続けた神奈川15区。 だが有権者は、またしても、河野を選んだ。 比例区の獲得票数は、民主党が自民党を上回った。 しかし小選挙区では河野が、民主党の対立候補を辛うじてかわし、当選した。
 
それは、自民党としてではなく、河野太郎として戦ったからにほかならない。
 
河野は13年前、小選挙区制が導入された衆院選で初当選した。 国会に行き、「今の年金制度はもうダメです。 抜本的な改革が必要です」と訴えると、先輩議員から白い目で見られた。
 
「冥王星は太陽系の一番外れたところをぐるぐると回っている。 おまえは自民党の中で一番外れているから、自民党の冥王星だ」(編集部注:冥王星は長らく太陽系9番目の惑星とされてきたが、06年以降は「準惑星」と定義されている)
 
重鎮に呼びつけられた河野は、こう揶揄された。 あまりに悔しくて、「冥王星が外れているのではありません。 太陽の位置がずれているんです」と言い返してやった。
 
3年前、ポスト小泉を決める総裁選に手を挙げた。「年金改革をやるなら河野太郎、やらないなら安倍晋三」というキャッチフレーズを掲げ、20人の推薦人を集めたが、結局13人しか集まらなかった。 河野は語る。
 
「今にして思えば、自民党の間違いはそこから始まったのではないかと思います。 もしあの時、河野太郎が総理をやっていれば、少なくとも、今、年金制度だけは抜本的な改革が終わっているはず」

● 森喜朗に怒られ、与謝野馨に怒られ… ●
昨年6月に発足した自民党の「無駄遣い撲滅プロジェクトチーム」では中心的な役割を果たした。 各省庁、すべての予算を総点検、課長クラスのヒアリングに要した時間は延べ200時間を超えた。
 
あまりにバラ色の説明で胡散臭いと感じた時は、担当部署など現場に乗り込み、予算の使い道を徹底的にチェックして詰めた。 ついには局長や次官クラスが自民党本部の重鎮に「何とかしてくれ」と泣きついた。

河野は、元首相の森喜朗に呼ばれ、「おまえいい加減にしろ」と怒られたという。 その度に、「何で私がいい加減にしないといけないんですか。 いい加減しろと言う矛先は役所でしょ。 役所に言ってください」とケンカした。
 
河野は特に “国立マンガ喫茶” として有名になった、「メディア芸術総合センター」に噛みついた。 土地に 30億円、建物に 70億円、設備に 16億円、事務費に 1億円、合わせて 117億円。「中に入れるマンガやアニメやゲームの予算が残っていないじゃないか」と突っ込むと、「ご寄付いただこうかと思います」と文科省。
 
「(著名なアニメ作家、監督、脚本家である) 宮崎駿さんがそっぽを向いたら、宮崎アニメは建物に入らないじゃないか。 そんなのありか。 じゃあ、どうやって運営するんだ」と聞くと、入場料収入で 1億5000万円、グッズの売り上げで 2億円、合計 3億5000万円 を見込んでおり、それで賄うと言う。
 
「入場料収入はいいけれど、グッズの 2億円 は仕入れがあるよね。 当然、全部使えないよね。 仕入れは幾らなの」と詰めると、課長は「えっ、それは、その…」と言ったまま絶句したという。
 
「もうこれはダメだね、はい凍結」と結論を下した河野は、またしても前財務大臣の与謝野馨から、「河野はマンガやアニメやゲームの重要性をちっとも分かっとらん。 けしからん」と怒られた。 河野は言う。

「けしからんのは財務大臣でしょ。 マンガやアニメやゲームが日本の文化として海外で評価されていることも、経済的に重要であることも十分に分かっている。 でも、何で 117億円かけて5階建ての建物を作ると、マンガやアニメやゲームの産業が盛んになるのか。 何の説明もない」

● 本部が配った一切の印刷物を使用せず ●
河野の、党本部を牛耳る重鎮への怒りは、今回の選挙戦でピークに達する。 公明党とともに掲げたマニュフェストにすら、牙をむく。
 
「与党にとっての本来のマニュフェストは、毎年やっている骨太の方針でしょ。 それと全然違うのを出してきて、どうすんの。 与党は政権運営の実績を示して、だから引き続き選んでくださいというのが、あるべき姿。 だけど示すものが何にもない」

そう息巻く河野は、今回の選挙戦で、マニュフェストを含む党本部から送られてきた一切の印刷物を、配らなかった。 選挙戦中盤、劣勢が明らかとなり、追い詰められた自民党本部は、まるで既に野党になったかのようなネガティブキャンペーンに打って出た。

「知ってドッキリ民主党 これが本性だ!! 民主党には秘密の計画がある!! 民主党にだまされるな!」「民主党と労働組合の革命計画」などと題された、どぎつい色のチラシを大量に候補者事務所に送りつけ、選挙区各家庭へのポスティングを指示した。
 
一方、民主党はそんなネガティブキャンペーンを歯牙にもかけず、大人の対応を見せた。 河野は辟易としながら「こんな戦い方っておかしい。 まったくメッセージがなくて、変なネガティブキャンペーンしか出てこない。 ひどいよ」とぼやく。

●「自民党を作り直して、乗っ取る」ことが早道 ●
だから河野は、選挙ポスターに「自民党」の文字を大きく入れていない。 大きな顔と「河野太郎が日本を変える」の文字だけ。「自民党公認/比例代表は自民党へ」の文字は、党のルールなので仕方がなく隅っこに小さく載せた。 文字の色は灰色。 理由は「遠くから見たら、見えないから」だ。

「じゃあ、何で自民党に残るんですか」。 思わずそう突っ込むと、河野はこう答えた。
 
「何が大事かって、健全な2大政党制でしょ? 別に対立する政党は自民党じゃなくてもいいけれど、自分にとっては、自民党を一から作り直して、乗っ取っちゃうのが一番手っ取り早い。 民主党のやらないところをやる政党は必要だから、必ず生まれてくるわけで、世代交代をした自民党が一番、そうなりやすいと思っている」

自民党の参院議員、山本一太を始め、若手から「将来の総理だ」と担がれている河野は、既に野党としての自覚と責任を持ちながら、選挙戦を戦っていたのだ。

● 有権者に「健全野党」として最後の訴え ●
8月28日、午後8時。 茅ヶ崎市郊外の住宅街に位置するお寺に、河野は現れた。 広間に入りきらない支援者や聴衆、約60人を前に、河野は、こう訴えた。
 
「残念ながら、ここ最近の報道を聞いていると、自民党が政権を担当するのは難しい状況のようであります。 しかし、どの政権もまっすぐ進んでいるか、正しい方向に向かっているか、常に誰かがチェックしなければ、必ず曲がります。 必ず誤ります」
 
「だから私が野党として、今度できる新しい政権をきちんとチェックする役割を果たしていきたいと思っています。 正しい方向であれば、それを全力で後押しする。 違っているんだったら、政権に政策を変えさせる。 そういう健全野党の役割を果たしてまいりたい」
 
「そして、そういう役割を果たしながら、自民党の世代交代を進め、一から自民党を作り直し、4年後の総選挙で『もう1度、自民党やってみろよ』と国民の皆様から言われるような自民党を作ってまいりたい」
 
神奈川15区の有権者は、政党としての自民党にはノーを突きつけたが、野党として戦った河野には期待を寄せた。 その結果が、河野の5選につながった。

● 政権復帰、「あと20年はムリ」との声も ●
だが、自民党は河野の言うように、2大政党制を担う「健全野党」として本当に機能していけるのだろうか。 目下のところ、不安視する声は多い。
 
森喜朗など閣僚級の政治家の多くをクライアントとして抱え、延べ 650人の当選記録を積み上げてきた選挙コンサルタント会社、政治広報センターの代表を務める宮川隆義 (自宅療養中) は、8月中旬に発売された週刊誌で、こう指摘している。
 
「『自民党は政権に復帰できるでしょうか』。 (中略) 自民党議員や関係者から、そう聞かれることが多い。 私の答えは決まっている。『できません。 少なくともあと20年はムリです』。 本当を言うと20年どころか、このまま自民党が露と消えるかもしれない、とさえ思っている」
 
これは、「民主 291議席、自民 128議席」という宮川の予測に基づいた話。 実際はそれを下回っただけに、宮川の自民党への印象はさらに深刻なものとなっているはずだ。
 
労働組合などの支持を得て「下から攻める」民主党と対照的に、自民党は長らく医師会や農協、経団連といった業界団体の支持を礎に戦ってきた。 民主党は、3年後までに企業・団体献金を全廃し、政党助成金と個人献金のみとする政策を公約に掲げている。 これが現実のものとなれば、自民党はさらなる窮地に追い込まれることになる。

●「角福戦争」延長戦のリベンジか、政治改革か ●
実際に、今回の総選挙から組織選挙は通用しなくなりつつある。 茨城県など一部の県では医師会が民主党支持に回り、伝統的な支持基盤だった郵便局長会は全面的に民主党と国民新党支持へと乗り換えた。
 
もはやルールが通用しなくなっているのに、相も変わらず業界や地元への利益誘導を口に、今回の選挙を戦った自民党候補者は多い。

このまま自民党が変わらなければ、「55年体制」が完全に崩壊したは良いが、国民が政権選択をする「2大政党制」は雲散霧消に終わる羽目になりかねない。

かつて、自民党に「角福戦争」と呼ばれる対立があったことは、あまりに有名だ。 田中角栄と福田赳夫が1972年の総裁選で争って以降、3回にわたって総力戦を繰り広げた。
 
田舎から出てきて学歴のない田中角栄は国土の均衡な発展を主張し、バラまき行政を行った。 他方、東京大学卒で大蔵官僚出身のエリート、福田赳夫は競争主義、対米追従を掲げた。 細かな違いはあれど、前者は今の民主党が掲げる政策に、後者は自民党の政策に、ほぼ一致する。
 
時が過ぎ、平成の世。 2000年に森喜朗が首相となると、以降、小泉、安倍、そして福田の息子と、4代にわたって福田派の “後裔” が自民党を仕切り、田中派の色が残る勢力は、駆逐されていった。
 
それを取り込みつつ地力を蓄え、拡大していったのが、田中角栄に寵愛された小沢が中枢に座する民主党である。
 
小泉に外され、自民党を後にした田中角栄の娘、田中真紀子は、ついに選挙公示直前の8月15日、小沢が築いた民主党へ合流することを表明した。 中枢に福田派が残る自民党、対して “田中派のプリンス” が築いた民主党に、田中真紀子が入ったことは、象徴的だ。
 
近年、角福戦争の延長戦よろしく、猛烈な追い上げを見せた福田派勢力。 自民党のある若手議員は、「民主党政権の独裁が続くような事態となってしまえば、田中派勢力が、延長戦のリベンジを果たしただけ、ということになってしまう」と危機感を滲ませる。

● 労働組合が支持母体で公務員削減ができるのか ●
果たして、国民はそんな構図を認識して投票をしたのだろうか。 もちろん、そんなことはない。 民主党が声高に叫んでいた「2大政党制を根付かせる」という大義に賭けた結果が、今回の政権交代だったのではないか。 であれば、次に求められるのは、健全で強い対立軸である。

政権を取った民主党に不安の種は尽きない。 政権政党としてはまだ経験不足であるし、新人議員がまともに国政を担えるのかという危惧もある。 例えば、霞が関の改革といった重要政策1つ取っても、気がかりな点は多い。
 
民主党の鳩山由紀夫代表は、自公連立政権を「官僚任せの官僚主導政権だ」と痛烈に批判してきた。 しかし、連合など労働組合を支持母体とする民主党に果たして公務員削減などの改革が本当にできるのか、自民党は再三、選挙戦を通じて疑問視してきた。
 
民主党は、「公開会社法」や「中小企業いじめ防止法」など、幾つかの新法設立をマニフェストに掲げている。 こうした法案を準備している民主党内の一部チームは既に、選挙前から霞が関の官僚を非公式に仲間に加えて、教えを請うているという話もある。 再び、河野の声を拾おう。

● 3役経験者、派閥の領袖には退場を求める ●
「民主党は結局、あの体質では大きな政府しか指向できない。 党中には反対の意見もあるけれど、基本的には大きな政府で格差是正の方向に行くわけです。 そうなると、小さい政府でバラまかずに成長を重視する政党が “対岸” にどうしても必要になる。 自民党がその役割を担っていけばいい」
 
そして、こうクギを刺す。「今までの自民党はダメよ。 これまでの3役経験者、派閥の領袖は外れてもらわなきゃ」
 
河野のような生き残った若手を中心に、いかに三行半を突きつけられた古い自民党を名実ともに壊せるか、作り直せるか。 言い換えれば、「ずれた太陽」が軌道修正できるかどうか。 2大政党制の未来は、新生自民党の行く末に委ねられている。

以上

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