シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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目立たぬ事で存続した名家?

2019年11月04日 | 歴史をひも解いて
旧前田邸・写真はネットから拾ったもの。 左上は公園入り口。
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先日 自治会内の人たちで構成する “散歩会” で、井の頭線駒場東大前駅から徒歩8分にある 目黒区の駒場公園・東大駒場キャンパスを訪れました。 
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ウィキペディアから __ 駒場公園 (こまばこうえん) は、東京都目黒区駒場にある目黒区立の公園である。 旧侯爵 前田 利為 (としなり) の邸宅が残されているため、俗称で旧前田邸と呼ばれることもある。 昭和初期に建てられた洋館・和館は共に良好に保存され、2013年には国の重要文化財に指定されている。
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旧侯爵 前田家の跡地が公園となり、旧前田邸洋館は東京都が、和館は目黒区が維持管理しています。 4万平方メートルもの敷地があり、洋館建築面積は 980平方メートル、延床面積 2,990平方メートル、小ぢんまりした2階建ての和館がありましたが、見ものは洋館です。

1929年建設といいますから 90年前の建物ですが、立派に保存されています。 土足厳禁で見学しました。 この洋館の建築費は億円単位ではなく、何十億円だろうと想像しました。

パンフを配っていた ボランティアらしい人に訊いてみると、「当時の建築費は 150万円だったのですが、貨幣価値が大きく変動した時期ですので、最も高い額ですと現在価格で 60億円、最も低い額で 30億円かかりました」とおっしゃってました。
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また 前田家と聞くと、最近有名なのは “当たり前田のクラッカー” ですが (?)、我々年配者は先ず 戦国大名の前田利家を想像しますから、その系列ではないかと思いました。 ボランティアの人がいうには、やはりその子孫の16代目の人が建てたといってました。

2階の図書室にはやたら、”加賀百万石” の金沢を特集した観光雑誌が置いてありました。 昔 学生時代、教養学部教授が生まれは加賀百万石だというので、まだ歴史に詳しくなかった私が「四国ですか?」と間抜けにも香川県と間違って訊いて呆れられた事があります。 それぐらい 金沢の人には自慢なんでしょう。 
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ウィキペディアから __ 旧加賀藩主の前田家が移ってきた。 第16代当主である侯爵・前田利為の駒場本邸として、1929年には洋館が、1930年には和館がそれぞれ竣工した。 1942年に前田利為が事故死すると 邸宅は他人の手に渡り、一時期は中島飛行機の本社がおかれた。 敗戦後は米軍に接収され、解除される1957年まで連合軍極東軍司令官の官邸などとして使用された。
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パンフには、「前田家16代 前田 利為 (侯爵) は近衛歩兵第四大隊長、第八師団長を歴任、予備役に退いたが、太平洋戦争が開戦するとボルネオ守備隊司令官に任じられ、搭乗していた飛行機が海中墜落、58年の生涯を閉じました」とありますから、軍人の前田利為が稼ぎ出したものではなく 前田家が代々持っていた資産を相続して建てたようです。

という事は、戦国時代の大名の前田 利家 (としいえ) が築いたものが、いかに大きかったかと推理します。 豊臣政権の五大老の一人でしたから、よく徳川家康に潰されなかったものですね。 その子の前田 利長 (としなが) も関ヶ原の戦いで徳川方に加勢し、122万石の日本最大の藩となり、以後 命脈を保ちました。

我々 一般人が記憶しているのは初代の前田 利家だけでしょうから、以後の前田家は徳川家に服従して江戸時代も存続を図り、幕末から明治・昭和への激動期も続いたのは ある意味 立派です。 幕末の戊辰戦争でも どうしたのかとんと分からず 目立ちませんでしたが、薩長土肥などの西国勢にも潰されなかったのですね。 最初は反徳川方、次いで江戸時代は徳川方、明治政府は反徳川方だったのに残って侯爵になりました。

四百年もの存続は “力” ですね。 当然 加賀百万石時代からの資産は相当なものだったでしょう。 それがなければ、ただの軍人の稼ぎだけでウン十億もの建築資金は負担できないはずです。 いってみれば 藩祖 利家の稼いだ資産を四百年も温存し、しかもそれを減らさないか、目減りを防いでいたのかも __
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戦争で負けた国では 貴族の称号はなくなりますから、今 世界で貴族を名乗るのは戦勝国か、戦争に参加しなかった国だけです。

日本も旧貴族は廃止されましたが、今も加賀藩の前田家は目立たず、ひっそりと生きているのではないでしょうか (その莫大な資産を背負って?)。

その意味で あまり知られてませんが、膨大な資産を有する名門に ロスチャイルド家があります。 ユダヤ系の銀行家で、個人銀行ですから資産内容を公にはしていません。 出身はドイツ・フランクフルトのユダヤ人街で、今残るのはロンドンとパリの2つです。 目立たず、ひっそりと莫大な資産を持ち、事業活動していますから 一般人はあまり知らないのです。 目立たないのはユダヤ人の知恵なのでしょう。
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そこを出て お隣に東大駒場キャンパス (教養学部) があり、中で散策しているうちに丁度昼時になり 中の食堂でランチを食べて帰ってきました。 ごく普通の食堂、食事内容でした。 特にどうという事もなかったですね。

イチョウの木の下の道では 潰れたギンナンの実が臭かったですね。 秋は実のなる季節です。

毎日 同じ食堂で食べていると飽きますから、東大関係者は外のレストランや食堂・喫茶店にたまに行くのでしょう。 そうした店には “東大生は百円引き” と看板に書いてありました。
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ところで 旧前田邸でもらったパンフには、「今も東大本郷に残る “赤門” は前田家の江戸上屋敷の御守殿門 (ごしゅでんもん) で、12代が11代将軍 徳川家斉の息女を正妻に迎えた際に造られた」とありますから、前田家の資産があちこちにあったのですね。

今日はここまでです。

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