最近、テレワークが進められている。しかし、「最終的な文書に、印鑑が必要で出社しなければならない」の話も聞く。
1966年、MITに留学の機会を得た。
日本語に訳すと「電子科学研究所」の、客員研究員である。珍しいことだらけで、発見の日々をすごした。
ラボの掲示板に、「承認した時、われわれはサインするが、日本では印鑑を押す。印鑑は本人が押さなくてもいい」があった。この記事は、NTT研究所の喜安善市博士が、「サインを実印として認めろと起こした裁判で敗訴した」との報による?付きの記事である。
本当か?と聞かれたが、当時の会話力では十分な説明はできなかった。
研究所時代、購入要求した品が何ヶ月もかかる。実験に遅れが生じる。決定までに日がかかりすぎると、購入文書の印を数えた。20を越した!
一方、印鑑だらけの公文書が、事後?に都合のいいように書き換えられる事も起きている。
印鑑を押すことが事務処理のすべてではない。中身がある。印を押した人の責任を分散させているに過ぎないようだ。
一部の企業では進んでいるようだが、事務処理の考え方に革新・黒船が必要である。
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