*『原発ゼロ』著者 小出裕章 を複数回に分け紹介します。28回目の紹介
『原発ゼロ』著者小出裕章
原発を廃絶させるまで、私は闘いたい。
原発は、都会では引き受けることができない寛大な危険を抱えています。「原子力マフィア」はまさか大事故は起きないだろうと高を括り、人々に対して「原発 は決して大事故を起こさない」と嘘をつきました。それでも不安を払拭できない彼らは、原発を過疎地に押し付けたのです。私は破局的な事故が起きる前に原発 を廃絶させたいと活動してきましたが、福島第一原発事故が起きてしまいました。私の人生すべてが否定されてしまい、自分の非力を無念に思わずにはいられま せんでした。しかし、この事故を忘れまいとする人々もまだ大勢いてくれることを、本当にうれしく思います。被害者の苦しみを少しでも減らし、嘘をついてき た巨大な権力を処罰するために、私自身も決して挫けずに闘いたいと改めて思います。
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**『原発ゼロ』著書の紹介
「第6章 これ以上過ちを繰り返さないために」より
3 科学者の責任 P249~
アインシュタインの嘆き
人類が初めて手にした技術は、狩りをするために使用した石器でした。それはやがて青銅器、鉄器となっていきます。槍や刀といった人殺しの兵器もどんどん生み出されていきました。
人類の科学の進歩の過程で忘れてはならないのが、中世の錬金術です。錫を銀にできないかとか、亜鉛を金にできないだろうかといった試みです。金属を酸で溶かしてみたり、アルカリで溶かしてみたり、さまざまな原子を結合させて化合物をつくってみたりすることで、現在の科学のすべての基礎をつくるぐらい、科学が発展していきました。しかし、元素をお互いに変換することはできない。金は金、銀は銀である。それが結論だということがわかり、中世の錬金術は敗退したのです。
しかしこれにめげることなく、科学は自然がどうやってできているかということを探り続けます。そしてある時、アインシュタインという一人の天才が現れます。彼は相対性理論というものを発見しました。すべての物質とエネルギーは等価だということを見つけたのです。
アインシュタインは、ナチス・ドイツの迫害を逃れ、米国に亡命していた科学者です。1938年の暮れにはドイツのオットー・ハーンがウランの核分裂反応を発見し、それが原爆になる可能性が多くの科学者にわかりました。
やはりナチスの手を逃れて米国に亡命していたシラードは、ナチス・ドイツが原爆の製造に着手しており、ナチスがもし原爆を完成させてしまうと世界は破滅する、何としても米国が先につくらなければならないと考えました。
そしてアインシュタインに当時の米国大統領であるルーズベルトに手紙を書かせ、原爆製造を検討するよう進言します。これを受けてルーズベルトは、原爆製造計画である「マンハッタン計画」を立ち上げました。5万人とも10万人ともいわれる人々が、あるいは労働者として、あるいは科学者として原爆の製造に携わることになりました。
大変に優秀な科学者が大勢集まったこの計画は何年にもわたり、当時の日本の国家予算を注ぎ込んでも足りないぐらいの巨額のお金が動きました。こうして出来上がったのが、トリニティ実験で炸裂させた原子爆弾でした。
実験はニューメキシコ州の砂漠で1945年に行われて成功を収めます。そしてこのことが米国のトルーマン、英国のチャーチル、ソ連のスターリンという三国の首脳が協議のために集まっていたドイツのベルリン郊外にある小さな街、ポツダムに打電されると、トルーマンは、隣に座っていたチャーチルに、「とうとう原爆の製造に成功した。これで戦後の世界は我々のものだ」と耳打ちしたという逸話が残っています。1945年7月16日のことでした。
しかし、1945年の初頭には戦争の帰趨は決しており、シラードは、原爆の実践使用をやめるよう、学者仲間で署名を集め、アインシュタインもルーズベルト宛に第二の手紙を書きました。しかし、ルーズベルトは4月に急死してしまい、手紙は届きませんでした。
ナチス・ドイツも5月に崩壊しました。原爆製造の意味はすでに失われていたのです。しかし、厖大な国家予算を注ぎ込んでいるため、原爆開発は止められませんでした。そしてその原爆は、日本の広島に落とされました。
原爆投下の知らせを受けたアインシュタインは、「もし生まれ変わることができるなら、もう自分は科学者にはならない」と言って嘆いたと言います。
科学というものは、学者の意図しないところでこんな恐ろしいことも引き起こすのだ、ということの一つの例です。
※続き『原発ゼロ』著書の紹介は、2016/1/19(火)22:00に投稿予定です。