*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
「第6章 動燃「工作」体質の起源」を複数回に分け紹介します。8回目の紹介
原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-
1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた
高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。
事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、
一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。
死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。
そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、
あまりにも生々しく記録されていた。
(P3「まえがき」から)
「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」
2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。
「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。
----------------
**『原子力ムラの陰謀』著書 「第6章 動燃「工作」体質の起源」の紹介
前回の話:動燃「工作」体質の起源 ※7回目の紹介
<N職員の県>
と題された85年3月9日付の文書には、「秘」の印が赤字で書かれた上、本人の学歴、生年月日、家族構成などとともに次のような<状況説明>がなされている。
<当時、安管部ではK、Tなどの兵が活発な動きをしており、当人も浮ついた考え方であった為、連中の流れに追従してきた>
この職員、これより10年ほど前に共産党から村議選に立候補した動燃職員の後援会に名を連ねており、そのことが出世を遅らせていたらしい。検討は次のように続く。
<その後、良識派のテコ入れもあり、一部良識派には当人を二重スパイ的に動かしたとの説もある>
<しかしながら、最大の良識派である「育てる会」の見方は、慎重論もあり、未だ完全な回復とは至っていない>
「二重スパイ」とは、東西冷戦時などに暗躍した、ソ連のスパイでありながら、アメリカにも情報を流すという、あれである。つまり、この職員は共産党側の「スパイ」の身分のまま、実態は良識派の「スパイ」として逆に共産党内部を探っていた、ということだと思われる。
結局、この職員については、慎重論も根強かったようだが、職場内に<認めてやってもよい>という意見も強く、結論は次のように出た。
<結論 主査昇任を認めることとする>
資料は、ほかにもいくつもあった。
<観光目的でソ連旅行を行なっているが、一般常識的に見ても、訪ソという感覚(たとえ最近、TVでのシベリア紹介に動機があったとしても)は、何か不可解な点を感ぜざるを得ない>
<以前に赤旗の日曜版を購買していた(本人談)が、最近やめた>
などと ”疑惑” の職員の行動を逐一、監視していたことがわかる。
※続き「第6章 動燃「工作」体質の起源 」の紹介は、12/1(月)22:00の投稿予定です。