*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
「プロローグ「3・11福島原発」の序曲 それは「もんじゅ」事故から始まった」、
「第8章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相」
を複数回に分け紹介します。13回目の紹介
原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-
1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた
高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。
事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、
一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。
死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。
そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、
あまりにも生々しく記録されていた。
(P3「まえがき」から)
「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」
2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。
「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。
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**『原子力ムラの陰謀』著書 「プロローグ「3・11福島原発」の序曲 それは「もんじゅ」事故から始まった」、「第8章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相」の紹介(プロローグ⇒第8章の順)
前回の話:もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 ※12回目の紹介
葬儀も奇妙だった。遺族は当初、60人ほどの小さな会場を予定していたが、動燃側の要求で数百人が入れる大きな葬儀会場に変更。最低でも車6台分の駐車場が必要だということだった。実際、1月15日に行われた葬儀の参列者は動燃職員を中心に約1500人にのぼり、元科技庁長官・田中真紀子氏や梶山静六官房長官ら政官界の要人が出席し、科技庁事務次官が弔辞を読み上げるなど、仰々しく行われた。
「葬儀会社との打ち合わせで、動燃から弔辞を読むのは4人と言われて、びっくりしました。葬儀会社も『出棺が間に合わない』とおろおろしていた。動燃が一方的に決め、遺族にはほとんど相談もありませんでした」(トシ子さん)
弔辞を読んだのは、動燃の大石理事長、科技庁の石田寛人事務次官、動燃の元理事で関連企業会長の竹之内一哲氏、そして前出の秘書役T氏であった。T氏は西村氏と同じ中大法学部出身で、西村氏と同期入社。当時、大石理事長の秘書を務めていた。
4人とも泣きながら弔辞を読み上げた。式場もすすり泣く声が響き渡った。葬儀に参列した動燃職員はこう証言する。
「西村さんには失礼ですが、たとえ動燃の理事長が亡くなっても、あれほどのVIPが参列することはないでしょう」
だが、弔辞を読んだ4人は誰一人として西村氏と親しい人物ではなかった。
この一大”セレモニー”を機に、世論の風向きは急速に変わっていく。
「激しかったマスコミの動燃批判の論調がかなりソフトになり、ニュースの扱いも明らかに小さくなっていきました」(前出の元動燃職員)
動燃の対応は、考えれば考えるほど不可解だった。トシ子さんは不信感を募らせていく。
「葬儀では、動燃が職員以外の弔問客を厳しくチェックしていたらしく、後で何人かから苦情を言われました。さらに『友人代表』として弔辞を読んだTさんが、なぜか直筆の弔辞を回収しに私の家まで来て、ワープロ打ちのものに差し替えていきました。何か不都合なことが書かれていたんでしょうか」
こうした疑問が積み重なり、トシ子さんはこんな思いにかられるようになった。
「夫の死は政治的に利用されているのではないか。夫は、動燃生き残りのための『生け贄』にされたのではないか」
※続き「もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 」は、11/12(水)22:00の投稿予定です。