今日の解説:LD50(半数致死量)を超える放射線被曝後の人体の放射化と救急治療
http://www.cs.kyoto-wu.ac.jp/~mizuno/q-and-a-20011023.html より
医者 予測できない「事件」を含め今後も起こりうる事故の一つとして、放射線被曝があります。LD50(半数致死量)を超える非常に強い放射線を浴びた場合、その治療の最中における医師の放射線被曝について、お尋ねします。お忙しい中、誠に初歩的な質問で恐縮ですが、私は生物系は得意なものの、物理系に疎く、御教示お願いいたします。
物理の先生 もちろん、私の専門は核物理学と素粒子物理学であり、放射線に関しては、その観点から比較的一般的な知識しかありません。私のコメントをご参考にしていただくには構いませんが、コメント以上のものではないということで、よろしくお願いします。まず、放射線治療については、専門の立場では、放射線医学総合研究所 がありますよね。ここには、私の知り合いが、数名おりますので、もし必要であれば、御紹介することはできます。それから、東京大学医学部救急医学講座の前川和彦先生ですか。文献としては、これもご存じのものと思いますが、私が調べられるレベルのものでは http://www.jaeri.go.jp/dresa/dresa/book/dc000440.htm、あるいは http://www.jaeri.go.jp/dresa/dresa/book/dc003160.htm, という文献が、 http://www.jaeri.go.jp/dresa/dresa/explain/ab000580.htmに紹介されていますね。
医者 まず質問は、放射線災害の場合、除染する時の考え方なのですが、いわゆる放射性粉塵に体表面が汚染されているので、この外部汚染を水で洗い流すと考えて宜しいのでしょうか。
先生 そう思います。しかし、専門家にご確認をお願いします。
医者 これは、体表面を線量計(ベータ線、ガンマ線のそれぞれ)で測定して、有意な線量を示した場合にこれを除染するという考え方でいいでしょうか。
先生 そうだと思います。その際に注意するといいことは、手や足だけでなく、頭髪が高いこともある、ということで、これは、人間は無意識に手を頭にやることが多いからだ、ということです。しかし、専門家にご確認をお願いします。
医者 これに対して体内の汚染(内部汚染)は、キレート剤投与等で対応するということでしょうか。
先生 私は、防御と検出までしか考えたことがなかったので、はずかしながらキレート剤投与、という言葉を知りませんでした。そこで、調べてみたのですが、これは金属イオンに対してしか、効果はないですよね。しかし、例えばプルトニウムを金属状態やイオン(水に溶ける化合物)として摂取することばかりではないと思っていたので、ちょっと疑問です。酸化物などは、水に溶けないことも多いのではないかと思いますが、どうなんでしょうか。その場合には、効果はないように思うのですが。
上記で引用した http://www.jaeri.go.jp/dresa/dresa/explain/ab000580.htmにおいても、「ヨウ素剤は放射性ヨウ素の甲状腺への集積の防止、キレート剤(プルシアン・ブルー)は放射性金属核種の体外除去のために使われる。放射性ストロンチウムの排せつ促進には、低りん食が有効である。正常の1/3程度にりん含量を低めた献立で十分に効果がある。」ということで、いろいろな方法があるようです。その場合、放射性元素を体外に追い出すしかないわけですが、しかしそれほど慌てる必要はないわけです。なぜならば、内部被曝がこわいのは「弱くても、浴び続ける」ことにあるわけで、その意味で、時間はあると思われます。
しかし、そんなことを言っていられないくらい、大量に内部に浴びた(吸入した)場合には、話は別ですね。なんらかの救急医療が必要と思います。例えば http://www.nirs.go.jp/report/nenj/h11/2/2_5_5_1.htmのような方法などが研究されているようです。
医者 では、強い放射線暴露を受けた場合、被災者自体が「放射化」(言葉の使い方が適切であるかは分かりませんが)した場合、医療従事者はどう対応したら良いのでしょうか。よく、ガンマ線の場合、時間、遮へい、距離、で防護すると言いますが、例えば、他の一般の患者さんと距離を取り、医療従事者も、ローテーションを組んで一部の人間との接触時間が長くならないように考慮するのでしょうか。
先生 これは、被災者の体内と体表面のどの部分がどの程度、放射化するか、という問題が基礎になると思いますので、その観点から、コメントします。というよりも、そこまで強い放射線を浴びた場合には、即死ということになろうかと思います。では、どの程度で、即死にならないかというと、おそらく100シーベルトくらいと考えることにします。ご存じのように、自然放射線は年間約2ミリシーベルト程度で、LD50(半数致死量)は3から5シーベルト(2000年分の自然放射線を一度に浴びた場合)ですが、調べてみると、100グレイ以上の被曝で、「全身けいれんなど中枢神経症状を起こし、1日以内に死亡する」と書いてあります。(出典 石川友清『放射線』、通商産業研究社、1996年版、265ページ)そこで、仮に100グレイ、浴びた人がいて、まだ存命だったとして考えます。これはまず、どういう放射線を浴びるかに依存します。まず、アルファ線を浴びた場合には、皮膚が化学的(生物的)にやられる程度であり、どこも、放射化はしません。通常のアルファ線のエネルギーは低いので、原子核と弾性散乱をしてアルファ線が方向を変えるだけであり、原子核には何も変化を起こしません。
β線の場合も、通常のβ線のエネルギーは低いので、どんな原子核に対しても、核反応を起こすには至らず、従って、放射化は無視していいです。何が起こるかというと、単に、原子や分子を傷つけるだけです。原子核には弾性散乱をしてβ線が方向を変えるだけで、原子核には何も変化を起こしません。
ガンマ線の場合にも、数MeV(2-3MeV程度)のガンマ線しか予測されませんよね(例えば、コバルト60の場合、ベータ線が出たあとに、その原子核はニッケル60になり、それから出てくるガンマ線としてエネルギーは 1 .17 - 1.33MeV程度のガンマ線しか出ません)。この程度のエネルギーであれば、どんな物質(の原子核)も放射化はしません。一時的に励起することはあってもすぐに、もとの原子核に戻ります(従って物質としても、もとの物質にもどり、安定であって、放射化はしていない)。従ってこの場合にも放射化は無視していいです。
問題は、まさに、中性子線を大量に浴びた場合です。この時には、中性子のエネルギーは低くても、放射化は問題になります。なぜならば、中性子はまさに、中性であり、エネルギーは低くても原子核に吸収され、その原子核を放射性核に変える(放射性アイソトープに変える)からですよね。
そこで、仮に100グレイ、浴びた人がいて、どの程度の放射能を人体が持つことになるのか、考えてみます。まず、人体のどの部分の放射化を考えるか、という問題があります。そこで、最も大量にある水の(酸素原子核の)放射化と、放射化しやすいことで有名な(例えば頭髪や骨の)イオウ原子核の放射化について、考えてみます。
この場合にも、どのような(体内)放射化が問題になるか、という問題がありますが、 β線が出る場合は、とりあえず、無視します(大部分、体内自身で吸収されるから、医療者には関係しないと仮定しておきます。本当は無視できませんが、今の場合、より効果が大きいガンマ線が体内から出てくる場合を考えておきます。)すると、反応としては、核反応として16O(n,p)16Nという反応でまず、酸素原子核が窒素原子核に転換し、その窒素16原子核が、放射性である、というものです。しかし、このようにして出来る窒素16は、半減期がわずか7.13秒という短さなので、すぐに「冷める」でしょう。これが何秒後にどの程度であるかは、計算をしてみないとわかりません。そこでこれを簡単に概算してみます。
まず、100グレイ浴びるには、1MeVの中性子を仮定して、どれくらいの中性子数を浴びたかを簡単に計算してみます。起こる現象は、体内の水分中の水素原子核と中性子との弾性散乱が主体だと仮定して、Phys.Rev.C22(1980)384のデータから反応断面積を1バーン程度と仮定し、体重60kgの普通の体型の人を想定して、概算をしてみますと、大雑把には、約6x10の15乗個の中性子を浴びたという計算になります。この結果は、東海村のウラン臨界事故で全部で放出されたとされる中性子数(約5x10の18乗個の程度)から考えても、それほど間違ってはいないハズです。
そこで、これを仮定し、次に、酸素16に中性子があたって、np反応で窒素16になる確率を考えます。核反応のデータベースから(そのものズバリのデータではないですが、ここでは簡単に)、 Phys.Rev.127(1962)1229 のデータ を参考にして、今、このnp反応の全断面積を仮に、10mbと仮定しておきます。すると、今の場合、放射化して出来る窒素16の数は、約3x10の13乗個となります。酸素16から放射化して出来た窒素16から出る、β線とガンマ線のエネルギーの平均的は、次のデータ: http://hpngp01.kaeri.re.kr/cgi-bin/decay?N16+B-を参考にして、 β線で約4MeV であり、ガンマ線では約6MeVであるとします。ここで、β線のエネルギーは比較的高いですが、ここでは無視して、ガンマ線を考えます。その理由は、ガンマ線の方が、放射化した体内から、外部に容易に出てくるからです。半減期が7秒であることから、毎秒約0.1崩壊の確率であることがわかります。従って浴びた直後は、予測される(放射化した人体からの)放射能は、毎秒約3x10の12乗となります。これは非常に強い放射能というべき値です。
ただし、半減期が非常に短い(約7秒)のために、急激に放射能は弱くなります。例えば、たった3分で、約1億分の1にまで減ります。そのため、直後には放射化した人体からの放射能は比較的強くても、数分で、治療可能な(自然放射能と同程度の)強さにまで減衰している、ということが予測されます。硫黄についても同様の計算が出来ますが、ここでは省略します。
医者 丁寧なお返事、感激いたしました。お忙しい中、有り難うございます。
先生 いえいえ、たいした計算ではありませんので.....。
医者 なお、不幸にしてお亡くなりになった場合、御遺体の処理に特別の配慮は必要なのでしょうか?
先生 上記の計算が正しければ、御遺体の処理に特別の配慮は必要ないであろうと予測できます。但し、上記の話は、体内の水分中の酸素原子核の放射化の場合でしたが、それが歯とか骨とか頭髪などの別の元素の原子核の場合には、計算はまったく異なってきます。しかしこれらは、成分としては、少ないです。
医者 それ以前に「被災者自体の放射化?」はどうやってモニターできるのでしょうか。線量計でベータ線、ガンマ線の線量として表現されるのでしょうか。
先生 それで結構だとおもいます。 以上、計算の間違いがないといいのですが。何らかのご参考になれば幸いです。
医者 実は、この質問を致しましたのは、例の東海村事故で、最重症の方に被曝数日後に血液幹細胞移植をしたところ、体内の放射化した人体からの放射能により、 DNAが変成し、移植がうまくいかなかった、との話をテレビでみたからです。自らの体内のDNAを変える程ならば、治療者にとっても無視できないのかな、と考えた次第でした。
でも、テレビの画像を見るかぎり、治療者は防護していないし、そこのところが、どうなってるんだろうと不思議に思った訳でした。 先生のお返事で、すっきりした気がします。誠に有り難うございました。