原発問題

原発事故によるさまざまな問題、ニュース

福島原発事故による被害が進行中 ”ただちに影響がない”その言葉の恐ろしさを実感している被害者たち

2012-06-17 13:38:38 | 未分類

福島原発事故による被害が進行中 ”ただちに影響がない”その言葉の恐ろしさを実感している被害者たち

福島第一原発から42キロ地点在住 petsboobee
 
昨年原発事故後に友人が産んだ子供が口唇口蓋裂。その友達の産んだ子も口唇口蓋裂。その友達の友達が産んだ子が多指。そんな確率で奇形児が産まれますかね。以前から居たにせよ、友達同士が奇形児で相談し合う福島。友人の希望でTwitterに載せました。

posted at 22:33:00

避難先で出産すると福島の奇形児にはならないらしくデータが無いと、彼女は必死でいろんな方に話を聞いて歩いてます。

posted at 22:34:59

福島原発事故後に口唇口蓋裂で産まれてしまった我が子をだいて、実は同じことに苦しんでいるお母さんが居ないか友人が探しています!避難先で同じ境遇の方いませんか?

posted at 22:41:45

http://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/d4bfbc41a6e814feb2e2f29617c2...口唇口蓋裂についてこのような記述がありました。

posted at 23:46:06

@DAIMAOU1961 本当にこれがいずれ認められる日がくるのでしょうか。ただちに、、その言葉の恐ろしさを今身をもって体感しています。

posted at 23:48:18

水俣病でも認められるには時間がかかった。友人は子供を抱きながら闘っている。彼女が産んだ上の二人の子に異常は全くなかったんだ。

posted at 23:58:01

 


 

福島なら翌年から、東京なら4-5年後から、脊柱側弯症・多指症・兎唇などの奇形児と堕胎の増加

http://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/d4bfbc41a6e814feb2e2f29617c23e7b

 

 


高レベル放射性廃棄物:地層処分、安全性に懸念 放射能、1000年後地上に

2012-06-17 13:17:46 | 未分類

高レベル放射性廃棄物:地層処分、安全性に懸念 放射能、1000年後地上に

◇地震、隆起で甚大な被害も
日本原燃(青森県六ケ所村)の使用済み核燃料再処理工場が実質稼働したことから、来年にもウランやプルトニウムとともに、高レベル放射性廃棄物である「ガラス固化体」が大量に生み出される。強い放射能と熱を出す核分裂生成物(死の灰)をステンレス容器に詰めたもので、地中深く埋める地層処分が計画されている。しかし、1000年後とはいえ将来的には放射能が地上にしみ出す可能性があり、環境への影響を懸念する声も出ている。【中村牧生】

■地下に10万年

ガラス固化体に人が近づけば数秒で致死量の放射線を浴びる。このため10万年以上は人から遠ざける必要がある。
地層処分はガラス固化体を深さ300メートル以上の地下に埋め、10万年以上にわたって岩盤が放射能を閉じ込めてくれることを期待する方法だ。
六ケ所村の再処理工場が本格操業すると、ガラス固化体は年間で約1000本、40年間で約4万本が作られる予定。これとは別に日本が再処理を委託した英仏からの返還分2200本もある。
核燃料サイクル開発機構(現・日本原子力研究開発機構)が「地層処分は技術的信頼性がある」と報告したのを受け、国は00年に法律を整備して実施を決定。国の認可で設立された「原子力発電環境整備機構」が実施を目指し、全国から処分候補地を公募している。
再処理工場からアメリシウムなど超ウラン元素(TRU)を含む放射性廃棄物もドラム缶で年間8800本出るが、これもガラス固化体と一緒に「併置処分」する検討が進んでいる。

■水溶性物質も

ガラス固化体は30-50年は地上で貯蔵し、放射能と崩壊熱の減少を待ってから地中に埋める。地中では周囲を金属製の壁(オーバーパック、厚さ約19センチ)と粘土(同約70センチ)で二重に囲む。この「人工バリア」に加え、安定した地質という「天然バリア」で、放射能を長い間、人の生活環境から隔離する。
オーバーパックの耐用年数は1000年程度で、それ以降は地下水が浸透して放射能の一部が地上に到達することが予想される。それでも原研機構・地層処分研究開発部門の梅木博之・研究主席は「地上にしみ出す放射能のピークは80万年後と予測され、レベルも自然界の放射線の100分の1以下。TRU廃棄物も数百メートル離しておけば併置処分しても問題にならない」と話す。
しかし、報告書を詳細に検討した神奈川工科大の藤村陽・助教授(物理化学)は「非常に極端な場合として、1000年以前に地震が直撃してオーバーパックが割れ、その断層を地下水が上昇して放射性物質が地上に漏れる可能性を考える必要がある。またTRU廃棄物にはヨウ素129など水溶性の放射性物質が含まれ、地上への影響はガラス固化体より大きい。甘く見ない方がいい」と指摘する。

■場所選定難しく

さらに地震などで地層が隆起し、万が一にも地上にガラス固化体やTRU廃棄物が出てきたら被害は甚大となる。このため処分場は10万年間で300メートル以上隆起しないことが選定条件とされるが、地震学者からは「10万年間も安定な地層は日本のどこかにあるかもしれないが、事前の調査で選定するのは無理」との意見もある。
地層処分の場所が決まり、埋め立てが開始されるのは早くても60年ごろとされる。候補地の立候補受け付けは02年末から始まっているが、いまだに手を挙げた自治体はない。(毎日新聞 2006/05/22)

 


核のゴミ 地下処分の研究本格化
深さ1000メートルに施設 腐食防止策など難題山積

原発などから出る高レベル放射性廃棄物を地下に埋める地層処分の研究が本格化してきた。海外からの返還が始まったが、2040年代には最終処分を始めるという国の計画は、「とても実現しそうにない」と言う専門家もいる。高速増殖原型炉「もんじゅ」の事故や再処理工場の設備縮小など、国の原子力政策の軸になる核燃料リサイクル計画の「輪」がほころぶ一方、「核のごみ」の後始末にも多くの難題が待ち構えている。
岐阜県の瑞浪市と土岐市にまたがる地区に、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が「超深地層研究所」を建設する。地下約1000メートルと、世界で最も深いところにある研究施設という。
地元との協定で、放射性物質を使わず、高レベル廃棄物を地下に埋めたときに、周りの岩盤や地下水などとどう影響し合うかなどを調べる。
高レベル廃棄物は原発の使用済み核燃料を再処理すると出る。放射能が弱まるまでに数万年かかる物質も含まれ、それを漏らさず、長期間管理する技術開発が目的だ。同じような施設を北海道幌延町に造る計画は地元の反対で行き詰まっており、動燃は「これで欧米の研究と肩を並べられる」と期待する。
だが、地下深くで放射能が漏れないようにする技術の開発は難しい。
高レベル廃棄物をガラスと溶かして固めたガラス固化体にし、緩衝材(粘土)、オーバーパック(炭素鋼)などで覆う「多重バリアシステム」という処分方法が検討されている。
が、何万年もの間、緩衝材などが腐食や地下水の侵食に耐えられるか、よくわかっていない。
放射能がどう漏れ出すか、動燃がコンピューターでシミュレーションをしたら、「1000年後には腐食でオーバーパックに穴が開き、ガラス固化体が地下水と接触することがわかった。放射性物質が漏れだし、そのピークはセシウム135なら400年後、アメリシウム243では7万年後という。
これとは別に、オーバーパックなど金属の腐食の様子を古代の銅鐸(どうたく〕を使って調ベているが、せいぜい2000年ほどたった様子しかわからない。
また茨城県東海村に、地下深くの地下水の動きなどをシミュレーションできる試験施設を造ったが、「地層の複雑な変化をつかむには、おもちゃのような施設。いまの研究ペースでは、100年かかってもわからない」と専門家は指摘する。
科学技術庁や動燃では「超深地層研究所の地下の地質は花こう岩。性質の違うたい積岩の地質でも、同じような施設を造って試験をする」と話している。幌延町の地質はたい積岩だ。(朝日新聞 1996/01/24)


幼少時のCTスキャンで発がんリスクが上昇する

2012-06-17 13:00:34 | 未分類

英医学誌『ランセット』論文:50ミリシーベルト程度の被ばくで小児の脳腫瘍や白血病が有意に増える(松崎道幸医師コメント)CT Scans of Children Raise Cancer Risk

Peace Philosophy Centre
http://peacephilosophy.blogspot.ca/2012/06/ct-scans-of-children-raise-cander-risk.html より
 
 
 6月7日に、幼少時のCTスキャンで発がんリスクが上昇するという英医学専門誌「ランセット」の研究論文が発表されました(下方報道参照)。(元論文はこちら

北海道深川病院の松崎道幸医師から、50ミリシーベルト程度の被曝から発がんリスクが有意に上昇することを示すグラフを日本語で解説したものと、コメントをいただいています

 

CT検査による骨髄に対する推定線量と白血病と相対リスク

 
CT検査による脳に対する推定線量と脳腫瘍の相対リスク


 以下松崎医師のコメントです
 
 
1)
上は、この論文のグラフです。小児の白血病、脳腫瘍とも、50ミリグレイ(ミリシーベルト)付近で統計学的に有意な疾病リスクの増加が観察されます。もちろんそれ以下の線量でも、もう少しで有意になることが予測されます。この論文は、もともと、子供のCT検査がどれくらいのガンを発生させているのかを突き止め、病気の診断・治療面でのメリットと、放射線被ばくのデメリットの問題を再考するために書かれたのですが、私たちにとっての意義は、「100ミリシーベル以下は安全」と言う主張が誤りであることを示す証拠がさらに追加されたことにあります。論文の冒頭で、著者等は「低線量被ばくにはリスクはない、それどころか健康に良いとまで主張する研究者もいる。Some investigators claim that there are no risks, or even beneficial effects, associated with low-dose radiation」と述べて、そのような主張が正しいかどうかを明らかにすることも、この論文の一つであ
るという立場を表明しています。
 
2)
サマリーには、10歳未満の子供に一回頭部CTを行うと、脳線量が30mSv、骨髄線量が10mSv弱となり、将来このCT検査を受けた1万から脳腫瘍1人と白血病1人が発生すると推定されると述べられています。しかも、それ以外のガンや非ガン性疾患(心臓病など)の発生を計算に入れると、このレベルの放射線被ばくによる健康被害はさらに大きくなるだろうと考案の部分で述べています。
 
3)
CTによる数10ミリシーベルトの被ばくでで1万人に1~2人がガンになると言うリスクは、病気の診断治療へのメリットを考えるなら、社会的に許容可能でしょう。しかし、原発事故で一方的に負わされた被ばくのリスクは、そもそもゼロであるべきです。また、アスベストや飲料水の安全基準(10万人の生涯リスクを1人以下にする)を1桁も2桁も上回るリスクです。したがって、50ミリシーベルト程度の被ばくをさらに10分の1,100分の1にしなければ、この国の既存の安全管理システムと整合性が取れないことになります。
 
 
【参考報道】
 
AFP 
幼少時のCTスキャンで発がんリスク上昇、英国で18万人を追跡調査http://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2882432/9069794
  • 2012年06月07日 15:31 発信地:パリ/フランス
【6月7日 AFP】CTスキャンを多数回にわたって受けた子どもは、後に血液がん、脳腫瘍、骨髄がんを発症するリスクが最大3倍になる可能性があるとする調査論文が、7日の英医学専門誌「ランセット(The Lancet)」に掲載された。

調査を行ったカナダ、英国、米国の合同チームは、絶対的な発がんリスクは小さいとしつつ、CTスキャンによる放射線の照射量を最小限に留め、可能であれば代替の検査方法を用いる必要があるとしている。

研究チームは、幼少時に受けたCTスキャンの放射線量が成長後の発がんリスク増加につながるという直接的な証拠を、この調査で初めて示すことができたと述べている。

論文の主執筆者、英ニューカッスル大学(Newcastle University)健康・社会研究所(Institute of Health and Society)のマーク・ピアース(Mark Pearce)氏は、「最も重要なのは、臨床的見地から完全に正当化されうる場合にのみCTを使うことだ」と述べている。

研究チームによれば、CTスキャンはここ10年、特に米国での利用が急増している。だがCTスキャンの電離放射線が引き起こす潜在的な発がんリスクは、特に放射線の影響を受けやすい子どもに多くみられるという。

研究チームは、英国の1985年から2002年までの診療記録から、幼少期から青年期(22歳未満)までの間にCTスキャンを受けた経験がある人を選び出し調査を行った。

対象者18万人弱のうち、1985年から2008年の間に白血病(血液や骨髄のがん)を発症した人数は74人、脳腫瘍は135人だった。

研究チームの計算によると、累計30ミリグレイ(mGy)の放射線を照射された人は、5ミリグレイ未満の人と比べて後に白血病を発症するリスクが3倍高かった。脳腫瘍のリスクは、累計50~74ミリグレイの放射線を浴びた人で3倍になった。

調査では、CTスキャンを受けたことがない子どもたちが持つ発がんリスクとの比較は行っていない。

ピアース氏は「機器を改善して、CTの放射線量を減らすことが最優先の課題。放射線学会だけではなく、機器の製造メーカーも共に取り組むべきだ」と述べている。「電離放射線を使用しない超音波やMRI(磁気共鳴映像法)などの代替診断法を採用することも、状況によっては適切な場合がある」

(c)AFP
 
東京新聞(共同)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012060801001452.html

CTで子どものがん危険増 国際チームが疫学調査

2012年6月8日 12時20分
【ワシントン共同】子どものころにコンピューター断層撮影(CT)検査を2~3回受けると、脳腫瘍になるリスクが3倍になるとの疫学調査結果を英ニューカッスル大などの国際チームがまとめ、7日付の英医学誌ランセットに発表した。5~10回のCTで白血病になるリスクも3倍になるという。
チームは「CTは迅速で正確な診断に優れ、短期的な利益が長期的な危険性を上回る場合が多い。しかし、1回の被ばく線量はできるだけ低くし、別の診断法がある場合はそちらを選ぶべきだ」と訴えている。
チームは、1985~2002年の間に英国でCT検査を受けた22歳未満の約18万人を調査。

痛みも費用もかからずに末期がんを100%完治する方法を発見した博士は、医療業界に抹殺された!

2012-06-17 12:31:01 | 未分類

痛みも費用もかからずに末期がんを 100 %完治する方法を発見した博士は、医療業界に抹殺された!

http://www.thinker-japan.com/life.html より

 

癌は光で簡単に殺すことができた!

医療従事者でも、その名を知っている人は、少ないのではないでしょうか。 ロイヤル・レイモンド・ライフ博士。これほど、医療において革命的な発明・発見をした人物はいないと言っても過言ではありません。ライフ博士の偉業を、誰にでもわかるように簡潔に言ってしまえば、 人々を苦しめる、あらゆる種類の病気を、完全に治療する方法を、約 80 年も前に見つけた人物です。 果たしてそんなことが可能でしょうか。とても信じられませんね。残念なことに、病気で死んでいく人は後を絶ちません。


ライフ博士の魅力的な治療が本物であるならば、先進治療として、スタンダードになっていいはずです。誰もが抱く疑問の答えは、医療の正史には決して出てこない、抹殺された天才の壮絶な人生が物語っています。隠され続けた発明と、ライフ博士の生涯を振り返ってみることにしましょう。 
  

多くの専門分野を持つ科学者

ロイヤル・レイモンド・ライフは、機械系の技術者であった父ロイヤル・レイモンド・シニアと母アイダ・メイ・チェイニ-の次男として、 1888 年 5 月 16 日に米・ネブラスカ州で生まれました。母は、ライフが生まれて 8 ヶ月後に病気で他界しました。その後は、叔母のナイナが、 17 歳までのライフ少年を自分の子どものように育てました。

 
幼いころから様々なことに興味を持ち、多才で聡明だったライフは、医者になることを決意し、ジョンズ・ホプキンス大学に進学し、医学を勉強し始めました。次に細菌学に興味を持ったライフは、ハイデルブルグ大学で多くの菌類標本の写真の撮影に成功しました。その分野での多大な功績をたたえ、後の 1914 年には、同大学から寄生虫学の名誉博士号を授与されています。また、微生物の観察に関し、当時の顕微鏡の倍率の限界に不満を感じたライフ博士は、随一の技術を有する光学レンズ会社・ツァイス社で働き、光学レンズについての知識を深めました。

 
その後、ライフ博士は、病理学における微生物の生態研究を深めるためにカリフォルニアに移ります。そこで、知りあった東洋系アメリカ人女性メイニー・クインと知り合い恋に落ちます。当時の強い人種差別の風潮の中でも、ライフ博士は、彼女に対する思いを変えることはありませんでした。その想いを詩にして手紙に書き、二人は結ばれます。 1912 年に結婚し、子宝には恵まれませんでしたが、メイニーはライフ博士のよき伴侶であり続け、その結びつきは 1957 年にメイニーが亡くなるまで続きました。

 
ライフ博士は、専門分野をいくつも独学で身につけており、それまでの科学の枠にとらわれない答えを直感で探し当てることができる科学者でした。つまり、ひとりで各分野の科学者や技術者が集まったチームのように、知識や技術を自由に操ることができたのです。ゆえに、新たな目的のために新しい技術が必用とされるときに、ライフ博士はすべて自分で機械を発案し、設計していました。ライフ博士の数々の発明品の中には、ヘテロダイン・紫外線顕微鏡やミクロ解像管、極微操作装置などがあり、広範囲にわたる知識を有していたことがわかります。
 ロイヤル・レイモンド・ライフ博士
(1888-1971)

 

驚異の顕微鏡「ユニバーサル・マイクロスコープ」

1910 年代当時、がんやその他の病気の原因である病原菌の真の正体をとらえようと研究していたライフ博士は、当時の顕微鏡の性能に限界を感じていました。当時の顕微鏡の倍率の限界であった 2500 倍では、実際に病気を引き起こしているウイルスを見ることはできないと、自らの手でより優れた性能の顕微鏡の開発に乗り出します。


そして、 1920 年までにライフ博士は、ウイルスを見ることができる世界初の顕微鏡を完成させました。また、 1933 年には、約 6000 個の部品で作り上げた驚くほど複雑な装置である「ユニバーサル・マイクロスコープ」を完成させました。

これは、 60000 倍もの倍率を誇る顕微鏡です。 この驚異的な顕微鏡によって、 ライフ博士は生きたままウイルスを観察した世界初の人間となったのです。 60000 倍という拡大率は、今日の技術水準からしても、驚異的な数字といえます。

 
ちなみに、現代の電子顕微鏡を使用すると、その観察下で即座に全ての微生物は死んでしまいます。そのミイラ化した残骸か死骸が観察できるだけなのです。一方、ライフ博士の顕微鏡のもとでは、生きているウイルスが目まぐるしく動き回り、環境の変化によって形を変えたり、発がん性物質と反応して素早く複製したり、また正常な細胞をがん化させていく様子を観察することもできたのです。

極小の微生物を生きた状態で 観察できるのは、診断と治療という目的のためには、非常に重要なことでした。 


ライフ博士が設計したユニバーサルマイクロスコープ。1933年に製造されたこの3号機は、ウイルスを生きたまま観察できる機能を持っているものです。 

 

博士の技術

ライフ博士は抜群の拡大率を持つ顕微鏡を作るだけでは、無色のウイルスを見るには不十分であることに気付きました。既存のアニリン染料で無色のウイルスを着色することはうまくできなかったのです。ウイルスは染料のコロイド粒子を吸収するには小さすぎたのでした。


そこで、 ライフ博士は、まずスリット分光器を使って、辛抱強く様々な病原菌、細菌のひとつひとつの分光学的特徴を特定しました。その後、石英ブロックのプリズムをゆっくりと回転させ、研究対象の微生物に特定の波長の光を当てます。この特定の波長は、現在では立証されている「すべての分子は固有の周波数で振動している」という事実に基づいて、分光学的特徴である固有の周波数と共鳴するものを選択したのです。

すべての分子を形作る原子は、エネルギーの共有結合をした分子構造の中で、その分子固有の電磁波周波数 を出したり、吸収したりしています。そして、同じ電磁波振動やエネルギー特性を持つ分子は二つとしてありません。ちょうど海で二つの波が重なると激しさが増すのと同じように、ある分子とその分子固有の周波数と同じ波長の光が重なると共振現象によって光が増幅され、強まるのです。 


共振する特定の色の波長の光を微生物に当ててやると、それまで通常の白い光のもとでは見えなかったその微生物が 、その色の光に共振してあざやかにその姿を現します。ライフ博士はこのようにして、通常の光では見ることのできない微生物を見て、それが活発に細胞組織を侵食していく様子を観察できたのです。

このユニバーサル・マイ クロスコープを使ってライフ博士が見ることのできた微生物のうち 75 %は、紫外線を使ってのみ観察できるものでした。そして、紫外線は可視光線の波長の範囲外の光なので人間の肉眼でみることができません。そこで、ライフ博士は初期のラジオ放送ではよく用いられていたヘテロダイン(周波数を変換する技術)を使い、この問題を解決しました。

 
それはどのようにするかというと、まずそ の微生物に共振する紫外線の波長のうち、二種類の異なる波長の光を当てます。紫外線であるこれらの光は、重なり合うとお互いの波長を妨害しあい、それぞれの振動数を弱めます。このように二つの光の波が干渉しあい、お互いの波を弱め合い、打ち消しあうことによって、より長い波長の光が新しく生まれます。これは、可視光線の範囲の波長の光であるため、肉眼で見ることができるのです。このようにして、ライフ博士は、現代の電子顕微鏡でもまねのできないウイルスを生きたまま観察する技術を完成させたのです。

1929年11月3日付のサンディエゴ・ユニオン紙。トップ見出しで「地元の科学者が病原菌の驚きの世界を解明」として、ライフ博士と博士が映像に収めた菌類の顕微鏡写真を数点を掲載しています。 上部の連続写真は、ストロンギロイデス属の鉤虫が活動する様子をフィルムに収めたもので、その左下写真は破傷風菌(胞子の状態)を217,000倍に拡大した世界記録の映像であると注釈があります。
(クリックで拡大します)

 

認められなかった偉大な功績

特筆すべきことに 、ライフ博士は、 なんと 1920 年にはヒトにがんを作るウイルスをすでに発見していました。 正常な細胞をがん化させる研究を 2 万回以上試みたのです。さらにこの微生物の培養液から 400 種類もの腫瘍を作りだすことにも成功しました。そして、これらの過程をすべてフィルムや写真に収め、その詳細にいたるまで記録に残し、このがんウイルスを「クリプトサイズ・プリモーディアルズ」と命名したのです。


ライフ博士は、 1930 年代当時の科学者には信じられないほどに進んだ境地に達していたため、理解できる人がいませんでした。そのため、多くの科学者は、米・サンディエゴにある博士の研究所を実際に訪れて、自分の目でその事実を確認したのです。


バージニア・リビングストン博士は、ニュージャージ 州からライフ博士の研究所のあるサンディエゴに引っ越して、頻繁にライフ博士の研究所を訪れました。彼女は、がんを引き起こす様々な細菌を特定した研究書を 1948 年から出版し始め、今ではその功績が讃えられる有名な科学者です。彼女は、後に研究書の中で、がんウイルスを“プロジェニター・クリプトサイズ”と新しく名付けています。しかし、ライフ博士の名前は、彼女の研究書の中には、一切記されていません。実際、このようにライフ博士の研究による大発見のほとんどが、ライフ博士の功績としては認められていないのです。
 

バージニア・リビングストン博士

彼女の功績は、がんを引き起こすウイルスを特定し、発見したことで医学界で認められていますが、ライフ博士と交流していた事実は医学史において認められていません。

 

激しい論争

また、当時ライフ博士の顕微鏡でウイルスが様々に形を変化する様子を目撃した科学 者とそれを見たことのない科学者との間では、激しい論争が起きていました。当時、影響力のあったトーマス・リバーズ博士などは、何の調査をすることもなく、ウイルスの形態変化を否定します。リバーズ博士の顕微鏡では、これらのウイルスの形態変化は観察できなかったため、彼は、「このウイルスの形態変化説というものには論理的根拠がない」と論破したのです。

 

 

現代においても正統派の科学者たちは 、代替医療に関して、まったく同様の観点から評価して結論付けています。前例がないのなら、すべて否定するのです。 1930 年代の空の旅は、危険をともなう大変なことであったので、彼らのほとんどは、ライフ博士の研究所があるサンディエゴまでわざわざ足を運んで自分の眼で確認することなどしませんでした。それゆえに、 ウイルスのライフサイクル(生涯過程)は、実際にそれを観察したこともない人たちの手によって結論づけられ、科学的事実として確立されてしまったのです。

  

多くの科学者や医者たちも、暗視野顕微鏡を用いたライフ博士のがんウイルス発見と 、がんウイルスの多様に変化する性質の発見については、その功績を認めるところです。また、ライフ博士は、当時の最先端をいく科学者たちとも仕事をしていました。

 

名前を挙げると、大手の非営利医療機関であるメイヨー・クリニック所長を長年務めたE.C.ローズナウ博士、ノースウェスタン・メディカル・スクール理事長アーサー・ケンダル博士、世界的に有名なジョージ・ドック博士、高名な病理学者であるアルビン・フード博士、南カリフォルニア大学学長のルーファス・クレイン・シュミット博士、パラダイスバレー療養所・監督責任者R.T.ヘイマー博士、米国医師会・南カリフォルニア支部長ミルバンク・ジョンソン博士など、その他にも大勢います。

 

そのような論争の中でライフ博士は、一切その騒ぎにかかわることなく、ただこの小さな殺人者・ウイルスを破壊する方法をより洗練されたものに仕上げていく研究に没頭し ました。ライフ博士は、その姿を視覚化させるのに用いた技術と同じ共振・共鳴の原理を用いてウイルスを破壊することに応用したのです。
  アーサー・ケンダル博士
彼は、微生物が生きたままその中で観察できる培養液( K-medium) を開発し、ライフ博士の研究に協力しました。


ミルバンク・ジョンソン博士
1929年のサンディエゴ・ユニオン紙を見て驚いた友人のアーサー・ケンダル博士から依頼されライフ博士の研究所を訪問、その後、ライフ博士の治療器をがん治療に用いる研究を共にしました。


1931年11月20日にミルバンク・ジョンソン博士が、ライフ博士とアーサー・ケンダル博士の功績を讃えるために催した晩餐会。当時のアメリカのトップの医学博士44名が、「ウイルスを培養し、生きたまま観察できることに成功した」二人を讃えるために集まりました。一番奥に立っている白いスーツの人が、ジョンソン博士、右がケンダル博士、左がライフ博士。
(クリックで拡大します)


1938年5月6日付のイブニング・トリビューン紙。大見出しで「サンディエゴ在住の科学者、恐怖の病原菌は光で破壊できると宣言」とあり、小見出しには「医学界への福音」とあります。またその右には、「ライフ博士、18年間の苦労の末のがん退治」とあります。
(クリックで拡大します)

  

ウイルスを破壊する技術

ライフ博士は、 すべての物質と同様に、目には見えないレベルでウイルスもそれ独自の振動数で、振動していることに着目しました。そして、そのウイルスと共振する周波数の光を照射して、ウイルスをさらに振動させました。 微生物がその構造的な形を維持するのに耐えきれなくなるまで照射レベルをさらに上げてやると、ウイルスの形は歪み、崩壊してしまうのです。 ライフ博士は、この周波数を「致死反応振動数(MOR)」とよびました。そして、 この「致死反応振動数(MOR)」の光は、ウイルス以外の周りの正常な細胞には、いっさい害を与えないのです。

 
また、 電気を使用した治療法なので、実質的にわずかな電気代しかかからないため、治療費もたいへん安いものでした。脱毛などの副作用に苦しんだりすることもなく、患者は、すみやかに治療されて、無事に家族の元にもどれるのです。抗がん剤を用いた化学療法や放射線療法や外科手術のように命を危険にさらす必要もありません。

 
この治療法の仕組みは、ワイングラスをある特定の音波で、破壊できることに似ています。目には見えませんが、ワイングラスの分子は、すでにいつも特有の音(その音波のいくつかの高調波と同じ振動数)で振動しています。その音と共鳴しているのです。全てのものは、その物質個有の振動数で振動しているので、その音波で破壊されるのは、そのワイングラスだけです。まさにありとあらゆる全てものは、他とは異なるそれ固有の共鳴振動数を有しており、それこそありとあらゆる周波数が存在しているのです。

 
この技術を完成させるのにライフ博士は、ヘルペスや小児麻痺、脊髄膜炎、破傷風、インフルエンザなどを含む数多くの危険なウイルスなどの病原菌を破壊する特定の周波数を発見するために一度に丸二日( 48 時間)通しで働くという生活を長年行っていました。 
   

著名な博士たちとの共同研究

1929 年、「ライフ博士が開発した顕微鏡でウイルスの生態の観察に成功した」という新聞記事が出ると、アーサー・ケンダル博士が友人のミルバンク・ジョンソン博士にライフ研究所を訪問して、本当か確認してくるよう依頼しました。依頼の通り研究所を訪問した、ミルバンク・ジョンソン博士は、ライフ博士の先進的な研究に興味を持ち、協力者となりました。また、アーサー・ケンダル博士も、ウイルスを培養して、生きたまま観察できる培養液(K- medium) を開発し、ライフ博士と共同研究をはじめました。

 
そして、 1931 年 11 月 20 日には、ミルバンク・ジョンソン博士による晩餐会が催され、米国内で最も尊敬される医学界の権威である 44 人が、ライフ博士とアーサー・ケンダル博士の共同研究の功績を祝いました。

 
1934 年、南カリフォルニア大学は、特別医療研究委員会を設立して、ミルバンク・ジョンソン博士のパサデナ郡立病院の末期がん患者を対象にライフ博士の研究所でがん治療実験を実施しました。その研究チームには医者や病理学者が加わり、患者の診察を行いました。 3 カ月の診療の後、委員会は 86.5 %の末期がん患者が完全に治癒したと報告したのです。さらに治療は継続され、残りの 13.5 %の患者も 4 週間後にはこの治療によって完治してしまいました。ライフ博士の技術による治癒率は何と 100 %だったのです。 現代の最先端治療でさえ、がんの平均治癒率は、 15 ~ 30 %と言われていますから、この数値が、どれほど驚くべきものかおわかりになるでしょう。

 
しかし、驚いたことに 1939 年までには、晩餐会にまつわる医者や科学者のすべてが、ライフ博士という人物に会ったことなど一度もないと証言する事態にいたります。ともに、研究をしたアーサー・ケンダル博士や、よき協力者であったミルバンク・ジョンソン博士も例外ではありませんでした。いったい何があったというのでしょう。
  

悲劇のはじまり

悲劇の兆候は、まずライフ博士を買収することから始まりました。 1934 年 には、米国医師会の株式をすべて所有していたモーリス・フィッシュベイン氏が、弁護士をよこして、ライフ博士の治療法の独占権を渡すよう要求しました。しかし、ライフ博士は、それを断ったのです。

 
フィッシュベイン氏は 、過去にも、がんの薬草治療を開発したハリー・ホークシー博士を押さえこむために、圧力をかけたことがあります。

フィッシュベイン氏は、強力な政治的影響力を行使して、 16 カ月の間にホークシー博士を 125 回も逮捕させたのです。

全ての罪状は、無免許での医療行為であり、裁判では訴追を免れ ましたが、この度重なる嫌がらせのおかげで、ホークシーは精神的に追い詰められました。フィッシュベイン氏は、アメリカ医学協会の会長であり、アメリカ医学協会誌の主任編集員でもありながら、生涯一度も患者を診たことがありませんでした。彼は命を救うことよりも、金銭と権力への飽くなき欲望に意欲をもやす人物でした。

 
フィッシュベイン氏は、ライフ博士に対して同様の作戦を用いることは裏目に出ると考えたため、ライフ博士は、ホークシー博士のように無免許での医療行為と称して逮捕されませんでした。というのは、もしそのように疑惑をねつ造して、逮捕させてから裁判に持ち込んでも、ライフ博士と研究をともにしていた著名な医療関係者たちが博士を弁護する証言台に立つことになります。そうなると、当然、弁護側は、 1934 年のパサデナ郡立病院での臨床試験を持ち出してきます。 医薬品業界が一番恐れているのは、この痛みも費用もかからずに末期がんを 100 %完治させてしまう治療法の存在が明るみに出てしまうことなのです。

 
それに付け加え、ライフ博士は長年の研究内容の全てを詳細にいたり、フィルムや写真に収めています。これ以上の明確な証拠はありません。

 
だから、まったく別の方法 で潰されたのです。まず、ライフ博士の研究所からフィルムや写真や研究書類の多くが盗まれました。しかし、容疑者が逮捕されることはありませんでした。そして、ライフ博士の研究を立証するため、何億円もかけて設立されたニュージャージー州のバーネット研究所が放火されたのです。

 
これによって 、ライフ博士も窮地に立たされました。というのは、コンピューターがなかった時代にこれらのデータを復元することは大変なことだからです。さらに、ライフ博士の貴重な顕微鏡は何者かによって、破壊され、 5682 もの部品が盗まれました。そして、最後にとどめを刺したのは、警察による令状なしの捜索と違法な没収です。これにより、 50 年に渡るライフ博士の研究の残骸もすべて処分されてしまったのです。
 
モーリス・フィッシュベイン氏
AMA(米国医師会)の理事長である彼は、医療業界にとって不利益になる数々の治療法を弾圧してきました。 

 

徹底的な圧力と破滅

1939 年には、製薬産業を牛耳る一族の代理人は、元ビームレイ・コーポレーション社員の、フィリップ・ホイランド氏を援助して、ビームレイ・コーポレーション社のライフ博士のパートナーを相手取って根拠のない訴訟を起こさせました。このビームレイ・コーポレーション社が博士の治療器を製造していた唯一の会社でした。ホイランド氏は、敗訴しましたが、この訴訟を起こすことによって、ビームレイ・コーポレーション社に莫大な訴訟費用の負担をかけ、倒産に追い込みました。

 
当時、世界恐慌の時代 のさなか、この会社が倒産することは、ライフ博士の治
療器が商業的に生産される道が、完全に閉ざされてしまうことを意味していたの
です。


同時に、ライフ博士を擁護した医者たちもすべて、研究費の支給が打ち切られ、職場を追われることになりました。

一方、ライフ博士の治療法について知りながらも、そ れについて口を固く閉ざした者には、多大な資金的援助があてがわれました。博士の研究を抹殺するには、いっさいお金に糸目をつけなかったのです。なぜかといえば、日本を例にすると、がんの先進医療に対し、一人当たり平均して、約 300 万円(自己負担金額)も費用がかかります。つまり、膨大な利益を生む一大産業なのです。


このような事情から、当時、ライフ博士とがんウイルスの研究を共にしたノースウェスタン・メディカル・スクール理事長のアーサー・ケンダル博士などは、当時では破格の 2500 万円もの恩給を受け取り、さっさと引退してメキシコに引っ越してしまったし、また別の高名な医学博士で、ライフ博士と共同研究したにもかかわらず、固く口を閉ざしたジョージ・ドック博士なども莫大な恩給を受け取り、米国医師会から最高の栄誉ある地位を授与されています。


関係者のすべてが、アメとムチで釣られていく中で、クーチェ博士とミルバンク・ジョンソン博士だけは、ライフ博士の研究を続行することを断念し、もとの処方薬を用いた医療の世界に戻っていきました。

 
また、製薬企業からの資金で出版され、米国医師会によって牛耳られている医学雑誌は、 ライフ博士の治療について、どんな形であれ掲載することを禁じています。そのため、医学生は大学で勉強中も就職後も、ライフ博士の医学上の大発見について全く知る機会もないのです。

 
ライフ博士の生きた時代は、まさに文明が急 速に進化していった時です。馬から自動車、そして、飛行機へと。ライフ博士は、 1905 年にアメリカ人の 24 人に 1 人が、がんにかかっていた時代から、亡くなる 1971 年には、それが 3 人に 1 人の割合まで急速に増えていく様をみつめていたのでした。

 
ライフ博士はまた、 米国がん協会やソーク・ファウンデーションなどその他の多くの医療組織が、彼がサンディエゴの研究所でとうの昔にすでに解決してしまった病気の治療のために、数百億円もの資金を調達し、その後急速に大成長を遂げていった様子もすべて知っていました。 ある時期には、 176,500 種類ものがん治療薬が医薬品として認可されるために検査を受けていたこともあります。これらの中には、わずか 0.17 %でも好ましい結果が得られただけで医薬品として認可されたものもあります。また、致死率が 14 ~ 17 %もあるもので認可されたものもあるのです。

 


この結果、がんでなく医薬品によって死亡した ケースにおいても、診断書には「完了」とか「部分的緩和」と書かれます。なぜなら、患者は実際がんによって死んではいないからです。事実、 医学界におけるがん治療において重要とされているのは、患者ががんで亡くなる前に薬の作用で殺して、それでがんに勝ったことにしてしまうことなのです。

結論として、ライフ博士の生涯をかけた研究と大発見は無視され、潰されただけでなく、おそらくは、ライフ博士とともに埋もれてしまったものと思われます。ライフ博士の最後の 3 分の 1 の人生は、アルコールに溺れたものでありました。無駄になった 50 年の研究生活からくる精神的な痛み、またすべてを鋭敏に知覚できる意識は、膨大な利益を手にする少数の既得権益者たちの傍らで、無為に苦しむ何百万もの人々を、酒の力なしで、忘れることはできなかったのでしょう。

 
1971 年、ライフ博士は、バリウム(精神安定剤)とアルコールの過剰摂取により帰らぬ人となりました。 83 歳でした。ライフ博士は、自身の発明した治療器の特殊な光の照射を浴び続けていたため、アルコールの乱用にもかかわらず、これほど長生きできたといわれています。
 
ビームレイ社の周波数治療器
左がライフ博士、右側で共振周波数を発するアルゴンガス管を指さしているのは、ホイランド氏。ホイランド氏は同社において、周波数治療器の製造と改良を担当しました。後にAMA(米国医師会)の支援を受け、同社を相手取って長引く訴訟を起こし、ライフ博士を疲弊させました。


バリー・ラインズ著の「The Cure That Worked」(成功したがん治療)

この本には、ライフ博士が発明したがん治療とそれを製薬業界・医学界が抹殺し、50年に渡り隠蔽してきた歴史が詳細に書かれてあります。 

 

現在のライフ治療

幸いにも、彼の死とともに彼の電子工学的治療が完全に終わりを告げたのではなく、少数ではありますが、良心的な人道主義の医師や技術者が、ライフ博士の治療器を再現させています。また、 1986 年には、バリー・ラインズが記した「 The Cancer Cure That Worked (成功したがん治療)」によって、世に知られることになりました。


そして、現在では様々なデザ インや価格でライフ博士の周波数治療器と称する機器が出回っていますが、それがすべてライフ博士の治療と同じ効果を示すかは、わかりません。というのは、ライフ博士の名前を出している治療器のほとんどが、オリジナルのものと、まったく別の構造をしているからです。あの驚異の治癒率とは、ユニバーサル・マイクロスコープと、ライフ博士の日々の研究の賜物で、はじめて成せる技なのです。単なる商用目的で、ライフ博士の名前が使用されているため、一般の誤解を生むことにもなっています。


もちろん、このように革新的治療法がはたして実際に存在するのか否かを最終的に判断するには、自分で試してみるしかありません。なぜなら医薬品やもろもろの医療行為の研究結果が載せてある公的な医療関係の資料の多くは、すべて粉飾された「二重盲検法」によるものばかりで、その研究は、あらかじめ出資企業の望む結果を出すように仕組まれているのです。それは、 THINKER 内の健康・医療に関する他のトピックスをご一読いただければ、よくわかると思います。


ただひとついえることは、徹底的に圧力をかけてきた歴史、事実があるということです。何の役にもたたない発明には、そんな仕打ちをする必要はないのです。


ライフ博士の周波数治療 は、現在においても、正式な医療としては、禁止されています。その背景には、もしかすると、助かるかもしれない多くの命があることを忘れてはいけません。ライフ博士を抹殺することで、医療業界の既得権益者にとっては、安泰の日々かもしれませんが、人類が失ったものは、あまりにも大きいのです。

 

参考資料:引用文献

 
RENSE.COM

http://www.rense.com/

 
RIFE RESONATORS

http://www.riferesonator.com/main.html?src=%2F

 
RIFE VIDEOS.COM

http://www.rifevideos.com.

 
Educate-Yourself

http://educate-yourself.org/cancer/rifelinks.shtml