某日記を見て、記憶をたどる。
確かに暑かった’94年。
山を登り始めた年だ。
渇水の年、南アルプスを縦走しようとした。
(小河内岳あたりかな?)
高山裏避難小屋テン場でのアクシデント。
ヘリコプターを呼んだ。
テント内で湯を沸かしている最中のコッフェルをひっくりかえし、センパイが大やけど。
避難小屋の管理人さんに借りた背負子とポリタンクで、水場まで往復1時間。
例年なら30分で往復できるが、雨が少なく、いつもより沢を余分に下らなくては
いけないのと、ポリタンクでたくさん水を背負っての登りは強烈なものがあって、
普段の倍の時間がかかった。
よりによって渇水の年に・・・。
うらめしく思いつつ、1年生だった私は、ケガをしたセンパイにつきそい、
水汲みにでかけた男の先輩たちを待った。
ポリタンを背負い、よろよろになり何度も往復した先輩たちもきつかったが、
一晩、ヘリを待つ間、うなされつづけたセンパイは、どれだけきつかったことか。
その7年後、再び、高山裏避難小屋を訪れました。
事故のあった年も、7年後も、小屋の周りのお花畑は相変わらず奇麗でした。
当時は、相当へこたれたものの、7年後でも、今でもやっぱりお山が好きです。
山岳保険はかけてるものの、ずっと「お守り」で済みますように。
もうすぐお盆。
皆様、気をつけてお山を楽しんできてください~。
確かに暑かった’94年。
山を登り始めた年だ。
渇水の年、南アルプスを縦走しようとした。
(小河内岳あたりかな?)
高山裏避難小屋テン場でのアクシデント。
ヘリコプターを呼んだ。
テント内で湯を沸かしている最中のコッフェルをひっくりかえし、センパイが大やけど。
避難小屋の管理人さんに借りた背負子とポリタンクで、水場まで往復1時間。
例年なら30分で往復できるが、雨が少なく、いつもより沢を余分に下らなくては
いけないのと、ポリタンクでたくさん水を背負っての登りは強烈なものがあって、
普段の倍の時間がかかった。
よりによって渇水の年に・・・。
うらめしく思いつつ、1年生だった私は、ケガをしたセンパイにつきそい、
水汲みにでかけた男の先輩たちを待った。
ポリタンを背負い、よろよろになり何度も往復した先輩たちもきつかったが、
一晩、ヘリを待つ間、うなされつづけたセンパイは、どれだけきつかったことか。
その7年後、再び、高山裏避難小屋を訪れました。
事故のあった年も、7年後も、小屋の周りのお花畑は相変わらず奇麗でした。
当時は、相当へこたれたものの、7年後でも、今でもやっぱりお山が好きです。
山岳保険はかけてるものの、ずっと「お守り」で済みますように。
もうすぐお盆。
皆様、気をつけてお山を楽しんできてください~。
そうそう。中一の夏でした。
なんてふざけてると台風直撃にあいそうなので控えます
良い山、良い人、両方あってこその南アですよね。
妙高界隈の某山小屋にクレーム言ったアノ方には決して受け入れられない価値観でしょうが。。。
◎uttchiさん。
レスキューお手伝いお疲れ様でした。
登山中は、車の運転のように、よそ見厳禁、常に緊張感を持ちつつ・・・でいくべきなんでしょうが、疲労はたまるし、よそ見したくなる絶景満載なんですよね~。
一瞬の油断が大変な結果をもたらすことを肝に銘じつつ、山を楽しみたいものですね。
一般登山道でもくれぐれも油断大敵だなぁ~と思いました。
若き懐かしい写真ですね。
JOさん中学生の頃から山やってたんですか!(ばきぼか)
高山裏は通過しちゃったので親父さんの印象あまりないですが、南アの小屋番さん、個人的に印象いい人が多いです。
光の人とか農鳥の人とか、、
農鳥の親父なんか、素泊まりで火気厳禁って張り紙だらけの部屋に案内しといて「自炊はこの中でやればいいぞ」とか(笑)
早朝に小屋の脇で朝食の支度してたら、黙って巨大なランタンを置いていってくれたり。
10年以上前のままで時計が止まった空間に感じて懐かしさだらけ。
くせがあるけど、アッタカイ。
こんな山小屋のオヤっさんは、日本の山の宝です。
事故は辛い経験でしたが、学生時代からこういう方に出会えたことはプラスになったと思えます。
華やかで明るいイメージの北アルプスも好きですけれど、渋くて山のスケールが大きい南アルプス南部も、そのうち歩いてくださいませ。
◎sivaちゃん。
お久しぶり~~。
そういや私が東京いたとき勤めてた会社の社長さんも、山が好きだったんだよね。
山好き人間は大物になるか、うんとアウトローになるか極端なのかもしれないね~???
>その経験すべてが自分を形成している礎なのかな
そうだね~。
山を始めて最初の夏合宿であれを経験したおかげで、初っ端から山への畏敬の念が摺りこまれたし、自分がどれだけ多くの人間に支えられてるか分かったし、本当に勉強になった出来事でした。
これも「今だから」言えることだけどねぇ。
◎一日違いのマサユキさん。
米不足、あったあった!!
私は93年といえば、浪人生活と、皇太子&雅子様の結婚の年っていうイメージです。
ちなみに、事故は、沸かしていたお湯がこぼれ、右脚側部全体をやけどしてしまうものでした。
行動中はもちろん、テント内などの生活時間帯での事故についても気をつけないといけませんね。
「事故発生」は、ほんとう~に一瞬の出来事でしたけど、「魔がさした」というよりは、少しずついろんな要因が積み重なったような気がします。
私も、お盆は久々にテント泊をしようと思っていますし、気を引き締めて山を楽しんできたいなとあらためて思いました。
なんせ16年前ですからねぇ。しみじみ。
この山サークルに入ったことによって、私の純な部分が音を立てて崩れ去ったことですし、体のでかさは変わらなくても、人相は学生時代で随分変わったと思います
◎よしださん:
>94年といえば、山のヤの字もやっていませんでした
えー!それはとっても意外です。
よしださんは、山田哲哉さんみたいに中学生のころから山をバリバリやっているようなイメージです。
◎カモシカ永井さん。
>もちろん元気で居たらです
もちろん元気でいますよ!
カモシカ永井さんも、高山裏のオヤッさんも。
私の拙いブログがきっかけで、またあの小屋に行ってみたくなってくれて、とても嬉しいです。
私もカモシカ永井さんの蓮華温泉からのぐるりっぷの記録を読んだら、来年同じコースを歩いてみたいと思います
そうすると、白馬~朝日~日本海がつながることになります。
真ん中の94年は当時、戦後一番暑い夏ということでした。
今でもこの3年は、特に印象に残ってます。
湯じゃなくガスを浴びてしまったのでしょうか?
ホント山では気を付けないといけないなって、改めて感じさせるJOさんの日記でした。
ぼくも今日、たまたま社長(中小企業ですが)が登山好きで、南アルプス悪沢-赤石をあるいたことがある、という話をしていましたが、これだけの期間をあけないと、なかなか語れないことなのでは、と思っていました。
15年以上も前のことですが、今おもうと違う感情?想い?があります。
辛いことも、アクシデントも、その経験すべてが自分を形成している礎なのかな。と。
>口が悪く少々せっかちだけれど(^^)、本当にアッタカイかたで、大好きです。
会ったこと無いけど目に浮かぶようです。
このエピソードど似た話しが「岳」の今週号に。
あの高山裏のテント場にそんな哀しくもまた美しい思い出があったのですね。
小屋番はあの名物オヤジさんでしたか?
私も高山裏のテンバには2000年夏、息子と2人で泊まりました。テンバは貸切でオヤジさん色々親切にしてくれたな~。もう行くこともないかと思っていましたが、この記事見て来年は息子と2人で又テント担いで行こうと思うようになりました。もちろん元気で居たらです。
JOさんのブログは私に次々と山行の動機を与えてくれます・・・。
因みに今年は息子と朝日小屋~雪倉岳~白馬大池歩きますよ。蓮華温泉からのグルリップです。
94年といえば、山のヤの字もやっていませんでした。
自分も古い写真見ると
面影ないけど(ばき)
若いっていいですね。
大変だったけど、忘れられない
思い出ですね