明日から山に行くのにこんな物騒なことか書くのはちょっと
はばかられるけれど。。。
先々週、日光白根で事故者に出会った。同行者が「さっきまでは
普通にお昼を食べていた」と言っていたそうだが、人間の死は
「生」の正反対ではなくて、ほんの隣同士にあるようだ。
その出来事のあと、菅沼まで下る途中、eeちゃんと山で死ぬことに
ついてちょっと話した。山で死んだらどうしてほしいか、ちゃんと
肉親に言っておくべきかなんてことを話しながら。
葬式はどうしてほしいとか、誰に知らせてほしいとか、散骨してほしい
かとか、するならどこかとか・・・。
私は、そんなことを口に出したら母がどんな顔をするか想像してみた。
とてもとても言えそうにない。自分が先立ったときの母の顔を想像
するだけで、じわっと涙が浮かんでくる。今もそうだ。
父は、私が山で死んだら、もちろん悲しんでくれると思うけれど、
自分なりに納得し、手を合わせてくれると思う。
でも、母はどうだろう。祖母が亡くなったとき、夕方、薄暗い台所
で電気もつけずにすすり泣いていることがしばらく続いたことを思い出す。
「誰かのために○○する」なんて滅多に考えない自分勝手な私だけれど、
両親のために、いつも健康で、ケガもなく、山を楽しみたいと常々思う。
はばかられるけれど。。。
先々週、日光白根で事故者に出会った。同行者が「さっきまでは
普通にお昼を食べていた」と言っていたそうだが、人間の死は
「生」の正反対ではなくて、ほんの隣同士にあるようだ。
その出来事のあと、菅沼まで下る途中、eeちゃんと山で死ぬことに
ついてちょっと話した。山で死んだらどうしてほしいか、ちゃんと
肉親に言っておくべきかなんてことを話しながら。
葬式はどうしてほしいとか、誰に知らせてほしいとか、散骨してほしい
かとか、するならどこかとか・・・。
私は、そんなことを口に出したら母がどんな顔をするか想像してみた。
とてもとても言えそうにない。自分が先立ったときの母の顔を想像
するだけで、じわっと涙が浮かんでくる。今もそうだ。
父は、私が山で死んだら、もちろん悲しんでくれると思うけれど、
自分なりに納得し、手を合わせてくれると思う。
でも、母はどうだろう。祖母が亡くなったとき、夕方、薄暗い台所
で電気もつけずにすすり泣いていることがしばらく続いたことを思い出す。
「誰かのために○○する」なんて滅多に考えない自分勝手な私だけれど、
両親のために、いつも健康で、ケガもなく、山を楽しみたいと常々思う。