8・15首相参拝 こんな騒ぎはもうたくさん
小泉純一郎首相が、終戦記念日の15日に靖国神社を参拝した。「8月15日にいかなる批判があろうとも必ず参拝する」という01年自民党総裁選の公約を実行したという。
ーこういうことを言わせてしまうあたりにマスコミ論者の非力さがあった。ー
だが、これまで公約実行を控えてきたのに、退陣前になって公約を振りかざして参拝したのは、首脳会談を拒否して首相のメンツをつぶした中国や韓国への面当てではないのか。靖国問題を語る首相発言のぶれの大きさを見れば、信念の貫徹というより、意地を張っただけにも見える。
ーこだわった、ともいいかえられるか。現在このことばはよい意味に使われる傾向があるが、もともとこだわりとは、ささいなことに固執するようなことをいうからね。ー
終戦記念日には、過去の戦争で命を失った死者を追悼し、未来の平和を祈る静寂がふさわしいのに、騒々しい対立の日となった。
終戦記念日に靖国参拝をした首相としては、21年前の中曽根康弘元首相がいる。この時は「公式参拝」の形式をとった。中国、韓国などから強い抗議が起き、外交関係が悪化したため、1度で中止したといういきさつがある。
ー結局誰の目に見ても私的だか公的だかの区分はできない。だから問題なのでしょう。するとより潔い?というか革新的?確信的なのは中曽根さん。あまりすきではないが大物だな中曽根氏。-
この日に参拝すればやっかいな外交問題が再燃することを、小泉首相は承知していたはずだ。だからこそ、これまで首相は就任以来年1度の参拝を続けながら別の日を選んできた。「国内外の状況を真摯(しんし)に受け止めた」(01年の首相談話)からである。
それなのに、今年は「いつ行っても批判、反発がある」と、外交的な自制を放り出してしまった。
小泉首相は、一貫して「私的参拝」と位置づけ、戦没者への哀悼の気持ちをささげるという私的な感情によるものと強調してきた。しかし、すでに外交問題となっている以上、首相の私的感情ではすまない。
ー対メディアという図式は便利だね。政治家ともどもメディアの人は頭がよろしくないから簡単に乗ってくる。批判、批評、ができないメディアをみていると私の知る大多数の大学院生の姿が浮かび、時代だなどとおもうのでした。-
首相は日本国民を代表する立場にある。在職中の公私の区別は簡単に割り切れない。国内では、参拝と憲法の政教分離原則をめぐる見解の対立がある。神社に合祀(ごうし)されているA級戦犯の存在は、かつて日本軍が侵略した近隣国ではその国の国民感情を刺激する。
首相は、一つの問題だけを理由に首脳会談に応じない中国、韓国が悪いと主張している。では、たった一つの問題も解決できない首脳会談は開く意味があるか。詭弁(きべん)には詭弁で切り返されるだろう。
「私を批判する方は、つきつめれば中国、韓国が不快に思うことはやるなということだ」とも語っている。短絡した論だ。やるなら、近隣国から苦情がこないように、ということだ。近隣国との付き合いを放棄して首相はできない。
A級戦犯合祀については、その直後から昭和天皇の参拝が中断している。国民世論も割れている。「特定の人に対して参拝しているんじゃない」では割り切れない。
-このあたりも荒い議論だね。A級だからだめなのではないでしょ。戦争をどのようにとらえるのか、それは人が死ぬことをどうとらえるのかということでしょう。さきの戦争を ”聖戦であったのか悪い戦争だったのかどうかをもう一度・・・”といったのは昨日の朝の加藤コウイチ。右翼の人もよく考えましょう。あきらかに味方だよキミの、家燃したりしてバカじゃないの。ー
小泉首相は、近く後継者に首相の座を譲る。終戦記念日の首相参拝は、ポスト小泉政権への置きみやげとなった。
次の首相を争う自民党総裁選の候補者たちは、この置きみやげから逃げられない。国内でも、国際社会でも通用するきちんとした回答を用意しておくべきだ。来年もまたこんな騒ぎを繰り返すのは、もううんざりだ。
-なるほどこのあたり、評者によっては次期総理がいけるような実績作りとする人がいる一方、大騒ぎ、ととるのですね。確かに午前中参拝者で小泉氏とぶつかった人はいい迷惑だったかも。静かにお参りしたいのにいいかげんにしろよと。安倍氏しかりかっての宮沢氏しかりばれないように?私的参拝可能ならばそうしてほしいのが縁故者、当事者の願いかもしれない。
靖国にはお国のために死んだ人たちがいるのではなく、お国のせいで死んだ人たちがいるのですから、国の人には大げさに来て欲しくないかもね。ー
毎日新聞 2006年8月16日 0時02分
JOHNY
参考記事
小泉首相、靖国神社に昇殿して参拝
2006年 8月15日 (火) 12:41
小泉首相は終戦記念日の15日朝、東京・九段北の靖国神社に参拝した。現職首相による終戦記念日の参拝は85年の中曽根康弘元首相以来21年ぶり。小泉首相は就任前に8月15日の参拝を公約していたが、過去5回は時期をずらしていた。首相は参拝後、「いつ行っても批判する勢力がある。ならば今日は適切な日と判断した」と語った。河野洋平衆院議長が戦争責任の明確化に言及するなど靖国問題をとらえ直す動きが出る一方、中韓両国は抗議声明を発表し、ポスト小泉政権の対応を注視している。9月の自民党総裁選では首相参拝の是非や靖国神社のあり方が争点になり、次期政権の課題となる。
小泉首相の靖国神社参拝は昨年10月以来で、6年連続となった。9月に退陣を控えた首相はこの日、公用車で靖国神社を訪れ、「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳。モーニング姿で本殿に上がり、「二拝二拍手一拝」の神道形式はとらずに一礼し、玉串料の代わりに献花料3万円を私費で払った。
首相は01年の自民党総裁選で「首相に就任したら8月15日の戦没慰霊祭の日にいかなる批判があろうと必ず参拝する」と公約した。しかし01年は中韓両国への配慮などから8月13日に前倒ししたほか、春季例大祭初日の4月21日(02年)、1月14日(03年)、元日(04年)、秋季例大祭初日の10月17日(05年)と日付を変えて参拝し、8月15日は避けてきた。
参拝で中韓両国との首脳外交は途絶えることになったが、首相は「外国政府が心の問題にまで介入して、外交問題にしようとする姿勢は理解できない」と不快感を表明。今月に入ると「公約は生きている。守るべきものだ」と語っていた。
首相が9月の総裁選を控えて参拝に踏み切ったのは、参拝に慎重姿勢を見せていた福田康夫元官房長官が立候補を見送り、後継と目される安倍官房長官の優位が固まった情勢を受けたとみられる。
靖国問題では、総裁選に立候補を予定している3人の間でも主張が分かれており、党内で具体的な論議が始まっている。4月に参拝した安倍氏はこの日の首相参拝について直接の論評は避け、谷垣財務相は閣僚懇談会でA級戦犯合祀(ごうし)やアジア外交改善を課題に挙げた。麻生外相は靖国神社に非宗教法人化を促す私案を唱えている。
小泉純一郎首相が、終戦記念日の15日に靖国神社を参拝した。「8月15日にいかなる批判があろうとも必ず参拝する」という01年自民党総裁選の公約を実行したという。
ーこういうことを言わせてしまうあたりにマスコミ論者の非力さがあった。ー
だが、これまで公約実行を控えてきたのに、退陣前になって公約を振りかざして参拝したのは、首脳会談を拒否して首相のメンツをつぶした中国や韓国への面当てではないのか。靖国問題を語る首相発言のぶれの大きさを見れば、信念の貫徹というより、意地を張っただけにも見える。
ーこだわった、ともいいかえられるか。現在このことばはよい意味に使われる傾向があるが、もともとこだわりとは、ささいなことに固執するようなことをいうからね。ー
終戦記念日には、過去の戦争で命を失った死者を追悼し、未来の平和を祈る静寂がふさわしいのに、騒々しい対立の日となった。
終戦記念日に靖国参拝をした首相としては、21年前の中曽根康弘元首相がいる。この時は「公式参拝」の形式をとった。中国、韓国などから強い抗議が起き、外交関係が悪化したため、1度で中止したといういきさつがある。
ー結局誰の目に見ても私的だか公的だかの区分はできない。だから問題なのでしょう。するとより潔い?というか革新的?確信的なのは中曽根さん。あまりすきではないが大物だな中曽根氏。-
この日に参拝すればやっかいな外交問題が再燃することを、小泉首相は承知していたはずだ。だからこそ、これまで首相は就任以来年1度の参拝を続けながら別の日を選んできた。「国内外の状況を真摯(しんし)に受け止めた」(01年の首相談話)からである。
それなのに、今年は「いつ行っても批判、反発がある」と、外交的な自制を放り出してしまった。
小泉首相は、一貫して「私的参拝」と位置づけ、戦没者への哀悼の気持ちをささげるという私的な感情によるものと強調してきた。しかし、すでに外交問題となっている以上、首相の私的感情ではすまない。
ー対メディアという図式は便利だね。政治家ともどもメディアの人は頭がよろしくないから簡単に乗ってくる。批判、批評、ができないメディアをみていると私の知る大多数の大学院生の姿が浮かび、時代だなどとおもうのでした。-
首相は日本国民を代表する立場にある。在職中の公私の区別は簡単に割り切れない。国内では、参拝と憲法の政教分離原則をめぐる見解の対立がある。神社に合祀(ごうし)されているA級戦犯の存在は、かつて日本軍が侵略した近隣国ではその国の国民感情を刺激する。
首相は、一つの問題だけを理由に首脳会談に応じない中国、韓国が悪いと主張している。では、たった一つの問題も解決できない首脳会談は開く意味があるか。詭弁(きべん)には詭弁で切り返されるだろう。
「私を批判する方は、つきつめれば中国、韓国が不快に思うことはやるなということだ」とも語っている。短絡した論だ。やるなら、近隣国から苦情がこないように、ということだ。近隣国との付き合いを放棄して首相はできない。
A級戦犯合祀については、その直後から昭和天皇の参拝が中断している。国民世論も割れている。「特定の人に対して参拝しているんじゃない」では割り切れない。
-このあたりも荒い議論だね。A級だからだめなのではないでしょ。戦争をどのようにとらえるのか、それは人が死ぬことをどうとらえるのかということでしょう。さきの戦争を ”聖戦であったのか悪い戦争だったのかどうかをもう一度・・・”といったのは昨日の朝の加藤コウイチ。右翼の人もよく考えましょう。あきらかに味方だよキミの、家燃したりしてバカじゃないの。ー
小泉首相は、近く後継者に首相の座を譲る。終戦記念日の首相参拝は、ポスト小泉政権への置きみやげとなった。
次の首相を争う自民党総裁選の候補者たちは、この置きみやげから逃げられない。国内でも、国際社会でも通用するきちんとした回答を用意しておくべきだ。来年もまたこんな騒ぎを繰り返すのは、もううんざりだ。
-なるほどこのあたり、評者によっては次期総理がいけるような実績作りとする人がいる一方、大騒ぎ、ととるのですね。確かに午前中参拝者で小泉氏とぶつかった人はいい迷惑だったかも。静かにお参りしたいのにいいかげんにしろよと。安倍氏しかりかっての宮沢氏しかりばれないように?私的参拝可能ならばそうしてほしいのが縁故者、当事者の願いかもしれない。
靖国にはお国のために死んだ人たちがいるのではなく、お国のせいで死んだ人たちがいるのですから、国の人には大げさに来て欲しくないかもね。ー
毎日新聞 2006年8月16日 0時02分
JOHNY
参考記事
小泉首相、靖国神社に昇殿して参拝
2006年 8月15日 (火) 12:41
小泉首相は終戦記念日の15日朝、東京・九段北の靖国神社に参拝した。現職首相による終戦記念日の参拝は85年の中曽根康弘元首相以来21年ぶり。小泉首相は就任前に8月15日の参拝を公約していたが、過去5回は時期をずらしていた。首相は参拝後、「いつ行っても批判する勢力がある。ならば今日は適切な日と判断した」と語った。河野洋平衆院議長が戦争責任の明確化に言及するなど靖国問題をとらえ直す動きが出る一方、中韓両国は抗議声明を発表し、ポスト小泉政権の対応を注視している。9月の自民党総裁選では首相参拝の是非や靖国神社のあり方が争点になり、次期政権の課題となる。
小泉首相の靖国神社参拝は昨年10月以来で、6年連続となった。9月に退陣を控えた首相はこの日、公用車で靖国神社を訪れ、「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳。モーニング姿で本殿に上がり、「二拝二拍手一拝」の神道形式はとらずに一礼し、玉串料の代わりに献花料3万円を私費で払った。
首相は01年の自民党総裁選で「首相に就任したら8月15日の戦没慰霊祭の日にいかなる批判があろうと必ず参拝する」と公約した。しかし01年は中韓両国への配慮などから8月13日に前倒ししたほか、春季例大祭初日の4月21日(02年)、1月14日(03年)、元日(04年)、秋季例大祭初日の10月17日(05年)と日付を変えて参拝し、8月15日は避けてきた。
参拝で中韓両国との首脳外交は途絶えることになったが、首相は「外国政府が心の問題にまで介入して、外交問題にしようとする姿勢は理解できない」と不快感を表明。今月に入ると「公約は生きている。守るべきものだ」と語っていた。
首相が9月の総裁選を控えて参拝に踏み切ったのは、参拝に慎重姿勢を見せていた福田康夫元官房長官が立候補を見送り、後継と目される安倍官房長官の優位が固まった情勢を受けたとみられる。
靖国問題では、総裁選に立候補を予定している3人の間でも主張が分かれており、党内で具体的な論議が始まっている。4月に参拝した安倍氏はこの日の首相参拝について直接の論評は避け、谷垣財務相は閣僚懇談会でA級戦犯合祀(ごうし)やアジア外交改善を課題に挙げた。麻生外相は靖国神社に非宗教法人化を促す私案を唱えている。