第3章 キナンティ 19節~20節、39節~51節(物質力の章:一部要約あり)
『19、あなたが自分にとっての正しい仕事をすることで、自動的にあなたの神への礼拝、これは人間としてのあなたの内部自我Diri Pribadiが要求している事ではあるが、それが減ずるということは無くなるであろう。
まことにこれは最善の道である。
なぜならその時人は世的な目的の為に働くことのみならず、神への礼拝もまた捨てられなくなるからである。
20、ここに述べた事を行う事により、あなたはこの世での生活のみならず、死後においても真の平和と幸福とを味わうであろう。
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39、物質的関心が実際に大きな利益を生み出すとなれば、なおさらのことである。
さらに大きな利益を求めて、彼らは身を粉にしてでも働くであろう。
40、すること、なすこと全てがもうけを生むという喜びの為に、財産に対する愛は彼らの中で際限なく深まってゆき、ついには家族や親しい友人を愛する以上に財産を愛するに至る。
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42、とりわけそれが当てはまるのは、常に成功し、何をやっても儲かる人たちである。
もしも彼らが自分の内部自我Diri Pribadiを顧みないと、物の世界の深淵に落ち込むであろう。(注:後述 第5章 メガトルフ 29節~45節 参照)
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44、物体の内部にある力の作用というものは、このようなものである。
これらの物質力は人をしてもはや死後の生活、死後も続く事になる人間の存在様式を信じさせなくなる程に強い影響を与える。
だからそのことに気が付いていなさい。
(注:リンカネーションをみとめるバパでありますから、死後も続くことになる人間の存在は大前提となります。)
45、別の言い方では、注意していないと物質力の作用によって(この世で生活している間に)、その人の性格が変化してしまうということである。
そのようなってしまうと、自分のジワJiwaの事を認識する事が一段と難しくなってしまう。
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48、そのようになってしまうと(この世で生活している時にすでに)人間というレベルから物質というレベルにまでその存在レベルが落ちてしまう事になる。
そうなった人は、(財産を持っていない、というだけで)豊かでない人達を物同然に扱う様になる。
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51、しかしながら、ある人達が、物質力を理解していない、統御していない、という事で貧しい生活をしいられているとしたならば、それもまた間違いである。
そのような人たちはこの世の生活でも不幸であり、そうしてまた死後の生活でも不幸である。
(注:だからラティハンをやって自分の運命、天命をしり、人間としての生活が出来るようにしなさい、とバパいうのです。)』
第5章 メガトルフ 25節~28節、物質力の章:仕事に取りつかれる事(雇主に雇われて働く人の例)
『25、そして雇い主に目をかけられている為に、自分が働いている部署では権力者になった様に感じ、同僚に対して横柄にふるまう者も出てくる。
26、こうした状況の中で、彼はいとも簡単に仕事にのめりこみ、ハート(Hati)や頭脳はもはや真の自己をかえりみる時間的余裕も与えられない。(注1)
27、昼夜、彼等は自分の仕事のこと以外は考えない。
そしてついには彼らの内部生命(inner life)も同様に影響を受けて、仕事以外の事は何も意識しなくなるのである。
28、それゆえ、外面的にも内面的にも自分の仕事に専念するのだが、その結果、人生の最後になって死を迎えた時に、彼らが引き寄せられるのはその方向に向かってである。
(注:つまり地球上の特定の場所に引き寄せられる。
つまり、生前に彼がこだわりを持って意識していた、常に考えていた場所に引きつけられる、ということです。
そして、それを通常は地縛霊と言います。
あるいは浮遊霊という場合もあります。
そしてバパの言い方ではそれは「物質力の世界に引きこまれたジワJiwa」という事になります。)』
第5章 メガトルフ 29節~45節、物質力の章:物の世界の深淵に落ち込むこと
物には物質力という一番低いレベルではありますが、生命力を認めるのがバパの世界観になります。
そうして、そのような物質力レベルのジワJiwaが集い、生活している世界としてスシラ ブディ ダルマでは以下の様な「物の世界」を記述しています。
しかしながらそのような世界を我々は通常は認識できません。
そうしてスシラ ブディ ダルマからその記述部分を引用してもただ単に我々は空想を刺激されるだけです。
くわえて、そのような世界の事を認識できなくてもラティハンを続けていく上では何の支障もない様です。
それで以下、その部分の記述は概要のみにとどめて、興味のある読者には原典にあたっていただく事にしたいと思います。
以下、第5章 メガトルフ 29節~45節の要約
『29、・・・物の世界の有様は我々の世界の様であり・・・
30、・・・この現世での我々の生活から見れば、そのような物質というものには生命がある様にはみえない。
それは我々が自分たちの生活の為に加工し便利な道具として使用する物としかみえない。・・・
31~32、・・・物のレベルで神との関連をもつ、それを礼拝といってもいいかもしれない・・・
33、このような訳で物は自分の地位を自分と比べてより高い段階である人間のレベルに引き上げてもらおうとして、人の思考に結び付く事を切望している。
(注:このような訳で人は自然を理解でき、それを自分たちの生活に役立てる事が可能となっている、というのがバパの主張です。)
34~35、37・・・このようにして物は人の世界に入り込み、人が生きている間、その人の望みに従い続ける。
36、それが物に定められた生き方である。
人はそのことを理解し、物質力の影響を理解し、それを統御できるようになる必要がある。
38~43、しかし実際には反対の事が起こっている。
つまり人間が物に仕えるのである。
そのために物の段階を引き上げるのではなく、人間が(死後に)物の世界に沈み込んでしまう。
39~42、死後、物の世界に落ち込んだ人はこの世にいた時に持っていた人としての記憶と感覚(Rasa)をもはや維持できない。
そして、物の世界を「当然の事」として受け入れる。
(このような状態は人の本来あるべき死後の生活の状態ではない。
しかし人間自身の行動の間違いによって物の世界に落ち込むならば、そうなってしまう、というバパの主張、警告であります。
そうして、そうであるとすればこの世の生活というのは人間にとっては本当にテストになっている、自分のレベルを改善し向上させるも、低次の諸力の欲望のままに降下させるもその人次第である、という事になります。)
44、(それまでその人に仕えてきた)物にとってみれば、この事(人を物の世界に連れ込む事)は正当な代償に見える。
なぜならば、これらの人々は(彼らが使っていた物に対して)借りがあるからである。・・・
45、しかしながら、その人にとって見ればそのような状況というものは、単に「悪い」というもの以上の事である。
それは人間にとっては「大いなる過ち」である。
人間は物に対して秩序を与えることが出来る存在であるのに、その事に完全に失敗しているからである。』
注1:ハート(Hati)や頭脳
ハートやマインド、あるいは感情心と思考心の様に訳される事もあります。
それで、現代の我々の考え方では「感情も思考も頭脳が作り出すもの」という様に理解しています。
ですから、この部分の訳は我々からすれば、
「ハート(Hati)や頭脳はもはや真の自己をかえりみる時間的余裕も与えられない。」というのは単に
「頭脳はもはや真の自己をかえりみる時間的余裕も与えられない。」とすればよい事になります。
しかしながら、バパの時代では「感情、想像、白日夢を抱く場所というものは肝臓(Hati)である」とされていました。
従って「心、感情、ハートと思考心が具体的に生み出される所」としては「頭脳」というだけでは足らず、「Hati(肝臓)と頭脳」と言わなくてはならなかったのです。
(Hatiについての、このような理解は、1959年5月3日のトークの注釈からの引用となります。)
PS
物の世界に落ち込んだジワJiwaのその後の運命、成り行きに関してはスシラ ブディ ダルマの中では何も記述されていません。
但し、関連する記事(63BCL7.8(ブライアクリフ))と地球に定められし時、それから雑記帳36・人間力の階層が7つの内部階層を持つ事についてにはこちらから入れます。<--リンク
さて、バパは「ジワは死後も存続する」といいました。
しかしながら各自の「自己 プリバディPribadhi」 やそれに含まれる「内部感覚 ラサディリRasa diri」がどうなるのか、不明確な所が残ります。
それで、この件につきましては今後の検討課題としていきたいと思います。
PS
人間力以下の4つのロホの生命世界、それはバパ流の「輪廻転生の世界」となります。
それは地球上を舞台とし、どうやらこの現世にオーバーラップして存在しているかの様であります。
その世界を支配しているのは、従来の教説によればカルマなのでありますが、バパの説明ではカルマにはそのような働きを認めてはおりません。
たとえば、仏教によれば「人は六道を輪廻し、それぞれの世界で定められたカルマが消失する事でまた人として転生する。」とされています。
そうして「人という存在形式の時のみに解脱という事が、輪廻の輪から離れる、という事が可能になる。」と説かれています。
しかしながら、バパの説明の中のカルマにはそのような働き、機能はない様であります。
(バパのいうカルマは単に人の間違いである、という扱いになっています。)
バパが述べている「輪廻転生の世界」からの解脱、あるいは離脱は「ロハ二世界への旅立ち」という形でトークの中に表れています。
それは本来の人間のいるべき場所であり、アダムが地上に降りる前にいた場所でもあります。
そこに到達する為には、当然のことながら普通の人間の段階、ジャスマニJasmaniと呼ばれる段階に到達し、そこからさらに上に行く事が必要になります。
そうしてまた、このロハ二の世界はこの地球上の世界ではない、というのもバパの説明であります。
しかしこの旅立ちの時に邪魔をする者達があり得ます。
それが人間力以下の4つの低次の諸力です。
現世の生活においてこれら4つの諸力との間に、合意、調整、清算、統御が完了していない時には、それぞれの諸力が旅立ちの邪魔をする、とバパは言います。
そうやって、ロハ二ではなくこの地球上のどこかの世界に引き込まれる、そう言う事の次第になるとトークでは述べられています。
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以上の事に関連する記事、「バパのリンカネーション論(輪廻転生論)」にはこちらから入れます。<--リンク
連載「スシラ ブディ ダルマ」にはこちらから入れます。<--リンク
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