ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

バパの”人間の種( human seed:biji manusia)と誕生論”

2017-05-13 | 日記

人間がどのようにしてこの世に誕生してくるのか、そういう事についてのバパの説明であります。

それで、人間の種( human seed:biji manusia)という用語についてトークをまとめたものは今までほとんど見た事がありません。

内容が「夫婦の秘め事」に関する事でありますから、なかなか公開の場所で語る事には抵抗があるのです。

もちろんそのことはバパも承知されており、聴衆に断りながら語っておられます。

しかしながら、語られている事はバパの主張の一つの大きな柱であり、けっして無視して良い内容とは思えません。

そうしてこれは、バパが何を言われたのか、何を考えておられたのかを知る為には欠かせない部分であります。

そういう訳で、まずはバパのトークの関連する部分の引用から始めたいと思います。
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(5月3日1968 バパ)
神がアダムに告げて曰く
「イブとは、あなたが彼女と違っていること、そしてあなたの魂が彼女のものとつながっていることを理解したら、イブとの性行為というのはあなたが天国にいたときの状態と似ている事を感じるでしょう。」
・・・・・
彼は感じて、経験した、「ああ、これは神が意味したものです。
これは私が天国にいたときの感じとほとんど同じです。」
そして、妻と性行為をした後、彼らの合一は「人間の本質または種」で満たされました。

それで神はアダムに言った、「アダムよ、私があなたを地球に送った方法をあなたは理解していますか?
そして後で地球をどのように離れるのでしょうか?
あなたはあなたの妻と性行為をするたびにそれを認識しなければなりません。」

アダムは答えました、「神様、それは本当です。
私は、神が私のために妻を持つことを通して道を提供して以来、私は神との親密さが現実のものであることを認識しています。」

だから間違いなく、女性は道です。
あなたの人生や生命の道 - 男性だけでなく、女性にとっても同じです。
それが宗教が女性のことを言う理由です。
天国は女性の中にあります。
そうしてまた、兄弟姉妹の皆さん、地獄は女性の中に見られるのです。
女性のおかげで男は偉大さ、幸福、知恵を達成することができます。(注1)
そうしてまた逆に、男の偉大さ、高貴さは女性のために崩れることがあります。

(13章・ダンダングラ 16~17節:1952年)
(現在では非常にまれな事となっている、二人の人間力に満たされた男女が結婚することが出来た場合についての記述)
16、このような結婚の結果、平和と調和がもたらされるばかりでなく、さらに生活の繁栄への道が開かれる。
もしも彼らがこのような結婚で子供をもうけると、男性の自我を通って訪れる「人間の種子の力」で、彼の身体感覚が呼びさまされよう。

17、そして感覚がこのようにして呼び覚まされると、その欲望がどこから来ているのか彼には直ちに感じられ、さらに彼は合一の間の自分の状態に気が付いていることもできるであろう。
従ってそれは、彼にとって一つの内的な覚醒となるであろう。

(5月1日1965 バパ)
バパはあなたに尋ねる必要はありません。
あなたがすでに結婚した理由は、(成長すれば)あなたのような(人になる)「人間の種」を得るために、そして子供を持つことです。
これは、あなたがこの世の人生を永続させるために神の代理者になることを意味します。

(8月9日2003 イブ)
神は現実には男女を神聖な仕事のために創造したからです。
それはなぜ神聖と考えられるのですか?
人間は完全な人間として生まれる事になる「人間の種」を渡すことが期待されるからです。

(4月4日1968 バパ)
バランスと進行があります。
ポイントは兄弟姉妹の皆さん、神の定めによれば、土地の種類は等しくなければならないのです。
それらが均衡している場合、もしそれらが誰かの中で等しい割合であれば、その人はそれらを管理することができます。
(注:それら=土地の種類ーー>“スシラ ブディ ダルマ、及びこのトークの前述部分”より、結局は4つのナフスの事になります。)
だから、今日はなぜバランスが取れていないのですか?

まず、預言者アダムの時代に、周囲にほんの少数の人々しかいなかったときに、人間同士の違いはあまり目立たなかった。
それはなぜですか?
その理由は、最初の人間は神によって作られたからです。
最初の人々は神によって作られた、その後、人々は自由意志を与えられた。
最初は神の御心によるものでしたが、その後は私たちの心の意志によるものでした。

[神は言った]、「今にいたりて人間よ、私はあなたに許しを与え、私はあなたに再生する力を与え、あなたのようなものを創造させる。
あなたは子供を持つことができます。」

それで人間が人間によって作られるようになった後、たとえ私たちがほかのものを作るのと同じような方法で人間を作っていなくても、私たちはまだそれを「私の子供だ」と言っています。
あなたがそれをやったのですか?

神の創造力が人類に渡った後、人々は、子供を持つことによって他の人間を作ることができるようになりました。
しかし神は人間のようなものではなく、人間は神のようではないのです。

それゆえ、神が人間を作ったとき神は世俗的な自己利益を持たなかったので、それをバランスよく正しく作りました。
しかしながら人類がその事を引き継いだ後、それは異なってしまいました。
人間はそんなやり方をすることができますか?
彼らは、人間はそのように(バランスよく正しく)作られなければならないということを知らず、彼らは自分達が間違っていることを知りませんでした。
彼らは理解していませんでした。
彼らはただ彼らが子供を持つ必要があることのみを知っていたのです。

問題の根源は、「実際には『人間の胚』はその親の理解と性質とをカプセル化している」という所にあります。(注2)

(5月20日1958 バパ)
バパはあなた方のせいとは言いませんが、一般的にはあなた方は結婚しており、あなたの欲望を満足させ、満たし、子供を抱えていますが、非常に秘密にされている事柄についてはあまり実行されていません。
あなたはあなたの子供の中に何があるのか​​、あるいは自分が存在するようになる前に自分がどのようになっていたのかを理解していないのです。
このため、イスラム教では人々が結婚することが不可欠であると考えられています。(注3)
結婚を通して、人間は人間の創造と存在を継続するための神の代理者であることを認識します。
・・・・・
しかし、彼らは自分の欲望を満たすために、そして心の喜びのために結婚したいだけで、彼らは意図されている真の意味を失います。
結婚の本当の意味は、結婚を通じて人間は自分自身の中で反復のようなものを得ることができるということです。
これがあなたがラティハンを行い、思考の心、意志と欲望の外で働き始めることができるように訓練されており、結局は男とその妻の結婚の秘密を知ることができるようになっている理由です。
また、あなたがどのように食べるのか(注:食べたらいいのか)を知ることができるようにもなっています。

(6月13日1963 バパ)
宗教では、イスラム教とキリスト教の両方で、そしておそらく他の宗教においても、タリーカ tariqah[アラブ、道、方法]と呼ばれる教えがあります。
タリーカTariqah - インドネシアでは、それをタリカットtarikatと呼んでいますが - それは教えを意味します。
それはあなたが勉強するものです。
タリーカTariqahは、これがどこで、どこにあるのかを記述しています。
それは神がどこにあるのか、そして神の仕事が何であるかを記述しています。
イスラム教とキリスト教にはタリーカTariqahがあります。
しかし、それはすべて研究という形であり、心と思考から来る教えです。
・・・・・
真実は、タリーカTariqahすなわち「神の領域と魂の領域の研究」には大きな誤りがある、というのも、二つの異なるものを同じものとして扱うからです。
タリーカTariqahは神の恵みを受けた人とそれをまだ受けていない人とを同じように扱います。
・・・・・
性交の器官は、バイタル ムカダスbait al-muqaddas [アラブ:浄化された家]と彼らは言いいます。
バイタル ムカダスbait al-muqaddasは性器であり、最も小さい家です。
・・・・・
[小さな家]では、人は「人間の種子」を受け取ることができます - あなたは確かにこれに精通しています - 「完璧な人間の種」、それは聖霊を運ぶ人間です。(注4)
それが彼らの教えです。
だから、この教えに従うのは誰でも、バイタル マームル bait al-ma‘mur、バイタル ムハラム bait al-muharramそうしてバイタル ムカダスbait al-muqaddasを持っていると信じています。
誰もがそれらを持っている、、、と。
しかしそれは彼らの間違いです。
・・・・・
そしてタリーカTariqahに従ってそれを研究する人は、「男と女の合一は神の礼拝である」と言っています。
実際、男女の合一は、兄弟姉妹の皆さん、本当に人間と神の間の礼拝の行為です。
しかしそれは、誰でもそうであるのではなく、神の恵みを受けた人間にのみ適用されます。
それ以外の人では礼拝にはならず、喜びの行為になるだけです。
それは彼らの動物力の欲望、彼らの植物力の欲求、そして彼らの物質力の欲求を満足させる方法です。
それは一般的に、つまりは男と女の合一は礼拝の行為ではないということです。
・・・・・
それでバパが言ったように、人体の性器に存在するものはまだ神の恵みではありません。
一般的にはまだヤギ、イヌ、ニワトリ、アヒルまたはウシです。
そしてそれは良い方です!
(動物力なら良い方だと。)
幾人かの人々のそれは物質力です。

(13章・ダンダングラ 52)
結婚前に性的な放縦さを習慣にすることについて)<--リンク
52、・・・しかし真実を言えば、このような振る舞いはきわめて危険であり、一般には将来結婚し、この世にやがて存在することになる「人間たちの種子」の通路となる若者にとっては、特に危険である。・・・

(11月27日1957 バパ)
・・・・・
その時点で、男性が女性と合一状態にあれば、バパは以前に言ったように、これらは秘密のものなので、バパは容認されるように求めるのですが、水のような物質を放出します。
これは生命の水と呼ばれ、 それは人間の場合、「人間の生命の種」を含んでいるからです。(注4)
そうして要素のあつまりはすでに物質の形に形成されていて、女性の体の中に入ります。(注5)
そこでそれは受精し、人間の赤ちゃんとして現れるまで栄養を供給されます。

もしあなたが本当の人生、あなた自身の内なる自我の生命を感じることができるようになりたいのであれば、それはあなたが再び赤ちゃんのようになることに、そしてその白い液体のようになることになります。
その後あなたは光の力がそこにあるにもかかわらず、完全に見えない要素に再び戻ります。(注5)
そうすれば、あなたは生命の構造、精神(スピリット)の生命に浸透することができます。

明らかに、あなたがまだ白い液体であったときのあなたの起源の場所に戻っても、それまでの人生を理解するためには、あなたが人間になって以来持っていた粗い部分の知識を残しておく必要があります。

現実にはラティハンで受けることは、死後の生命や死の中の生命についての訓練です。
あなたが死ぬ前に、あなたの魂は訓練され、死からまたは死の眠りから目覚めることになるでしょう。

(2月25日1963 バパ)
あなたが生まれる前に、あなたの体が人間として形成される前に、あなたの存在が何らかの内容を持つ前に、あなたの魂がそこにありました。
それが中に存在した最初のものです。
あなたの魂があなたの外形より前に来ていたことは明らかです。
あなたの人間としての性質やあなたの「人間の種子」はまだ水に似ていますが、魂はすでにそこにありました。
・・・・・
だから、魂は人間の生活に必要なすべてを持っています。
例えば、それはこの地球上の人間の外的な生活の中で起こっているすべてを聞くこと、見ること、嗅ぐこと、感じること、理解することができます。
さらに、いったん魂が体の形 - 外形 - によって覆われると、これらの機能の力と範囲は限られたものになります。(注6)

いったん魂がそこにあり、「人間の種」となるものに付随するようになると、魂の覆いまたは容器となったこの実体が徐々に発達する。
その発展は生まれてくる時まで続く。
つまり、9ヶ月間です。
そして、それが生まれたとき、人間 - あなた方ひとり一人 - は(注:外観上は)完全な人間(の姿)です。

(8月22日1959 バパ)
目に見える形が形をなし始める前に、魂はその周囲に形成される存在の将来の内容として存在します。
それで、魂がすでに存在しているので、魂がその中に存在する事になる目に見える形のように、外側の形が発展し始め、ついに完成に至ります。
バパはこれがどうなるかを説明します。

魂が存在に入る方法、および魂の種類は、存在(注:Human Seed)が創造される前の出来事と創造された方法に依存します。(注7)
これは、バパは率直に言いますが、男性と女性の合一と関係があります。
ほとんどの場合の男と女の合一は、この世界で経験した雰囲気の蓄積であるエネルギーによって動機づけられています。
これ(合一)は目に見えるもの(になるであろう)もの(Human Seed)の中のレンズになり、どんな魂であれ(Human Seedに)入ろうとする機会を持っているものを目覚めさせ(そして誘引)します。

例えば、人間は通常、他人よりも幸せになり、日々の生活を提供できるという欲求を脇に置くことができません。
これは全体的に彼ら二人の内面の性質、心、そしてすべての感情がこの世界の雰囲気に向けられていることを意味します。
つまり、物質に向かって。
このような場合、物質力が新しい存在(Human Seed)に入ることを可能にする方法または開口部が作られます。

さらに、男と女が貪欲の影響を絶えず受けている感情から解放されておらず、他人に対して愛と思いやりを持っていないのは、これらが植物力によって目覚められる人間の特質であるからです。
新しい「人間の種子」が、これらの性質が存在する男女の合一から生まれた場合、その種子は植物力の参入の焦点になるでしょう。(注4)

人間 - 男性も女性も同様に - その本性の影響を受け、その慈悲にさらされている人たちに無慈悲であるような性質を持つ。
つまり、彼らは敗北した敵、慈悲を求めている者さえも赦すことを拒否します。
彼らは自分自身の重要性、高い地位、他者に対する勝利だけを追求する。
彼らは彼らが恐れている人との接触が彼らの喜びと満足感を奪うことを避けるでしょう。
新しい「人間の種子」が、これらの特徴を持つ夫と妻の合一を通って生まれた場合、その種子は動物レベルの力を入れるための焦点になるでしょう。(注4)

さらに新しい種子が、夫と妻が自分の力は自分の優位性の結果であると信じているような、自己優越主義的な性格を持っている場合には、通常の人間レベルの力の侵入の標的になり得る。
そのような人々は、神がそれらを創造したので、彼らがこの世界に存在することを感じ、認識しません。
実際、そのような人々は神の偉大さではなく、自分自身を崇拝するだけです。

バパが今話したこれらの4つの生命力は、主な人間の機能、すなわち思考、心、欲望、感情と並行して働くため、人間の内部感覚と常に相互作用します。
 4つの生命力が入ることができるような標的または形式を提供するのは、人間の中のこれらの4つの機能です。(注7)

(8月18日1959 バパ)
それはバパが個人的な場所、人間のセックスの場所として言及する第3の家と同じです。
これは人間が「本当の人間の魂(ロハニrohani)」、あるいはそれを超えるもの(ラフマニ)を持っている子供たちを創造する(宿す)ために神の命令を受けることができる臓器です。
そして彼らは人類の助言者になることができる子供たちです。

  「実際の所、私は誰ですか?」
それは、人の魂の個人的な意識と理解が開かれ、経験できることです。
彼らは、彼らが「高い人間の種」を世界に送り届ける神の願いのための通路になったことを認識しているからです。

まだ神から正しい方法を受けていないので、そのような事をまだ認識していない人にも子供がいる。
しかし、彼らはまだ外界からや彼らには起源が分からない生命力からの影響を受けている。
これらの人間力未満の生命力は、人間の思考、心、欲望を介して働くため、必然的に人間の性的臓器に入り、その結果生まれた子供には人間の魂は含まれず、そうしてその魂の起源は不明である。
そうしてそれは主に物質的な魂、または動物の魂になります。
・・・・・
男性がバパが話したレベルに到達した場合、つまり、バイタル マームル bait al-ma'mur、バイタル ムハラム  bait al-muharram、バイタル ムカダスbait al-muqaddas(というレベルに到達した)- その後、彼の妻との合一の前に、神は彼に「人間の種」を世界に持ち込む目的と働きを考えさせることになるでしょう。(注4)
・・・・・
人間の場合、それが作られる場所はバイタル ムカダスbait al-muqaddasであり、創造は男女の合一によって行われる。(注4)
・・・・・
本当に、男が現実化された思考、愛、性的合一を流すチャンネルであり、女性は受容者を表すというのは、人間の本性である。(注4)

(11月29日1959 バパ)
人間の中の欠陥を構成するこの内部状態は、夫と妻の合一である男と女の合一の瞬間から始まります。
彼らの合一と彼らの性格が現在に至るまで、すなわちそれは彼らの行動を意味するのですが、それが良くないという事実によります。
彼らは他の人を助けるのが好きではなく、他の人を責めることを楽しんで、他の人を幸せから奪う。
さらに、神の偉大さを覚えたり、神を礼拝することは決してしません。
彼らはまた、自分の自己利益だけを重視し、自分の心の願いを追い求めます。
この男性とこの女性の合一の結果として、「人間の種」が妻の体の中に作られる。(注4)
彼女は結局のところ、夫と自分自身の合一の前に行っていた行動に似た振る舞いをする子供を最終的に誕生させるでしょう。
夫と妻の合一のために、レンズのようなもの - 焦点、いれもの、またはターゲットで - それを作成した夫婦の合一に従っており、それに似ています。
・・・・・
そういうわけで、本当に非人道的な人物(極端に悪い人)が実際に人を殺したり、他人を傷つけたり、他人の人生の秩序や幸福を害したりするのを楽しむ人がかなりいるのです。
この地球にはそのような多くの人が人類の中に存在し、これは真実を知らないことから起こった間違い以外の何ものでもない結果です。
例えばそれは、性行為の時に両親が知らないことから、両親が気が付かない事から生じる事であります。
・・・・・
これは現代の人々、例えばあなた方すべての人に起こるものではありませんが、私たちの先祖から引き継がれてきています。
だから、これは時間がたてばそれだけ強くなっていると言えます。
それは時間が経つにつれて悪化したので、それらがあなたに達する頃には、これらの間違いは、あなたの存在の中で深く根付いています。(注1)
そうしてもちろん、その修理は非常に面倒で困難です。
これらの[間違い]は、例えば、思考、心、欲望などの人間の知性によって修復されることはありません。
人間の知性、脳、心、欲求は単に道具であり、これらの道具はすでにその支配権を握っている低次の諸力によって使用され操作されているからです。

(6月30日1957 バパ)
これは、あなた方のすべてが、あなたが訓練(latihan)をしたときに受け取るものです。
あなたが受け取っているプロセスが完了すると、あなたは「本来のあるべき人間の種子」から子孫を持つことができるようになり、往々にして高等教育を受けるためのチャネルを提供することができるようになり、子どもたちは最終的に人間社会の中で神の有益かつ価値ある生き物である人間になり、その結果、平和と繁栄はこの世界の人類の家族に来るかもしれません…

(17章・パンクール 43~44)
(ラティハンが進歩するにつれて、、、)
43、この段階を通って、彼はその後ますますそれをより明瞭に、また確実迅速に行う事ができるようになる。
その結果、妻との性的合一において、彼は「完全な人間の種子」という中身を注ぎこまれるうつわとなることができる。

44、「完全な人間の種子である中身」とは、やがて時が満ちれば高貴な性質をそなえた人間となり、また人生および人間と社会の在り方にとって、真に価値ある人格を生み出すような中身という意味である。

(5月21日1977 バパ)
それで、「人間の種」を抱くのは男です。(注4)
しかし、人間の種は、それが女性に与えられなければ、人間になることはできません。
・・・・・
 したがって、ロハニア rohaniahの生命力、イスラムの人々はそれらをムーミン mu’min (本当の信者)であるワリ達walis (聖人)の生命力と呼びます。
ワリwaliとムーミン mu’min と呼ばれるものは男の、男性の力です。

それ以外にも、ロハニア rohaniah(ロハニrohaniの生命力)以上の生命力があります。
しかしそれをあなたが受け取ったり感じたりすることはできませんが、それは物事の定められた順序です。

彼がジャスマニアjasmaniah(人間力)、へワニアkhewanaiah(動物力)、ナバディアnabadiah(植物力)、ラエワニアraewaniah(物質力)の生命力によって重圧を受けたり影響を受けたりしていない時に「人間の種」を受けた場合はロハ二アの生命力を受け取ることができます。
上記条件のもとでロハニの生命力は、「人間の種」を受けた人が受け入れることができます。

(8月18日1959 バパ)
なぜなら、あなたの情熱、思考心と感情心の意志に従えば、それは最高の生命力をあなたに近づけることはできませんし、それがあなたの進歩を妨げる低い力です。
情熱、感情の心と思考の心は、低次の力が私たちに入る道です。
しかし、私たちが自分の能力と理解力を上回る生命力(ロホ イロフィ roh ilofi)に降伏すれば、私たちは低次の力が私たちに入る道を閉めます。
これは、神の意志によって、私たちが訓練している霊的な方法(ラティハン)であり、私たちが完璧な人間の魂を取り戻し、私たちの原始的な起源、それは「人間の種子」からの最も初期の始まりであり、またそれは高貴な生き物の種でもありますが、そこに戻ることができるようにする方法です。

(注1)
日本では1990年に公開された伊丹十三の映画で有名になりました。<--リンク

(注2)
ここでバパは人が持つことになるカルマKarmaについて言及しています。<--リンク
その両親から子供へと「内部感覚の中の間違いの継承」という形で受け継がれてゆくカルマ。
それが今の我々に到達し、ラティハンの進歩を遅くしているものの正体であります。

(注3)
イスラムでは一般的に結婚する事の重要性は言われている様ですが「必要不可欠」とか「義務」とかまでは言わない模様です。<--リンク

(注4)
『人間の胚』あるいは「人間の種子」という表現は、「それ自体が苗床にまかれればやがて人体に成長するもの」というイメージであります。
「人間の種子」は人体に成長する事ができるエッセンスがつまっており、それ自体で完全なものである、という主張に聞こえます。
そうしてバパの説明の仕方によれば、「苗床は女性の子宮」であってそこに「人間の種」が到着して子供になる、ということになります。

従って、上記の主張の部分を取り出せば現代の我々からは「人間の種子」というのは「受精卵の事を言っている」ように聞こえます。
しかしながらバパはそのようには言っていないのであります。
あくまで「人間の種子は夫である男性から妻である女性に渡されるものである」と説明されている様であります。
(あるいはバパの主張は「渡されるその瞬間に人間の種子として完成する」の方がよりトークとの整合性が良い解釈かと思われます。)
いずれにせよ「人間の種子」は「受精卵」ではなく「精子そのものである」という主張になります。
これは「かなり男性優位」、といいますか、「男が主導的な立場にある」という主張に聞こえます。

そうして、同様の主張はジャワの伝統的な考え方の中にも見出せるものであります。
それはGumelaring Jagad(宇宙の重層性)です」の第44節を参照してみてください。<--リンク
以下はそこからの引用です。
『The seed of life is from father, from cipta (the head of feeling) to Pramana (supreme substance) and then by the feeling of father during intercourse, the seed of life drops in mother's womb.
生命の種は、チピタ cipta(感情の頭)からプラマナPramana(最高物質)までの父親からのものであり、性交渉中の父の感情によって、母親の子宮に生命の種子が落ちる。
The cipta of the father is important as it should be the basic character of the newly born child.
父親のチピタciptaは新しく生まれた子供の基本的な性格になるので重要です。
The best, if a couple could make love when the father's cipta/mind is peaceful and holy (in Javanese Lejar).
父親のチピタcipta/マインドが平和で神聖なときにカップルが性行為をすることができれば最高です(ジャワ語で Lejar)。
・・・・・
The child should have a good character and he/she should be always eager to worship God.
子供は良い性格を持つべきであり、常に神を崇拝することを熱望していなければなりません。 
・・・・・
You should know that sperm is important to your back brain, which gives power to know the secret knowledge of life.
あなたは精子があなたの背後の脳にとって重要であることを知るべきです。
これは、人生の秘密の知識を知る力を与えます。』

あるいは第29節に以下の文章があります。
『Mani:それは私たちの力です。 場所は性器(精子)にあります。』

さてではどの時点で「人間の種」が完成するのでしょうか?
これについてはトークでは2種類の記述が混在している様にみえます。
一つは男性一人でも「人間の種子を抱くことができる」かのような記述があります。(11月27日1957 バパ)、(5月21日1977 バパ)
もう一つは、まずは男性と女性の合一があり、そうして男性から女性に精液が受け渡されたその瞬間、という記述です。(11月29日1959 バパ)、(8月18日1959 バパ)、(8月22日1959 バパ)
それで、ここではトークとの整合性がよりよい、後者の立場をとる事にします。

さて「人間の種子」が完成する、というのはどういう事でしょうか?
その人の魂(Jiwa)は夫と妻の合一の時に「完成した人間の種子に宿るもの」と説明されています。(8月22日1959 バパ)
ですので魂(Jiwa)以外で両親から子供に引き継がれるものは、魂が宿る前に「人間の種子」の内容になっている事が必要です。

まずは先祖から伝わる代々のカルマ(Karma)が父親と母親から子供に引き継がれます。
これは両親の内部感覚の中に存在する誤りを合わせたものになります。<--(注2)参照ねがいます。
(これは「両親の内部感覚を平均した状況の内部感覚が子供に引き継がれる」ということと同じです。
こうして子供には先祖代々の誤り、カルマ(Karma)が引き継がれてゆく事になります。)

次に物質力から人間力にいたる基本的な4つの諸力が父親と母親から引き渡されます。
二人の諸力の特徴に差がある時はその平均的な所が子供に渡されることになります。
そうしてこの4つの諸力によって子供の中に人生を渡ってゆくのに必要となる4つのナフスnafsuが生まれることになります。
ちなみにこの4つのナフスの別名が「霊的な4人兄弟」であります。
(「霊的な4人兄弟」については(Cipta Tunggal 第16節)を参照ねがいます。<--リンク)

こうして完成した「人間の種子」にその子供の魂(Jiwa)が宿り、その後その「人間の種子」は卵子に出会って「受精すること」になります。<--リンクおよび(11月27日1957 バパ)より。

受精のあとで起こる事は受精卵が子宮まで移動し着床、そうしてめでたく妊娠に至るのであります。<--リンク

以上のまとめです。
夫婦の性行為。

精液が放出され、妻の体の中に入る。
その瞬間に「人間の種子」が両親からカルマと4つの諸力を受け取り完成する。

完成した「人間の種子」にその子供の魂(Jiwa)が宿る。(8月22日1959 バパ)

性行為終了

精子が旅をして、卵子に到達し受精が起こる。(精液の放出後早くて57~85分後にしか受精は起こらない。

受精卵が子宮に移動し、着床する。(移動に4日~5日、着床7日目)

妊娠する。

出産する。(子供の誕生)

(注5)
ここではバパは神秘的な、霊的な、目に見えない存在から物質的な目に見える存在への移り変わりとそうしてその道筋を戻ることについて語っています。
それはこの世界が創造された道筋であるのと同時に、子供の誕生に必要となる「人間の種子」の創造過程でもあります。
この「人間の種子の創造」は子供一人ひとりの誕生に先立って、男性主導によって、最終的には両親の合一によってなされる仕事になります。

以下はバパの世界創造論です。(11月27日1957 バパ)
・9つの諸生命力がまずそこにあり、そうしてそれらが相互作用をする。(見えないもの)

・その結果、4つのエレメント(要素)が生まれる。(見えるものと見えないもの)
エネルギー(光)、気体(風)、液体(水)、固体(土)

・4つのエレメントから4つのサブスタンス(原形物質)が生まれる。(見えるものと見えないもの)
光(エネルギー)ー>火、風(気体)ー>風、水(液体)ー>水、土(固体)ー>土

・4つのサブスタンスから地球上の外形(粗い物理的形態)を持つものが生まれる。(多くの見えるもの)
  地球、大気、海、火、鉱物、植物、動物、そうして人間


「人間の種子」の場合
・4つのエレメント(要素)からサブスタンスとしての「人間の種子」が生まれる。
  (そしてその実体は精子である、ということになります。)

従って、本文で要素、あるいは光といっているのは4つのエレメントが存在している初原のレベルのことと思われる。
人体を持つにいたった我々はそれゆえにバパによれば、その初原のレベルにまでまた戻らなくてはならない事になります。

ちなみに4大エレメント(要素、元素)についてはジャワの伝統的な考え方の中にも見出す事ができます。
これについては・Gumelaring Jagadの9節と17節を参照願います。<--リンク
そうして、一般的な説明はこちらです。<--リンク

(注6)
本文より「だから、魂は人間の生活に必要なすべてを持っています。
例えば、それはこの地球上の人間の外的な生活の中で起こっているすべてを聞くこと、見ること、嗅ぐこと、感じること、理解することができます。
さらに、いったん魂が体の形 - 外形 - によって覆われると、これらの機能の力と範囲は限られたものになります。」

人間の魂(Jiwa)は感覚器官の機能と頭の機能(理解力)を持っている、という主張であります。
しかしながら通常はこの力は働いておらず、外界の認識の為には我々が肉体を所有することで得られる物質的な感覚器官と、理解の為には物質的な頭脳が働いていることになります。
そうしてラティハンの結果、我々の魂(Jiwa)が働きだすと、それは物質的な我々の通常の諸器官の働きと並行して、調和して働くようになる、というのがバパの説明であります。

注:追記
確かにジャスマニ レベル以上の魂(Jiwa)であれば、そうであろうとは思われます。
しかしながらジャスマニ未満のレベルの魂(Jiwa)であっても上記のような能力、機能を持っているかどうかについては疑問が残ります。

(注7)
(8月22日1959 バパ)より
「魂が存在に入る方法、および魂の種類は、存在(注:Human Seed)が創造される前の出来事と創造された方法に依存します。(注7)
・・・・・
 4つの生命力が入ることができるような標的または形を提供するのは、人間の中のこれらの4つの機能です。(注7)」

バパはこうして魂(Jiwa)というコトバと生命力というコトバを同じ意味合いで使います。
このような表現方法がバパのトークを(そのような表現スタイルになれていない我々にとっては)わかりにくくしている要因の一つの様に思われます。

PS
関連して、以下の様なトークもあります。

April4月21日, 1984 - Bapak
私たちは裸で生まれました。
後で私たちが死ぬ時、私たちが帰る時、再び裸になるでしょう。
そして、私たちがこの世界を離れるとき、私たちは何も持っていけません。
それでも、オランダの諺にあるように、死はまさに人生の継続です。

それは私たちが間違いを見て死ぬ時にそうなります。
私たちは物質にこだわって、野菜にこだわって、動物、人間につかまった。
なぜ私たちは物事に取りつかれ、食事をしたり、他の人との関係につまずきましたか?
人生に付随すると思われるまさにその力(4つの低次の諸力)を避けることによって得る結果は強みではなく弱みです。
意図した通りこれらの力(4つの低次の諸力)よりも上に上がるのではなく、(死後に)それらの下に落ちます。
(注:この部分はバパの禁欲主義的な修行方法への批判になっています。)

そしてそれは、兄弟姉妹の皆さん、私たちの間違いの結果として、生まれ変わりと呼ばれるものが起こるのです。
(注:これがバパの生まれ変わりに対する結論の様に見えます。)

化身(incarnated:肉体化)とは、インドで起こると言われているものを意味しています。
インドでは、人間の魂を持つ牛がいると言います。
彼らはそこに「その牛は人間の魂を持っている」と言っています。
しかし、人間の魂が牛だけに生息するだけではありません。
木はまたその中にそのような魂を持つことができます。
物質的な物も(魂を持ちうる)。
これはインドに関連するものです。

それはアラジンAladdinの(魔法の)ランプの物語のようなものです - ランプをこする人は悪魔の住居に吸い込まれます。
なぜ?
人間自身の間違いのために。

なぜこれはすべて起こるのですか?
思考、感情心、思考心を間違った方法で使っているからです。
これが、バパがあなたにある事を伝えたい理由です。
バパが最近ジャカルタ外のメンバーに言ったことですが、ここ(チランダ)でも繰り返す価値があります。
少なくとも、他の人を傷つけたり傷つける心や意欲を持たないでください。
復讐感や憎しみをはるかに少ないように。
これは絶対に許可されていません。

神聖なコーランの詩では、それは言われています。
イスラムの人は、別のイスラム教徒に対して嫌悪感や復讐感を感じてはいけません。
恨みの気持ち、恨みの抱きしめ、復讐の意志は、その気持ちを持っている人が、復讐する人、場所、物に、つまり、彼が憤慨しているまさにそのような人へと肉体化(incarnated)されることを意味します。
これが現実です。

あなたが男であり、あなたが結婚していて、あなたの妻が妊娠して子供を運んでいる場合、あなたが誰かを憎むようになったら、あなたに生まれる子供は、あなたが嫌う人のようになります。
はい。あなたが軽蔑する人が知的で親切で美しいものであっても、(あなたが持つ子供は)知的ではなく、親切ではなく、善良でもありません。

そのように登録されます。
そしてこれ(間違い)はすべて人間自身が作り上げたものです。

追記
同様の内容を持つトークリスト。
・1963,7,15 ブライアクリフ

PS
生殖医療における体外受精(In Vitro Fertilization)について<--リンク
バパが説明されてきた「人間の種子」とそれへの魂(Jiwa)の宿り、受精から出産までのストーリーの中では、やはり両親の性的合一がキーポイントになっています。
しかしながら、生殖医療における体外受精(In Vitro Fertilization)では上記のバパの説明にある両親の性的合一がそもそも存在しません。

そうしてそのような状況で生まれてきた子供たち(上記Wiki記事によれば日本では約6万人ほど)がすでに存在している様です。
加えてそれらの子供たちについてはとりたてて通常の体内受精で生まれてきた子供たちと異なる所がある様でもありません。
このような状況は上記のようなバパの説明の範囲を超えており、バパの説明を否定するものではありませんが、何らかの追加、修正が必要であることは明らかな事であります。

以下Wikiより引用
「生殖医療における体外受精はイギリスの生理学者ロバート・G・エドワーズが1978年に最初に成功し、これにより女の子が生まれた。
エドワーズはこの業績により2010年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。
日本では1983年に東北大学の鈴木雅洲らが成功して以来、約6万人が生まれたと言われている。」

「両親の性的合一により『人間の種子』が妻の体の中に作られる」、というのがバパの説明でした。
しかしながら体外受精の場合はこの「人間の種子」が存在することは無く、精子と卵子が体外で融合した「受精卵」が存在するのみです。
そうして後日、この受精卵を妻の子宮に戻すことで着床ー>妊娠に至るのであります。
そうであれば、魂(Jiwa)が宿るのは「受精卵が子宮に戻された後」と考えるのが妥当でありましょう。
その際にどのような魂(Jiwa)が宿る事になるのかは不明ではありますが、バパの説明にあるような「男性(夫)がそれをリードする」というような「男性優位説」が成立しているとは思えません。
どう考えても「母親となる女性がそれをリードする」というように思えるのであります。
そうして、代々受け継がれるというカルマ(Karma)についても母親系統の先祖のそれを引き継ぐように思われます。
加えて4つのナフスの元になる4つの諸力も母親から受け渡される、とするのが妥当の様であります。

こうしてバパの「子作りは男性優位である」という説は、生殖医療における体外受精の出現によりその正当性に疑問符がつく事になったのであります。
さてこれは余談ではありますが、1978年に体外受精が成功しましたが、バパがトークで「子作りは男性優位である」という話をしなくなるのも、このあたりからなのであります。

追記
・赤ちゃん19人に1人、体外受精で誕生…15年<--リンク

時代はそういう時代になりました。
そうして、この傾向は増加しながらさらに続くものと思われます。

追記
・17人に1人は体外受精児…累計50万人を突破

『体外受精は、卵子に針を刺して精子を注入する方法や受精卵を凍結保存する技術が開発されるなど、進歩してきた。
特に凍結保存は妊娠時期を調整できることから利用者が多く、16年の体外受精で生まれた子どもの8割を超える4万4678人がこの方法だった。』

受精卵にジワが宿る、とすると、時代はまさに「ジワの凍結保存の時代」という事になってしまいます。

PS
いつ魂(Jiwa)が子供に宿るのか?

・イスラム教.(=体内受精) 【受精後40日ないし妊娠13週頃以降に人となる(魂が受肉する)】.
(橳島次郎「いのちの始まりをめぐる欲望と倫理と宗教」『現代宗教2003』より引用)

現在でも西欧での考え方はさまざまです。(=体内受精)<--リンク
カトリックの間では、赤ちゃんの魂は受精の際に宿るとされています。
イギリスの慣習法(アメリカの慣習法が作られる土台となったもの)では、それは、ママが胎動を初めて感じた瞬間に宿ると考えられています。
この問題については、今日でも引き続き議論されています。
人類は21世紀になっても、いまだに、いつ人生(生命)が始まるのか考え続けているのです。

・バパ(=体内受精)ー>夫婦の性行為の時に宿る

・ヒンドゥー教(=体内受精)ー>前もって男の精子に宿る

・体外受精ー>受精卵が子宮に戻された後で宿る

追記:ご参考までに。
Wikiにあるキリスト教が想定する魂についてのいろいろな事です。<--リンク
たとえば魂の出所についての主な理論としては以下の3つを想定している様です。
・創造説(訳注:“Creationism”誕生の際に、魂が神によって創造されるとする説)
・伝移説(訳注:“Traducianism”誕生の際に、両親から魂が遺伝されるとする説)
・先在説(訳注:“Pre-existence”誕生の前に、前世での魂の存在があるとする説)

バパの主張では「魂は神の直接の手作り」ということであり、なおかつ誕生のときにはこの世の生活が良いものになるように、必要な事柄一式が準備されている、というものであります。
しかしながら、その準備された事柄を受け取るにはそれなりの注意が必要なのであります。<--リンク
そして魂(ジワJiwa)は死によっては破壊されず、永遠のものであるとしています。

PS
ご参考までに。
・命を操る技術にどう向き合う―― 「ゲノム編集」の現在地<--リンク
・アマミトゲネズミ、iPSから卵子と精子 絶滅対策に期待<--リンク

PS
日本語でも「子種」という言い回しがあり、ネットによれば「子となるもと。また、精子のこと。」とあります。
しかしながら「子種を宿す」となると、それは「妊娠すること」となる様です。
それでこれは日本とインドネシア、妙な所で同じような言葉使いをしているなあという印象であります。

追記
キリスト教の文化の中でも魂に相当するものを「種子」と表現する場合がある様です。<--リンク
『キリスト教の初期、グノーシス派キリスト教徒のウァレンティヌスは、その他多数の「永遠の知恵」との調和という、神秘主義的な異説を提唱した。
ヴァレンティヌスは、人間を体(ソーマ)、魂(プシュケー)、霊(プネウマ)の三重からなる実体と想定した。
同様の区分は聖パウロのテサロニケの信徒への手紙一にも見られるが、ウァレンティヌスはこれをより強化させ、すべての人間は半ば休眠中にある「霊的種子(スペルマ・プネウマティケー)」を所有しており、キリスト教徒としての霊的発展の中で、霊によりすべての種子は結合され、キリストの天使と等しい存在となる事が可能であると考えた。

ウァレンティヌスの述べる霊的種子は、ヴェーダーンタ哲学の「ジーヴァ Jiva」、イスラム教スーフィズムの「ルーフ Ruh」、その他の伝統宗教における魂の閃きと同一の物であることは明白である。』
(注:なおJivaはJiwaとも綴り、おなじ意味で使われます。
  またインドネシアではRuhはRohと表現されています。)

追記:輪廻<--リンク
『ヒンドゥー教の前身であるバラモン教において、はじめて断片的な輪廻思想があらわれたのは、バラモン教最終期のブラーフマナ文献[BC900~BC500年]ないし最初期のウパニシャッド文献[BC800年以降]においてである。
ここでは、「輪廻」という語は用いられず、「五火」と「二道」の説として現れる。
『チャーンドーギヤ』(5-3-10)と『ブリハッドアーラニヤカ』(6-2)の両ウパニシャッドに記される、プラヴァーハナ・ジャイヴァリ王の説く「五火二道説」が著名である。

五火説とは、五つの祭火になぞらえ、[死者は月にいったんとどまり、雨となって地に戻り、植物に吸収されて穀類となり、それを食べた男の精子となって、女との性的な交わりによって胎内に注ぎ込まれて胎児となり、そして再び誕生する]という考え方である。
二道説とは、再生のある道(祖霊たちの道)と再生のない道(神々の道)の2つを指し、再生のある道(輪廻)とはすなわち五火説の内容を示している。

これが、バラモン教(後のヒンドゥー教)における輪廻思想の萌芽である。』

仏教は釈迦によってBC450年頃に誕生。
ジャイナ教の開祖、マハーヴィーラも釈迦と同時期の人。
そうでありますれば、仏教の輪廻もジャイナ教の輪廻の思想もこの2つの文献が源流でありましょう。

この流れとは別に古代ギリシアにおいても輪廻ではないのですが転生というものが現われています。
古代ギリシャ哲学<--リンク
『古代ギリシャの哲学は、紀元前6世紀に起こり、 古代ギリシャがローマ帝国の一部であった時期と、 ギリシア時代を通じて続いた。
哲学は、非宗教的なやり方で世界の外を知覚するために使われました。
政治哲学 、 倫理学 、 形而上学 、 オントロジー 、 論理 、 生物学 、 レトリック 、 美学など多岐に渡る科目を扱った。』
Metempsychosis ( ギリシャ語 : μετεμψύχωσις )は、 魂の移住、 特に死後の生まれ変わりを指すギリシア語の哲学的用語である。 <--リンク
一般に、この用語は古代ギリシア哲学の文脈の中でのみ使用されるが、 Arthur Schopenhauer やKurt Godelのような現代の哲学者によっても使用されている。』

まあそれはさておき、上記「五火二道説」にあるように「男が子供の誕生にどのようにかして主導的な立場でかかわっているのだ」という主張は相当古くからあり、この男の主張は根が深いのであります。
かたや女性が子供の誕生に関わっている事は、単に「見れば分かること」であり、いろいろな説を立てるまでもありません。

追記
さてこれは「イスラムが禁止」したのでしょうか?
それとも「イスラムの中の男」が禁止したのでしょうか?
・イランがズンバ(ZUMBA)を禁止--リズミカルな動きは非イスラム的<--リンク

追記
・マレーシア、イスラム法違反の女性同性愛で初のむち打ち刑実施<--リンク)
ここでは宗教と科学(脳科学、性に関する知見)が対立している様に見えます。

追記
本文冒頭にアダムの話が出てきますが、それがいつ頃のお話か、ということについて。
キリスト教での天地創造は西暦の紀元前4004年10月18日〜24日にかけて起こり、アダム創造は紀元前4004年10月23日午前9時と算出し、長らくキリスト教圏ではこの年代が信じられてきた(旧約聖書のモーセ五書に登場する族長全員の寿命を加算して算出したもの)。』<--リンク
「アダムからヤコブまでの寿命グラフ」はそれを可視化したもの。<--リンク

それからその年代を計算する元になった旧約ですが、その旧約の最初の成立はBC450年ころの模様です。<--リンク

PS
「ジワ(Jiwa)と転生の物語」にはこちらから入れます。<--リンク

PS
文字サイズはページ右上で変更できます。

ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク

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