ラティハン日記

ラティハンと人生の散歩道

未来は決められているのか?

2014-03-10 | 日記
「霧の中で失われた」というお話です。

「 Destiny and Fate」について、バパが話された内容についての思い出話ですね。

一応「天命と宿命」として訳してみました。

どちらも「未来の事」なのですが、バパは「違うものだ」といいます。

さて、耳を傾けてみましょう。


バパはかつて天命と宿命の違いについて私に話しました。

彼は、「ほとんどの人は天命と宿命は同じものだと考えている。」と言いました。

「そうではない。」とバパはいいます。「これは天命のラインです。そしてこれは宿命のラインです。」

天命は私たち一人一人のための神の意志であり、我々に必要なすべてのものは、天命のラインが私たちにもたらします。

しかし宿命は、我々がすべての低次の力を受けながら住んでいるラインです。

だから、天命のラインが私たちに何をすればいいのか、何ができるのかを表しており、そして宿命のラインが私たちに何が起こるのかを表しています。

宿命のラインでは、我々はこれを要求している、我々はこれとそれを求めている、と私たちはお互いに言い争います。

したがって、私たちは私たちの情熱によって私たちの前に霧を置いてしまいます。

だからあなたが必要とするこれらのパッケージを持ってくる郵便配達人はあなたにたどり着く道を見つけることができません。

そして、これらのパッケージは、あなたが必要なものがすべて含まれています。(注1)

あなたは住むのに心地よい家を必要としています。 - それがパッケージです。

あなたは良い夫や妻を必要としています。 - それがパッケージです。

しかし我々は、すべての私たちの野心と私たちの口論のおかげで、これらのパッケージを失ってしまいます。

「だからあなたはそういう時に何をしますか?」 とバパはいいます。

あなたはラティハンをやって、そしてプリハティン ( 自己節制 )をすることで、この霧を薄くし減らす必要があります。

「そうすれば郵便配達人はあなたにたどり着く道を見つけることができるのです。」とね。

追補
(注1)(6,9,1963)トークより引用
「全ての人間は、各自の内部に於いて導きを与えられているのです。
しかし人間は、自分のハートや思考を本当に静めることがなければ、決してこの導きを知ったり、感じたりすることはできません。」

あるいは1963年5月20日BUEトークにも記述があります。

そうしてこのようなトークもあります。
63・6・30 メイプルウッド
『・・・したがってあなた方がそれ(Rasa-Diri)を汚すのをやめ、その汚れを浄化するであろうラティハンを通じて神に全托することはとても重要な事なのです。
それがさらに浄化されるにつれて、あなた方は自分が生きる道や自分の人生のパターンを見出すでしょう。
このようにしてあなた方は自分が探し求めているものと、人生において自分が必要としているものを見出すでしょう。
なぜなら、確かに人間の運命を作るすべての事は人間の自我の内部(Diri-Pribadi)に書かれているからです。・・・』

英文はこちら<--リンク

原典はこちら、「Lost in the fog」<--リンク

PS
「主張しなければ欲しいものは手に入らない。」

これが今の常識ですね。

「クリミア半島は私のものだ。」と、そう言わなければいけないと。


人間がこの言い争いから自由になることは本当に大変な事です。

でもおかしなことにラティハンの感触からするとバパの言ってることもあながち間違いとは思えないのです。

そういう訳で100%できるかどうかは別として、「ラティハンの示す方向に向かって歩いて行く」ということはやっぱり必要な事のようですね。

PS
「プレゼントが届かないから」といって送り主に催促するような事はやめましょう。

それでは「効果がない」どころか「逆効果」になってしまいそうです。

PS
可能性として神が用意したのが「天命」。

「天職」と同じ感じで「天運」と訳しているサイトもあります。

なかなかうまい訳であります。

そうして、実際に実現した、現実になった運命を「宿命」と呼んでいます。

これは我々が通常は「運命」と呼んでいるものですね。


さて「神は用意はするものの、選択権は我々にある」とバパはそう言っているのです。

そうして、この選択権の別名を「自由意思」と言うのでありますね。


さあ、それでは質問タイムです。

テストで答えとして出てくるのは「天命」でしょうか?

それとも「宿命」でしょうか?

さあて、一体どちらでしょうかねえ。

あなたはどう思われますか?

PS
そうしてバパの上記のような「天命と宿命、そうして人間の努力との関係」についての考え方はチレボンの普通の人たちが持っているものと全く同じものでありますね。<--リンク

PS
そうしてまたそれはコーランの人間観とも一致するものの様であります。<--リンク


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