ここで取り上げているテーマ、人の性質と土壌の性質の類似性についての説明は、スシラ・ブディ・ダルマでも取り上げられてはいるのですが、そこでの説明は十分ではありませんでした。
そのような場合はバパは「不足している部分を後のトークで補足してゆく」という様になります。
たとえば、「人間の種」についてもそうでありました。<--リンク
これもスシラ・ブディ・ダルマの中では詳細な説明なしに唐突に表れてきています。
そうして今度は人間の体の性質と4つの土地の性質についての説明です。
1952年のスシラ・ブディ・ダルマでは人体の性質と4つの土地の性質の類似性について言及されてはいますが、それがなぜ理解する事が必要であり、大事な事であるのかが今一つ明らかにされていませんでした。
その点で1968年のペルートークではそこを明らかにしている、ということができます。
つまりスシラ・ブディ・ダルマのその部分の補足になっているのであります。
さてそういうわけで、以下、そのトークからの引用を見てゆきましょう。
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4月4日1968 バパ
『・・・・・
あなた方の多くがかなり長い間、満足できる様な、あるいはあなたの人生を導くことができる様な、魂の発展を受けられずにいる理由を、バパはこれからあなた方に説明し、話すものです。
それは、人間が他のどの存在とも違った生き物であるからです。
彼らは動物の様ではなく、植物の様ではないのです。
実際、人間には説明が必要なことがたくさんあります。
しかし、ほとんどの人はそれらのものを発見することができません。
彼らは目に見えるものだけを発見することができ、彼らが考えることのできるものを発見しますが、心を越えたことを考えたり把握したりすることはできません。
だから、今まで人間の内的な働きのこの説明は、一度も明らかにもされず、理解もされていませんでした。
人間が霊的な視点からどのように見えるかの現実を明らかにするために、先日、バパは人類が地球(土)、水、空気、火で作られていることを説明しました。
(注:これは存在の四元素と言われているものです。<--リンク)
だから、実際には人間はその4つの要素のようなものです。
これらの4つの要因が人間の基盤、すなわちコア(内部の核:中心)を構成します。
バパがあなた方のコアを説明します。
あなた方のコアがこのように[バパは灰皿を指す]小さいと言ってみましょう。
そして神の知識や恵みは、海の水のように豊富です。
あなたのコアがこのように小さい場合、たとえ海があっても、水の海は、あなたに利用可能ですが、どんなに多くの時間海に浸されても、これだけしか(灰皿の大きさしか)保持することができません。
それ以上は水があっても、あふれてしまいます。
しかし、もしあなたが大きなコアを持っていれば、たとえばペルーの(大きさの)ように(大きなコアをもっていれば)、この都市に含めることができるほどの多くの水を海から取ることができます。
したがって、決定要因は利用可能なスペース(の広さ)です。
それはあなたのコアに依存します。
これは、人の内的な容量を認識し、感じる能力に影響を与える主要な問題または要因です。
・・・・・
これが理由で、兄弟姉妹のみなさん、バパはあなたの内的な働きを明らかにする必要があると言っているので、そうすればあなた方は(自分たちが)進歩がない理由を理解することができます。
そして、あなた方がなぜすぐに受け取らないのか、あなた方がなぜ預言者たちのように受け取ることができないのか、ということが分かります。
人の存在は自分の内なる4つの部分で構成され、それは4つの要因のような、土壌の種類のようなものです。
だから、誰かの内部は土壌と比較することができ、それらは4つのタイプに分かれます。
これら4つの土壌の種類は次のとおりです。
まずは肥沃な土壌、それから粘着性の粘土土壌、それは肥沃ではないが、粘土土壌は依然として肥沃(な方)であり、(次に)石の土壌があり、そして砂地。
人間存在はこれらの土壌の種類のようなものです。
あるものは肥沃な土壌のようです。
あるものは粘土のようなもので、部分的に肥沃で、部分的に肥沃ではありません。
そしてあるものは石の土のようです。
さらにあるものはサハラのような、砂のようなものです。
実際、この4種類の土壌はすべて人間存在の中にあります。
秩序ある生活をしている人の場合、彼らの人生は秩序あるものであるという事実は、彼らが良い人の子孫であるという事実から、その人物の内容は4つのすべての土壌タイプによって表されます。
4つのすべてのタイプは、それらの中にあったか、またはそれらを構成しています。
しかし、それはほとんどの人にとってはそうではありません。
彼らの祖先によってなされた間違いの結果として、両親の間違いの結果として、誰もがそれとは異なる土壌タイプ(の組み合わせの状況)を持っています。
ある人々は土壌にたとえれば、肥沃な土壌です。
ある人たちは粘土です。
他のものは石だらけの土です。
そしてまたあるものは砂の様です。
それが問題です。
誰かが内部の性質あるいは内部感覚が肥沃な土壌のようである時、彼らがやることのすべてにおいて、たとえば、彼らが知識を受け取った場合、彼ら自身の中で受ける世俗的であったり霊的知識であったりするものは急速に発展するでしょう。
その時は、世俗的または霊的な知識は、降雨に似ています。
降雨とは、空からの水です。
内部の性質が肥沃な土壌のような人に雨が降ると、水は土壌に吸収され、植物を育てます。
それは簡単に起こります。
特にその土壌が準備されていれば、言い換えれば、特にその人が努力している場合はそうなります。
努力とは、学校に通ったり、勉強したり、熟知している人と交わることを意味します。
その努力は、彼らの存在に対する肥料のようなものです。
植え付けられるものは何でも繁栄し、豊かで良好です。
特にその人が努力している場合は、そこで育った植物は、おいしく食べられる果実を産み、それは人間の生活に必要なものです。
その人の中で受けた知識は発展し、社会に役立ちます。
これは、人の内面が肥沃な土壌のような場合です。
しかし、例えば、人が石の土地のようなものであれば、私たちはまだ粘土について話しているわけではありませんよ。
石の土壌は3番目の土壌タイプです。
石の土壌は雨が降っても、水は簡単に吸収されません。
たとえ水が最終的には吸収されたとしても、有益な植物はまだ成長しません。
実際には、水が表面上で長時間滞留し、すぐに吸収されなければ、水は悪臭を放ちます。
そしてそれはそのようになり、それは単なる可能性では終わりません。
それはコレラなどの人間の生活に有害な有毒な細菌を排出することは確実です。
そうですから、人が石の土のようなものであれば、彼らもまたその様であります。
霊的な理解を受ける人はたくさんいますが、または世俗的な知識を求めて医者、弁護士、エンジニアになる人もいます。
霊的な理解を求める者は、聖人や司祭になるかもしれません。
しかし、彼らは世俗的な、あるいは霊的な知識を得るために懸命に働いていますが、その知識が彼らの中にあるとき、それは社会にとって役に立ちません。
実際は、それは社会にとって脅威です。
それが問題です。
そういうわけで今日多くの知性的な人々が無知な人々を苦しめるのです。
多くの裕福な人々は貧しい人々を苦しませます。
多くの霊的な知識のある人々は、魔法や黒い魔術などで貧しい人々と弱者を苦しめます。
霊的知識を得ている人もいますが、彼らがそれを広め、他の人々がその知識を実践すれば、それらの人々は悪くなります。
それは、彼らの内面的性質が明らかにされた場合、それは石の土壌のようなものの場合です。
その他の人々は、私たちが生命の秘密の観点からそれを明らかにすれば、サハラのように砂のような内部の土壌を持っています。
砂の上に降ると、雨は消えます。
砂の降雨は何の利益ももたらしません。
神からの霊的な理解もそうであります。
神はいつも私たちに霊的な理解を与え、誰も差別されません。
あなたは理解したいですか?
それはここにあります。
バパが言ったように、人類にとって利用可能な理解の海があり、それを受け取る事ができるならば(いつでも)提供されます。
しかし、たとえそれが落ちてきても、たとえ神が半年のあいだ、昼と夜に雨が降る様に、その知識すべてを授けても 土壌が砂であれば雨は恩恵をもたらさず、それはただ消えてしまいます。
(しかし)太陽が砂の上に輝くなら、悪いことに、うわー!それは焼くように熱くなる。
これらの人々の性質は(それに)似ています。
あなたが内なる性質が砂のような人に良いアドバイスを与えても、それは効果がありません。
しかし、あなたがそれらに悪いアドバイスを与える場合、うわー!結果は驚くべきものです。
それは本当です。
あなたが戦うように言うなら、何と、彼らはすぐに戦うでしょう。
しかし、あなたが他の人と戦いや害をしないように彼らに言うならば、彼らは聞きません。
それは(彼らにとっては)難しいことです。
そして今度は、粘土の土壌の問題に目を向けます。
粘土は粘着性があり、それは陶器を作るために使用されます。
・・・・・
この土壌のタイプは、たとえそれが最も肥沃ではないとしても、肥沃でもありえるし、同様に肥沃でない事もあり得る。
まあ、誰かの性質が粘土で表現されていればかなり良い事です。
しかし粘土のような性質を持つ人にとってあなたが知っている様に、悪い面があります。
あなたが粘土の上を歩くとき、それはあなたの靴にくっついてきて、あなたはそれをそこいらじゅうに広げます。
それは粘土と比較できるような内部感覚を持つ人々と同じです。
そのような人が何かのために非難されるならば、彼らが責められれば、彼らは他人を責めるでしょう。
彼らは間違っていても間違っていることを認めません。
彼らは他人に責任を取らせたい。
それは本当です。
それで、それは彼らが間違いを犯すとどうなるでしょう。
しかし、彼らは良い面を持っています。
彼らに幸運があれば、他の人と分かち合います。
彼らは良い面と悪い面を持っています。
それが彼らの姿です。
彼らが間違いを犯すと、他の人たちが責めを受ける。
しかし、彼らに幸運があれば、他の人にとって有益です。
まあ、これは粘土の土地の性質に似ています。
しかし粘土は良い人間を表しています。
なぜなら、彼らの内部感覚が粘土で表されるならば、それは二番目に良い土です。
それは二番目に貴重です。
・・・・・
さて、誰かが内部コアが砂のようであったとしても、たとえそれがわずかな部分であっても、肥沃な土壌はいくらかの部分を(内部コアの中に)持っています。
誰かのコアが石の土地のようなものであっても、彼らはまた、それらの中にいくらかの肥沃な土壌を持っています。
そのため、あなたはしばしば、誰かが悪い性格を持つであろうことが分かります。
彼らはいつも悪いです。
しかし彼らが変わって何か良いことをする時が来るかもしれない。
あなた方の状況はそのようであります。
だから、たとえば、それが真実だとして、もし私が石のような土地なら、どうしたらいいの?などと悩まないで下さい。
これは単なる例です。
たとえばそれが本当であることが判明した場合でも、悩まされないでください。
神はすべてを知っています、神は常に公正です。
あなたの中には肥沃な土があり、粘土の土壌もあります。
また、石の土地と砂があります。
唯一の問題は、それらのバランスが取れていないことです。
バパは後でこの不均衡についてあなた方が何をすべきか話すでしょう。
肥沃な土壌には、私たちが情熱を呼んでいるその力を意味するエネルギー があります。
肥沃な土壌は、ムトマイナmutmainnah 情熱と呼ばれている欲望と同じです。
ムトマイナmutmainnahの情熱の意味はそう、それは欲望であり、強いものであり、しかし、真実を見つけ、善を見つけることを強く望む欲望です。
この文脈で真実と善は、この世界を崇拝するのではなく、全能の神を崇拝して、神を礼拝する方法を見つけることを意味します。
それはムトマイナmutmainnahの情熱です。
粘土の土は、エネルギーを持っています。
私たちがスピアsupiah情熱と呼んでいる欲求を生み出すエネルギーです。
スピアsupiahの情熱は所有したい、所有したがる欲望です。
はい、これを持っていること、あれを持っていること、それが私たちの中にあるならば、それはたとえば女性のようであると呼ばれます。
それがスピアsupiahの情熱です。
3番目の土壌タイプは石の土地です。
その欲望は、アマラammara の情熱と呼ばれています。
ammaraの情熱は、口論したい、あるいは喜んでいたい、たとえば、他人についてひどく話したり、嫌がらせをしたり、批判したり、人々を圧迫したりする。
一言で言えば、それは悩みを煽ることです。
例えば、紛争を引き起こしたりします。
4番目の土壌タイプ、砂の土地、雨がそれに消えて、太陽の下で暑く焼かれる土地、それはロウアマlawwamaの情熱を持っている。
したがって、4つの土壌タイプは、4つの異なるドライブ(人を駆動するもの)または情熱を生成する。
今度は、その情熱についてですが、情熱は光を放射または発散する。
それらは光を放ちます。
ムトマイナmutmainnahの情熱は白い光を放つ。
その光は白です。
情熱 もしそれが説明されなかったのであれば、あなたはこれを理解しないでしょう。
スピアsupiahの情熱は黄色の光を放ちます。
その光は黄色です。
アマラammaraの情熱は赤い光を発します。
ロウアマlawwamaの情熱は黒い光を放つ。
これらは4種類の光です。
今、さらに4つの[属性]があります。
4つの4セットがあるので、4掛ける4は16になります。
最後の4つはここにあります。
肥沃な土壌を取りあげます。
私たちがそれが生命力であると言うならば、それは人間の生命力です。
粘土の土壌はスピアsupiah情熱を持ち、黄色に見える。
要約しましょう。
肥沃土、その色は白です。
その情熱はムトマイナmutmainnahです。
その生命力は人間です。
今度は粘土の土壌。
その情熱はスピアsupiahです。
その光または色は黄色である。
その生命力は植物ですか?いや、動物です。
私はそれらを混ぜ合わせた。
それから石の土壌があります。
石の土壌、その光または色は赤です。
その情熱はアマラammaraです。
これは植物の生命力です。(注2)
したがって、人間、動物、植物、物質、または悪魔的なものが存在します。
今度は、砂の土地、非常に暑い砂で、その情熱はロウアマlawwamaです。
その光は黒です。
その生命力は悪魔的(物質的)です。(注2)
そこにはバランスと進歩があります。
ポイントは、兄弟姉妹の皆さん、神の令によると、土地の種類は等量でなければならない。
それらが均衡している場合、もしそれらが誰かの中で等しい割合であれば、その人はそれらを管理することができます。
だから、現在はなぜバランスが取れていないのですか?
まず、預言者アダムの時代に、周囲にほんの少数の人々しかいなかった時には、人間同士の違いはあまり目立たなかった。
それはなぜですか?
その理由は、最初の人間は神によって作られたからです。
最初の人々は神によって作られた、しかしその後、人々は自由意志を与えられた。
最初は神の御心によるものでしたが、その後は私たちの意志によるものでした。
[神は言った]、今や私はあなた方に許しを与え、私はあなた方に再生産する力、あなた方のようなものを創造する力を与る。
それであなた方は子供を持つことができます。
だから、人間が人間を生み出すようになった後で、我々は他の物を作る様には人間を作りませんが、私たちはそれでもまだそれを「私の子供だ」と言っています。
私がそれをやったのですか?
神の創造力が人類に渡った後、人々は、それが始まった時のように子供を持つことによって他の人を作ることができます。
しかし神は人間のようなものではなく、人間は神のようなものではありません。
神が人間を作ったとき、神は世俗的な自己利益を持たなかったので、それをバランスよく正しく作りました。
しかし人類が引き継いだ後、それは異なっていた。
人間はそんなやり方をすることができますか?
彼らは、人々がそのように作られなければならないということを知らず、彼らは彼らが間違っていることを知らなかった。
彼らは理解していませんでした。
彼らは彼らが子供を持つ必要があることのみを知っていた。
それが問題の根源です。
実際には、人間の胚(人間の種子)はその親の理解と質をカプセル化しているからです。
そうなのです。
まあ、それは人々の普通の状況であり、男と女はただ恋から結婚するのです。
その結婚は見栄えの魅力や美しさに基づく魅力からだけです。
他に魅力を引き起こすものは何ですか?
お金や富。
他に魅力を引き起こすものは何ですか?
権力や知性。
彼らは魂の伴侶であるという理由では、結婚しません。
真の魂の伴侶である人々は、美しさやその他の要因について心配しません。
代わりに、彼らは1つの魂です。
それで、バパがあなた方に説明していることは、結婚に関係することです。
今度は子供を見てみましょう。
子供は両親によって作られる。
彼または彼女は両親によって作られたと言うことができます。
しかし、子どもを作る前に、さてこれはこの世界の影響によるものですが、両親は人を殴ることに喜びを感じていたかもしれません。
あるいは人を批判したり、自慢したり、自己中心的な、あるいは利己的であったやもしれません。
また、他人を助けたり、親切であり、良い行動をしていた両親であったかもしれません。
それが基礎をつくるものです。
性格の良い人が結婚すると、もし彼が妻をとり、神がその人を子供によって祝福すれば、子供は4つの土壌の種類からなるコアを持つでしょう。
おそらくそれらは妥当なバランスになります。
肥沃な土壌、粘土、石の土壌と砂があります。(注1)
その理由は、あなたが肥沃な土だけを含んでいれば、この世界で生き残ることができないからです。
あなたの性格があまりにも寛大であれば、あなたはいつも他の人々に与え、そのようであれば、どうやってこの世に生きることができますか?
あなたは生きてゆく事はできません。
あなたが与えても、受け取るべきを受け取るべきであり、贈与すべきを与えるのです。
あなたが他人を助けるなら、あなたも助けを受け入れるべきです。
言い換えれば、そこには相互援助があります。
しかし、このような人を見つけるのはまれです。
非常にまれです。
本当に良い性格を持つ人はほとんどいません。
これがあなたにとって非常に重要な理由です。
あなたが受け、ラティハンに従うとき、神に対するあなたの「喜んで手放す事」のレベルを増やしたり、深めることができます。
全能の神は人間の元々の創造者であり、誰の中であってもバランスを取り戻すことができます。
それゆえ、もしあなたが神に、全知であり、すべてをつつみ、全能であるものに向かって降伏すれば、神はこれを整理することができます。
実際には、兄弟姉妹の皆さん、土壌の性質は人間の生活に深い影響を与えます。
これは、本当に(人間の内部は)土壌に似ているという兆しです。
なぜなら私たちは実際にバパが言ったように、地球から作られたからです。
・・・・・
人間でさえ、肥料や肥やしを積み重ねることによって砂地を肥沃な土壌に変えることができます。
または良い土壌を砂地が肥沃になるまでその上に積み重ねることができます。
さあクウェートを見てください。
クウェートでは土壌が砂です。
しかし、人々は努力することができます。
彼らは良質な土壌を持ち込んだ。
彼らはそれを砂の上に積み重ねた。
今ではクウェートには肥沃な土壌があります。
彼らはすべての種類の植物を植えることができ、それらは繁栄して実を結び、それらは人々が社会が消費することができるものです。
もし人間がこれを行うことができれば、神は確かにすることができます。
ですから、あなたが忍耐の姿勢を持って神にこれを渡すことができれば、(何事であれ)受け入れる態度と(自分のものであるというものを)手放す態度であれば。
なぜならば実際には(何事であれ)受け入れる態度というのは難しいのです。
また忍耐強いこともありません。
そして喜んで手放すことも難しいのです。
そのようにすることは非常に難しいのですが、(そのようにできれば) 神はこの仕事をします。
そして神は特別な請負業者です。
神は悪い土壌を良いものにする仕事を引き受けることができます。
神は巨大なブルドーザーを持っています。
神は非常に速く働くことができます。
それでも、それは遅いプロセスです。
私はあなた方自身の状況の例を示します。
ラティハンを受け取った皆さん方全てが導かれていると言えます。
あなた方は教育されています。
言い換えれば、あなた方の土壌は神の力によって働きかけられています。
それでも長い時間がかかります。
バパが言ったように、または人々が尋ねたように、それはどうしてですか?
私たちは間違た事を何かしていますか?
私たちはちゃんと行動しています。
それなのになぜ進歩がみられないのですか?
これだ。
実際にあなた方は間違った事を何もしていません。
あなたの遅い進歩はあなたの性質の結果です。
神はあなたの中で働いていますが、それは長い時間がかかります。
どうしてですか?
問題は、あなたの内部感覚の土壌の種類の不均衡だけではなく、地形が、あなた方の内部感覚の地形、内側の土地の敷地が問題なのです。
バパは説明しましょう。
これが土壌であると仮定して、土はこの[ジェスチャー]のようにある。
それは、これ、これ、これと同じです。
(地形がでこぼこしている、といっている模様。)
しかし、あなたの土壌が平らにならされると、それは別の状況になります。
そうなればあなたの内容と内部感覚があなたの外側の(目に見える)人生に変化をもたらすことが確かです。
人々はあなたを見て喜び、彼らはあなたと時間を過ごしたいと思います。
なぜなら、彼らはどうしてあなたがそのようであるのかを知りたいのです。
それから、それ以外の事についてもいろいろと知りたいのです。
これがあなた方が土壌であるとバパが言った理由です。
あなた方の生命力が人間であるためには、肥沃な土壌になるためには、あなた方の情熱はムトマイナmutmainnahであり、そしてあなた方の光は白であるべきです。
そのようになる為の前提条件はあなた方は忍耐強く受け入れ、手放して(放棄し)、全能の神にそれらを明け渡す必要があるということです。
・・・・・』
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
上記バパのトークの部分についての英文からの引用は以下を参照願います。
Susila Budhi Dharma・Chapter 5 Internal characteristics of man and four kinds of land (no.1)<--リンク
Susila Budhi Dharma・Chapter 5 Internal characteristics of man and four kinds of land (no.2)<--リンク
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注1
『今度は子供を見てみましょう。
子供は両親によって作られる。
彼または彼女は両親によって作られたと言うことができます。』
バパはここでは上記のような表現を使います。
しかしこれは子供の誕生を両親からの目でみた場合のスタンスです。
他方で生まれてくる子供からすれば、「自分のJiwaの状況、レベルにあった両親を選ぶ」のであります。
「自分のレベルに合った両親の性的合一に引き寄せられる」というのがバパの「子供が誕生する際に、どのようにして子供のJiwaが受精卵に宿るのか」という時の説明になっています。
ですから、生まれてくる子供が「良い土壌を持つ」というのであればそれはもともとその子供のレベルがそのようであった、という前提が必要になります。
それを別のコトバでいいますと、その子供のカルマ、その子供の個人的なJiwaのレベルが前世までの生活の中ですでに「良いものになっていた」と言う事になります。
そうして今回のその子の誕生の為には「良い両親の性的合一が必要であった」と言う事になるのです。
以上、この辺りの詳細は「人間の種」を参照願います。<--リンク
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スシラ・ブディ・ダルマは1952年ジョグジャカルタで受けられた一連の詩編です。
そうして引用したトークは4月4日1968年 ペルーでのトークです。
そこではスシラ・ブディ・ダルマを受けてから16年経ったことによる変化がみられます。
スシラ・ブディ・ダルマ日本語訳1987年版によれば、このテーマを扱っている部分はP145~P158になります。
それを章建てでいいますと、次のようになります。
11、アスマランダーナ章 36節~50節
12、パンクール章 1節~30節
13、ダンダングラ章 1節~5節
そこではまず大別して2つのタイプのナフスが登場します。
一つは火と風で代表されるナフスであり、怒りとむさぼりのナフスでアマラamarahとロウアマlawwamaだと思われます。
次は水と地で代表されるナフスであり、忍耐と受容のナフス、ムトマイナmutmainnahです。
したがってスシラ・ブディ・ダルマではスピアsupiahと呼ばれるナフスは登場してきません。
そうして、この二種類のナフスによって4種類の土地の性質が説明されています。
1、肥沃な土地(黄金の土地): A=B ナフスの間のバランスがとれている。
2、粘土質の土地: A>B
3、パダス、かたくて耕されたことのない土地(石や岩の多い荒地): A>>B
4、砂と埃でできた土地<--ほとんど怒りとむさぼりのナフスのみ: A>>>B
但し
A:アマラamarahとロウアマlawwama
B:ムトマイナmutmainnah
としています。
番号が下るにつれてナフスの間のバランスがくずれ、火と風で代表されるナフス、怒りとむさぼりのナフスの占める割合が増加していきます。
次に4月4日1968年 ペルーでのトークでは、ナフス スピアsupiahを登場させて、4つのナフスと4つの土地の種類を1対1で対応させています。
1、肥沃な土地:ムトマイナmutmainnah、その光は白色、人間力が対応する。
2、粘土質の土地:スピアsupiah、その光は黄色、動物力が対応する。
3、石の土地:アマラamarah、その光は赤色、植物力が対応する。
4、砂の土地:ロウアマlawwama(アルアマaluamah)、その光は黒色、物質力が対応する。
こうしてスシラ・ブディ・ダルマで登場した4つの土地の種類は変化していませんが、それぞれの土地のナフスを使った説明の仕方が変化していることが分かるのであります。
(注2)
加えてこのトークではアマラamarahに植物力をロウアマlawwama(アルアマaluamah)に物質力を対応させてはいますが、最終的にはバパはアマラamarahに物質力をロウアマlawwama(アルアマaluamah)に植物力を対応させています。
しかしながらこのトークの時点では対応の仕方は最終的なものとは異なり、順序が逆転しているのであります。<--リンク
PS
アマラamarah、アルアマaluamah、スピアsupiahのそれぞれのナフスnafsu、あるいは欲望は「ラティハンで受ける」という事については邪魔をしますが、それらの欲望なしでは人は生きてゆけないのもバパが指摘する通りであります。
従いましてそれらエゴ的なナフスnafsuに対するカウンターバランスとしてのムトマイナmutmainnahの存在、働きが重要になります。
そうして、そのようにナフスnafsuの間の均衡を保つ、バランスをもたらすということは、常日頃の日常生活で出来ている必要があります。
そうでなければ単にラティハンの時だけバパが言うアドバイス、「忍耐強く受け入れ、手放して(放棄し)、(ラティハンを主導する)神の力にそれらを明け渡す事が大事である」という注意に従おうとしても、それは所詮は付け焼刃、メッキでしかなく、本質的な進歩には結びつかない様に思われます。
PS
アブラハムの宗教、バパが所属していたのもそのうちの一つですが、その信仰対象は「唯一の神」といわれている超越者であります。
そうしてそれらの宗教の中には熱心な信者さんがおられ、そうしてまたラティハンにいそしんでおられる方々も多いかと思われます。
それらの方々の「神に対する思い」は強いものでありましょう。
しかしながら上記のトークにある様に、ムトマイナmutmainnahの特徴をもった上での「神に対する思い」である事をラティハンは要求している様です。
そうして又、現実には「バパと同じ宗教であるからラティハンの進歩が早い」という状況にもない様であります。
そうであれば、ある特定の宗教の信者さんである事が「ラティハンを受ける上でアドバンテッジになる事はない」と言えそうです。
その理由は「ムトマイナmutmainnahの特徴をもった上での『神に対する思い』というのはどの宗教に所属していようと関係なく難しい事である」という状況にあると思われます。
あるいは逆に、「特定の宗教の信者さん」ではないがムトマイナmutmainnahの特徴をもった方であればラティハンの進歩は早いものと思われます。
そういう訳で、見落とされがちな大きなポイントは「いかにしてムトマイナmutmainnahの特徴を身につけるのか」と言う事になります。<--リンク
連載「スシラ ブディ ダルマ」にはこちらから入れます。<--リンク
PS
文字サイズはページ右上で変更できます。
ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク
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