付け焼き刃の覚え書き

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「六百六十円の事情」 入間人間

2010-06-07 | 食・料理
「なにかを与える代わりに、なにかをもらえる。そういう交換が成立するのが、社会に生きる人間っていうものだ」

 インターネット上のローカルなコミュニティの掲示板に書き込まれた、『カツ丼は作れますか?』のひとことから動き出す老若男女の物語。

 シニカルな青春群像といえばそうなんだけれど、そんなに重い雰囲気にならないのは、誰も否定されていないから。
 章ごとに別々の男女が主人公となるのだけれど、みんなそれぞれに宙ぶらりんの半端な位置に生きている。何をしたいかわからない、こんな生き方でいいとも思えない、こんな毎日は耐えられない……世間一般の基準でいえば、困った人、ダメな人たちではあるけれど、決して存在は否定されない。逆に、するべきことをしている普通の人たちにしても、そんな生き方が面白いのとか、それだけが人生ではなかろうというように否定されない。仕事をしていないから、仕事しかしていないから、そんな理由だけでは人生を否定されない。
 どれも同じ人生の中の一形態にすぎないから、閉塞感や焦燥感の中でもがいてみれば、なんとなく道は開ける。あの人と自分は違うと認識しても拒絶するのではなく、適当な立ち位置を見つけることができる。
 そう考えると、状況分析についてはシニカルながら、未来と人間関係については楽観的な話だ。むしろ眼差しが温かい。
 後半に老人が主役となって物語は一気に加速し、それぞれ別々の物語だった男女の人生が集まり始め、最後は食堂のテーブルに集結して物語は1つになる。
 だから、読み終わって、もう一度最初から読み直したいと思ってしまう。登場人物たちの過去と現在と未来を追体験するために。そして、この絶妙な構成と伏線を確認するために。

「愛はギャンブルだ。時間をチップにして、僕らは自分の望む形のそれが見つかると信じて人生を消費している」
 なんとなく働かない日々をおくっているだけの各務原雅明。

 ビートルズネーチャンの生き様も一篇の映画のようだし、今だって十分に恥ずかしいという自覚があるのに将来思い出したら憤死間違い無しの処女と童貞の第二章、「生きているだけで、恋。」ってのも苦笑しつつも何度も読み返してしまう。キャラクターがどれも活き活きしているから。

 ただ1点ひっかかったのは、肝心の「カツ丼」についての描写がほとんどないこと。もう少しさくさくっとした衣に肉汁のしみ出る豚肉、きらきら光る白米にしみこむたっぷりの出しつゆ……といった描写があるかとおもったのだけれど、ほぼ皆無。もう少し、どんな風に作られたどんなカツ丼か言及されてもいいんじゃない?と思わないでもなかった。
 けれど、あらためて読み返してみると、カツ丼それ自体の描写がないからこそ、ひとりひとりのカツ丼を想像できるのだし、最後に厨房から聞こえてくる音と漂ってくる匂いが印象深くなるような気がしてきて、これも計算のうちなのかと思い始めたのは作者の術中にはまったのか……。

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コメント
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