izumishのBody & Soul

~アータマばっかりでも、カーラダばっかりでも、ダ・メ・ヨ ね!~

2月ももう後半。希さんの検査はすべて終わるも、1月に続いて悲しい知らせ。

2024-02-21 11:27:45 | 日記・エッセイ・コラム

2月は月アタマから、希さんは検査に次ぐ検査の日々。。。1週間に一度、二度と、次々と検査の予約が入っていた。一連の検査が終わって後は2月27日の結果診断を待つばかり。

 

そんな中、7日に、大学時代からお付き合いがあった古い友人(現音舎の横田義彰氏)が亡くなったとの知らせ。ワタシにとって、横田さんは、”遠い親戚のオジさん”みたいな人だ。。。😖1月についで、大好きな大切な2人の人が、いきなりいなくなってしまった。。😂

都立大学に通っていた当時(大学は正しく名前の通り東横線の「都立大学前」駅にあった)、隣り駅の学芸大学に住んでいた横田さんの自宅に、学校帰りによく立ち寄っていたものだ。まだ子供たちが5歳、4歳、3歳(っていう感じだったかな?)という頃、大きな丸い座卓の回りに座って、音楽の話やらなんやらいろんなお喋りをしていた(というか、聞いていた)。どんな話かは覚えてないのだが、今もしっかり覚えていることがある。まだ昭和の頃である。テレビの前の大きなちゃぶ台に座って、みんなで食べながらお喋りしながらテレビを見ていた時、ワタシがテレビの前に座っていて、その対角線に座っていた当時5歳くらいだった長男(太朗)が、いきなり「このお姉ちゃん、お鼻がないよ〜!」と言ったのであった(゚Д゚)

それを聞いて横田さんと奥さんは、オロオロ。。「そんなこと言うもんじゃない!」とか言ってたかなぁ〜。。言われたワタシは、子供が見たままを正直に言っただけだし、鼻が低いのは自覚していたので腹も立たず(傷つくこともなく)、一緒に行った友だちも大笑いで終わり。。😁  もう50年以上(かな?)昔のことなのに、他にどんな話をしたのかも忘れているのに、何故がそのワンシーンだけは妙に記憶に残っている。。😅

誰と一緒に行ったのかも定かではないけれど、大きな丸い円卓を囲んで3人の子供たちと大人たちがギュウギュウに座って、食べたりお喋りしたりした、温かく懐かしい想い出なのであった。思い出すと涙がでてくるヨ🥺

 

1月に女友達が亡くなったときは、電話口でもう号泣😂だったけど、今回は、後からじわりじわりと悲しさが滲み出てくる。。ふとした時に、”そういえば、横田さんはもういないんだ”と思うと、何とも言えない寂しい気持ちになる。ウチの希さんはとても気持ちが優しい人なので、横田さんの告別式の様子を話したり、その後「その日は友人の告別式があって」等ふとした時に名前が出るだけで涙涙。。なのである。。😅(今も、「横田さん」と聞いただけで泣きそうになるヨ)

横田さんが亡くなった2月7日、奇しくもその日、ワタシは横田さんに電話を入れていたのだった。電話には出なかったけれど、いつもすぐに折り返し連絡が来るのにその時は何もなく、「入院でもしちゃったかなぁ〜」なんて思ったのだが、その時にはすでに横田さんは1人で亡くなっていたのかな・・・本当に悲しい😖

横田さんのお別れ会では、古い親友でもある苫米地さんが、横田さんが大好きだったという「酒とバラの日々」と映画「いそしぎ」のテーマ曲をサックスのソロと石塚マミさんのVo.で演奏。美しく、哀しみに満ちて温かいお別れでありました。

 

1月に亡くなった友人は、以前、「主人を残して先には死ねない!」と言っていたのに、先に逝ってしまった。。残されたご主人の気持ちを思うと、とても人ごととは思えない。ワタシも今は、希さんを一人残して先には絶対に死なない!と思っているけれど、こればかりは神様が決めること。せめて一緒にいる間は、大切にしていこうとあらためて思うのでありました。 

 

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