曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

怒涛の2週間…まだ小康状態ですが

2022年01月16日 | 医療

元旦にオットの緊急事態。その後なんとか無事に3ヶ日は過ぎ、4日から怒涛の2週間になりました。

まず、オット。元旦の当番医の処置で治まったかに見えたのですが、その後4日、5日、6日と不調で当番医だった医院に通院するも(5日にはもう大丈夫とか言われていた。私は4日、5日の様子で尋常ではないと思っていましたが、飲んでいる薬のせいで、治まるのを待つしかなく、もう治まったと言われたことに不信感を持っていました)7日早朝と言うか深夜にまたまた発作。

今このコロナ禍でなかなか搬送してもらえないと聞いていたので、恐る恐るの119番通報でしたが、様子を聞いてもうこちらの聞き取りの最中から救急車の手配をしてくれ、車での間電話で様々指示があり、救急車の来る前に必要なものをそろえると言うことが出来ました。

心配をかけるといけないので先にお伝えしますが、オットは無事です。

 

救急車が到着して、以前は本人の様子を確認し、救急医との電話のやり取りがあり、聞き取りがあり、それでは搬送します。と言う感じでした。

が、今回は本人の様子を見てすぐ搬送しますから奥さんも一緒に車に乗ってください。と、義母まもなく95歳の事も気になりましたが、幸い一連の騒ぎの後夜は奥まった部屋のポータブルトイレでするようになり、出てくることはなくなったので、今の時間なら何時間かは大丈夫だろうと、玄関のカギをかけるだけで救急車に乗りこみました。

救急車の中で聞き取り(病歴だとか、今までの様子とか)があり、苦しがって動いてしまうオットを救急隊員と私とで抑えながらの作業でした。

救急車って乗り心地が悪いっていうかなんつうか、ほんとガタガタするし、荷物を抱えたままオットを抑えたり、保険証など必要なものをとりだしたり(動くし片手しか使えないので、余計に取り出せないんですよね( ̄▽ ̄;))して、長くかかったように思いましたが、時間にしたらそんなに長くなかったんですがね~~、えらく遠く感じましたですよ。

到着してからはオットはすぐ処置室に運ばれ、私が色々書類に記入。

たぶん本来はコロナ関連を先に聞くのでしょうが、その書類を書き終わった頃に救急隊員から県外、海外の人との接触、大人数での会食について聞かれました。

年末年始に例年通りに東京からの団体が来たとあれば、ちょっと大変でしたね。( ̄▽ ̄;)( ̄▽ ̄;)

子ども達一家も来ましたが、食事は昼と夜に別々にしましたし、マスクもしたままでしたから、(特に小中学生は学校でも厳しく言われているらしく、食後もすぐにマスクをしていましたね。)大丈夫だと思いますが、これもうっかり「大丈夫でしょ」なんて言ってみんなで一緒に食事をしようなんてしたら、10人以上の大人数での食事になってしまいましたよね。

オットの処置が終わったのはちょうど3時ごろ。いったん家に帰り、病院の開く時間にもう一度診察を受けるようにとの事でした。

タクシーを呼んで帰ろうと思ったのですが、この時間はもう配車はやっていないんですね。一つのタクシー会社は4時半から配車を受け付けるとあったので、このまま待つか、とも思いましたが、ダメもとで、緊急受付で「タクシーが配車が終わってしまって帰れないのですが、このまま待っていてもいいですか?」と聞いたところ、直ぐにタクシーを手配してくれ、「15分ぐらいかかるようですけどそれでもいいですか?」と言ってくれました。

「いいですいいです。助かります。お願いします。」と手配してもらい、オットはパジャマのままなのを見て、タクシーが来たら呼んであげるから、寒いからここで待っていてくださいと警備員さんがわざわざ呼びに来てくれました。

来てくれたタクシー運転手もとても感じのいい方で、ざわめく心が静まりましたよ。

家を出て2時間半ぐらいで戻れたので、その間オット母Bこさんには気付かないままで、Bこさんも無事でいてくれたのでほっとしました。

朝まで一応は横にはなりましたが、心配なので服のまま、そしてオットの様子も気になるので、結局何も眠れないままの1夜が開けました。

繰り返しますが、オットは一応現在落ち着いていますし、本人曰く「完治した」などど呑気なことを言うふざけたやつでございます。

能天気でいいような悪いようなと思うよし子がお送りしました。(またまたシリーズになりますです。はい!)



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