"いそ"あらため、イソじいの’山’遍路’紀行’闘病、そしてファミリー

“いそ”のページは、若者のキャリア形成を、目一杯応援するためにも“いそ”改め“イソじい”でリニューアル。

今こそ、反ファシズム統一戦線を②

2015-07-31 19:45:25 | メッセージ

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パライソメッセージ 2015.07.31 N0.44

  Mail : isokawas@goo.jp

  Blog : http://blog.goo.ne.jp/isokawas

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今こそ、反ファシズム統一戦線を②

 礒洋輔首相補佐官は集団安全保障の発動に関わって「法的安定性は関係ない」と言った。このことが通るなら、警察や裁判所といった司法は不要である。順法性や立憲主義、憲法判断は関係ないと蔑ろにすることを公言している。つまりは自公連立政権と安倍首相の判断を憲法・法律の上に置くということである。そして司法は権力者の下に置くということに繋がっていく。

 安倍チルドレンとか安倍取り巻きとか言われている連中の暴言が続く。「八紘一宇」「マスコミを懲らしめる」とか今回の「法的安定性は関係ない」そして安倍応援団の一部によるヘイトスピーチ。これらに対して自公連立安倍政権は、言葉だけの遺憾の意を表明しているが、事実上の放置を決め込んでいる。私は、これは大変危険な事態の兆候であり、『彼らを通してはいけない』と痛切に思っている。つまりこういった『失言』『軽口』『流言』は段々と日常化し、ファシズムへの道の露払いをするというのは、旧日本軍国主義やヒットラーナチスドイツの台頭でも見られた歴史の教訓ではないか。

 今回の礒崎発言は、旧日本軍国主義やナチスドイツよりも、もっと酷いのではしてないか。つまり、かつてのファシストは『国家総動員法』とか『全権委任法』といった最悪の犯罪的法であっても一応「法的安定性」の体裁をとった。それは『法』をなくせばファシズムの秩序が維持できないからである。そのために司法をファシストの下に置き、日本でもドイツでも、憲兵やヒットラーユーゲントが『法』にかこつけた大犯罪を犯した。

 今回の礒崎氏は法をも蔑ろにする発言はもちろんだが、他の『軽薄』発言も、現行法を無視もしくは蹂躙するということでは、クーデターからファシズムへの露払いである、ということが私の危機意識である。彼らは表面的には謝罪や弁明や殊勝なこと言うが、本音ではそんなことは露とも思っていないのではないか。こういったプロパガンダとでもいうべきものの蔓延は、その奥にある意図を露わにし、その危険性について広く危機意識を共有し、その先にある『彼ら』の野望を広汎な国民の手によって葬り去らなければならないと思う。

 今こそ、反ファシズム統一戦線を!!

 若者も戦争体験者もママもそして広く国民が【主権在民】と【立憲主義】の2点で一致して自公連立安倍政権を辞めさせたい。戦争法案反対は自民党の現職地方議員も自民党・公明党の重鎮も勇気と心ある創価学会員からもどんどんと湧き上がってきている。絶対支持率2割に満たない自民党が圧倒的多数の議席をバックグラウンドにファシズムへの道を歩むなら、それを許してきた小選挙区制を利用して、反ファシズムで1本化し自公を国政から退場させることも逆に可能だ。各野党政党には頑張ってもらいたい。党利党略やセクト主義を留保して、反ファシズムの旗でまとまって、解散・総選挙に臨んでもらいたい。心からそう思う。

  

 

==イソじいの「一押しBOOK」==

 

 

 

題名:『永続敗戦論 戦後日本の心』

著者:白井聡 1977年生まれ。早稲田大学政経学部政治学科卒業。一ツ橋大学社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。現在は京都精華大学教授。戦争法案や安倍首相の言う「戦後レジーム」などをめぐって、最近注目の若手研究者で論客。著書に『未完のレーニン――「力」の思想を読む』『『物質』の放棄を目指して――レーニン、<力>の思想』など。

発行所:株式会社太田出版 2013年3月27日第1刷発行、2014年7月2日第13刷発行

内容

本書は最近注目を浴びている。白井氏自身も最近は引っ張りだこの様子。私はこの本は2014年の2月に市民図書館から借りて読んだが、かなりロジカルではあるがタイムリーでもあり一気に読み通した。

「戦後」とは言うが「敗戦後」とは言わないのはなぜか。いろんな角度から今日の権力者に対するアンチテーゼの論理展開。ポツダム宣言やサンフランシスコ講和条約は「敗戦後」の秩序だから認めない。尖閣や竹島やサンフランシスコ講和条約外の千島列島も「敗戦後」秩序そのものを認めず、偏狭なナショナリズムで世論を煽る。従軍慰安婦や南京大虐殺の否定も本質は「敗戦」の否認。安倍首相の言う戦後レジームからの脱却も「敗戦」の否認であり、偏狭なナショナリストやヘイトスピーチへの共感に至る。筆者のメッセージは「敗戦」に向き合い、そこからの新たな秩序の構築を提起している。

私は、白井氏ら若手論客も参加して、反ファシズム統一戦線を今こそ立ち上げたい、本当にそう思う。

 

イソの評価:★★★★☆

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パライソメッセージ20150718 No.43 今こそ、反ファシズム統一戦線を

2015-07-18 18:22:10 | メッセージ

今こそ、反ファシズム統一戦線を

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パライソメッセージ 20150718 N0.43 

 Mail : isokawas@goo.jp

     Blog : http://blog.goo.ne.jp/isokawas

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 自公連立の安倍政権は、安全保障関連法案を、世論の圧倒的な批判や反対にもかかわらず、『民主主義の本道』などと嘯きながら、絶対多数の議席を占める国会の衆議院平和安全法制委員会で15日、そして16日には衆議院本会議で自公単独での強行採決の暴挙に出た。あえてこの法案を戦争法案というが、戦争法案が憲法に違反するということは、圧倒的多数の改憲論者も含めた学者や法律家、専門家にとどまらず複数の元法制審議委員などが指摘している。また、戦争に反対する国民の声は先の戦争体験者はもちろん、若者、女性・ママ友も高齢者もあらゆる層で連日全国各地で高まり、自公・安倍政権に対する抗議と怒りの声はうねりのように大きくなっている。問題は、『民主主義の本道』などと嘯いてそういった国民の声を無視あるいは高圧的に圧殺して、主権在民と立憲主義を踏みにじり国会での強行採決によって独裁的に戦争法案をのごり押しを狙う自公連立・安倍政権の動きである。

 これではナチスドイツが全権委任法を梃子にファシズムを推し進めてきたのと同じではないか。彼らファシストは最初優しい言葉と美辞麗句で「平和・安全」や「富国・国益」を言い、国民を戦争に駆り出すための仕組みを構築していく。そのプロセスでファシズムは民意をまったく無視しそして敵視し、反対勢力を徹底的に弾圧し言論の自由を完全に圧殺してしまう。国民は戦争に駆り出され、人格を破壊され、善良な父が、息子が、恋人が実際に殺し殺されることを強要する。ナチスドイツでは「反共法」日本では「治安維持法」が敷かれ、苛烈な思想弾圧が行われ、その対象は共産党員だけではなく自由主義者、平和主義者、宗教家、思想家などありとあらゆる心ある人々に向けられたのではなかったか。戦時のマスコミは嘘ばっかりの大本営発表をたれ流した。今日の安倍親衛隊議員による『マスコミ懲らしめ放言』や百田氏の『沖縄のマスコミは潰さなあかん』発言は、戦前のマスコミ弾圧をほうふつさせる。ファシズムへのプロセスはナチスドイツも戦前の日本軍国主義も同じで、ファシズムはひたひたひたと押し迫ってくる。

私たちは一昨年『特定秘密保護法』の採決強行というファシズムへの予鈴を聞いている。昨年施行された同法は今般の戦争法案強行採決とシンクロしてくる。そして広範な国民の整然とした抗議活動に対しても『テロ』呼ばわりし、挑発とアジテーションを仕掛けつつ猛然と国民に牙を向けてくる可能性も現実にありうることだろうし、十分な警戒が必要だろうと思う。

 今日の自公・安倍政権の民意無視と立憲主義破壊いく末には、私は間違いなくファシズムが待ち受けていると思う。強引なやり方の帰結は強行採決という究極の民主主義破壊となり、この一連の自公連立政権の強権に対して各界・各層の多くの人たちが警鐘を乱打している。野党議員はもとより、矍鑠たる少なくない自民党長老・現職議員のみならず公明党・創価学会の長老、現職の議員、維新の議員でさえ心ある政治家は反対している。憲法擁護の方は当然としても改憲論を主張されておられる多くの学者、政治家、文化人なども安倍政権のやり方に反対している。国民の怒りはかつてないほどに大きい。『無気力』や『ゆとり世代』などと揶揄され何かというと『自己責任』を押し付けられる若者も戦争に反対して大きなウェーブを巻き起こしている。女性も立ち上がり、戦争に反対するママ友が声を上げ女性週刊誌でも戦争法案に反対する骨太の記事が書かれている。多くの宗教者も先の戦争の痛苦の経験と反省を背負い、自公・安倍政権の民意の無視と立憲主義の破壊に抗議している。

 国会では、まだまだ参議院委員会、参議院本会議と議論は続く。自公・安倍政権がファシズムの台頭期の歴史をなぞらえるのであれば、私たちも歴史の教訓を学ばなければならないと思う。私は、今こそ“反ファシズム統一戦線”を築いていくべきだと思う。自公・安倍政権は強行採決をも『民主主義の本道』などと嘯いている。ここでいう民主主義とは小選挙区制で得た圧倒的多数の議席のことを言っているのだろうが、そもそも自民党の絶対支持率(投票率×得票率)は20%に満たないのは周知のこと。党利党略によって得た虚構の多数が彼らの言う民主主義なのだ。

 “反ファシズム統一戦線”といっても勇ましく聞こえるが“実力組織”ではない。全国各地で大きなうねりとなって巻き起こっている抗議のデモは“新しい民主主義”を象徴している。しかし、現在の日本で政治を変えるには選挙というプロセスを踏まなければならないし、このことは小選挙区制の制度疲労を修復しなければならないが、それであっても代議制民主主義そのものは今後も劇的には変わらないだろうと思う。私は、そういった“新しい民主主義”をバックグラウンドにして、良い世の中、なによりも平和な世の中を作るために“統一戦線”つまり連帯してアクションを起こさなければならないと思っている。そのために一番頑張ってもらわなければならないのは政党だろう。私は、戦争法案に反対する全ての政党が党利党略を捨てて、【主権在民】【立憲主義擁護】の二点の政策一致でいいから“反ファシズム”をスローガンに連帯して国会解散、総選挙に持ち込んでほしい。“反ファシズム対自公”の構図で、候補者も場合によっては各党員でなくても、平和を愛する若者、女性・ママ友、等広範な人たち、さらには自民党の重鎮や現職議員、公明、維新の現職、OBでもいい。【主権在民】【立憲主義擁護】を共有できる人物を擁立して“反ファシズム”で一本化し選挙戦を闘う。そのことによって、私は制度疲労の小選挙区制が幸いして自公・安倍政権のファシズム志向政治を政治の世界から完全に退場に追い込むことは、先の絶対支持率を見ても十分に可能だと確信する。それが今の自公・安倍政権にとっては最も“恐ろしい”ことだろう。

 今こそ“反ファシズム統一戦線”をみんなで真剣に具体的に作っていくべきだ。

 

 ==イソじいの「一押しBOOK」==

 

題名:『資本主義の終焉と歴史の危機』

著者:水野和夫 1953年生まれ。日本大学国際関係学部教授。三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミストを経て内閣府大臣官房審議官(経済財政分析担当)、内閣官房内閣審議官(国際戦略室)を歴任。

出版社:集英社新書 2014年3月19日第1刷発行、2014年6月17日第7刷発行

内容

新書版ではあるが、歴史の事実を誠実に捉え今日の資本主義に対する真摯なサジェッションの著書である。ピケティの問題提起が剰余価値の分配に対する『規制』と社会的な公正を丁寧な実証で述べている、いわばジャスタイス(正義感)を持ったポリシーを論じているとするなら、本書は新書版とはいえよりマクロな視点でのサジェッションだろう。共通しているのは『自分さえ良ければ』『今さえ良ければ(大洪水よわが亡き後に来たれ)』の新自由主義が資本主義社会の終焉の姿であるということ。ただ、ピケティはポスト新自由主義のバッファを提案しているが、本書では資本主義終焉後のバッファの提案はない。

内容として資本主義の萌芽から、地域的・空間的な拡大と行き詰まり、生産の次には資本の【自己増殖】の行き詰まり‐バブルの崩壊や挙句のリーマンショック‐、電子・金融空間の創造、利益の先取り‐未来に発生するであろう利益の先食い‐行き詰まり、弱者からの利益の収奪‐『自分さえ良ければ』『今さえ良ければ』‐の新自由主義の行き詰まり、といった強欲な資本の営みを、アメリカ、新興国、日本、西欧のそれぞれでの特徴を紹介し論述している。

『自分さえ良ければ』『今さえ良ければ』のモラルハザードの新自由主義はまた、格差の大拡大や弱者いじめや自己責任論をはやし立てる。本書はそれらに対して『自戒』も込めて冷静に告発している。

 

イソの評価:★★★★☆

 

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パライソメッセージ20140614 No.41

2014-06-12 16:07:42 | メッセージ

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パライソメッセージ 2014.06.14 N0.41

 Mail : isokawas@goo.jp

     Blog : http://blog.goo.ne.jp/isokawas

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 「パライソメッセージ20140614 No.41」を送ります。

  年度末の仕事の整理整頓や引継ぎ資料の作成、43年にわたる賃労働者生活(途中そこそこの期間の資本家生活も有りましたが)の卒業を迎えてパートナーとの“卒業旅行”でニュージーランドの自然を楽しんできたり、NPO法人CaPSAY(キャプセイ)設立手続きの最終段階であったりで、相変わらず超多忙の日々を送っています。いよいよ“A final Stage is Now”を乗越しそして“The Next Stage is Opening”です。忙殺されまくった3月下旬~6月上旬でしたが、2か月半ぶりにメッセージを再開します。

 本メールが「不要だ」「余計なお世話だ」といわれる方は、お手数ですがその旨ご連絡お願いします。

 【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:ふと佇み、私は振り返る①

 ♪And Now,The End is Near ~~♪

  フランク・シナトラのMy Wayの始まりの歌詞は『今、終わりが近づく~~』。日本語の歌は『今、船出が、近づくこの時に、ふと佇み私は振り返る~~』と、布施明などが名訳で歌っている。2014年3月下旬自分も今、そんな時期にやってきたと少しの感慨を持って自分の半生を振返ることが多くなってきていた。

 自分の、生きがい、働きがい、信念、ポリシー、哲学等、何と言うか“生きていくうえでの価値感”そういったものは一体なんだったのだろう。よく若者などに言う“価値感”を自分に振返れば何だろうと考えてみた。おそらく“正義感”が私の価値観の骨格であろうと思う。自分にとっての生きがいや働きがい、信念といっても良いが、『正義感=強きをくじき弱気を助ける。』のが正直な私の姿であったと思う。

 3月のかかりに同僚から

 「イソさんが、人生で一番充実していたのは何時、どんなことですか?」

 と聞かれた。何時だったのだろう? どんな時だったのだろう? 考えてそしてふと思った。

 「今かもしれん。今、改めて自分の信念やポリシーに従って、新たに歩き出そうとしていて、その期待やら気合やらが入り乱れて、結構充実して生きていこうという気持ちになってるから。」

 と、答えた。まんざら法螺でもないし、もちろん嘘ではない。更に思った。65歳を超えたこれから、私は私自身の“正義感”とこれからどのように共生しようとしているのだろうか。

 1948年、終戦後の混乱が未だ収まらない大阪で私は生まれた。父は相当な技術者であったが、全く家族を顧みなかった。母が苦労して子供達を育てた。そんな中で父に反抗し、母を大切にしなければならないという思いは、子供の頃から本能的と言ってもいいほど強く抱き続けた。

 小学生低学年時、体の弱かった私にある悪ガキがいじめを仕掛けてきた。学校の帰り道に次から次へと石を投げつけてきた。私は電柱に隠れてかわしていたが、余りにも腹が立ったので意を決して電柱の後ろから飛び出しガキ大将に向かって突進していった。悪ガキを羽交い絞めにしてスリーパーホールドをかけると、

 「ごめんなさい、ごめんなさい」

 と情けなく謝った。翌日から彼は

 「イソ君」

 とすり寄ってきておべっかを使うようになった。

 小学校高学年、中学校にかけて当時は最近のような陰湿ないじめではなかった。どこの学校やクラスにも“番長”のように、リーダーというほどではないが組織の長がいて、彼が学校やクラスを纏め、相当な悪ガキではありながらも、弱いものに対していじめどころか、配慮をしていた。いじめのようなことがあると、むしろいじめっ子をたしなめていた。私は学級委員もしていたが番長グループにも一目置かれていた。中学校の時にクラスのひょうきんな君がカツアゲされて、私がカツアゲをした者に話をつけに行った。そのときに“サシのけんか”を売られ、当時“サシのけんか”とはナイフで刺しあいのけんかをしなければならんのかと思って、覚悟はしたものの、かなりびびった経験もある。

  結局は熱血先生の知るところとなり、双方こっぴどく怒られて、“サシの”喧嘩にはならなかった。人のトラブルの相談を受けて、自分がトラブルを背負込んだようなものだ。

 高校では、当時ベトナム戦争の真っ最中で“アメリカのベトナム侵略反対”と書いたプレートを付けて学校に行ったり、丸刈りの校則に反対してビラ配りなどをした。当局の言いなりだった生徒会を批判し、インターハイスクールでいろんな活動に参加した。

 大学では当時吹き荒れていた学生運動の真っ只中に身を置き、全学学友会委員長も経験し、1970年の安保条約反対の闘いでは、全京都学生集会で4万人の学生を前に25分間のアジ演説もした。多感な青年時代には精一杯以上の正義感を表出していた。

 社会人になり、病院職員としてケースワーカーや財団法人設立業務、地域医療を経験したが私のわがままと未熟さから、ほぼ“喧嘩状態”で退職した。ただ、病院時代に以降今日に至るまでかけがえのない人生のパートナーに出会え結婚したことは、私の人生の大きな幸せの一つだ。また、一生の同志でもある多くの仲間にも出会えたのはこの時期だった

  その後零細企業を経験し、やがて社長になった。自分の意思が会社の意思、つまり社会で認められ認知される意思。醍醐味であった。もちろんリスクも醍醐味とは比較にならないほど桁違いに大きい。責任の重さに潰されそうになった時も、何度となくある。万策尽きて倒産のとき、何とか28人の従業員、下請けの社長・社員に迷惑をかけないようにと腐心しまくり給料は満額支払うべく措置を講じた。下請け関係には迷惑をかけたが。私はストレスにはめっぽう強く、精神的にタフであると自負しているが、このときは流石に酷い胃潰瘍になって、苦しすぎる鈍痛にのた打ち回り、内臓は癒着してしまった。内臓の癒着は2011年12月の胃癌の手術の後、執刀医に聞かされた。胃の摘出に大変手間取ったとのこと。

  サラリーマンを経験し、大学の職員に奉職してからもかなり責任のあるポジションで仕事もした。事務職員ではトップ10以上のポジションにもついた。そのとき思った学園のあるべき姿の信念は、①平和と民主主義の教学理念の共有、②教職共同の実践、③学生が主役の学園作り、学生が元気な学園は活発な学園である、ということだ。私は一つの施策を考えるとき、いつも『R学園らしい学生支援』『R学園らしい財政運営』『R学園らしい研究支援』を考え、若い人たちにもそれを求めた。その後学園の一部トップの変節によって、私は『無能力』のキャンペーンを張られながら役職を解かれたが、それ以降も自分のポリシーは変わっていない。それどころか、学生と接する職場へ配属されたおかげで、自分のポリシーや信念から打算や計算が投げ捨てられ、よりピュアになってきたと思っている。にますます確信を持つようになった。学生が元気になることに喜びを実感し、それは私にとっての“正義感”に繫がっている。そして私のやりがい、働きがいとして実感する。

  そんなことで、私は今まで自分のポリシーや信念に忠実に生きてきた。人に媚びへつらうことも屈服することもなく生きてきた。そして家族ともども、苦労をかけたけれど最低限の飯は食えて来た。賃労働者卒業の卒業記念旅行もパートナーと一緒に心いくまで楽しんでこられた。私は幸せだとつくづく思う。おそらく自己満足なのだろうけれど。

  さて、冒頭の

  「イソさんが、人生で一番充実していたのは何時、どんなことですか?」

  の質問に、

  「今かもしれない」

  と答えたのは、恥ずかしながらまだ成長し続けているのではないか、といったほのかな期待交じりの実感が実はあるからだ。

(続く)

 

「一押しBook」

題名:「アルプ」の時代

著者:山口耀久(あきひさ) 1926年生まれ。登山家であり文筆家。主な著書に『北八ツ彷徨』『八ヶ岳挽歌』『山頂への道』、訳書に『ドリュの西壁』(ギド・マニューヌ著)

出版社:山と渓谷社 2013年10月15日初版第1刷

内容

  この本の紹介はもっと早く、出版即したかったのだが、市民図書館になかなか入ってこなかったので、3月になってしまった。

  『アルプ』とはヨーロッパアルプス地方の豊穣な草原。そして山を題材にした文書や報告を綴ったある雑誌の名が『アルプ』である。ただし、尖鋭な山行記録やルポルタージュではなく、山や自然との共有を、闊達で美しい表現された文章を集め続けてきたのが雑誌『アルプ』である。『アルプ』の執筆陣は串田孫一、尾崎喜八、曾宮一念、深田久弥、矢内原伊作、畦地梅太郎、冠松次郎、草野心平等々、『山のホモ・ルーデンス六〇〇人が執筆。』山口耀久氏が『アルプ』作りの挿話を繋げている。

  本書は『アルプ』の廃刊に当たって、単なる山の雑誌ではなく、孤高とも言える雑誌への思いをつづっている。文学評論としても高い評価の一冊であろう。

イソの評価:★★★★☆

 

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パライソメッセージ20170307 No.40

2014-03-07 23:51:11 | メッセージ

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パライソメッセージ 2014.03.07 N0.40

  Mail : isokawas@goo.jp

     Blog : http://blog.goo.ne.jp/isokawas

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 「パライソメッセージ20140307 No.40」を送ります。

年度末の仕事の整理整頓や、43年にわたる賃労働者生活(途中かなりの期間の資本家生活も有りましたが)の卒業を控えての“卒業旅行”で、ニュージーランドの自然を楽しんできたりで、超多忙につき、パライソメッセージが1ヶ月間飛んでしまいました。NPO法人CaPSAY(キャプセイ)が承認され登記も終了し、多忙なNext Stageを迎えましたが、メッセージを続けていきたいと思います。

【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:「特定秘密保護法」を告発する⑥

(新しい市民のトレンド)

 前回のパライソメセージの「一押しBOOK」で「シニカルに、しかも自分の言いたいことは十分に言って、それがある種ファッションのように世間に受けるというのは“勝ち組”願望の人たちには垂涎の心地良さかもしれない。自分の言いたいことを言って、やりたいことをやって、人に媚びへつらうことも無く、そして最低限の飯は食える(生活がやっていける)なんてことは、ある意味究極の“勝ち組”なんだろう。誰もがあこがれるし、ヒーローだろう。だがしかし、それだけでは世の中はなにも変わらないのではないか。先回のパライソメッセージで、古市憲寿と国分功一郎の対談を評して、「彼ら、感性の鋭い若手論客が、叡智と言われるように主体的にメッセージを発信し行動すれば変革への実感がトレンドとなり、日本も少しは良くなるのではないか」と言った。正確に言えば、「なにも変わらない」ではなく、雇用や福祉や生活に関わるかなりの部分での政策やその運用で『よりましな』改良や改革にいたる場合もあるだろうし法令に結実する場合も有る。例えば、厚生労働省や文部科学省等を見ていても、個別政策としては評価できる場合もある。逆に個別法令に関わっては、国民の利益を鋭く、厳しく蹂躙する“対決”になりうる場合もある。改良や改革に繫がる政策は若手論客や叡智と言われる人たちの提言を受けてという場合も有るだろう。しかし決定的にインパクトがあるのは、この間日本でも大きく盛り上がってきている、99%によるウォール街包囲やEU諸国での市民デモにも共通した『新しい市民運動』のトレンドではないか。反原発や反TPP、特定秘密保護法反対などの『新しい市民運動』は確実に安倍・自公政権を追い詰めているし、権力者をして国民の思いとの間に大きな矛盾、形としては権力者の本性を露呈させる大変重要なファクターである。

 今、大多数の国民との間の矛盾を激化させている実は脆弱な安倍・自公政権、権力者は、まるで歴史の歯車を逆戻しするかのように、“真剣に”必死になって“富国強兵”へと、平和と民主主義のぶち壊しへと大きくアクセルを踏み込み、大暴走をしている。現代の“富国強兵”は明治以来の“富国”の大義であった近代国家・先進国家の建設ではなく、『企業が世界で一番活動しやすい国』作りであり、アベノミクスという傍若無人で乱暴極まりない経済政策を推し進めることである。“強兵”はアメリカ軍国主義の世界戦略に組み込まれ、解釈改憲あるいは憲法そのものを改悪し、あらゆる国際動向に逆行して日本を戦争をする国に変えていくことである。安倍首相は、憲法解釈について『自分が最高責任者であり、責任を持って閣議決定する。それをもって選挙で信を問う。選挙で選ばれるのは内閣法制局長官ではなく、私だ。』と公言・妄言し、ASEANやEU諸国に見られるような、紛争への平和的・外交を通じた解決といったトレンドに大きく逆行し、憲法を蹂躙して日本を戦争が出来る国にしようとしている。NHK会長、経営委員には自分と意見を同じくする者を据え、公共放送を自らのプロパガンダに変節させようとしているのみならず、この間妄言、失言を続ける籾井会NHK長、百田・長谷川経営委員を更迭しようともせず、逆に居直りを許している。

 安倍、自公政権、権力者達はマスコミに媚びへつらいを強要し、ネトウヨやヘイトスピーチで盛り上げ、ポピュリズムを煽りたてて、まるでファシズムへの道を突き進んでいるかのようだ。

 

(この政治を、変えるために)

 この政治はもはや変えることは出来ないのだろうか。

 2月9日、東京都知事選挙が行なわれ、舛添氏が都知事に選ばれた。得票率は40%台。但し投票率も40%台で、有権者全体から見れば10%代後半の支持しか得ることが出来なかった。これが東京都における自民党、公明党、連合が強固に締め上げた組織力量なのだ。おそらく、映画『永遠の0』も舛添や田母神の20才台での支持率アップに少なからぬ貢献をしたことだろう。

 前回のパライソメッセージで書いたように、沖縄県の名護市長選挙では、米軍基地の辺野古移設を許さない稲嶺さんが、物凄い脅迫と利権誘導に関わらず、圧倒的な勝利を収めた。

 日本の政治を変えるために、新自由主義による規制緩和や自由化をスローガンとする大企業優遇と際限なき大きな格差社会の深化、集団安全保障を題目にした対米従属と軍国主義化にブレーキをかけ、国民の視点での政治にハンドルを切っていくには、今日の日本では選挙で意思表示し、自公政権とその補完・追随諸政党に20%以下の支持しか無いという現実を突きつけなければならないだろう。原発やTPPや特定秘密保護法に反対する、新しい市民運動が大きく展開されている。これらの市民運動は“昭和の時代”のように共産党や社会党、労働組合等が組織したものではない。欧米での99%の運動に共通したような動きである。欧米と比べると日本でのパワーバランスは、小選挙区制も相まって圧倒的な議席を有してはいても、実は砂上の楼閣であるのが実態だ。 

 私は、一つ一つの課題で、国民・市民・労働組合・政党等が世代を超えて一点共闘し、選挙で自公やその補完勢力を追い詰めることが、合法的に政治を変えていく合理的道筋だと思う。

 今、『反革命のすすめ』などと言って政治や選挙に対してシニカルに眺めるのではなく、主体的に参画し、意思表示していくべきだと思う。特に安倍、自公政権は、アメリカと大企業の単なる利益代表に留まらず、個人・人格の内部にまで侵入して個々の思想信条を蹂躙するような恐怖政治の匂いが露骨に感じられてきている。今、自らの信念を守り続けようとするなら、主体的に政治に関心を持ち、具体的には選挙で意思表示をすべきである。そうすれば、必ず政治がと言うよりも日本は必ず立ち直り、ふたたび世界の中で光り輝きを取り戻すであろうと確信している。

(以上)

 「一押しMovie」

題名:小さいおうち

原作:中島京子

監督:山田洋次

出演:黒木華松たか子片岡孝太郎、吉岡秀隆、倍賞千恵子

感想:

 第2次世界大戦時を時代背景とする暗い時代の中で、自分の感情や愛に生きるごく自然な人々の生き様の描写である。自らの感情や愛にあくまで忠実に生きる美しい人妻(松たか子)とそれに寄り添う女中(黒木華)の葛藤が、老婆の追憶の話として展開していく。この映画や前に「一押しMovie」で紹介した『少年H』は、同じ時代を背景とする映画『永遠の0』と比べると、そのリアリティや人間模様の描写は格段に品性がある。『永遠の0』は、特攻礼賛であり、自分の信念を持ち続ける、いわば究極の“勝ち組”であるかっこいいヒーローを徹底的に美化する俗な映画であった。

 『小さいおうち』はメッセージとして戦争の不条理さと、愛と自分の思いに忠実に、そして不条理な悲劇の終末へといたる、丁寧に作られた人間ドラマであった。若い黒木華がベルリン国際映画祭で銀熊賞最優秀女優賞を受賞したのも、この映画の良心と品性からすれば、妥当であったと思う。惜しむらくは、戦後70年の時代を想定するなら、老婆の年は80歳代後期か90歳代なのだが、演じた倍賞千恵子が少し若すぎた。

イソの評価:★★★★☆

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パライソメッセージ20140207 No.39

2014-02-06 19:15:35 | メッセージ

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パライソメッセージ 2014.02.07 N0.39

 Mail : isokawas@goo.jp

     Blog : http://blog.goo.ne.jp/isokawas

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 多忙の為2週間ぶりとなりましたが、「パライソメッセージ20140207 No.39」を送ります。本メールが「不要」「余計なお世話」の方は、お手数ですがその旨ご連絡お願いします。

【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:『特定秘密保護法』を告発する⑤

(沖縄県の名護市長選挙で、基地NOの候補が自民党候補に大差で勝利する)

 沖縄県の名護市長選挙で、辺野古の米軍基地建設(移設)に反対する稲嶺さんが、安倍・自公政権のなりふりかまわない総力戦で推した辺野古での基地推進を唱える末松候補を大差で破った。昨年来から石破幹事長が沖縄に乗り込み、強権で自民党沖縄県国会議員に『県内基地移設反対』の公約を投げ捨てさせた。更には仲井真県知事に対して500億円の名護地域振興基金をちらつかせるなど、札束で人の心を変節させようとしたが、民意は米軍基地の辺野古への移設を拒否した。それに対して防衛施設庁は辺野古埋立て工事の入札を公示するなど、民意を圧殺して基地建設を進めようとしている。

 沖縄県は在日米軍基地の70%が集中しており、第2次世界大戦後のアメリカの世界戦略にとって、重要な役割を担っている。冷戦時代には対共産圏の防波堤であり最前線基地であった。ベトナム戦争ではベトナムへの侵略や無差別の北爆の最前線兵站基地となり、ペルシャ湾での紛争でも重要な役割を果たし、今日においても中国の『封じ込め』も含む戦略要地となっており、沖縄は未だにまるで戦時体制である。沖縄でアメリカ軍が展開しているのは、海兵隊でありオスプレイであり、つまりは侵略や“殴りこみ”の為の部隊である。日米安全保障条約に基づく日本の防衛の為の基地とは程遠いアメリカの国際戦略の為に利用されており、沖縄はアメリカ軍国主義の象徴として世界からは見られている。そのような役割を果たす為に、沖縄では原発が置かれていない。これはなにも沖縄電力の『叡智』でもなんでもなく、米軍の戦略上の都合であることは知られている。

 沖縄の戦後史が示しているように、沖縄県民の人格や人権は米軍とそれに従属する歴代の日本政府によって大いに侵害され蹂躙されてきた。米軍による凶悪犯罪と治外法権や日米地位協定による米軍の横暴は、戦後一貫して沖縄に悲劇の歴史を刻んできた。名護市長選挙は、そういったアメリカ軍国主義、安倍・自公政権による猛烈な“アメとムチ”が荒れ狂い、内では県知事の歴史的な裏切り、自民党国会議員の集団での『米軍基地の県外移設』という公約の破棄といった中で闘われて来た。だから今回の選挙は、単なる地方の首長選挙ではなかった。平和と戦争、民主主義と強権、県民の生活と膨大な利権が鋭い争点として闘われ、アメリカ軍国主義と安倍・自民党は凶暴な本性をむき出しにして、総力を挙げて襲い掛かってきた選挙であった。その選挙に、平和と民主主義と生活と権利を守る人たちが大きく勝利した。私は、名護市民の勇気と叡智を心から称え尊敬している。

 (安倍・自公政権は実は脆弱な政権) 

 政府・自民党は名護市長選挙戦の敗北後『(500億円の名護復興基金は)市長がなにも言っておられないので』ないものとするとか『基地の移設は政府が決める』とか、民意を無視して強権を押し進めようとしている。実際沖縄県では、辺野古の埋立てについて、工事業者を集め入札を行なうことを公言している。入札を行なう等というのは、『手続き』であり政治家ではなく官僚の発想だろう。一体民主主義は何処に言ったのか。安倍・自民党あるいはその背後の官僚権力は何処まで暴走し、強権を進めようとするのか。彼らは更にはファシズムを目指し、ひた走っているのか。

 安倍・自公政権は、議会において確かに絶対的多数の議席を占めている。しかし、それは絶対的な支持を得た磐石の政権ではなく実は脆弱な政権である。その根拠は3点あると思う。

 第1に、圧倒的・絶対的多数の議席ではあるが、それは広範な国民の支持によって支えられているのかというとそうではない。それは民主党前政権の余りにもふがいない体たらくに対する国民のリアクションが、小選挙区制という選挙制度のおかげで“相対的多数票”が集約されたに過ぎない。全体としての国民の自民党への支持率は20%台に過ぎない(投票率×得票率)。20%台の支持率の政党が、いまや強権を駆使して日本を戦争と民主主義破壊の国へと押し進めようとしている。表面上磐石に見える政治も、実は20%台の支持率しかない政党が進めている。だからこそ今の内に強権でもって戦争と民主主義破壊のレジームを押し付けているのかもしれないが。

 第2に、安倍・自公政権のこの間の政策の一つ一つが、国民の生活や利益に大きく反対することばかりであり、国民との矛盾がますます大きくなってきていることである。原発の推進や輸出、昨年末の特定秘密保護法、消費税の値上げ、TPPの合意、今後押し進めようとしている競争主義、道徳教育の必須化と“富国強兵”の教育政策、共謀罪の導入、そして何よりも解釈改憲し集団安全保障を実践し“戦争を出来る国”へと歩もうとしている。これらが多くの国民の反対や抗議の運動となって、“新しい市民運動”に対して『本質的にテロ』と呟いてしまうほどに政権は追い詰められている。

 第3には、靖国参拝に見られるような、従来の保守政権の枠をも突き抜けた右翼化に対して、国際的にも批判され孤立化している現状である。靖国参拝では中国、韓国のみならずアメリカからも『失望した』と評され、EUからも懸念の意が明らかにされた。麻生副総理の『ナチスの手口を見習ったら』発言や石破幹事長の『戦線離脱なら死刑』発言によって国際的に顰蹙を買ったが、今回の安倍首相の靖国参拝とその後の“居直り”発言が、国際的な顰蹙に止まらず、日本の為政者に対する不信と、世界での孤立に繫がっている。昨年11月のアメリカによるシリア攻撃に対して、国連を始め国際世論がアメリカを批判し攻撃を断念させたように、世界の政治は戦争でなく外交で“紛争”の解決を目指すのがトレンドである。そんな中で安倍・自民党、一部官僚も含めた権力者のアイデンティティは、日本を世界からの孤立への道へと猛進させようとしている。

 安倍・自民党政権は、強権を持って暴走しているが、実は脆弱な政権であることは間違いない。その政治を糺す為にはどうするのか、名護市長選挙はどういうメッセージを伝えたのか、次回にそのことを考えたい。

 

「一押しBook」

書名:社会の抜け道

 

著者:

 古市憲寿⇒1985年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍。若手論客で、著書に『希望難民御一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想』『絶望の国の幸福な若者たち』。

 国分功一郎⇒1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。高崎経済大学経済学部准教授。専攻は哲学。若手哲学者であり、計画道路建設では住民運動に取組む。著書に『スピノザの方法』『暇と退屈の倫理学』『来るべき民主主義-小平市都道328号線問題と近代政治哲学の諸問題』

出版社:小学館

書評:

 古市も国分も最近の若手の論客である。この本はテーマを絞って議論を交わすとか、メッセージを発するといったものではなく、二人の日常会話に近いおしゃべりパフォーマンスを対談として編集している。だから非常にテンポも速く、脳にも心地よい刺激になって響く。どちらかというと未だ20台の古市は少しシニカルな風であり、テーマに対して自分を客体化しながらものごとの本質を軽妙に論じているが、国分は都道の建設をめぐって住民運動に参加したり、子育て世代として保育園にも関わり、話に生活のリアリティは有る。ただ『第6章 僕達の「反革命」』などに出てくる対話は、今の若者世代の社会との関わりでは共感を持つ部分があるのだが物足りない。自分を客体化し、「革命」や「政治を変える」といった行動(自分を主体化)をすることに距離を置く感じである。しかし、現実に政治を変えるとか権力者に対する意思表示の決定打は、合法的な選挙しか手段は無いのではないか。名護市長選挙での稲嶺さんの勝利は、人々の平和への固い意思表示であるし、アメリカ軍国主義や安倍・自公政権に対する痛烈な批判のパフォーマンスを世界中に発信した。シニカルに、しかも自分の言いたいことは十分に言って、それがある種ファッションのように世間に受けるというのは“勝ち組”願望の人たちには心地よいかもしれない。しかし、それだけではなにも変わらないのではないか。彼ら、感性の鋭い若手論客が、叡智と言われるように主体的にメッセージを発信し行動すれば変革へのトレンドも実感し、日本も少しは良くなるのではないかという思いがする。

 

イソの評価:★★★★☆

蔵書:イソ蔵書(貸し出しOK)

 

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パライソメッセージ20140117 No.38

2014-01-19 16:31:45 | メッセージ

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パライソメッセージ 2014.01.17 N0.38

  Mail : isokawas@goo.jp

     Blog : http://blog.goo.ne.jp/isokawas

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  「パライソメッセージ20140117 No.38」を送ります。本メールが「不要だ」「余計なお世話だ」といわれる方は、その旨ご連絡お願いします。

 【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:『特定秘密保護法』を告発する④

(東京都知事選挙に対する私見)

 パライソメッセージ№.38で『ではどうすれば良くなるのか』の私見を述べると言った。その前に、急に騒然としてきた東京都知事選挙について、若干思うところを述べたい。

 新聞、マスコミは東京都知事選挙について、当初“舛添一人勝ち”のような扱いで、都知事選挙そのものの報道も殆ど無かったのが、細川前首相が小泉前首相に推され、“反原発”を旗印に立候補の意向を示すや否や(正式な政策表明は17日現在未だなのだが)大騒ぎとなっている。連日新聞やマスコミは細川・小泉連合VS舛添・自公連合にのみ焦点を華々しく当てた大きなスペースでの報道を垂れ流している。これについての私見を述べたい。

 まず、原発が選挙の争点となることについては大いに結構なことなのだが、今次の都知事選挙は昨年12月の国民の轟々たる批判と反対を圧殺して特定秘密保護法を強行採決したことや、安倍首相の靖国神社参拝によってアメリカでさえも『失望』させ、世界中からの非難を浴びる等の時代錯誤のナショナリズムを露呈した直後であり、直接的には猪瀬前知事の金問題を契機とした辞任によって行なわれることとなったのである。当然選挙の争点は都民の暮らしや雇用、福祉、教育そして2020年東京オリンピック等、多岐にわたる。しかし一方では、大きなトレンドとして秘密保護法や靖国参拝に見る民主主義のあり方や歴史評価、政治と金などが国民に問われるものである。にもかかわらず、新聞やマスコミは周辺の戯言も含め舛添・自公か細川・小泉かの“二者択一”が既定の前提であるかのような扱いである。そのもっともスポットを浴びる争点として原発問題がある。

 思うところは二点有る。第1には、争点に原発を置いていることである。今世論調査では、原発の即時廃止や将来的に廃止と言う意見が7~8割にも上っている。これではどちらが優位か明らかであろう。そのため最近では舛添までもが『脱原発依存』などと言っているが、実は最近のテレビ番組の中で原発礼讃・推進発言をしているところが放映されて、原発が争点に出来なくなっている。

 第2は、今までのような自民党への批判勢力の受け皿が無くなってしまった事である。1985年体制の崩壊以来、様々な政党が出ては消えながらも、当時の自民党批判世論の“受け皿”として新聞、マスコミは持ち上げてきた。最近では2009年の歴史的な自民党陥落、民主党政権の発足が時代を象徴した出来事だった。しかし民主党政権は当初の公約を悉く反故にし、政治を大混乱に陥らせてしまった。象徴的な出来事は消費税の増税を『自民・公明に懇願して』法制化したことだろう。それらに対して民主党に下した国民の意思表示は、衆議院・参議院選挙での民主党の大凋落ということになった。しかし新自由主義施策の行き詰まりを十分に自覚している権力者・官僚はそれでは立ち行かず、国民の批判の受け皿として、みんなの党やら日本維新の会その他有象無象に期待しマスコミはそれを盛んに持ち上げる。しかし、それらは実は自民党批判の“受け皿”などではなく、実は自民党の補完勢力・応援団でしかないことが原発問題やTPP、秘密保護法など一連の政治動向の中で明々白々となってきた。今日自民党政治や権力に本当に抗しているのは、国会においては新しい市民運動と連携した共産党、社民党、あるいは一部の無所属議員である。

 第1に関して言うなら、原発が争点であるなら、反原発の候補者は一本化したほうが良いということである。反原発の明確な意思表示をしているのは、宇都宮氏と細川氏。宇都宮氏は元日本弁護士会会長で人道的な弁護士として貧困問題や雇用問題に実践的に取組んできた。前回の都知事選挙にも立候補し100万票近く獲得しており、都政全般に現場目線で関わっていく能力・資質を有している。

 かたや細川氏は未だに都政政策を出せていない。とはいえ、真摯に反原発を掲げ、その実現を目指したいのであれば、都知事選挙というのは極めて大きな選挙なのだから、ここは原発に反対する広範な国民・都民の力を分断するようなことはせずに、立候補を止めて小泉氏ともども宇都宮氏を応援するのが良い。

 第2に関して言うなら、アメリカに従属し超大企業にへつらう自民党に対する広範な国民に対する批判の“受け皿”が無くなってしまったこと。このまま行くと、下手をすると共産党への支持が高まり、一定以上の勢力となりかねない。そうなると自民党・権力者、官僚らが利権と権力をもってしても自分の意のままに成らなくなってしまう、もっとも忌み嫌う事態になりかねないことである。かつて1960年代~70年代、私の青年時代には、京都、大阪、東京、沖縄等で共産党と社会党(現社民党)が連携し、革新知事や市町村においても革新市長が続々と誕生した。そのときには各自治体で老人医療の無料化や子供の医療費の無料化、中小企業への手厚い保護など、人に優しい政治が行なわれた。かつて京都府庁には『憲法を暮らしの中に』という大きな垂れ幕が掲げられていた。

 自民党・権力者、官僚を支配する新自由主義者がもっとも忌み嫌い恐れることがこういうことなのだろう。だから何としても広範な市民運動やそれと連携した共産党、社民党等に政治を担わせてはいけない、それぐらいなら“受け皿”にやらせたほうがよっぽどまし、どうせ官僚が取り仕切る、というのが実情であろう。

 私の思う2つのことは細川・小泉の登場によって都民・国民の目を反らせることと無関係であるとはとても思えない。朝日・毎日新聞やマスコミの『はしゃぎよう』を見れば、つくづくそう思う。

 

(政治の仕組みと政治を変える仕組み)

 それならばどうすべきなのか。次回、そのことに論及したい。

(続く)

 「一押しMovie」

書名:武士の献立

脚本:柏田道夫(『武士の家計簿』と同じ作者)

監督:朝原雄三(『釣りバカ日誌』の監督)

出演:上杉彩、高良健吾、西田敏行、余貴美子

感想:

 あらすじは江戸時代の加賀100万石の話。主人公は舟木伝内、安信という包丁侍の親子で家は代々藩の炊事を賄っている。安信(高良健吾)は青雲の志を持っているが包丁侍という現状に不満。伝内(西田敏行)は家督を継がせる為に奔走する。藩主が江戸詰めの時に知った聡い娘、春(上戸彩)に息子の嫁になってくれと懇願し実現する。といった前段の後は、安信が加賀お家騒動に連座したり、春のサジェッションも得て創作料理を工夫したり、料理の技に精進したりでやがて伝内ともども加賀藩での将軍や近隣の大名を招いた饗宴での接待料理作りを采配する。そのプロセスでお家騒動で惨殺された同志であり友人でもある侍の嫁とのエピソードあり、饗応料理の素材探しに能登半島への旅があり、結構退屈無く話しが進んでいく。

 響宴が大成功のうちに終わり、家に帰ると春が失跡。春を探して…というヒューマンドラマ。

 原作が、『武士の家計簿』と同じで、監督や制作スタッフも引き継いでいるので、シリーズものになるのか。いずれにしても、山本周五郎小説を思わすような、ほのぼのとした、余り押し付けがましくなく人間味にあふれた作品で、それとなく歴史の事実にも沿って、見終えた後味は大変よかった。

イソの評価:★★★★☆

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パライソメッセージ20140103 No.37

2014-01-07 08:30:57 | メッセージ

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パライソメッセージ 2014.01.03 N0.37

  Mail : isokawas@goo.jp

     Blog : http://blog.goo.ne.jp/isokawas

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 新年明けましておめでとうございます。

 平和で穏やかで誇り高い日本が、何やら危うくなりそうな世情の昨今ですが、正道は見失わず、決して諦めることなく、大勢に流されずにプライドを持ってこの一年も生きていきたいと思います。

 私事ですが、この3月には43年間の“賃労働者”生活もいよいよ卒業となります。もっとも、途中11年間は“資本家”も経験したのですが、大企業に搾取されるといった“被搾取者”としては変わることの無い長い半生ではありました。しかし、自分のやりたいことや信念を曲げることなく、そしてすばらしいパートナーとともに、幸せで刺激的な(平凡ではありません)家庭を築いてこれていることは、望外の幸せです。

 卒業後は、若者のキャリア形成を支援するNPOを設立し(申請済・縦覧中)引き続き『やりたいことをして』残された人生を生きていきます。

 

 特定秘密保護法が安倍首相の主導で、自民・公明両党によって国会で強行採決されて1ヶ月が過ぎる。強行採決後、多くの新聞やマスコミは穏便な報道や“結果報告”ばかりになり、早くも大政翼賛会のムード作りか自粛ムードが感じられる。しかし一方では、フォーカスが年末には『逆らう国民はテロリスト』といった特集取材を載せたり、一部新聞では問題指摘や批判報道を続けている。何よりも広範な国民の中で特定秘密保護法や安倍首相、自民・公明党を批判し、指弾する声は絶えることがない。とはいえ、特定秘密保護法に反対した多くの人達も、たとえ強行とはいえ採決・法制化されてしまったのだからと言って諦めるとか、反対の世論もいずれ沈静化するといった、安倍・自民党政府、官僚、自・公両党の思惑通り、このままやがては諦めと無気力・無抵抗の世の中になってしまうのか。

 実は私は、そうは思っていない。彼らの思惑を頓挫させる可能性は大いにあると思っている。第2次世界大戦時の治安維持法や軍機秘密法制定の時代と今日の状況の大きな違いは何か、私の考えを述べたい。

 【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:『特定秘密保護法』を告発する③

(『新しい市民運動』)

 『逆らう国民はテロリスト』といったセンセーショナルな見出しが、年末の写真週刊誌フォーカスの表紙に踊った。このことは連日国会を取り巻いた特定秘密保護法に反対する大きな市民運動を指して、石破自民党幹事長の言った『テロと本質的には変わらない』をとり上げているのだが、彼がつぶやいてしまうほど大きなうねりを起こした市民運動だったのだろう。

 私は、この市民運動は反原発の運動と繫がる、“新しい”ウェーブだと思った。何が“新しい”のか。つまりこの運動は、かつてと違って共産党や社民党といった野党政党や労働組合等が組織した運動ではなかった。動員や組織された人たちではなく、SNSで繫がった人たちや、とにかく危機感を強く感じた人たちが、反原発の運動のように反特定秘密保護法という一点で集まってきた。集まってきた人たちは、主義や主張も支持政党もポリシーもそれぞれバラバラで、“革命”などとはおよそ縁遠い、おそらく“反革命”の人たちも多くいたであろうと思われる。かといって全くの自然発生的でもなく、反原発・反特定秘密保護法といった一点のポリシーを共有している。特定秘密保護法の場合は、知る権利を重い刑罰で抑制することによって、権力者の強い思いであるファシズムの現実的な可能性に対する、強いNOの意思表示なのだろう。

 こういった市民運動はかつて無かったと思う。イデオロギーで繫がるのではなく、NOの意思表示が集団行動のアイデンティティとなっている。そのことが世代や性別や職業、キャリア、いろんな属性を越えたウェーブとなって、何万人もの市民が集まる原動力となったのだろう。参加者各々がそれぞれのパフォーマンスで意思表示する。暴力や強制は無縁で、市民集会や市民デモのいわば先進国でのグローバル・スタンダードのスタイルに近いのではないか。

 

(戦前との違い、それは自立した市民)

 第2次世界大戦前において、世界で2,000万人以上の人々が犠牲者となった。その中で日本国民の300万人以上の犠牲を強いた大きな元凶は帝国主義・軍国主義だ。日本においては、大政翼賛会として実質上政党活動を抑圧し、天皇を神格化しかつ徹底的に政治利用を図ることによってファシズムの体制が敷かれてきた。政治・経済・思想文化の全てが戦争へと動員された。この、国家総動員を強制すべく法的措置が治安維持法であり、軍機秘密法である。

 治安維持法の初めは違反の最高刑は禁固20年であったが、すぐに死刑となった。治安維持法によって、小林多喜二を始め、多くの草の根反戦主義の人たちや日本共産党員が弾圧され、拷問による虐殺や獄死・刑死させられたのである。当時の言論は大本営発表の情報の垂れ流しであり、軍機は勿論のこと、学術・文化、宗教、思想・言論、スポーツ等ありとあらゆる分野で、“真実”は権力者によって徹底的に隠蔽されたのである。国民の多くは真実を知らされること無く抑圧され、そして300万人以上もの青年兵士や非戦闘員の市民が犠牲となっていった。

 しかし、現在の状況は大いに異なる。戦前と異なり現在では情報は世界を駆け巡り、誰も情報を止めることは出来ない。その情報に接し、情報を摂取し活かしているのは“自立した市民”である。権力者は情報の阻止よりも、むしろ情報の操作・利用に躍起となる。操作・利用のし易い新聞・マスコミのみならずSNSを利用した、反中国・反韓国キャンペーンやヘイトスピーチなどもその一例だろう。

 しかし“自立した市民”の意思表示は、特定秘密保護法によって抑圧することなど、できるはずも無い。かつて人権を抑圧した国々でも今では情報と意思表示は抑圧できないではないか。

 次回は、更に進めて『それではどうすれば良くなるのか』について、私論を述べたい。

(続く)

 「一押しMovie」

映画名:永遠の0

監督:山崎貴(49才)  原作:百田尚樹(57才)

出演:岡田准一、三浦春馬、山本学、井上真央、夏八木勲

感想:若手が作った第2次世界大戦を題材とした映画ということで、是非とも見ておかなければと思い年末に見に行った。靖国神社を肯定する原作者ということもあり、『興味』を持って見に行った。

 結論から言うと、究極のヒロイズムの映画だった。岡田准一演じる宮部久蔵は、当時世界最高性能戦闘機ゼロ戦の誰よりも熟達したパイロットで、超人的な機体操作で艦砲も機銃も当たらない。ぎりぎりひきつけておいて急反転し、敵戦闘機の背後に回り撃墜体制に入るという離れ業を平然とやってのける。そして、自身は妻を愛し、子供を愛し『死なずに生きて還って来る』と言う。

 真珠湾攻撃やミッドウェイ海戦などターニングポイントとなる空中戦に参加し、空中戦では乱戦から離れ、被弾を避ける。『臆病者・卑怯者』と罵られる。戦争末期になり、特別攻撃隊が結成されても宮部は志願せずに生き延びるが、敗戦直前の沖縄戦で何を思ったか志願し、出撃時には整備不良機を部下に譲り生き永らえさせようとして、自らはアメリカ軍空母に突入する。そういった、宮部久蔵の生き方が、現在に生きる孫達の『本当のおじいちゃん探し』を通じて画かれている。

 いかなる罵詈雑言を浴びせられようと妻子を愛し妻子の為に自分は生き延びる、超人的な熟達した兵士、実は臆病でも卑怯者でもなく、ただ一機敵の艦砲・機銃を潜り抜け、空母に突入しようとするラストシーン、どれをとっても“究極のヒーロー”である。この映画の題材は第2次世界大戦ではあるが、戦争の悲惨さ、空しさ、2度と戦争をしてはいけないといったメッセージは何も無い。残ったのは素晴らしいCGで効果がアップされた宮部久蔵のかっこよさとヒロイズムだけ。但し、合コンでの孫世代の戦争観や特攻の評価のやりとりや、『本当のおじいちゃん』探しの結末の山本学が好演する人間ドラマの展開と、宮部が敵戦闘機を含め他人を撃墜するシーンが無かったことや、特攻の非人間性の告発、ラストシーンの余韻等には、監督の非凡な力量と思いは伝わってくる。

 イソの評価:★☆☆☆☆

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パライソメッセージ20131220 No.36

2013-12-21 13:49:43 | メッセージ

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パライソメッセージ 2013.12.20 N0.36

  Mail : isokawas@goo.jp

     Blog : http://blog.goo.ne.jp/isokawas

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  「パライソメッセージ20131220 No.36」を送ります。本メールが「不要だ」「余計なお世話だ」といわれる方は、お手数ですがその旨ご連絡お願いします。

 特定秘密保護法に引き続き、共謀罪の立法化が取りざたされている。また、集団安全保障を巡っては『積極的平和』などと御託を並べ、憲法違反の戦争参入へと突き進もうとしている。こういった強引な右傾化、軍国主義化は単に安倍首相の個性だけではないという思いがする。自民党総裁が自らの自民党に対する批判や支持率急降下に平然であるわけは無い。自民党議員が地方に戻れば批判の渦に巻き込まれ、更には次回選挙で落選する現実的なリスクがある。であるにもかかわらず自民党首である安倍首相をしてここまで強引に、クーデター的に政治のトレンドを捻じ曲げようとさせているのは一体何か。以下、私の分析と批判。

 【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:『特定秘密保護法』を告発する②

(特定秘密保護法を強行した内的要因と『公約違反・裏切りの政治』を強いるのは『誰』だ!)

 特定秘密保護法の拙速な強硬が、アメリカの待ったなしのデフォルトが外的な要因だろうということは前章で述べたが、もう一方で、安倍自民党政権の内適な“事情”を考えてみたい。

 7月の参議院選挙で自民党が圧勝し、権力に媚へつらう公明党との連立政権が国会で安定多数を占めて以降、参議院選挙で一切公約にも論点にも挙げてこなかったどころか公約違反も含め、国民の利益に反する悪法が次々と法令化されてきた。消費税増税法の強行、増税分は社会保障のためといいながら震災復興税の法人税への1年前倒しでの廃止や法人税減税など大企業への優遇、社会保障の切捨て・自己負担の増大、TPPの交渉への参加、原発の推進、オスプレイの配備の拡大と我が物顔の訓練の実施、内閣法制局長の人事で集団安全保障を合憲と解釈する人物への挿げ替え、NHK経営委員に安倍首相の『仲良し』を強引に送り込む等々。こういった動きに対して、反原発や沖縄の反基地の運動、国内のオスプレイ配備反対等、国民・市民の新しい形の運動が広範に巻き起こっている。

 『政治家は二枚舌』等といわれることがよくある。多くの自民党議員は地元でTPPは絶対反対とか『守るべきは守る』等と言っている。沖縄でも自民党議員全員が『基地の県外移設』と言って議席を獲得した。それが民意でありそう公約しなければ議席を得ることが出来なかった。今、権力者の行っていることは公約違反であり、裏切りである。しかし、おそらく確信をもって公約違反や裏切りを自ら繰り返す政治家はまずいないだろう。彼らは有権者に対して後ろめたい思いをしているだろう。そして大変な後ろめたい思いをしつつ、次の選挙の心配をしているはずだ。そんな彼らをしておそらく意に沿わないであろう公約違反や国民への裏切りを、一体『誰』がさせているのか。

 そのことに言及する前に、こういった政治の流れの背景で、看過できない『本音の吐露』が繰り返されている。このことの背景を考えることによって『誰』を推測したい。

 この間の一連の政治家の動向で、特徴的な動きが見て取れる。党派は異なるが、橋下大阪市長は「慰安婦はやむをえなかった」と言い放ち、旧日本軍の残虐非道の行為に対して是認し合理化をしようとした。当然のことながら、世界中から轟々たる批判が起こると、「新聞(特に朝日新聞)が真意を書いていない」とマスコミのせいにしたり、「慰安婦制度はどこの国でもあった」と問題の本質が人格・人権に関わる根源的な問題であるにもかかわらず、弁護士らしくない低俗な論点のすり替えで居直り続けている。橋下市長の言動に対しては、世界中から批判され、大阪府・市民を先頭に広範な国民から連日にわたる抗議行動が繰り返された。しかし、彼は辞任も、何らかの責任を取ることもなく、未だに大阪市長に未練たらしく居座っている。彼が少し変わったところは、かつてはマスコミをコントロールし、彼のポピュリズムのためにマスコミを最大限に利用していたのが、最近はマスコミにへつらうような雰囲気が感じられることだ。

 麻生副総理・財務大臣は、7月に粛々と憲法を変えるためにナチスの憲法改定の『手口を学んだら』と言い轟々たる批判を浴びた。世界では全く通用しない低俗さどころかナチスを肯定すること自体が犯罪行為とされる国が多くある。ナチスは気付かれぬよう粛々とワイマール憲法を蹂躙したのではない。自ら国会に放火し、謀略的にドイツ共産党を弾圧・非合法化した上で、翼賛議会で全権委任法を制定し、憲法を蹂躙してファシズムへと突っ走っていったのだ。今日の権力者はすでに『ナチスの手口』を踏襲しているかのように、ナチスを髣髴させている。このような発言を行なったのに、麻生氏は『発言訂正・言い訳』でその場をしのぎ、責任を具体的に取らない。

 石破幹事長は7月に、軍事裁判所の設置と『戦争に行かないと死刑』と発言した。これについては取消しも謝罪も無い。日本国憲法はそもそも軍隊を持たず、戦争を放棄している。そのことが世界に対して大きな日本のステイタスになっているのに、一体何を言うのか。彼は更に今回の『テロ』発言である。これは取消しとは言うものの、不承不承で不満やるかたない雰囲気である。特定秘密に関わって、報道した報道機関に対して処罰されるとも言い、従来の説明と全く食い違い、さらにこのことに関しても取消しも無く、曖昧にしたままではないか。

 共通して、謝罪もせず責任も曖昧にする『本音の吐露』の本質は何か。誰が言わせているのか。

 私には、政治的にも経済的にも行き詰まり、打つ手も無く、一方で高まってくる市民運動を敵概視し、不安定な政権に業を煮やし、アメリカの巨大な重圧に重大な危機感を持つ優秀な官僚達が、強権的に政治を進めようとしているように見える。彼らはファシズムにしか生き延びる術がなく、ファシズムへの道へと国をリードしようとしているのだろうか。最近の政治家の動向が余りにも強引で拙速でしかも支離滅裂であるのをみると、どうにも一部エリート官僚による政治家コントロールの強い思いが実感してくる。次回は、それではどうすればよいのかのメッセージを書きたい。

(続く)

 

「一押しBook」

 

書名:「職業教育」はなぜ根づかないのか

著者: 田中萬年(たなか かずとし)1943年生まれ。職業訓練大学校卒業、職業能力開発総合大学名誉教授・博士(学術)。職業訓練、職業教育を現場で実践し続け、その実践から教育に対する批判的アプローチを深める。『働くための学習‐「教育基本法」ではなく「学習基本法」を』(学文社)、『教育と学校をめぐる三大誤解』(学文社)等の著作

出版社:明石書店 

書評:

 本書は、『教育』に対する根源的な疑問、Educationと『教育』への根本的な問題提起から、今日のキャリア教育への批判、そして氏のメッセージであろう『「働く」ための学習権の確立』と職業教育へと論点が進む。氏の世代や本書の読み出し『承前 教育問題の本質』からして、少し重たい、『そもそも論』的批判が軸かと思ったが、そうではなく大変真摯な『教育』論であり、豊富な事実検証、最近の論点や研究者への論評などで構成されており、真面目で丁寧な良書であった。

 何故日本では職業教育が根付かなかったのかを、メンバーシップ型(濱口桂一郎)といった日本型雇用形態から論及している。愛国心が強制され昔からの“富国強兵”の教育原理が伝統的に為政者にとって、教育のポリシーである。その誤謬を正し、個人の個性と能力が開花するすることが、本来のEducationではないか、といったメッセージを丁寧に伝えてくれる。

 

イソの評価:★★★★☆

蔵書:キャリアセンター資料にあり

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パライソメッセージ20131213 No.35

2013-12-13 21:56:04 | メッセージ

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パライソメッセージ 2013.12.13 N0.35

  Mail : isokawas@goo.jp

     Blog : http://blog.goo.ne.jp/isokawas

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 「パライソメッセージ20131213 No.35」を送ります。本メールが「不要だ」「余計なお世話だ」といわれる方は、お手数ですがその旨ご連絡お願いします。

 2013年12月6日、安倍首相、自民・公明の野党は、国民の轟々たる批判を省みず、それどころか石破自民党幹事長は、国民の大きな怒りの抗議行動をこの法律で特定されたテロと本質的に変わらないと言い、国民への抑圧と弾圧に露骨な意図を剥き出しました。

【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:『特定秘密保護法』を告発する①

(『特定秘密保護法』は世界の機密保護に関わる法律よりも、特別厳しいのは何故か)

 特定秘密保護法で特定される分野は、安全保障(防衛・軍事)、外交、テロ、スパイとされ、今回の強行採決で法律化し、お抱え評論家や一部のマスコミでは『他の先進国並にやっとなった』『同盟国(アメリカ)と情報が交換できるようになった』とか言っている。果たしてそうだろうか。確かに諸外国には、スパイ防止法やテロ防止法などの法律があり、刑事罰が厳しい国はある。しかし、それらの法律では、秘密にされるべき事項が明確に指定されており、事項に直接抵触しない情報については、むしろ積極的に公開され、秘密にされる事項そのものも期限が到来すれば全て公開される。厳格な機密事項外の情報は国民の判断に資するために公開され、マスコミもポリシーを持って報じているのが先進諸国の民主主義のひとつの形ではないか。

  一方わが国の特定秘密保護法はどうか。原案が30年後に原則公開と言っていたのが、維新の会が“修正”案として60年後公開と言うと、60年後に原則公開と、秘密の期間を倍にした上、公開についても“原則”として曖昧にし、実質的には永久秘密とした。また、何が秘密かということ自体が秘密である。秘密の事項は行政の長が定めるとなっている。行政機関の長とは、国では総理大臣であり、省庁では大臣であり、都道府県では知事・市長であるが、実態は官僚だ。つまり、官僚にとって“都合の悪いこと”はすべて秘密となる。チェック機関には総理大臣が関与するようなことも言われている。これでは自分で決めて自分でチェックすることになり、第三者機関には実効性が無いし、論理としてもおかしい。実態は官僚が決めて、長は追認するだけである。その長が“第三者機関”としてチェックをするという。こんな『秘密保護』をする国は世界にない。

 今日の現状を見れば、3・11東日本大震災での福島県の原発事故では、放射能飛散のSUPER1情報を秘密にした結果、避難が遅れ基準以上の放射能に、多くの人が晒された。原発のメルトダウンは長らく公表されず、未だに秘密(曖昧)にしたままであり、同様に多くの人が放射能に晒された。非核3原則を唱え、ノーベル平和賞を受賞した佐藤首相は、実は非核どころか核持込の核密約を締結し、アメリカ国会図書館でとっくに公開されているにもかかわらず、日本政府は未だに『密約はなかった』と言い張っている。同じ佐藤首相は1970年の沖縄返還時の日米地位協定による米軍基地に対する売国的協定については未だに存在すら認めていない。これは、当時の毎日新聞の西山太吉記者のリークで、彼が筋違いの公務員法違反の強制で厳しい刑事罰が課せられ、ことの本質が強大な権力によって握りつぶされた事件であった。これは山崎豊子さんの最後の小説「運命の人」のモデルになった事件である。

 これらは、世界の先進国に比して異質で大変恥ずかしい民主主義の不在であるのだが、今般の特定秘密保護法では、これらのことが曖昧になるのではなく、それどころか堂々と合法化されるということである。だから、諸外国からこの法の厳しさと民主主義破壊に対する懸念が表明され、危険性が指摘されているのだ。

 第一次安倍内閣の時に『共謀罪』が画策され、轟轟たる反対によって廃案となった。そのことによって第一次安倍内閣の辞職、国会解散、総選挙となり自民党政権が崩壊してしまった。ところが今回の安倍内閣では『共謀罪』の復活が図られている。特定秘密の漏えいに対する教唆、扇動、強要も刑事罰の対象とされている。よほど執念深い官僚機構なのか高級官僚なのか、とにかく陰湿な公安・警察官僚の影が国民に対して、ひしひしと圧力をかけ迫ってくる。

 これらの企みを勘案すると、こういう情景が想定される。

 デモ⇒デモはテロ(石破幹事長)⇒したがってデモはテロと本質的に変わりがないのであり(石破幹事長)、テロの扇動・強要だ⇒厳しい刑事罰。原発反対のデモ⇒原発はテロ対象で特定秘密⇒原発反対・原発情報公開要求の意思表示は特定秘密漏えいの強要に繋がる⇒厳しい刑事罰。TPPに反対⇒TPPは外交問題で特定秘密(現に厳格な秘密交渉が進められている)⇒TPP反対は特定秘密漏えいの教唆・強要になる⇒厳しい刑事罰、等々。多くのことがテロ(と決め付けられ)扇動・強要、あるいは反対の意思表示は教唆・強要とされることにより、官僚権力に反対の意思表示どころか、ものすら言えなくなってしまう。

 私たちは、真の情報を伝えることなく、大本営発表という権力者の統制のもとの腐敗・堕落しきった虚偽の情報操作で、300万人以上の犠牲者(日本人だけで)を出した痛苦の歴史を経験した。歴史の教訓は、国民主権者が自らの正しいジャッジメントを為すために、正しく・幅広い情報公開をすることを求めている。にもかかわらず、世界に類を見ない厳しい特定秘密法案を強行したのはなぜか。アメリカのデフォルトとの関連は前章で述べたが、その内的な要因を考えてみたい。

(続く)

 

「一押しBook」

 

 

書名:ブラック企業の見分け方~大学生向けガイド~

著者: 上西充子、今野晴貴、常見陽平

出版社:共著(ダウンロード用冊子、無料DL可)

書評:

 本冊子はブラック企業を社会問題と位置づけ、その対策を実践する関係者による著作。大学生向けにブラック企業の見分け方をわかりやすく解説してある。内容は充実しているが商業ペースの出版物とはせずに、学生も手軽に読みやすいように、無料でダウンロードできる冊子(資料)となっている。

 著名な方々で改めてだが、上西充子先生は法政大学キャリアデザイン学部教授で、学生の視点に立った研究・実践でご活躍中。今野晴貴氏は『ブラック企業』の著者。常見陽平氏は人材コンサルタント。ブラック企業の実態についての論評や現場の視点での解説、就職四季報の活用の仕方の平易で深堀した解説等、内容は小冊子ではあるが充実している。何よりも“上から目線”でなく、学生自身が主体的にブラック企業を見分けることができ、対応できるようにサポートする視点で書かれている。学生が主役を貫いている。

 何よりも、改めて勉強になるサジェッションも豊富。いい意味でのパラポラとして、良い会社の探し方にも繋がる。学生のみならず、大学の教職員や父母も是非一読することを勧めたい。現在首都圏の学生、教職員(大学に限らず)等に、大拡散、ブレイク中とのこと。

 

イソの評価:★★★★★

蔵書:以下のURLから無料ダウンロード可能   http://bktp.org/news/144

 

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パライソメッセージ20131206 no.34

2013-12-07 21:28:25 | メッセージ

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パライソメッセージ 2013.12.06 N0.34

 Mail : isokawas@goo.jp

   Blog : http://blog.goo.ne.jp/isokawas

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  「パライソメッセージ20131206 No.34」を送ります。本メールが「不要だ」「余計なお世話だ」といわれる方は、お手数ですがその旨ご連絡お願いします。

 『特定秘密保護法』が2013年12月6日の深夜に強行採決されました。この背景には、私は2月に迫っているアメリカのディフォルトの猶予期限との関わりが極めて強いと確信しています。まさしくこれは日米国家権力者による、戦後日本の原理・原則を根底から覆すクーデターであると思います。

【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:アメリカのデフォルト(債務不履行)が発するサジェッション④

(アメリカのデフォルトの最大の原因は、軍国主義と新自由主義③)

 アメリカには新自由主義者、つまり今だけ良ければ、自分だけ良ければと言う人たちにとってのパラダイスがある。つまり税金が0のエリアだ。このことは、以前に『一押しBook』で紹介した、堤美果さん著の『㈱貧困大国アメリカ』の第4章にレポートが記載されている。富裕層やヘッジファンドや投機筋たちが集まり、共同体での暮らしを営んでいる『町』には福祉も公的教育も公的扶助も何も無い。福祉や公的扶助などといった、社会的コストは徹底的に排除して、住民達が雇った武装ガードマン達が治安維持を請負い、貧困層は寄せ付けず、水道、電気などのインフラも調達し、教育も企業が請け負っている。受益者負担とはいえ、負担割合など一定のルールがあるのだろうが、それがどうなっているのかは分からない。

 一方では、デトロイトのように破産して福祉も公教育も公的扶助も無くなり、大変な凶悪犯罪の多発や治安の悪化、不衛生、教育崩壊で末世の様相をしている『都市』も全米で7市ある。それが今日の『貧困大国』アメリカの実相なのだ。今日のアメリカにおいては、新自由主義者のエゴイズムの本性は、まるでアメリカを胎内から蝕むインベーターのようではないか。

(もう一度、アメリカのデフォルトは“対岸の火事”では決してない)

 本章では、アメリカのディフォルトの最大の原因は、軍国主義と新自由主義だと言ってきた。10月末に緊急にドル国債の発行枠が拡大されることが決定されたが、その猶予期間は4ヶ月である。2014年2月末には再びデフォルトに直面するのは確実であるのに、いまや内外の世論は、過ぎ去ったトピックようにそのことをフォローしない。私は、この間の経済・政治等の動向を意識しながら見ている。そこで特徴的な最近の動向で、気になることを指摘したい。

(特定秘密保護法とアメリカのディフォルトは実は密接な関係があるのではないか)

 2013年12月5日の夜遅くに『特定秘密保護法』が国家安全保障特別委員会において自・公両党により採決が強行され、参議院本会議に送付されることとなった。『特定秘密保護法』については別途思うところを述べたいと思うが、この法案がまさにクーデターとでもいうようなやり方で強引に採決が強行されようとしている背景には、アメリカのデフォルトがあると、確信している。

 前に述べたように、アメリカは一貫して軍事大国であり、冷戦後も世界秩序をアメリカンスタンダードで、軍事力を行使しながら自らの世界戦略を構築してきた。しかしその戦略の欺瞞と誤りが、これも前にも述べたようにベトナムやイラクを始めとして検証され、汚点の歴史として記録されてきている。それが本年の化学兵器所有を介入への好日としたイランへの武力行使を、世界の世論に包囲され断念した事実となって繫がっている。しかしアメリカの本質的部分での軍国主義立国は全く変わっていない。アメリカは未だに圧倒的な軍事力を背景に、その使用も含めてアメリカンスタンダードの世界戦略構築を確固として目指している。

 今回の『特定秘密保護法』の秘密の対象は、安全保障、テロ、外交、スパイと言われてる。何ゆえに大急ぎで、クーデターとでも言うような強権で成立させるのか。それはつまり、財政破綻=デフォルトの一方の巨大な重石である軍隊も含めた軍事費を日本に肩代わりさせる。そのために集団安全保障の名の下に、アメリカの軍事戦略に組み込み、高度な軍事機密も日本に漏出させる。そのためには高度で極めて厳格な機密保護が必須となる。アメリカでの秘密保護に関わる法令どころではないもっと厳格な法令が必要となる。なぜなら、アメリカは徹底的に自国と自国の富裕層の利益を追求するし、他国の犠牲など全くいとわない。アメリカの共和党やティーパーティなどを見れば、極端なアメリカ至上主義が露骨である。アメリカが自国民を対象とする国内法よりも日本国民への法適用は、およそ人間性を持たないほどに厳罰を課し冷酷であるのは、この国の国民性の歴史を見れば明らかである。従って、待ったなしで『特定秘密保護法』を強行し、情報公開であったとしても『機密漏洩』として万死に値する極刑で日本国民を威圧・弾圧しながら軍備や軍事行為を日本に肩代わりさせることが、アメリカにとって喫緊のことである。

 アメリカのデフォルトの猶予期限が2月末に迫ってきており、日本の株価も乱高下の様子であるが、マスコミはあまり大々的には取り上げない。おそらくドル国債からヘッジファンドや多国籍企業の投機資金が日本の国債やら株にもシフトしてきているのだろう。株価の乱高下をセンセーショナルに取り上げると、どうしてもドルやドル国債売り、そしてアメリカのデフォルトが連想されるので、マスコミでは『そっと』しておいているのかもしれない。

  いずれにしても、アメリカのディフォルトが決して“対岸の火事”などではなく、それは、われわれの生活のみならず、日本国憲法や日本の平和をも重大に踏みにじろうとしているのであり、われわれがあきらめてしまえば、戦前の治安維持法の時代、ファシズムの時代への逆戻りの危険性も現実にありうることではないかと、大変に憂いている。私は、物言わぬ諦めと虚無感には決して埋没するまいと、心に決めている。

 (この章おわり。次回は『特別秘密保護法』について思うところを)

 

「一押しBook」

書名:戦後史の正体

著者: 孫崎 享(まごさき うける)1943年生まれ。東京大学中退、外務省入省。駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を経て防衛大学校教授。著書『日米同盟の正体‐迷走する安全保障』(講談社現代新書)『日本の国境問題‐尖閣・竹島・北方領土』(ちくま新書)

出版社:創元者

書評:本書を読んだのは今年の1月で、その時から何らかの形で本書を広く紹介したいと思っていたが、やっと適った。

 孫崎氏は、経歴どおりずっと外務官僚権力の中枢におり、イラン・イラクや紛争地域の現場最前線でもトップの外務官僚として働いてきた人物である。本書では、戦後の戦勝国アメリカによる『敗戦国』日本に対する『占領政策』から、東西冷戦時のアメリカの世界戦略のための日本の利活用、高度経済成長を経て先進国となった日本への圧力や謀略・戦略について、その歴史と事実を述べている。

 60年安保と仕組まれた岸首相(安倍首相の祖父)の退陣や、田中角栄がロッキード事件で刑事犯罪人となり失脚した闇の部分とキッシンジャーの怒り、1980年代ではプラザ合意やBIS規制の思惑とそれを契機に日本経済が、がんじがらめにアメリカに従属させられていく背景などは興味深い。

 彼のメッセージは、誇りも無く卑屈にアメリカに従属する属国日本の権力者への告発である。しかし決して絶望することなく、独立国として誇りを持った日本の再生が可能であることも述べられている。本書は高校生が読めるようにと大変平易で分かりやすく、文体も“ですます調”で書かれてあり好感が持てる。今の教育では戦後史を学ぶ機会が少ない若者達に、分かりやすく戦後史を伝えたいというのも、孫崎氏のメッセージの一つであるのだろう。

 『特別秘密保護法』が強行採決された。施行されれば孫崎氏は『外交』『安全保障』等の秘密事項の漏洩で苛酷な刑事罰を課せられる危険性が大だ。是非この本を読んで、『特別秘密保護法』の暗闇の背景にも想いを至らせて欲しい。

 

イソの評価:★★★★★

蔵書:イソ蔵書。貸し出しOK

 

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パライソメッセージ20131129 No.33

2013-11-29 17:46:08 | メッセージ

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パライソメッセージ 2013.11.29 N0.33

  Mail : isokawas@goo.jp

     Blog : http://blog.goo.ne.jp/isokawas

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  「パライソメッセージ20131129 No.33」を送ります。先週も超多忙に付き、また1週間跳んでしまいました。本メールが「不要だ」「余計なお世話だ」といわれる方は、お手数ですがその旨ご連絡お願いします。

 「ブラック企業の見分け方~大学生向けガイド~」がPDFで無料でダウンロードできます。法政大学キャリアデザイン学部の上西充子先生、NPO法人POSSE代表で『ブラック企業』著者の今野晴貴氏、常見陽平氏のコラボで発信したもので、東京・関東中心に大学生のみならず教員・研究者、大学職員に相当大きなインパクトを拡げ、大ブレイクしています。以下のURLから無料ダウンロードが出来ます。   ⇒   bktp.org/news/144

 引き続き、ライフワークに多忙な日々です。生きているのが実感できることは、幸せなことだと思います。(ただ単に思い込んでいるだけのおめでたい人間かもしれませんが。)

 【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:アメリカのデフォルト(債務不履行)が発するサジェッション③

(アメリカのデフォルトの最大の原因は、軍国主義と新自由主義②)

 アメリカのデフォルトのもう一つの原因は、新自由主義である。これは、軍国主義よりももっと直接的で、深刻な原因だろう。

 新自由主義はマルクス経済学とかケインズ経済学とかいった軸の通った、哲学の内在する理論でもなく、ガルブレイスやドラッガー、アルビン・トフラーのような現代の経営経済学の礎を築いた理念もポリシーも無い。あるのは『今だけ良ければ』『自分だけ良ければ』といった徹底した無責任で退廃したエゴイズムだけである。そのエゴイズムを糊塗する為のトリクルダウンの理論、つまり利益を上げられる産業や企業が、徹底的に利益を出せるように条件整備をする、そして利益が集中すればやがてその『おこぼれ』がまわり労働者の賃金も上昇する、といった『理論』がもっともらしく喧伝されている。企業利益が何よりも優先するため、例えばわが日本では東日本大震災の復興法人税は3年の予定が1年前倒しで廃止する、とか法人税の大幅な引き下げとか、大企業に至れり尽くせりである。安部首相はアベノミクスで金融の緩和や国土強靭化と称する大型公共投資を強行し、更には『日本を世界で一番企業が活動しやすい国にする』と公言している。企業が利益を上げやすくするために、規制緩和、優良な公益事業をも含めた民営化、自由化、自由競争といった『環境整備』のみならず、労働力の流動化が企業活性化の大義として、例えば解雇自由特区や裁量労働制(つまりホワイトカラー・エグゼンプション)、みなし労働性(つまり残業代不払い)などなど、まさにやりたい放題である。

 トリクルダウン理論が機能しているか。実際は、2008年のリーマンショックまで続いた戦後最長の好景気時に、企業は内部留保を莫大に増やし250兆円越えとなる一方で、働くものの収入は1人あたり70万円以上も減っており、全くトリクルダウンなど起こらなかった。空疎で欺瞞的なトリクルダウン理論を述べる学者や官僚は多くいるが、それを政治に持ち込んでいるのが安部首相を先頭とする、大企業の利益代表の政治家であり、口だけでなく実際に実践している、その突出した、突撃隊長ともいえる政治家が橋下大阪市長である。しかし、彼のポピュリズムもよりどころとしていた『大衆』から飽きられたのか、見放されたのか、落ち目になってきている。

 そういった中で、重要かつ直接的な社会のサスティナビリティに対する阻害要因であり、それがデフォルトの直接的な原因ともなっているのが、経常収支の『入り』である税の問題である。法人税の異常なディスカウントつまり引き下げは、国際的な競争にもなっている。『法人税が高率だと企業が海外に逃避する』というのが世界共通の理由である。流石に、法人税の引き下げ競争の欺瞞と反社会性に対して最近ではEU諸国で反省と批判が轟々と起こってきている。

 アメリカ国内における法人税の引き下げ競争のマッチポンプとなっているのが、法人税の引き下げ競争にもかかわらず、世界の金融機関、ファンドあるいは企業のホールディングといった企業グループの資産管理部門(会社)がどんどんと逃避、脱出している世界各地のタックスへイブンである。タックスへイブンとは極めて低い税率または無課税で、企業を誘致する場所であり、そこでは諸法的規制からも逃れる為に情報も隠す。そこは究極の規制緩和地であり、超大規模な“特区”である。

 タックスへイブンで有名なのは、カリブ海のケイマン諸島であるが、そういったところは世界中で200箇所以上あるといわれている。そこに投機会社やファンド、富裕層やマフィアの有象無象が資産を退避させ税金を逃れている。私も調べてみたが、タックスへイブンは1970年代から急速に拡大して、ケイマン諸島はいまや世界5位の金融センターで、8万社の企業がここに登記し、世界のヘッジファンドの4分の3以上が集まり、150兆円以上の預金がここにあると言われている。世界の富の4分の1をタックスへイブンが飲み込んでいる。そして彼らは納税の義務から逃れ、社会的義務を果たさない。

 タックスヘイブンと言うとカリブ海の無税のパラダイスなど、浮世離れした話では全く無い。新自由主義は“今だけ良ければよい”“自分だけ良ければよい”というのが性であり、その台頭と軌を一にして税金逃れのための、世界的スケールでタックスへイブンの拡大・分散に相乗りしてきた。“特区”などは、日本でもそうだがドメスティックなタックスヘイブンの企てそのものではないか。アメリカはその先駆者であり、多国籍企業等の大企業、富裕層、ヘッジファンドなどの投機筋は、海外脱出をほのめかし税金を散々低率に押さえ込み、その上でタックスヘイブンに脱出を図っているのである。

 投機家でもあるオーウェン・バフェット氏が、受付け嬢のほうが自分より税率が高い、富裕層はもっと税金を払うべきだ、と主張するように、アメリカにも良心や英知は沢山おられる。しかし、新自由主義者の主張する、低い低い法人税率とタックスヘイブンへの富裕層、大企業の流出が、税収の構造をいびつに変え、財政赤字をもたらし、ひいてはデフォルトの直接的な原因となっているのだ。

 次回は(新自由主義者のユートピア・・・税金0の国)と、『デフォルト』のまとめの予定。

(続く)

 「一押しBook」

書名:POSSE no.20

発行: NPO法人POSSE

出版社:堀之内出版

書評:

 POSSEはNPO法人が年2回発行する刊行誌だが、毎号充実した執筆陣でなかなか読み応えがある。本号も『安部政権はブラック企業を止められるか?』の特集で、8月に京都で開催されたシンポジウム(今野氏、熊沢誠先生、木下武男先生、脇田滋先生が報告者といった贅沢な顔ぶれ)の報告や、濱口桂一郎先生他、塩見卓也弁護士、佐々木亮弁護士などの執筆で、大変理論的にも実践的にも興味深い論文が掲載されている。さらには、若手議員と言うことで、話題の山本太郎氏、共産党の吉良よし子さん他がコメントを寄せている。

 POSSEとしてのメッセージの発信というのは、もともとあまり鮮明では無い。だが、いろんな立場や思想・信条を超えて、第一線の論客から市井の市民運動への参加者までが自分の意見を寄せてくる。ある意味こういった、“新型市民運動”のプラザというのがPOSSEのポリシーでありメッセージなのかもしれない。

 

イソの評価:★★★★☆

蔵書:キャリアセンター就職資料で蔵書

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パライソメッセージ20131115 No.32

2013-11-15 18:25:43 | メッセージ

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パライソメッセージ 2013.11.15 N0.32

 Mail : isokawas@goo.jp

     Blog : http://blog.goo.ne.jp/isokawas

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 「パライソメッセージ20131115 No.32」を送ります。「不要だ」「余計なお世話だ」といわれる方は、お手数ですがその旨ご連絡お願いします。

 今年も残り少なくなってきました。それにつれて、私のフェードアウトもいよいよカウントダウンが始まります。フェードアウトしますが、自分のライフワークでは再び世の中にフェードインします。だんだんと、多感を覚えつつ超多忙な日々。

【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:アメリカのデフォルト(債務不履行)が発するサジェッション

(アメリカのデフォルトの最大の原因は、軍国主義と新自由主義①)

 アメリカのデフォルトの原因は様々あるだろうけれど、最大の戦犯は軍国主義と新自由主義である。特に1970年代頃からのアメリカ凋落は、ドメスティックな問題に止まらず国際的な問題となってくる。アメリカ経済の双子の赤字といわれるのは、貿易赤字と経常赤字(財政赤字)である。財政支出に占める軍事費の比重が極めて大きいので、経常赤字の直接的な原因としての軍国主義は明らかだが、貿易赤字に関しても軍国主義が大きな原因となっている。

 1990年代に旧ソビエト連邦をはじめ当時の社会主義国が崩壊し、東西冷戦時代が終結する。ところが、冷戦を原因とする膨大な軍拡によって、膨大な恩恵をこうむっていたアメリカ経済の基軸でもある軍需産業は、あくなき利潤の追求を求め次々と新たな戦争に突入していった。第二次世界大戦以降1950~60年代の民族独立運動への軍事介入やベトナム戦争の主戦者であったアメリカは、東西冷戦終結後もアフガンへの介入、虚偽のプロパガンダであった『大量破壊兵器を保有する』イラクへの軍事介入、『対テロ戦争』最近でも国際世論の中で実行に至らなかったが『化学兵器疑惑』でのシリアへの軍事介入を宣言するなど、アメリカには戦後は無く、第二次世界大戦以降一貫してそして未だに戦争を続けている世界で唯一の先進国なのである。

 このことが実際はアメリカの経常支出に極めて大きな負担となっていただけでなく、アメリカの軍国主義は、世界でナンバー1の科学技術国、物づくりの国の産業や技術構造を大きく歪めてしまった。アメリカ産業の30%を占める軍需産業は、再生産の無い持続不可能の産業なのだ。世界ナンバー1の技術やそのノウハウを持つアメリカ産業は、軍需産業偏重によって相当歪められてしまった。民需品や平和産業の裾野は拡がらず、国際競争力もヨーロッパや日本に遅れを取るようになる。

 第2次世界大戦後の世界の大きな情勢は、民族独立運動と帝国主義、植民地主義の戦いが根源であった。民族独立の運動は大きなトレンドとして世界の歴史を動かし、多くの国が形の上では『民族独立』を勝ち取っていくが、そのうねりの中で様々な複雑な要素が絡み合ってきて人類に悲劇をもたらす。宗教、民族、部族、資源を巡る争い、利権争い等が複雑に絡み合い悲劇をもたらしてきている。イスラエルとパレスチナ、イラク、イラン、アラブ、シリア、パキスタン…。戦後の日本でも『戦勝国アメリカ』による支配政策として、『公用語を英語とする』『生活のレベルはかつての日本が占領していた国々の生活レベル以下とする』『司法権の剥奪』等が実施されようとしており、民族の悲劇の火種が残される重大な可能性が実際にあった。しかし歴史は、戦後の東西冷戦の中で日本に対する『政策』が変更され、天皇制を温存し、アメリカの世界戦略の要、反共の防波堤、集団的自衛権の下でのアメリカの侵略戦争のパートナーとしての役割を担わされ、違った意味での悲劇が今日まで続いている。

 軍需産業の圧力によって、アメリカが世界に紛争にあれこれと理由付けて、第2次世界大戦後一貫して戦争を仕掛けている間に、国際政治は大きく変動している。ヨーロッパではEUが築かれ、経済的にもユーロ経済圏が形成され、アメリカドル経済圏を凌いでいる。かつてSEATO(東南アジア条約機構)といわれたアメリカ主導の軍事同盟を締結していた東南アジアは、冷戦の終結以降アジアの平和と発展という各国のミッションを共有するASEANとして、第3世界を築いている。軍国主義アメリカはそのような世界のトレンドに調和せず、絶えず新しい『敵』を作り続け、ひたすらにかたくなに戦争を続けてきた。

 世界のトレンドと秩序はアメリカ中心主義を既に乗り越えている。アメリカ覇権主義、アメリカ中心主義はもはや遠くなろうとしている過去のものである。現在進行形のシリアへの攻撃意思もパキスタンへの無人機での爆撃による民間人の殺戮も国際的な非難が轟々である。未だにアメリカ覇権主義、アメリカ中心主義に付き従っているのは、歴代の自民党政権の対米従属派であり、今日の安部政権である。彼らは、アメリカとともに世界から孤立するリスクを自ら取りに行っている。

 それらのことがアメリカ産業を極端に歪め、持続可能な発展を阻害してきた。それが国際競争力を劣化させ、新エネルギー開発や、国際市場戦略を伴う民需品や平和産業等々の新しい産業の創出を不可能にし、成熟国の宿命もあいまって負のスパイラルとなり、巨額の貿易赤字に陥るのは必然であっただろう。ちなみに日本は、憲法9条による制約もありアメリカほど軍事費のシェアは高くないが(金額的には、米中に続き世界第3位という問題を内包しているが)、屈辱的ともいえるアメリカへの寄り添いによって、憲法第9条を持ち各国からも信頼されているにもかかわらず、ASEANでのリーダー的役割を果たそうとしない。それどころか、最近では集団的自衛権の解釈を変え、憲法9条を解釈改憲しようという、愚以上の犯罪的行為を犯そうとしている。

 アメリカの双子の赤字の一方が貿易赤字であり、それは産業の劣化の表出であり、産業の劣化は健全な税収の重要な阻害要因となっている。しかもアメリカ軍国主義は、世界資本主義の中での信頼を、政治的にも失墜させている。したがって今回のアメリカのデフォルトは双子の赤字が原因であり、その本質を詰めると、直接的にも構造的にもアメリカの軍国主義に大きく起因している。

 さて、アメリカのデフォルトのもう一つの原因は、新自由主義である。これは、軍国主義よりももっと直接的で、深刻な原因であろう。

(続く)

 

「一押しBook」

書名:ネットワーク京都2013年11月号

発行: 特定非営利活動法人ねっとわーく京都21

出版社:かもがわ出版

書評:

 本書は月刊のフリージャーナルだが、毎号充実した記事と編集で、読み応えがある。11月号の特集は「原発三題」で、共産党前国会議員吉井英勝さんがインタビューで原発利益共同体の醜悪な癒着を鋭く解析し批判している。女性ジャーナリストの池永紀代美さんはドイツのメディアが伝える福島の状況をレポートし、日本の原発利益共同体の醜悪な意図を彼岸から暴いている。新谷鉄氏はJR常磐線の現状のレポートで、現場を伝えている。

 11月号は、他に京丹後のXバンドレーダー米軍基地撤回を目指す大型座談会が掲載されている。いずれのコメンテーターも徹底的な現場目線。

 他、多少手前味噌ではあるが、小生のインタビュー記事「ブラック企業に負けない」が6ページで掲載されている。ご一読いただければ幸甚。

 

イソの評価:★★★☆☆

蔵書:イソ蔵書、他に組合でも蔵書。COOPブック&サービスでも販売

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パライソメッセージ20131108 No.31

2013-11-07 20:11:29 | メッセージ

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パライソメッセージ 2013.11.08 N0.31

 Mail : isokawas@goo.jp

     Blog : http://blog.goo.ne.jp/isokawas

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 「パライソメッセージ20131108 No.31」を送ります。「不要だ」「余計なお世話だ」といわれる方は、お手数ですがその旨ご連絡お願いします。

 自分のライフワークのために、超多忙の日々が続き4週間パライソメッセージが跳んでしまいました。再開に当たって、『R学園の再生』を少し休載して、最近大変気になっているアメリカのデフォルト(債務不履行)問題について、思うところを述べます。

 【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:アメリカのデフォルト(債務不履行)が発するサジェッション

(アメリカのデフォルトは、果たして『対岸の火事』だろうか)

 アメリカがデフォルトの崖っぷちに立ち、先日やっとのことで債務上限枠の4ヶ月間の拡大を議決した。アメリカでは国の債務上限枠が議会で議決される。共和党特にティーパーティの強硬姿勢で、新たな起債が不可となり、アメリカでは約2週間、国施設や国立公園の閉鎖、公務員のレイオフなどが実施され、それをマスコミがセンセーショナルに報じている。報じているといっても、そういった『絵になる』光景を垂れ流しているだけであって、デフォルトの本質を論及する姿勢は、マスコミには無い。日本経済新聞を筆頭にいずれの新聞も『対岸の火事』のような扱いで、興味本位の解説記事の垂れ流しで、ニュースのスペースも小さなものである。

 アメリカのデフォルトは果たして『対岸の火事』なのだろうか。アメリカ国債の保有高は、日本と中国が40%を保有しており、世界で突出して大きく、この2国がアメリカの国際的な信用を支えていると言っても良い。既にEUではアメリカ国債は売れない。それどころか、ドイツ、フランス、ブラジルや他国の首脳に対する盗聴問題で、アメリカは指弾され孤立化の状態にさえ陥りつつある。海外では『ヨーロッパとアメリカは冷戦状態』等といったことさえも報道されている。

 BRICsの国や途上国もドルやアメリカ国債を保有しているもののシェアは僅かである。アメリカ国債は日本と中国が40%を保有している。特に深刻なのは日本の場合で、日本ではプラザ合意以降、一方で円高が強いられ、もう一方でドル安の回避とドルの国際的信用の維持の為に、ドルやアメリカ国債を大量に買い支えるといった、国際経済におけるアメリカ中心主義スキーム維持の為に屈辱的ともいえる対米追随を強いられ、翻弄されてきた。日本は円高と同時にドル安を回避する為にドルやアメリカ国債を買い支えてきたのである。ちなみに、この屈辱的な対米追随は、今日でもTPPや、戦後の日米関係の厳然たる枠組みとなってしまった日米地位協定によって未だに続いている。中国の場合、アメリカ国債の買いは、買い支えというよりも投機目的でもあるから、今回のデフォルト騒ぎを機に、洪水の様な露骨なアメリカ国債の売りが始まるだろう。表に出ないようにして、既に始まっているかもしれない。そういうことは日本のマスコミは全くフォローしないのか、掴んでいても書かないのか。

 ドル国債は、多くは金融機関が引き受けたり金融機関やファンドが引き受け、彼らを通じて企業や個人も大量に保有している。デフォルトということになれば、ドルやアメリカ国債が単に紙屑になるだけでは済まない。ドルやアメリカ国債の担保価値も当然大きく下がる。まさか無いだろうとは思うが政府が信用保証を実行しても、市場は止まらない。担保価値が大きく下落すればどうなるか。大規模な不良債権の発生や取り付け騒ぎが起こり、金融の流れが超大混乱に陥るだろう。

 それだけでは収まるはずが無い。このデフォルトによって、デリバティブ(金融派生商品)の動きがどうなるのか。CDS(クレジット・デフォルト・スワップ:債務履行の信用を証券化した金融商品)が実行されれば一体どうなるだろう。CDSの実態はウォール街の金融プロでも正確には把握できていないが、サブプライムローンの2桁~3桁大きいと思われている。倍ではない桁である。日本の金融機関や和製ヘッジファンドは、莫大なCDSを保有している。様々な訳の分からないような債権に対しても、それらをブレンドしたデリバティブのクレジット(信用)のデフォルト(不履行)をスワップ(交換して保証)する金融派生商品は何1000兆ドルといった規模である。それらが破綻すると資本主義経済は一体どうなるのか、忠実にドルとアメリカ国債を膨大に買い支えてきた日本は、ドルやアメリカ国債が破綻し、単なる紙屑になってしまったら、どうなるのだろう。

 しかし、アメリカ経済が危機に陥ったのは今回が初めてではない。1970年代はニクソンショックと言われる、ドルの金兌換停止を実行した。当時は世界の基幹産業であった繊維に関わり、当時大躍進する日本の繊維業界にとって極めて不利な日米繊維交渉が締結され、アメリカは自国の繊維業界の危機と貿易赤字を何とか乗り越えてきた。戦後史を見れば1960年代以降、一貫してアメリカ経済は低落への道を歩み、それに対して躍進する日本が、屈辱的な外圧に抵抗するどころか、ずっとアメリカに寄り添い、媚びへつらい、アメリカを支え続けてきたのではないか。

 但し、今回は調整不可能な大変な事態が眼前に来いると思っている。何故なら私の直感的な思いではあるが、新自由主義者というのは日米それぞれ相容れることはない。屈辱に対して免疫を失っている日本はともかく、アメリカの新自由主義者には妥協とか程合いとかは全く無いだろう。新自由主義というのは徹底的な競争原理であり、『自分だけ、今だけ良ければ良い』というのが本質であり性である。日米の新自由主義者が協力し合うなどといった光景は全く想像できない。想像できるのは、一歩的に打ちのめされる日本の姿だけである。その兆候は既にTPPなどで見えている。

 とはいっても、私はアメリカのデフォルトによって世界資本主義が崩壊するとは思っていない。しかし、資本主義のスキーム内で、富裕税の増税を主張するウォーレン・バフェットを始め世界の英知を集めて、99%の人々ための新しい世界観・価値観が人類的に共有され、国際的な経済の新しいルールが構築されていくだろうと思っている。

 次号では、アメリカをデフォルトに陥れた張本人や、ポスト新自由主義の国際経済のルールについて思うところを書きたい。

(続く)

 

「一押しMovie」

書名:そして父になる

監督:是枝裕和

出演:福山雅治 リリーフランキー 尾野真千子 真木よう子 他

感想: 私は是枝監督の作品が好きだ。彼はR学園附属高校出身で、大学での客員教授でもある。だから少しの身贔屓が有るにしても、映画監督としての彼の天賦の感性に大いに注目している。彼の映画はニヒルで無機質な空間の中に、その作品の主題となるある種の人間性の存在感が切なく光る、とでも言うような、独特の是枝ワールドの中で、曖昧なストーリーが展開していく。『奇跡』『誰も知らない』のように最近の作品はストーリーが随分とイメージできるようになってきて、国際的にも高い評価が定まり、『そして父になる』もカンヌ映画祭で特別賞・審査員賞を受賞したのだろうと思う。

 この映画は、かつてよくあった病院で新生児を取り違える事故で、6年間我が子として育てた子供を、他人に育てられた実子と交換する実際の話しを題材にしている。子供の思いや目線からも描く、極めて濃いヒューマンドラマなのだが、この題材をどのように是枝ワールドに仕上げていくのかに興味があったが、感想としては少し違和感を感じた。

 ヒューマンドラマであれば、主演者は福山君ではなくて、例えばではあるが上川隆也なら、相手の親もリリーフランキーでなく香川照之、上司も西田敏行とか鶴瓶なんかだったらどうだっただろうな、と思いながら見ていた。山田洋二とは異なった、是枝ヒューマンドラマを磨いて欲しい。

 イソの評価:★★☆☆☆(少し辛口評価だが期待を込めて)

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パライソメッセージ20131011 No.30

2013-10-11 15:38:03 | メッセージ

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パライソメッセージ 2013.10.11 N0.30

 Mail : isokawas@goo.jp

     Blog : http://blog.goo.ne.jp/isokawas

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 「パライソメッセージ20131011 No.30」を送ります。「不要だ」「余計なお世話だ」といわれる方は、お手数ですがその旨ご連絡お願いします。

【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:かつてR学園は光り輝いていた-活気溢れるR学園の再生を目指して-⑧

(1%の居直りと共鳴して)

 未来を見据え学園の大多数の構成員が課題を共有し、持続可能な改革に一体となって取組んでいくには、相互不信の源泉となった過去の過ちに対して、真摯に総括し反省することが必要である。2009年10月に、常任理事会の【『「学園運営の改革に関する検討委員会」報告』の受理にあたって】の文書が出された。その論旨は周知の通り、トップダウンガバナンスや総長選任規程のプロセス、一時金カット、理事長・総長の退任慰労金問題等々の具体的な事例を挙げ、そのことが学園での不信の基、混乱の要員をもたらしている原因であり、常任理事会は「満腔の反省」を表意している。そして再び学園の構成員が参加・参画して学園創造を、と述べていたことは多くの教職員の記憶にあることだ。そのとき、やっとR学園も正常化に向けて仕切り直しが始まるのか、と思った教職員は私だけではなかった。

 然るに。現実はどうか。

 最近ではOICのキャンパス用地取得に関して学内での大きな疑問や、5学部長声明に見られるような明確な反対意見を無視して強引に取得を進めたり、学園財政での従来の説明の反故と将来の財政に対する深刻な不安、それに対する説明不能。当事者である経営学部教授会からの財政問題への憂慮表明に対する無視の状態、数100億円以上にものぼる工事契約においては従来から疑念がもたれていたT社との随意契約、理事会での『報告事項』として議論をスルーしようとしたこと、等々のことがいまだに変わらずまかり通っている。むしろより一層酷い状態に陥っているのではないか。

 最近のわが国の状況を見てみると、1%の権力者・富裕層そして彼らの利益を代弁する政治家の『居直り』は凄まじいほどに酷い。橋下大阪市長は『慰安婦は必要だった』と言い、そのことを取り消すことなくマスコミが悪いと攻撃する。麻生副総理は『ナチスを見習い、憲法を変えればよい』と言い、安部首相は『Atomic Power is under control 』と言い海外のマスコミに顰蹙を買っている。それどころか安倍首相は原発輸出のセールスマンとなり、あるいは『社会保障のため』と公約していた消費税は殆どが法人税減税分の補填に費やされる。大阪市の公募校長はパワハラ、市会議長は自分のパーティーに市立高校のブラスバンドを動員し、ワタミの元会長は恥も外聞も無く『夢』や『ありがとう』を公言し、過労死した社員の家族に謝罪もしない。こんな事例が次から次へと湧くように出てきて、いずれもが謝罪することなく、逆に居丈高に居直っている。マスコミは社会の木鐸として正義を追求することなく、かえって1%を称えている。消費税の8%への増税に当たって、『歴史的決断』などを言う新聞も含め殆どの新聞は体制翼賛である。Y新聞では社説で、『脱原発』を言う小泉元首相にまで『見識を疑う』などと言ってのけている。

 振り返ってR学園を見てみよう。前述のような学園の状態は、1%の居直りとまるで共鳴するかのように重なってくる。私はその1%の権力者、富裕層そして彼らの利益を代弁する政治家の居直りと学園一部トップ層の居直りは、ある種の仕掛けによって共鳴しているのではないかと思っている。

 先に述べたような、これら学園一部トップ層のガバナンスの後ろ盾は、改悪『私学法』だろう。学園は『私学法』に則って、理事長(国公立大学では学長)の『リーダーシップ』やトップダウンガバナンス、教授会の権限の極端な弱化を押し進めているし、一部トップからは『私立学校法』の言葉が漏れ聞こえたこともある。つまり、先述のような学園一部トップ層の独善的で強引な立ち居振る舞いの後ろ盾は文部科学省ではないかという思いを持たざるを得ない。でなければ、学位問題といった、学問・教育の場における致命的な失態や5年にも及ぶ一時金訴訟といった学園の不正常事態、200億円以上にも上る工事契約を理事会審議にかけないことに対して、おそらく文部科学省からの『厳しい指導』があったであろうことは容易に予測できるが、表面的にはなんの咎めも無い様に見える。無傷で過せているといったことは、理解が及ばない。なんの咎めも無いのなら、文部科学省の怠慢である。

 権力者、富裕層それに迎合する一部政治家と、R学園の一部トップ層の1%の居直り。これらは全くパラレルなものではないだろう。確かに今の政治・経済状況が大変酷くなっており袋小路の閉塞状況に至っており、居直りしか当面活きる道が無い。畢竟『今だけ、自分だけ良ければ』といった退廃的状態になる。マスコミも1%の居直りを批判するどころか、彼らに迎合するといった退廃・堕落である。

 だからこそ、私は1%達の居直りを許してはならない、看過してはならないと思う。これはR学園一部トップ層に対しても同じである。『済んでしまったこと』『手続きに問題があっても決まったことは仕方が無い』と諦めずに、彼らの責任を明らかにし、正しく総括させるべきである。放置すれば国も学園も滅びへの道を転げ落ちていく。ここ10年位の文部科学省の政策やサジェッションは無謬で金科玉条ではなく、酷く破綻しているい。ロースクール、公認会計士の大量養成、オーバードクター問題、等は破綻した政策であり、これからの『エンプロイアビリティとしてのキャリア教育』や『グローバル人材育成』も限りなくグレーである。私は1%達の居直りを、そういった意味でも強く懸念している。

(続く)

 

「一押しBook」

 

書名:大学キャリアセンターのぶっちゃけ話-知的現場主義の就職活動-

著者:沢田 健太(ペンネーム)、民間企業で営業や人事職、その後複数の大学でキャリア形成支援に関わる。

出版社:ソフトバンククリエイティブ㈱

書評:

 この本にはポリシーが無い。したがって学生、親、企業いずれに対するメッセージも感じられない。小ネタの暴露話で、現場の人間としては学ぶところは無かったし、学生に聞かせたいと思うところも無かった。ちょっと『大人』の視点からの評論家的アドバイスはところどころに書かれているが、就活真っ最中の学生にとっては、身近なキャリアセンタースタッフのほうが、学生に寄り添ったサポートをしてくれるだろう。

 筆者はあとがきの中で「就職率、就職実績の操作」「就職ナビサイトに企業も振りまわされている」「ショーイベント化する企業説明会」「企業の要請に対する『行き過ぎた適応主義』」などへの問題提起をしている。一定の現場からの視点であろう。ただ、全体の文章が非常に軽妙洒脱で、いわば読ませる文章になっていて、それが一方では問題提起するといったこととのアンバランスが極めて不自然だ。

 あくまで推測だが、これはプロのライターが取材に基づいて書いているのだろうと思う。それも取材のソースは「沢田 健太」さんだけではなく、複数の大学(大手から中小規模まで)の職員ではないかと思ってしまう。しっかりしたポリシーが求められる。

 

イソの評価:★☆☆☆☆

蔵書:キャリアセンター資料で、書架にあり。

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パライソメッセージ20131004 No.29

2013-10-03 18:03:08 | メッセージ

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パライソメッセージ 2013.10.04 N0.29

 Mail : isokawas@goo.jp

     Blog : http://blog.goo.ne.jp/isokawas

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【思うところ】

 作家の山崎豊子さんが亡くなられました。

 実は私は、小説は読まない主義です。なぜなら、小説は同じパターンでばかり書かれているから。つまり、様々な人間関係や人間模様が書かれ、最後にはどんでん返しの結末へと、パターン化されていて、何を読んでも大体同じなので結局飽きてくる。しかし、山崎豊子、司馬遼太郎、松本清張だけは別格。この3人の小説は大変骨太で、物書きとしての偉大さというか責任感というか、そういった重みがずっしりと伝わってくる。特に私は、山崎豊子と司馬遼太郎の小説は全て読んだ。

 山崎豊子の小説で最初に読んだのは『白い巨塔』。それを読んで、この作家の小説は全部読もうと思い、読み始めた。山崎豊子の小説にもあるパターンがあり、正義感の強い主人公が巨悪や巨大な壁に必死に、果敢に立ち向かう。そして女性作家らしい淡いロマンスが必ず入り、結末は繊細な抒情詩のような世界。初期の頃の『ぼんち』『花のれん』『芙蓉の人』などは別として、だいたいそういったパターンなのだが、何しろ素材が重厚でありそれに対して徹底的に真摯に取組んでいるので、一つ一つの小説のメッセージがずっしりと心に滲みてくる。どの小説にも全て感動したが、一番感銘を受けた小説は『大地の子』だった。多分それは戦争という原体験が背景にあり、山崎豊子の思い入れが、他の作品とは質が異なっていたからだろう。その意味では『二つの祖国』も少し同じ香りがする。共通して骨太で反骨清心旺盛で不屈でそれでもって責任感に満ちた丁寧な小説なのだが、この2作、特に『大地の子』は先の戦争を体験した作者が原体験を何重にも補強して小説として仕上げている。この世代の歴史を深く描くことが出来る筆力といったことといい、重厚長大なメッセージを送り続けてきたことといい、このような作家はもう二度と出てこないだろうと思う。 

合掌。

 

【主張・意見・コメントのページ】

テーマ:かつてR学園は光り輝いていた-活気溢れるR学園の再生を目指して-⑦

 (21世紀COEの採択の持つ意義)

 1998年の大学審議会答申を受けて「新自由主義政策」の施策の一つとして21世紀COE(卓抜した研究拠点)の採択が2002年から開始された。R学園では学園が培ってきた研究の成果を結実させるべく、教職が協働し積極的に申請に取り組んだ。その結果2002年度の第1回目のCOEにはR大学で3件(2003年度1件)が採択され、それは私学においてはK大学(5件)、W大学(5件)に続き第3位の成果であった(ちなみにT大11件、K大10件)。この時は学園の研究者、教員が営々として培ってきた研究の成果、たとえばアート・リサーチ・センターのわが国の最先端をリードし続けてきた研究や、産学連携で取組まれ、成果が検証されてきた研究が21世紀COE採択という形で結実したものであり、それらは学園全体の努力の結実として、学園の全構成員、校友、父母等の学園関係者にとっても大きな確信となり、学園アイデンティティの醸成に大いに貢献した。

 しかし、それ以降2005年にスタートするグローバルCOEも含めて学園の取り組みはどうであっただろう。どちらかというと立命館学園では1998年以前は研究活動は『冷遇』されていた。「費用対効果の非効率」「経費がかかる」「研究費は自前で稼いでくるべき」「教育が優先」等々言われていた。ところが1998答申、そしてCOE以降は、「採択」されること自体が自己目的化され、そのために「COEを取れる研究者」を外部から招聘するのに汲々としてきたり、それまでは『冷遇』されてきた研究費がにわかにマッチングファンドとして措置されるといったことになってきた。その結果一定の採択は果たした。しかし多大な経費を投入して外部から研究者を招聘し研究条件を整備してきたが、果たしてR学園の研究活動に多大な貢献をもたらし、学園の研究活動が大いに発展し、社会的にも貢献出来たのだろうか。そのことが学園のすべての構成員・校友・父母の確信となり、アイデンティティの醸成に大いに役立っているのであろうか。父母や受験生の視点は評価のほうへと向いていったのだろうか。それらのことを、遅きに失したかも知れないが真摯に総括しなければならないのではないか。

                                         (以上)

 

「一押しBook」

?貧困大国ア... 

 書名:㈱貧困大国アメリカ

著者:堤 未果  東京生まれ、ニューヨーク市立大学大学院国際関係論学科修士号取得、国連婦人開発基金、アムネスティ・インターナショナル・NY支局員、米国野村證券、以降ジャーナリスト。著書は『グラウンド・ゼロがくれた希望』『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』他多数。

出版社:岩波新書 2013年6月27日第1刷 1,500円(税込み)

書評:

 本書はよく読まれ、よく売れている。今話題の本の一つであり、TPPなど多国籍企業の横暴が吹き荒れる現代のトレンドを読む意味でも、自らの価値観に忠実に生き自らのキャリアを形成している女性のメッセージを読む意味でもお勧めの一冊である。筆者はアメリカの大学院を修了し、国連やアムネスティといった、自らの価値感に沿ったキャリアアップを体現している。  

 内容は、現代のアメリカにおいて多国籍企業や富裕層といった1%のエゴのために99%の人々が貧困に陥っている実態を徹底的に現場視点で暴き出し、『今だけ・自分だけ』よければ良いという1%層のモラルに対する告発である。第1章『株式会社奴隷農場』では、1%の構成者であるアグリビジネスやバイオ企業がいかに危険な農作物を作り、弱者・弱国を犠牲にして利益を独占する仕組みを作っているか、第2章『巨大な食品ピラミッド』第3章『GM種子で世界を支配する』では、遺伝子組換え食品(GM食品)の危険な実態と人々に犠牲を強いて1%が利益を独占する仕組みが述べられている。第3章までのところで、『食』を支配することによって世界を支配する、よりありように言えば手段を選ばず、遺伝子組み換えといった『神をも冒涜する』業で以ってしても『今だけ・自分だけ』の利益をむさぼる1%(この場合多国籍企業のアグリビジネスや製薬業界等)を強く告発している。

 第4章『切り売りされる公共サービス』では1%の社会的責任の放棄、納税と公共サービスへの貢献もボイコットする実態と、その結果としてのデトロイトの破綻や公教育、消防、公園などが消滅していく実態と、民営化された『夢の町』の実態がレポートされる。第5章『政治とマスコミも買ってしまえ』では今日の政治の裏側やマスコミの堕落が書かれている。そうしてアメリカは富める者と貧困者の格差が絶望的なまでに広がり、1%の強欲な超富裕層の影で、99%の悲惨な貧困層がうごめく超貧困大国への道を歩んでいる。

 勿論、本書は絶望とあきらめのメッセージではない。エピローグでは『グローバル企業から主権を取り戻す』ためにどうするのかのサジェッションが述べられている。

 最近は、強欲や貧困、アメリカ言いなりの従属、食の危機などを告発する書物が多く出版されているが、注目すべきはかつてのような『左翼的』『革新的』な人に限らず、元官僚とかどちらかというと『右翼的』な人による告発も大変多い。あちこちから日本の重大な危機に対する警鐘が鳴っている。

(以上)

イソの評価:★★★★★

蔵書:五十川蔵書。よく売れており、市民図書館にも蔵書あり。

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