たまに書いている競馬読書感想文シリーズ。
今日の課題図書は、古井由吉のエッセイ「こんな日もある 競馬徒然草」です。
純文学をほとんど読まず、古井由吉という作家の名前も初めて聞いたくらいの人間が、なんでこの本を読もうと思ったかというと、社台の会報誌の連載「どっぷり酒馬ダイアリー」で紹介されていたからです。
酒馬ダイアリーの大竹聡さんによると、古井由吉は日本の現代文学の巨星であると同時に、大の競馬ファンであったとのこと。
この随筆集は、月刊誌「優俊」に約30年連載されていたエッセイの中から、古井と同じく競馬ファンの高橋源一郎が選んだものが収録されているそうです。
こんな紹介文を読んだら、それは読みたくなるというものじゃないですか。
純文学は面倒で読めないですけど、純文学作家の眼で切り取られ、そして文字を通して語られるこの30年間の日本競馬に、興味をそそられないワケがありません。
ということで、随筆集を読んだ感想なんですが。
いや~、文章の圧が半端ないです。
酒馬ダイアリーの大竹さんは、もったいなくて意識的にゆっくり読んだと書いていましたが、私は、エッセイであっても、研ぎ澄まされた文章のキレに、グサグサと切りつけられている感覚になり、いっぺんには読めませんでした。
硬質でベタっとしたところがまるでなく、感情的な表現は使わないのに、こちらの感情を揺さぶってくる文章。
言葉の芸術家ですから当然なんですが、小説家ってすごい人種です。
そんな特別な人種から見た、およそ30年の競馬の移り変わり。
伝説の「中野コール」を苦々しく眺めていたり(集団が生み出す無邪気な熱狂は、古井の世代的には嫌悪の対象でしょうね)、競馬だけではなく競馬ファンの変化についても、エッセイは伝えてくれます。
年齢の割に競馬歴の浅い私が見た風景と重なるのは、最後の10年ちょっとでしょうか。
私の知らない時代の話も面白かったのですが、自分が見たものが、古井にはこう見えていたんだと思って、やっぱりそっちの方が興味深く読めました。
ただ、競馬愛が燃え続けていることは伝わってくるものの、文が纏うエネルギーは、年齢的なこともあるのか、終盤になるにつれて、どうしても枯れてきているように感じました。
恐らく、競馬場に足を運ぶ回数も減っていたはずです。
そうしたこともあり、読了後は、少し寂しい気持ちにもなったのですが、ふっとある考えが浮かびました。
この随筆集は、競馬という1つのテーマで書き続けたことで、日本競馬の30年史になっていると同時に、そのテーマと向き合い続けた古井自身の30年史にもなっているという、二重構造をしているんだなと。
随筆集の最後に古井の年譜がついているのも、そう考えると、なるほど納得です。
競馬は、年齢や環境が変化しても、それぞれのステージでの楽しみ方がある娯楽。
だからこそ、人の“生”に深く寄り添える。
そんなことを改めて考えさせてくれた本でした。
今日の課題図書は、古井由吉のエッセイ「こんな日もある 競馬徒然草」です。
純文学をほとんど読まず、古井由吉という作家の名前も初めて聞いたくらいの人間が、なんでこの本を読もうと思ったかというと、社台の会報誌の連載「どっぷり酒馬ダイアリー」で紹介されていたからです。
酒馬ダイアリーの大竹聡さんによると、古井由吉は日本の現代文学の巨星であると同時に、大の競馬ファンであったとのこと。
この随筆集は、月刊誌「優俊」に約30年連載されていたエッセイの中から、古井と同じく競馬ファンの高橋源一郎が選んだものが収録されているそうです。
こんな紹介文を読んだら、それは読みたくなるというものじゃないですか。
純文学は面倒で読めないですけど、純文学作家の眼で切り取られ、そして文字を通して語られるこの30年間の日本競馬に、興味をそそられないワケがありません。
ということで、随筆集を読んだ感想なんですが。
いや~、文章の圧が半端ないです。
酒馬ダイアリーの大竹さんは、もったいなくて意識的にゆっくり読んだと書いていましたが、私は、エッセイであっても、研ぎ澄まされた文章のキレに、グサグサと切りつけられている感覚になり、いっぺんには読めませんでした。
硬質でベタっとしたところがまるでなく、感情的な表現は使わないのに、こちらの感情を揺さぶってくる文章。
言葉の芸術家ですから当然なんですが、小説家ってすごい人種です。
そんな特別な人種から見た、およそ30年の競馬の移り変わり。
伝説の「中野コール」を苦々しく眺めていたり(集団が生み出す無邪気な熱狂は、古井の世代的には嫌悪の対象でしょうね)、競馬だけではなく競馬ファンの変化についても、エッセイは伝えてくれます。
年齢の割に競馬歴の浅い私が見た風景と重なるのは、最後の10年ちょっとでしょうか。
私の知らない時代の話も面白かったのですが、自分が見たものが、古井にはこう見えていたんだと思って、やっぱりそっちの方が興味深く読めました。
ただ、競馬愛が燃え続けていることは伝わってくるものの、文が纏うエネルギーは、年齢的なこともあるのか、終盤になるにつれて、どうしても枯れてきているように感じました。
恐らく、競馬場に足を運ぶ回数も減っていたはずです。
そうしたこともあり、読了後は、少し寂しい気持ちにもなったのですが、ふっとある考えが浮かびました。
この随筆集は、競馬という1つのテーマで書き続けたことで、日本競馬の30年史になっていると同時に、そのテーマと向き合い続けた古井自身の30年史にもなっているという、二重構造をしているんだなと。
随筆集の最後に古井の年譜がついているのも、そう考えると、なるほど納得です。
競馬は、年齢や環境が変化しても、それぞれのステージでの楽しみ方がある娯楽。
だからこそ、人の“生”に深く寄り添える。
そんなことを改めて考えさせてくれた本でした。