いせ九条の会

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法律の規定と法の精神を守ったのは教師と裁判官/山崎孝

2006-09-26 | ご投稿
9月26日付け朝日新聞「声」欄に次のような意見がありました。

【不快に感じた君が代の判決】男性(65歳)

入学式や卒業式に国旗を掲げ、起立して国歌を歌うのは、少数者の思想・良心の自由を侵害するとして「強制できない」という判決が東京地裁で出された。

 「法律上はそうかもしれない」と思いながらも、小泉首相が言うように法律以前の問題として、この判決に不快感を覚えるのは私だけだろうか?

 日本人であることを強制するな、と言うなら自分の好きな国の国籍を取得するのは自由だろう。しかし、日本人であり続け、日本人としてのアイデンティティーを大切にしたいなら別だ。教師という立場で生徒を日本人として教育したいなら、国歌・国旗の下に「日本」を教えるのは当然ではないか。

 様々な報道でも、「国歌・国旗」を排除するのか「君が代・日の丸」が嫌なのか、もう一つはっきりしない。後者なら個人の心情として分からぬでもない。

 ただし、現時点では日の丸が国旗、君が代が国歌と決められているのだから、個人の心情は別にして、教師の立場では国歌・国旗を尊重して教育・行事にあたるべきだ。それが多数決を重んじる民主国家の人民の取るべき道ではないか。この問題を訴訟に持ち込むことは不快である。(以上)

投稿者の意見「日本人であることを強制するな、と言うなら自分の好きな国の国籍を取得するのは自由だろう」は、異なる意見の者を排除したい気持ちを感じます。「日本人であり続け、日本人としてのアイデンティティーを大切にしたいなら別だ」という言葉について考えて見ます。基本的な考えとして、日本人としてのアイデンティティーとして何を求めるかは個人によって違うということを投稿者は理解しなければと思います。

私は日本人としてのアイデンティティーのひとつに日本国憲法の理念に求めています。だから憲法を大切にしたいと思っています。様々な価値観を抱き、お互いを尊重する社会です。教育界に国家や行政組織の支配や思惑が及ばない日本です。そして世界の平和を求める日本です。私のアイデンティティーと東京都の教育行政は相容れません。投稿者は日本人でありたいのであれば一様に近いアイデンティティーであるべきだと考えておられるようです。日本人の国旗・国歌に対する思いは、国旗・国歌のどのように歴史的に扱われたかを考えれば一様の思いとならない筈です。

「多数決を重んじる民主国家の人民の取るべき道ではないか」の意見ですが、国旗・国歌に関する法律は、国会議員の多数で決められましたが、強制しないとそのときの総理大臣は言明しています。民主主義社会とってとても大切なことは、少数者の意見を尊重しなければならないということです。

国家や行政組織は不当に教育に介入してはならないという教育基本法の規定、日の丸、君が代は強制するものではないとした法の精神を守ろうとしたのは、訴訟を起こした教師たちであり、法律を正当に理解して法律を守る判決を下したのが裁判官です。