伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

高校野球

2005年08月19日 | 京都
高校野球を見ていると、
野球というスポーツはアメリカで発明されたものではあるけれども、
日本人が、日本向きに消化して、
日本らしいスポーツにしてしまったなあと思ってしまう。

都道府県別に出場することや、応援のあり方とか、
出る方も、見る方も、もう異国のスポーツというより、
土着的な、ベタな方向性を持っていると感じる。
まるで、全国民謡大会みたいな感じで。

高校野球にせよプロ野球にせよ積極的な興味はないのだ。
が、高校野球の場合は何度も勝って甲子園に来る高校の名前は
いつの間にか覚えてしまうものだ。
愛工大名電とか、済美とかだ。

それらを無名の高校が破ったとなると、
思わずすごい、と思ったりする。
それがまあ、高校野球の楽しみ方なのだろう。
清峰という高校は県立高校だということで、
こういうのが出て来るとどういうわけか、
ギャラリーは嬉しく感じるのだ。

その昔は、星陵とか、PL学園とか
(はその昔ではないが。でも最近は出ていないから)よく聞く名前があったものだ。

そういう高校では野球留学とか言って、野球の上手い子が入学しに行ったものだが。

京都でも、平安高校というのがとても長いこと(記録を作るほど)
連続出場していた。
いつも、高校野球になると、
最多連続出場校ですとアナウンスされていたのだ。
25、6回は連続して出ていたと思う。
今でも平安高校はあるが、弱くなって来た。
今回も地区大会で負けた。

甲子園へ行きたいためにその高校に入った子もいるかもしれないので、
そういう子には可哀相だが、
最近は実力が伯仲して来たということなのだろうか。
どの高校にも出場のチャンスがあるのは、
私にはよく分からないけれど、いいことなのに違いない。

京都外大西は、その昔は(京都)西校といっていた高校だったらしい。
西校は、ブレザーが制服だった高校だ。
外大西になってもそうなのだろうか。

京都外大西が勝った時、準決勝の抽選があって、
監督が(次の対戦相手を)大阪桐蔭とだと思っていた、
と思わず言っていた。

監督はもう大阪桐蔭とする気になっていたらしい。
でも、京都は準決勝では大阪とは当たらないのだ。
監督さんは、桐蔭と試合をしたそうだった。

今日は目出度く大阪桐蔭が勝ったので、
監督さんの望みに近づいたわけだけれど、
桐蔭と戦うには、京都は決勝に行かなくてはならない。
今年の京都外大西は、出来すぎのようだ。
ここまで行くとは思っていなかった。
まあ、ここまでどまりとは思うけど、選手は負ける気がしないのだろう。

母は、高校野球になると富山を応援する。
自分の出身地の高校を一番応援するようだ。

高校野球では、自分とは一切の関わりがないのに、
なぜか自分の出身地の高校を応援してしまう。

選手の親類とか、
学校の関係者だとかいうのならその高校を応援する訳も分かるが、
何も関係がないのに、ただ出身がその都道府県だからというだけで、
そこを応援する。

これも考えてみれば不思議な話で、私はミニ民族主義と(勝手に)名づけている。
ミニナショナリズムというかね。
サッカーの日本チームを日本人が応援するのと同じ感覚だ。

別にサッカー選手に何の義理もないのに応援する。
これはもう、スポーツを観戦しているという範疇ではないように思う。

それがどんなスポーツかはもうどうでもいいのだ。
ナショナリズムは人を昂揚させ、
その場がたまたまスポーツであるのだろう。
その時だけ連帯意識がもたげて来て、
「みんな同じところを応援している」という同胞意識に酔う。
それがたまたま高校野球の場であって、
だから県人会とほぼ同じノリになるというわけだ。



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