伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

少し元気を出して…

2023年03月22日 | 日常生活・つぶやき



3月20日夜に母のお通夜をして21日に葬儀をした。
家族葬で私たち姉妹とその子供たちだけの質素なものにした。



19日の夜、お風呂に入っている時、電話が鳴った。
スマホも鳴っているのが分かり、何かあったなと、
あそこからかな、と思い、
慌てて風呂から上がり、
スマホの電話が通じたので思った通り施設からだった。
容体が急変したということだった。

すぐに着ていたパジャマを着替え、タクシーを飛ばした。
着いた時にはすでに酸素マスクを外し、意識がないということだった。
変わりはない様子に見えた。
ただ眠っているように見えた。
ずっとそのままの状態が続いていた。
京都に住む姪が仕事終わりに駆けつけてくれた。

ずっと目を閉じたままの状態が続いていると思っていたが
向こうの人が、もう・・・と言う。

ずっと同じ状態なのでいつ死んだのか分からないくらいだった。
苦しそうでもなく、眠っているように見えた。
じっとしていた。
それでも病院の人が〇時〇分に・・・と言った。


それから慌ただしくなった。
斎場を決め葬儀の日にちを決め…
施設から斎場へ向い…


寝たままの状態でも動けないとしても、
それでも生きていてくれればと思っていた…。
ずっと生きていてほしいと我儘なことを思っていた。

ただここまで生き延びてくれた…。
頑丈な人だったから、3月までもったのだ。
頑張ってくれた。
私を自由にさせてくれた。


ファザコンで父親の方が好きだった…。
母に対しては複雑な思いを持っていた…。
けれども人の好い母は
何も分からない、世の中を知らない私を叱ることなく
自分で何もかも取り仕切ろうとしたり、
自分も何も知らないのに一人で頑張って、頑張って、
人に文句の言えない人だった。
そんな遠慮がちな人だと分かってからは、
何とか母に迷惑をかけたくないと思うようになった・・・





19日は父の月命日だったので、東大谷へ行った。
もう桜が咲いていた。
母は桜が咲いてから逝ったのだ。
父の月命日と同じ日に逝った。
これも何かの縁なのかもしれないと考えた。



またいつものようにこれまでと同じ日々が変らず繰り返される。
何があっても時間は過ぎ、日々は何事もなく過ぎてゆく。

そして自分にとってオタ活は生きる活力だと思った。
だからやめられない・・
少し元気を出して、これからもオタ活をしようと思う。






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