伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

「世界で一番美しい少年」

2021年12月22日 | 映画
ルキノ・ヴィスコンティ監督の50年前の名作「ベニスに死す」(1971)で
美少年・タジオを演じたビョルン・アンドレセンという少年は、
この映画で世界的に有名になった。


その後、彼はどうしていたのか。
どのような人生を歩んで来たのか。

この映画は少年・ビョルン・アンドレセンの過去、
そしてその後の人生をドキュメンタリーで描いたものだ。


ドキュメンタリーにしては映画中の音楽が大仰で、
少しホラーぽいのが気になったが・・。






THE MOST BEAUTIFUL BOY IN THE WORLD
/VARLDENS VACKRASTE POJKE

監督 クリスティーナ・リンドストロム
クリスティアン・ペトリ

出演 ビョルン・アンドレセン

2020年 ‧ ドキュメンタリー ‧ 1時間 33分


公式サイト
https://gaga.ne.jp/most-beautiful-boy/


うシネマトゥデイ
https://news.yahoo.co.jp/articles/8c600739ee5042a0503145747daec4c468ede713
“世界で一番美しい少年”の転落劇…一体、何が彼をそうさせたのか?



「ベニスに死す」は映画館、特別上映、ビデオ、テレビ放送、
そしてDVDなどで何度も見た。

美少年云々というより、ヴィスコンティの映像美に圧倒され、
完璧な映画芸術に魅せられたからだ。

少年タジオはその中で完璧な美の世界を完成させる一つのピースだった。



自分としてはそういう解釈だったが、
今、そのタジオ役を演じた少年のその後のドキュメンタリーと聞けば
やはり見たくなった。


あの美少年はその後、どうなったのか…、
その興味で走るようにして見に行った。
ヴィスコンティは一番好きな映画監督だから。




映画はビョルン・アンドレセンの現在の姿を映し出し
過去を彼自身が訪ね(母の死の謎など)、
そして「ベニスに死す」が熱狂を巻き起こした都市、
東京やパリ、ベニスを旅する姿を映し出す。



ビョルンはあの美少年の姿からは想像もつかないほどの
変貌を遂げている。

髪を長く長く伸ばし(時には三つ編みにするほど)、
髭も長く伸ばし、
まるでイエス・キリストのような仙人のような風貌になっていた。
現在66歳だそうだ。

それでも太っているわけでもなく、腰が曲がっているわけでもなく、
すらりとした体つきはビョルンだと言われなければ、
「ベニスに死す」を知らなければ、
「カッコいいおやじ」と言ってもいい感じだ。


映画は彼の歩んで来た人生を描き出しているが、
その彼の人生の中で、
15歳の時のあの熱狂はどのように位置づけられているのか。





ヴィスコンティがオーディションをしてヨーロッパ中、
映画の少年を探していた模様はドキュメンタリー「タジオを求めて」
という作品になっていたと思う。



そのオーディションの中でビョルンがヴィスコンティに
服を脱ぐようにと言われたシーンはこの映画にも採用されている。


その時のビョルンの戸惑いが今となっては痛々しい。



映画が完成したのち、世界が美少年ビョルンに熱狂したが
それは彼にとって幸福だったのか、ということを映画は問うている。


映画のプレミアなどで熱狂的に迎えられるが、
それは大人たちの好奇の目に晒されることでもあった。



ビョルンに近しい人は、
あれは大人たちがまだ少年だった彼をいじめたのだと言う。

ビョルン本人は鬱とアルコールに溺れた、と言う。



映画では性的搾取については仄めかす程度で
あまりはっきりとは触れられていない。
そこは少し分かりにくかった。

だが大人たちの好奇の目が少年の心を傷つけたとは言えるのだろう。

監督はビョルンと同じスウェーデン出身で、
ビョルンにこの映画の出演を3年がかりで説得し
やっと承諾を得たという。

ビョルン本人が語りたくない部分もあったようだ。



ただ、その後の彼の人生はその15歳の時の熱狂を除けば、
それ以降も人として真っ当に生きて来た。
人生は続く。
彼もまた長い人生を普通に生きて来た。


「天国と地獄」「衝撃の真実」「破滅の軌跡」などと
パブリシティには書かれているが、
ビョルンはただ普通に生きて来たに過ぎないのだと思う。





映画の見どころは当時の東京での出来事だろうか。

「ベニスに死す」の宣伝のためビョルン・アンドレセンは来日。
少女たちに熱狂的に迎えられる。

そして東京で日本語でレコードを吹き込んだり、
コマーシャルに出たりしていた様子が当時の映像で見せてくれる。

ビョルンは日本のコマーシャルにまで出ていたのだった。


彼は日本からのファンレターが一番多かったと証言している。
日本で特に受け入れられたのだろう。
来日したのもそのせいかもしれない。



「ベニスに死す」でのタジオの存在は当時の少女マンガにも
影響を与えた。

この映画では池田理代子が登場し、
「ベルサイユのばら」のオスカルはビョルンがモデルだと明かす。

そして50年ぶりに池田理代子とビョルンが会い、ハグする様子を
映画が捉えている。


ベルばらのみでなく、木原敏江もビョルンに影響されて
彼にそっくりのキャラクターを作っていたような気がする。


日本人にとって、ビョルン=タジオという美少年は
文字どおり「世界で一番美しい少年」として
西欧的なものへの究極の憧れの存在であったのだと思う。



映画は現在のビョルンが東京やパリ、そしてベニスを訪れる。

タジオの面影がまったくない現在の彼は彼自身の人生を歩んで来たが、
あの一時期の熱狂をどのように消化したのだろうか。

ベニスの海水浴場の砂浜を訪れた現在のビョルンのシルエットは
懐かしげにも物悲しくも見えた。



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ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『ベニスに死す』で、
主人公を魅了する少年を演じたビョルン・アンドレセンを題材に
描くドキュメンタリー。
15歳でセンセーションを起こした少年の栄光と挫折、
再生への道のりを映し出す。



宣伝動画↓

『世界で一番美しい少年』12/17公開
 いま明かされる、ひとりの少年の栄光と破滅…。
【映画公式】
https://youtu.be/E1slaCx2pUg



ルキノ・ヴィスコンティ監督がカンヌ映画祭で記者会見を開き、
発言する当時の様子も映画は収録しているが、
ヴィスコンティはフランス語がペラペラで
流暢なフランス語を話していたのが驚き。
教養人であったヴィスコンティは何ヶ国語も喋れたようだ。
イタリア語、英語、フランス語。
多分ドイツ語も喋れただろう。
だから「ドイツ3部作」も作れたと思われる。



ベニスに死す






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