だいぶ遅くなったのだが…
少しずつ読み進めていた「共に、前へ 羽生結弦」を
やっと読み終えた。
帯より
「震災から逃げた」―
震災直後そんな負い目も感じた当時16歳の少年、羽生結弦は、
何を思い、感じ、
そして被災地の人々とどのように向き合ってきたのか。
この本には東北大震災に16歳で被災し、
その事実の重さに葛藤して来た羽生結弦選手の心持が
被災地の人々との交流を通して綴られている。
☆共に、前へ 羽生結弦 東日本大震災10年の記憶
(単行本)
日本テレビ「news every.」取材班 (著)
¥1,760
祥伝社
248p
「本書の印税と売り上げの一部は震災復興のために寄付します。」
日本テレビ「news every.」は関西で放送がないため、
この番組のことは殆んど知らなかった。
日テレの24時間テレビに羽生選手が出演していたことも
始めは全然知らなかった。
したがって羽生選手が被災地である石巻や
福島の楢葉町へ訪問していたことも当時はまったく知らなかった。
詳しいことを知ったのは平昌五輪のあとだったかもしれない。
平昌後、いろいろ動画を見て24時間テレビで羽生選手が出演して、
被災地を訪問していたことを知ったのだ。
それに少しばかり衝撃を受けた。
まさに苦悩する羽生選手がそこにいたから。
取材に行かなければいいのにとさえ思うような姿があったから…
日テレNEWS
https://youtu.be/2h9DNf6Hp6A
羽生結弦の10年…苦悩の末に課した使命
(2021年3月11日放送「未来へのチカラ」より)
宮城県出身のフィギュアスケート・羽生結弦選手も
仙台市で被災しました。
その後、冬のオリンピック2連覇を達成。
快挙の原動力の一つにもなった自らに課した「使命」とは?
羽生選手の10年を追いました。
(2021年3月11日放送「未来へのチカラ」より)
羽生結弦選手が震災のことで、
こんなにも葛藤を抱えていたということを
当時(震災直後)はまったく知らなかった。
震災が羽生選手にもたらしたもの、それがいかに重大であり、
彼の人生に暗い影を落としたかをまったく知ることなく
華やかな上辺だけ見ていたと思う。
もちろんあれほどの災害だったのだから、
羽生選手の人生に影響がなかったわけがない。
震災が甚大であっただけに、それが羽生選手の運命も変えた、
と言えるだろう。
震災から逃げたという罪悪感に苦しみ、
マスコミからは被災者代表として扱われることに苦しみ…、
それでもやがて自分から被災地に赴き、
被災者の人たちとの交流を通して
自分が震災の真実を伝えてゆく役目を担ってゆこうと決意するまで…、
それが淡々とこの本に余すことなく描かれていた。
「news every.」で放送されていなかった部分も収録されている。
被災者の人たちとの会話も放送より詳しく書かれているし、
北海道や楢葉への訪問は羽生選手からの提案であったということも
書かれている。
それが「日本全国が“地元”」という発想に繋がってゆく。
ひとりの多感な少年が青年となり、
震災という悲劇とひたすら誠実に向き合う過程…
それが少しの痛みとともに綴られている。
改めて彼・羽生結弦に課せられた重い使命を思うが、
けれど彼はそれを貫く強い心を持つ。
10年経っても今も、震災について伝え続けている。
誰が何を思おうと、何と言われようとも。
震災に対して誠実であるからこそ、
誠実に向き合っているからこそだと思うのだ。
この本を買い、読むのは羽生ファンだけだろうと思われるのが
残念だ。。
もっと幅広く読まれて欲しいなと思うのだ…
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テクノルアイスパーク八戸 2021.06.03
羽生選手 スケート靴
https://www.s-promo.jp/topics/507/
東日本大震災が発生時に、
アイスリンク仙台で練習していた羽生選手が着用していたスケート靴。
あれから10年。東北八戸で滑る姿を見せてくれました。
スケート靴の内側にはサインと一緒に、
共に練習に励んできたスケート靴への感謝の気持ちが書かれています。
「ありがとウサギ 2011.4.17
NHK杯4位 4CC ✧2位✧
そして4回転 2010-11を支えてくれてありがとう!」
ロビーで展示しています。
リンクはオフシーズンですが、日中は自由にご覧いただけます。
「テクノルアイスパーク八戸」で震災発生時に着用していた
羽生結弦選手のスケート靴が展示されているらしい。
4月にフラット八戸で「スターズオンアイス」が
開催されるのに合わせて展示したようだ。
4月の「スターズオンアイス」八戸公演に
羽生選手が出演したからだ…
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