梅雨が明けたようだ。
前の山鉾巡行記事につけたしを少し。
巡行は9時から始まり、
先頭の長刀鉾が御池新町に到着するのは11時ころ、
3年前まで32基が一気に巡行していたころは、
1時過ぎてから新町四条へ行っても、
長刀はもう通った後だったが、かなりの鉾が見られた。
その代わり、
たいていの山は御池から自分の会所へ向かうから、
新町では山はあまり見られなかった。
新町でも人はいっぱいだ。
もう巡行の最後で、
ヨロヨロになってる曳き手の人たちを
頑張れと言って励ましたり、拍手をして
最後の頑張りを促すのが我々の役目だった。…
私の好きな放下鉾。
稚児人形が乗っているし、本巡行のようだ…
テレビ中継で、くまモンデザイナーが、
道がアスファルトになる前の辻回しはどうだったのか
と質問していて、鋭いなと思った。
巡行をいつも見ていると、
竹を使っているのが当たり前に思うようになり、
疑問を抱かなってしまう。
でも京都の歴史からしてみたら、
道がアスファルトになったのはつい最近のことで、
それまで何百年もずっと道は土の道だったのだから、
土の上での辻回しだったはずで、
その時は辻回しも今とは違った方法だったのは
ちょっと考えたら分かることだ。
だけど京都市民(私だけ?)はもう慣れてしまって、
そこら辺のことはあんまり考えなくなっていた。
そういえば土の道だったな、と思い始めたのはつい最近。
昔は竹でなく木を使っていたのだ。
それともうひとつくまモンデザイナー(すまん、名を忘れたので)が
巡行の、車輪のそばにいる人が何をしているのかを
聞いていたように思ったが、これも鋭いと思った。
鉾にはカジというものがないので、
2メートルある木製の車輪をまっすぐ前に、
横にいがまないように動かすためには、
ただ音頭取りさんと曳き手の人たちだけの力では不十分だ。
車輪を微調整し、
横にずれないようにまっすぐ進むようにするために
「車方」という人がいて、車輪の横で、
車輪をコントロールしている人がいる。
この人たち「車方」の人は、巡行中ずっと車輪の横に付き添って歩いて、
鉾をまっすぐに進める役割をする。
決して目立つことはないが、鉾の円滑な巡行には欠かせない人たちである。
こういう裏方さんたちのひそかな尽力の上に巡行が成り立っている。
車方さん。
初めて巡行を見る人のこういう素朴な疑問は、ありがたい。
巡行をちゃんと見ている証拠だし、的を射た質問だった。
そして、裏方さんたちが多くいて、それによって
巡行が支えられている、という説明を引き出すことが出来た。
そしてまた、くまモンデザイナーは、
懸想品が、外国からの輸入品が多いのが、
どこから仕入れて来たかみたいなことも聞いていたが、
これも鋭かった。
鯉山のベルギーのは、確か支倉常長が関係していると聞いた。
いろんなルートをたどって、京の豪商に辿り着いたようだ。
思い出。
それから、蟷螂山。
去年は台風の暴風雨の中での巡行で、
蟷螂山のかんじんのかまきりが外に出せず、
とうとうカマキリなしで巡行した。
せっかく去年も玉屋庄兵衛さんが
京都にわざわざ来てくれていたのに、
出番がなかったのが、残念だった。
今年蟷螂山は懸想品こそビニールで覆われていたが、
カマキリは外に出し、元気に動いていた。
山の中の狭い場所で、人目に一切触れることもなく
操演するのは大変な作業だろう。
暑い時期の京都に、名古屋からやって来て、
毎年カマキリを動かしてくれる。
新町でも動いてくれていた。
我々は、大拍手でもって
最後のカマキリの大見得を感謝して見ていたのだった。
本当に玉屋庄兵衛さんには感謝感謝だ。
http://isabea.web.fc2.com/exhi/other2/karakuri.htm
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巡行は9時から始まり、
先頭の長刀鉾が御池新町に到着するのは11時ころ、
3年前まで32基が一気に巡行していたころは、
1時過ぎてから新町四条へ行っても、
長刀はもう通った後だったが、かなりの鉾が見られた。
その代わり、
たいていの山は御池から自分の会所へ向かうから、
新町では山はあまり見られなかった。
新町でも人はいっぱいだ。
もう巡行の最後で、
ヨロヨロになってる曳き手の人たちを
頑張れと言って励ましたり、拍手をして
最後の頑張りを促すのが我々の役目だった。…
私の好きな放下鉾。
稚児人形が乗っているし、本巡行のようだ…
テレビ中継で、くまモンデザイナーが、
道がアスファルトになる前の辻回しはどうだったのか
と質問していて、鋭いなと思った。
巡行をいつも見ていると、
竹を使っているのが当たり前に思うようになり、
疑問を抱かなってしまう。
でも京都の歴史からしてみたら、
道がアスファルトになったのはつい最近のことで、
それまで何百年もずっと道は土の道だったのだから、
土の上での辻回しだったはずで、
その時は辻回しも今とは違った方法だったのは
ちょっと考えたら分かることだ。
だけど京都市民(私だけ?)はもう慣れてしまって、
そこら辺のことはあんまり考えなくなっていた。
そういえば土の道だったな、と思い始めたのはつい最近。
昔は竹でなく木を使っていたのだ。
それともうひとつくまモンデザイナー(すまん、名を忘れたので)が
巡行の、車輪のそばにいる人が何をしているのかを
聞いていたように思ったが、これも鋭いと思った。
鉾にはカジというものがないので、
2メートルある木製の車輪をまっすぐ前に、
横にいがまないように動かすためには、
ただ音頭取りさんと曳き手の人たちだけの力では不十分だ。
車輪を微調整し、
横にずれないようにまっすぐ進むようにするために
「車方」という人がいて、車輪の横で、
車輪をコントロールしている人がいる。
この人たち「車方」の人は、巡行中ずっと車輪の横に付き添って歩いて、
鉾をまっすぐに進める役割をする。
決して目立つことはないが、鉾の円滑な巡行には欠かせない人たちである。
こういう裏方さんたちのひそかな尽力の上に巡行が成り立っている。
車方さん。
初めて巡行を見る人のこういう素朴な疑問は、ありがたい。
巡行をちゃんと見ている証拠だし、的を射た質問だった。
そして、裏方さんたちが多くいて、それによって
巡行が支えられている、という説明を引き出すことが出来た。
そしてまた、くまモンデザイナーは、
懸想品が、外国からの輸入品が多いのが、
どこから仕入れて来たかみたいなことも聞いていたが、
これも鋭かった。
鯉山のベルギーのは、確か支倉常長が関係していると聞いた。
いろんなルートをたどって、京の豪商に辿り着いたようだ。
思い出。
それから、蟷螂山。
去年は台風の暴風雨の中での巡行で、
蟷螂山のかんじんのかまきりが外に出せず、
とうとうカマキリなしで巡行した。
せっかく去年も玉屋庄兵衛さんが
京都にわざわざ来てくれていたのに、
出番がなかったのが、残念だった。
今年蟷螂山は懸想品こそビニールで覆われていたが、
カマキリは外に出し、元気に動いていた。
山の中の狭い場所で、人目に一切触れることもなく
操演するのは大変な作業だろう。
暑い時期の京都に、名古屋からやって来て、
毎年カマキリを動かしてくれる。
新町でも動いてくれていた。
我々は、大拍手でもって
最後のカマキリの大見得を感謝して見ていたのだった。
本当に玉屋庄兵衛さんには感謝感謝だ。
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