静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

「正しい独裁者」

2011-10-16 12:46:53 | 日記

(一)
 ある人(仮にM氏としておこう)の、次のような趣旨の文に出会った。
 昔から芸術には分業はないと言われていて、考え方やデザインはその表現手段と一
体不可分である。それと同じように、科学にも分業はあり得ない。優れた自然科学者
はあらゆる分野にその才能を発揮して生きている。天才レオナルド・ダ・ヴィンチは
芸術家でもあり科学者でもあった・・・。

 10年ほど前の文章だと思う。そんなに感心するほどの文章ではないし、首を傾げ
たくなる部分もあるが、オバマ大統領が、ステーブ・ジョブス氏はレオナルド・ダ・
ヴィンチみたいな天才だと称えたという報道を見て、ふと思い出したのである。ステ
ーブ・ジョブズ氏という人物について、私の意識のなかにほとんどなかったのだが、
派手なマスコミ報道で、否応なしに耳や目に入ってきた。しかし私には、その当否を
判断する材料はない。

(二)
 東京大学教授坂村健氏の「『正しい独裁者』の死」という論説を読んだ(10月9日
、毎日新聞「時代の風」欄)。
 氏は、トルコ革命の指導者で、トルコ共和国の初代大統領ムスタファ・ケマル・ア
タテュルクの話から始める。ケマルは、「私の提案に対し議会は討議なしに採決する
こと」という条件を飲ませて大統領になる。そして次から次へと近代的改革を成功さ
せる。坂村氏はこの改革の素描を行ったのち「今日の民主主義国の一般の評価基準か
らいって結果が『正しい』ものであったのは確かだ。『正しい』目的と、それを実現
できるだけの桁外れの能力、そしてブレない心・・・そのような稀有の資質を持った
『独裁者』が存在するなら、彼に社会を任せるのが多分人間社会の運営方法としてベ
ストなのだろう」と評する。ケマルは「あと10年たてば引退できるだろう」と述べ
た2年後に病に倒れる。坂村氏は、「絶対権力は、絶対に腐敗する」のだから、「そ
の早逝まで含めてまさにケマルは理想的な『正しい独裁者』だったとも言える」と論
じている。
 「正しい独裁者」というのはパラドックスであると思う。独裁は本来正しくない。
独裁を排除するために人類は多大の苦労をしてきた。そして民主主義が考案された。
やむを得ず臨時に独裁を認めた場合はあった。キンキナトゥスはいやいやながら独裁
官を引き受けたが、仕事を終えると10日足らずで辞職し、自分の土地の耕作に戻っ
た。共和制ローマの偉人として語り継がれてきた。

(三)
 坂村氏はスティーブ・ジョブズもまた「正しい独裁者」だったという。彼の為した
業績のどれ一つとっても、驚くほどの改革。それを一人の人間が短期間で実現したと
いうのである。株主におもねることなく「独裁」ができる強い立場を築いたこともケ
マルに迫る。オープン系の情報通信関係者からはまさに「独裁者」と非難されていた
・・・。「ケマル推定享年57。ジョブズ享年56。皆に惜しまれる速過ぎる死まで
含め、彼らはまさに『正しい独裁者』を全うした」と氏は述べる。早逝までもが功績
のようだが、早く死ななくても引退すればそれでいいじゃないか。だから任期制とい
うものをつくった。そもそもジョブズ氏の会社がそんなに儲ける必要はなかったし、
儲けてはいけなかったのだ。ジョブズ氏にはその意味が分からないだろう。これは倫
理の問題だ。ほんとうは、経済の問題でもあるのだが。私は、そのジョブズ氏を天ま
で持ち上げ賛美する風潮にはついていけない。
             
(四) 
 具体的な業績として坂村氏のあげるのは概略以下のとおり。ケマルは「政教分離か
ら始まり、メートル法やアルファベットベースのトルコ文字の導入、女性がベールを
必要としないという服装改革まで」おこなった。ジョブズは、史上最高の経営者とも
いわれるが一言でいうなら改革者。パソコンのコンセプトの確立、音楽流通の根本か
らの変革、携帯電話を個人の持つ基本的な情報端末として組み直し、タブレット端末
による紙や本やテレビといった既存メディアの置き換え・・・。
 
 ケマルの行ったのは政治改革、そのために国民は何らかの経済的負担をしたか? 
ジョブズの改革の恩恵を受けるためには大きな経済的負担に耐えなければならない。
私は今この原稿はワープロで作成している。このワープロはとっくに生産停止で、2
年前故障したときメーカーに問い合わせると、修理はできないという。街の修理屋さ
んに部品を探してもらい待つこと1年、ようやく修理できた。だが、今度故障したら
もう駄目だろう。パソコンも持っている。古いパソコンだ。このパソコンやワープロ
が故障したらどうしようと、それを考えると頭が痛い。       
 ジョブズ氏は経営に成功してとんでもない大金持ちらしい。私のように貧しい市民
に無償でそういう機械を分けて貰いたい。ジョブズ氏でなくてもよい、孫氏でもよい

 先日テレビを見ていたら、ジョブス氏の特集をやっていた。ほんのちょっとしか見
てないので不正確だと思うが、それによると、ジョブズ氏は、パソコンは人の心を豊
かにし、世界を良くすると言っていたそうだ。今日(10月14日)また西川恵とい
う人が新聞で「民主主義のツール」というタイトルで書いているので驚いた。ジョブ
ズ氏の逝去後、カラスの鳴かない日はあってもジョブズ氏追悼の報道がない日はない
のではないか? 
 西川氏はこういう。「本来パソコンは大勢(筆者注:「体制」ではない)に抗した
対抗文化の申し子として・・・米国で生まれた」。パソコンは「出発点において『民
主主義の実現』という理想主義的な理念と思想に支えられていたことは押さえておい
ていい」。
 大勢とは「人数の多いこと」と辞書にあった。つまり民衆である。大勢に抗するこ
とがなぜ民主主義に繋がるのか私には良く分からない。

(五)
  
 パソコンというのは凄いんですね! 人の心を豊かにし、世界を平和にし、民主主
義を実現させる! こんなにいいものはめったにない。ノーベルはダイナマイトを発
明して「ノーベル賞」をつくった。ジョブズ氏が生前「ジョブズ賞」をつくらなかっ
たのは残念至極。ジョブズ氏をレオナルド・ダ・ヴィンチになぞらえたオバマ大統領
もさぞかし残念がっていることだろう。  
 ジョブズ氏はアメリカ人だし、パソコンはじめアイポッドとかアイフォーンとかそ
の他それに類した商品(私にはさっぱりわからないのだが)が一番普及しているのは
アメリカだろう。なにしろそれらの先進国だ。ジョブズ氏の発明したものが民主主義
を実現させ、世界の平和、人々の心の豊かさを保証してくれるとしたら、真っ先にア
メリカにおいて実現しなくてはいけない。
 民主主義のモットーは「自由・平等・友愛」である。アメリカの億万長者バフェッ
ト氏の昨年の課税可能な年収は3980万ドル、この円高で計算しても約280億 
円。その所得税額は690万ドルで17・4%、一方でバフェット氏の会社の従業員
の多くの税率は30%台なのは不公平だと氏が表明したというニュースは拡がってい
る。バフェット氏は不公平だと言っているそうだが、アメリカの支配的な富裕層はそ
れが公平なのだと主張しているのでは? きっとそうだろう。アメリカでは民主主義
と資本主義は同義語になっており、平等を追求すると資本主義に反し民主主義に反す
ると考える勢力が多数を占めるらしい。                                       

 アメリカにおける貧富の差を弾劾し「ウォール街を占拠せよ」と呼びかける抗議デ
モが全米各地に拡がっているというニュース。ジョブズ氏の意図では、彼の商品の普
及によって真っ先にアメリカは民主主義になる筈だった。大規模なデモが全米に波及
しているということは、その民主主義の成果なのかもしれない。さらにバフェット氏
の息子のハワード氏はこのデモを擁護し「この国で所得格差がこれほど広がったこと
は今までなかった」「政府が貧困者層向けの支援プログラムを信じられないほどの規
模で削減しようとしているのは、私の人生でこれまでなかった」と語ったそうだ。私
の読んだニュースではこれくらいしか書いていなかったので詳しくはわからない。
 まとめてみると、格差が生ずるのは民主主義、つまり資本主義だから当然、という
よりそうでなければならない。格差を無くすのは共産主義。デモは民主主義の象徴、
だから格差をなくせよとデモを行うのも民主主義の現れ。そういうことだから、アメ
リカはどの面から見ても民主主義、万歳。

 テレビが出現、白黒からカラーテレビへ、ブラウン管から液晶パネルへ、立体画面
のテレビ、匂いの出るテレビ? アナログから地デジへ(わが家ではまだアナログを
見ているが)。団扇から扇風機へ、炭火の火鉢・炬燵から電気炬燵、石油ストーブ 
へ、そしてエアコンへ。冷蔵庫には無縁だったのが氷の冷蔵庫へ、そして電気冷蔵庫
へ。そうやって便利なものの発明を探していけばキリがない。それぞれが民主主義の
発展に貢献したんだろうな。電気炊飯器は女性の地位向上に役立った。電気掃除機も
・・・。さあ、民主主義だ、民主主義だ!
 自衛隊の次期戦闘機購入に1兆円ほどかかるとか。世の中進歩する! 昔は「神 
風」などという戦闘機が人気だったがな・・・今思えばおもちゃだ。

 これで三度目になるが、漱石の『行人』の兄さんの言葉をここでもう一度引こう。
 「人間の不安は科学の発展からくる。進んで止まることを知らない科学は、かつて
我々にとどまる事を許して呉れた事がない。徒歩から車、車から馬車、馬車から汽 
車、汽車から自動車、それから航空船、それから飛行機と、何処まで行っても休まし
て呉れない。何処迄伴れて行かれるか分からない。実に恐ろしい・・・」