静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

ユニークなボグダーノフさん(つづき)

2009-10-23 10:19:36 | 日記
 ボグダーノフの『経済科学概論』では、経済発展の歴史的段階は次のように位置づけられている。わずらわしいが、章立てを紹介する。
 一 原始共産主義、 二 権威的種族主義、 三 封建社会、 四 交換の発達、 五 奴隷制度、 六 都市手工業制度、 七 商業資本主義、 八 工業資本主義、 九 金融資本主義時代、 十 社会主義社会
 これを整理すれば次のようになる。
 原始共産主義→封建社会→奴隷制度→資本主義→社会主義
 一見して分かるようにマルクスの見解とは異なる。マルクスの『経済学批判』では次の通り。「大づかみにいって、アジア的、古代的、封建的、近代ブルジョアジー的生産様式を、経済的社会構造の前進する諸時代と称しうる」。

 ではボグダーノフはマルクスを読んでいなかったのか? いや、読んでいた。彼は、マルクスの『経済学批判』の次の一節を引用している。
 『人類は、その社会生活に於いて、彼らの意思より独立せる、一定の生産関係に入り込む。此等の関係(即ち人類の外的自然に対する社会的技術関係又は社会的労働関係)は常に、その物質的生産力の発展段階に適応する」「此等の生産関係の総和は社会の経済的構造を構成する。それは、法律的及び政治的上部建築が拠って立つところの、そして一定の社会意識の形態がそれに適応するところの現実の土台である。生産方法は、一般に、社会的政治的及び精神的生活過程を条件づける」(訳文は林訳そのまま)。
 この文の次のページに、上記の発展段階の説明がきているのである。

 つまりボグダーノフはマルクスをしっかり読んでいながら、マルクスの発展段階説は無視したのである。もし「マルクスからの逸脱」という言葉があるとすれば、ボルシャヴィキの指導者にとって具合が悪いことになっただろう。しかしレーニンが批判したのは経済問題ではなく哲学的問題に限られていた。ボグダーノフの理論はとてもユニークである。彼によれば古代ギリシアも封建社会である。ホメロスなども引用しながらそれを立証しようとする。また、封建主義の発展は条件によって農奴制に発展、特殊な条件では奴隷所有制度の基礎となる・・・などと述べている。

 だがボグダーノフだけがユニークなのではない。東洋史学の碩学宮崎市定氏は、そのような区分けにそもそも疑問を投げかけた。彼は、殷、周・春秋・戦国の時代は都市国家の時代であり、「中国において古代封建制の基盤には都市国家があった」(『史記を語る』)などと宣う。古代ローマの大家ロストフツェフのように、古代ローマを資本主義とみなす学者もいる(『ローマ帝国社会経済史』)。こういうのをいろいろ挙げてゆくと、むしろマルクスがユニークにも見えてくるのが不思議だ。もともとマルクスだって固定的に考えていたわけでないだろう。「大ざっぱにいって」なのだし、地中海世界以外はおそらく視野の外だっただろう。それに資本主義以前にアジア的、古代的、封建的と並べているが、この順に発展するとは断定していない。

 だがマルクスの孫弟子(?)であるスターリンは、マルクスを著しく逸脱、もしくは超越している。スターリンは「歴史上、生産関係の五つの基本的な型が知られている。即ち、原始共同体型、奴隷制型、封建制型、資本主義型、社会主義型」が、それである」(『弁証法的唯物論と史的唯物論』)と主張する。「アジア的」を「原始共同体」に、「古代的」を「奴隷制度」に入れ替えてしまった。このスターリンのマルクス離れは、ずっと以前から指摘されてきたところであって、まことに陳腐な話を今しているわけであり、実に情けない。
 
 マルクスが言いたかったのはおそらく次の言葉だろう。
 「ブルジョア的生産諸関係は社会的生産過程の最後の敵対的形態である」「人間社会の前史は、この社会構成とともに終わりをつげるのである」。
 二〇〇〇年、スティブン・ホーキング博士は、人類は今後一〇〇〇年以内に災害か地球温暖化のために滅亡すると警告した。同じように感じている人も多い。すると人類は本史が発展する前に滅亡するのだろうか。
 
 だが私はマルクスの次の言葉が好きだ、全面的に賛成するわけでもないが・・・。
 「人類がもっともすばらしく発育したその歴史的幼年時代は、二度と帰らぬ一つの段階として、なぜ永遠の魅力を与えてはならないのだろうか? わんぱくな子供もいればませた子供もいる。古代民族の多くはこの範疇にぞくしている。正常な子供はギリシャ人であった。彼らの芸術が吾われにたいしてもつ魅力は、それがおいたつ基礎をなした未発達な社会段階と矛盾するものではない。魅力はむしろこういう社会段階の結果であって、むしろ芸術がそのもとで発生し、しかもそのもとでだけ発生しえた未熟な社会的条件がけっしてふたたびかえってこないということと、不可分に結合しているのである」(マルクス・エンゲルス選集刊行会編『経済学批判』大月書店、一九五一年、二九二ページ)。

 ボグダーノフは広い分野にわたって著作を残し、多様な活動、とくに文化活動に熱中した。晩年は医学の研究に励み、輸血研究所を作った。彼は人間のいっそうの進化を信じ、それを一個人を超えて集団的人間として、全人類が肉体的にも血縁関係をつくりあげ、それによって真に同士的結合をもつ社会が完成るると考えたらしい。そのために血液交換のための輸血の実験を自ら行って失敗し、命を失ったといわれる。我々から見れば途方もない人物である。

 いつものことだが、主題から外れて迷走する文になってしまった。書いているうちにわきへわきへと歪んでしまう。私自身はこんなものだ。