静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

就任式でのこの一冊

2009-10-09 13:57:40 | 日記
 ちょっとした会合での話題。アメリカ大統領は就任式で聖書片手に宣誓する。フランス大統領はモンテーニュの『エセー』を手に記念写真を撮る。では日本の総理大臣は? すると誰かが言った、「マンガ」。一同その名答に大笑い。だが悲しい笑いだ。〇八年の秋、首相がマスコミに大受けしていた頃の話である。では各国の元首就任に相応しい書は? アメリカではソーローの『森の生活』などどうだろう。オバマ大統領がこの書を抱いて写れば一段と人気も上がっただろう。イギリスの首相は? シェークスピアかな、いや違う。ドイツではカント、いやゲーテだろうな。インドはタゴール、中国は孔子? いや魯迅だろう。ロシアはドストエフスキーでは駄目でトルストイかな・・・つまらぬ空想ばかりして時間の無駄だ、だがもう少し。
 戦前の日本なら多分『万葉集』だな。どういうわけかこの書には神通力があった。「今日よりは かえりみなくて 大君の しこのみ盾と いでたつ吾は」(巻二〇)。元気に戦場に行こうという気にしてくれる。「海ゆかば みずく屍(かばね) 山ゆかば 草むす屍 大君の 辺(へ)にこそ死なめ かえりみはせじ」(巻一八)。大仏造営に功労があったとして、聖武天皇が大伴家持の位を上げてやったとき、家持が嬉しがって、天皇にへつらい詠んだどもいわれる。「海ゆかば」は昭和十二年(一九三七年)秋にNHKに委嘱された信時潔がこの歌に作曲し、たちまち日本中に流れわたった。ある小学校では翌年すぐに、従来の校歌に代わってこれを歌わせることにした。男の子たちは、オレも戦地に行って死ななければならないのかな、と思う。
 「平和国家」日本では誰の何がふさわしいか。『源氏物語』? 首相が『源氏』を胸に抱いて記念写真を撮る・・・どうなんでしょう。『源氏』といえば、何年か前のNHKの朝ドラ。戦時中、小学校(だと思うが)の女性教師が『源氏物語』を教えたとしてクビになる。すごくレベルの高い学校だな。私にはこの齢になっても『源氏』はしんどい。旧制中等学校の授業は、ある意味では今日の高等学校などより自由であった。大先輩の経験談。昭和一七年、中学で「公民」を習った。担当の先生はその一年間、ヘーゲルばかり教えたという。嘘をつく先輩ではない。多少の誇張はあるかもしれないが。ヘーゲルを一年間教えれば、当然カントにもマルクスにも触れなければならないだろう。ではその先生はクビになったか? 翌年、校長として転出していった。戦前といっても一色ではない。
 首相の記念写真に戻ろう。漱石はいいが、その一作となると困ってしまう。樋口一葉の『にごりえ』も『たけくらべ』も悪くないが就任式には向くまい。島崎藤村の「遂に、新しき詩歌の時は来りぬ。そはうつくしき曙のごとくなりき」に始まる『藤村詩集』も素晴らしい。だが、いっそ『蟹工船』にするか。国会の周りにいっぱいガイセンシャが来るだろうな。「九条の会」がある女性作家を招いて講演会を開いたら、右翼のガイセンシャが何台も何台もつめかけてきて、お巡りさんが警備に当たったそうだ。さすが「民主日本」、戦前なら聞きにきた民衆が追い払われるか拘束されるかだったろう。 
 このガイセンシャという言葉を初めて聞いたとき、私は「凱旋車」のことかと思った。あのカエサルも乗った。何年か前、東京駅八重洲口を出て南北に走る大通り、その通りを端から橋まで占領して、ガイセンシャが大音響でがなっているのを、たまたま見た。警察官が何人かいたが、何かをする気配はなかった。何十台、いや何百台? 私は東京がガイセンシャに占領されたような気分になった。翌日新聞に出るかとも思ったが、何もなかった  
 ヨーロッパには古代からの思想的伝統があるのだろう。モンテーニユは懐疑論者だともいわれるが、懐疑論は古代ギリシアからヨーロッパに伝わる一つの思想傾向に思える。その思想は、明らかに人間主義(ヒューマニズム)に結びついている。人間主義はギリシアで誕生しローまで育った。だが歴史の上で、この人間主義はしばしば見失われ、踏み捨てられてきた。ルネサンスなどで”復活”もしたが、その普遍性を取り戻すことはできなかった。今日でも苦難の道は続いている。モンテーニュがフランス人の心を打つとしたら、それはかつて古代においてこの地がローマ帝国の構成部分であったことの、かすかな記憶によるものかもしれない。それは市民共同体(レス・プブリカ)の育んだものであった。「フランス人権宣言」といわれているものは、正式には「人および市民の権利宣言」である。その第一条は「人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し」、第二条は「人の消滅することのない自然権」と続く。一方、日本国憲法第一一条では「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない・・・現在及び将来の国民にあたえられる」とある。あくまで「国民」なのである。