「著者は、クラシック音楽の作曲家。
『朱鷺によせる哀歌』で音楽界にデビュー、「世紀末叙情主義」を掲げ『カムイチカップ交響曲』『地球(テラ)にて』などの交響曲、『ピアノ協奏曲〈メモ・フローラ〉』『チェロ協奏曲〈ケンタウロス・ユニット〉』などの協奏曲、『プレイアデス舞曲集』などのピアノ曲、その他を発表。「2004年現在、CD7枚を世界に発信中である。」
と、書評の定型どおりの紹介をしてみましたが、初めて名前を聞かれた方は、どのような人物だとお思いでしょうか。
髭でも生やした(当たっているけど、あれ無精髭じゃあないかしら)、難しそうな顔をしたオジサン(ハズレ。オジサンで仏頂面だけど、難しいことは、それほどいつも考えているわけじゃあなさそう)ってとこでしょうか。
年齢は50歳代だから、作曲家としては中堅ということになるのかな。
書いていることからは(特に本書では)、おちゃらけた文章に自筆のマンガ入りと、冗談っぽい感じを受けます。その点、クラシック音楽の従来のイメージとはかなり違っている。
しかし、読んでみれば分るけど、体裁はおちゃらけていても、内容はかなり核心をついた発言が多いのね。
実例を見てみましょう。
「オリジナリティ」という項目。まず「吉松流定義」がありまして、「不細工でも/無意味でも/OKな/きわめて/反社会的な/思想」と書いてある。かなりひねくれてます。
けれど、本文を読んでいくと(途中にギャグが入ったりして、かなり読者サービスに努めていますが、その部分は省略)、
「ところが、人間は(困ったことに)近代になって『自我』などという厄介な意識を心の中に持ち始めた。おかげで、人と一緒の生活をしていながら、『人とはちょっと違う、自分だけのもの』が欲しくなってしまった。これはコンピュータで言うなら明らかな『プログラムのバグ』である。」
とあり、結論風に、
「つまり、音楽でも芸事でも世界でも人間でも、過去を否定したり塗り替えたりするエゴに未来はない。過去のすべてを取り込み融和させ、それを未来につなげることこそが人間の営みであり、ぼくたちが存在する意味だと知るべきだ」
と極めてまっとうにまとめています。
「読者サービス」と書きましたが、マンガやギャグは、それだけではなく、彼にとっては身に付いた表現方法の一つなのね(小学生のころは「マンガを書きまくっていた」とありますから、音楽よりマンガの方が、年期が長い!)。
これは、ある年代の人には、分る分るとうなずけるところ。
未だに存在するお固いクラシック・ファンの方には、毛嫌いされるでしょうが、小生は好きですね、こういう方法論を採った本は(夏目房之介のマンガ評論を想起されたし。夏目氏も吉松氏と同世代)。
吉松隆
『吉松隆の楽勝! クラシック音楽講座』
学習研究社
定価:本体1500円+税
ISBN4054026249