一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

『吉松隆の楽勝! クラシック音楽講座』を読む。

2005-07-14 04:52:30 | Book Review

「著者は、クラシック音楽の作曲家。
『朱鷺によせる哀歌』で音楽界にデビュー、「世紀末叙情主義」を掲げ『カムイチカップ交響曲』『地球(テラ)にて』などの交響曲、『ピアノ協奏曲〈メモ・フローラ〉』『チェロ協奏曲〈ケンタウロス・ユニット〉』などの協奏曲、『プレイアデス舞曲集』などのピアノ曲、その他を発表。「2004年現在、CD7枚を世界に発信中である。」
と、書評の定型どおりの紹介をしてみましたが、初めて名前を聞かれた方は、どのような人物だとお思いでしょうか。

髭でも生やした(当たっているけど、あれ無精髭じゃあないかしら)、難しそうな顔をしたオジサン(ハズレ。オジサンで仏頂面だけど、難しいことは、それほどいつも考えているわけじゃあなさそう)ってとこでしょうか。

年齢は50歳代だから、作曲家としては中堅ということになるのかな。
書いていることからは(特に本書では)、おちゃらけた文章に自筆のマンガ入りと、冗談っぽい感じを受けます。その点、クラシック音楽の従来のイメージとはかなり違っている。

しかし、読んでみれば分るけど、体裁はおちゃらけていても、内容はかなり核心をついた発言が多いのね。

実例を見てみましょう。
「オリジナリティ」という項目。まず「吉松流定義」がありまして、「不細工でも/無意味でも/OKな/きわめて/反社会的な/思想」と書いてある。かなりひねくれてます。
けれど、本文を読んでいくと(途中にギャグが入ったりして、かなり読者サービスに努めていますが、その部分は省略)、
「ところが、人間は(困ったことに)近代になって『自我』などという厄介な意識を心の中に持ち始めた。おかげで、人と一緒の生活をしていながら、『人とはちょっと違う、自分だけのもの』が欲しくなってしまった。これはコンピュータで言うなら明らかな『プログラムのバグ』である。」
とあり、結論風に、
「つまり、音楽でも芸事でも世界でも人間でも、過去を否定したり塗り替えたりするエゴに未来はない。過去のすべてを取り込み融和させ、それを未来につなげることこそが人間の営みであり、ぼくたちが存在する意味だと知るべきだ」
と極めてまっとうにまとめています。

「読者サービス」と書きましたが、マンガやギャグは、それだけではなく、彼にとっては身に付いた表現方法の一つなのね(小学生のころは「マンガを書きまくっていた」とありますから、音楽よりマンガの方が、年期が長い!)。
これは、ある年代の人には、分る分るとうなずけるところ。

未だに存在するお固いクラシック・ファンの方には、毛嫌いされるでしょうが、小生は好きですね、こういう方法論を採った本は(夏目房之介のマンガ評論を想起されたし。夏目氏も吉松氏と同世代)。

吉松隆
『吉松隆の楽勝! クラシック音楽講座』
学習研究社
定価:本体1500円+税
ISBN4054026249

人間のストーリー/プロット変換機能について(9)

2005-07-14 00:14:34 | Essay
いささか、他人(ひと)さまの言説を借りて、論理展開の整理を図りましたが、拙稿を理解するのに、お役に立ちましたでしょうか。

さて、今回は、その続きとして、小生が拙稿をしこしこと書いている動機について述べておきましょう。

もちろん、面白いから、というのが気持の上ではありますが、実際には、フィクションを書く上で、何か足しにならないかという理由が大きいのですね。
確かに、これまで述べて来たことを、直接もの書き作業につなげるには迂遠過ぎるでしょう。
というのは、構想を立てる段階ですら、ユング/エリアーデ的な図式をそのまま使うわけにはいかないからです。そのまま使って、お話の上でむき出しになったら、かえって面白くも何ともないものに、結果としてなってしまうのが、経験上目に見えている(ジェームズ・『ユリシーズ』・ジョイスほどの天才なら、どうやっても巧くいくんでしょうけどね)。

しかしであります。ものを書いていると、たびたび感じるのですが、「お筆先」(この用語が宗教的過ぎるなら、「自動書記」と言っても可)じみた状態になることがあります。
よく言うでしょ、「キャラクターが勝手に動き出す」って。
それに近く、小生の実感では「キャラクターが勝手にしゃべり出し」「筋書き(プロット)が自動的に進んでいく」といったところ。

この「自動的に進んでいく」という部分で、無意識的にユング/エリアーデ的なものが働いているのでは、という直観がする。
それが、完全に無意識的なものではなく、もう少しこちらのコントロールの効くものになると、かなり違うのではと思います。
そのために、やや自覚的にユング/エリアーデ的なものを分析しておきたい、というのが動機、というと気障になりますかね(笑)。

まあ、以上のようなこともご理解いただいた上で、次回からは、再度、元の路線に戻りたいと思います。

〈以下、確実につづく〉