一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
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人間のストーリー/プロット変換機能について(3)

2005-07-08 00:19:54 | Essay
この想像力は、粗いドットを打った絵を、細かいドットで埋めていく作業に似ている。
ちょっと話がずれますが、人間は、3つ点が打ってあると、そこに人間の顔を見出してしまうそうです。つまり、2つは両目、1つは口という具合に。
このような想像力が、いわゆる「心霊写真」が生みだされる原因の1つ(後は、光学的な問題で、ハレーションとかカメラレンズ内での反射など)。
これは「錯覚(錯視)」という現象とは異なり、想像力のジャンルに属します。

さて、将門伝説における人びとの想像力の働かせ方です。

将門には子どもがいたらしい記述が、『将門記』に出ている。
しかし、子どもたちが何歳くらいで、男女それぞれ何人いたかは述べられていません。
また、将門死後も、坂東の地に治安が完全に回復されたわけではなく、その後、何度も乱が起きています。その一番大きいものは、平忠常の乱(1028年)で、これは失敗に終わりますが、ついには源頼朝の鎌倉幕府の成立にまで進んでいくわけです。

このような状勢の中で、坂東の人びとの想像力は、細かいドットを打って絵を描き始めます。

まず、子どもがいたとすれば、どんな子どもか。
そこで、『今昔物語』に如蔵尼という人物が、浮かび上がってきます。どうやら、その元になったのは得一という僧侶が、会津地方に布教したことと関係があるらしい。
ですから最初は、必ずしも将門とは関係がありませんでした。
この尼は「平将行という者の三女」ということになっており、
「死後に、冥土に行き、地蔵菩薩に助けられて蘇る。その後、出家をして名を如蔵といい、ひたすら地蔵菩薩を念じ奉った」
と、地蔵菩薩の功徳を述べるだけの、会津にある恵日寺(えにちじ)という寺と関係づけた説話だったようです。

しかし、親の名前が「平将行」ですから、この説話を聞いた人びとは、どうしても平将門に関係づけてしまう。
ここで想像力が働いたわけですね。
いつしか、如蔵尼は将門の三女、ということになってしまいました。

それから、人びとは想像力をどのように働かせたかについては、また次回。