一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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『福沢諭吉の真実』を読む。(5)

2005-07-31 06:41:29 | Book Review
石河幹明が不誠実な編纂作業を行った動機について、平山氏は『福沢諭吉伝』との関係で説明した。
つまり、石河版『福沢諭吉伝』の権威付けのため、大正版『福沢諭吉全集』に諭吉の真筆ではない論説をもぐり込ませた、というのである。
しかし、その動機には、石河が自分に都合のよい福沢像を作り上げたいという欲求が深層にあったのではないのか。

それはともあれ、このようにして大正版は、執筆者が福沢でない論説を大量(全集にして3巻分)に含んだまま刊行されたのである。
石河は伝記の執筆依頼を大正版編纂に先だって受けており、伝記資料収集のかたわらこの全集を出版したことになる。そして七年がかりの『福沢諭吉伝』が一九三一年に完成したのち、今度は、大正版でも予告されていた、遺文と書簡集で構成される『続全集』の刊行にとりかかった。
それが、昭和版といわれる『続福沢全集』である。
ここでも、所載された論説は、
私(一風斎註・石河)が筆に慣るゝに従つて起稿を命ぜらるゝことが多くなり、二十四五年頃から草せらるゝ重要なる説の外は主として私に起稿を命ぜられ、其晩年にに及んでは殆ど全く私の起稿といつてもよいほどであった。(大正版「付記」)
であるから、
昭和版の『時事論集』は、起筆者に関するかぎり、後になる程石河色が濃くなっていることになる。
のである。

以上が、石河が編纂した『福沢全集』大正版、昭和版のあらましであるが、それでは福沢真筆かどうかは、どのようにして分るかを整理しておこう。

本稿(1)でも軽く触れたように、比較文学者の井田進也氏が提唱してきた文献の判定方法を、本書では「井田メソッド」と呼んでいる。
その方法とは、
(1)『時事新報』に無署名論説を書いた可能性のある社説記者の署名入りの文章を集め、その人ならではの語彙や表現、さらに文体の特徴をよりだす。
(2)無署名の社説と特徴を比較することでもともとの起筆者を推定する。
(3)福沢の書きぐせと一致する部分を探して福沢の添削の程度をみる。
(4)福沢の関与の度合いに応じてAからEまでの五段階評価をおこなう(Aが一〇〇%福沢、Eが福沢の添削なし)
というもの。

このような方法論によって、大正版、昭和版の『時事新報』論説部分に、真筆ないしは福沢添削が入っているもの以外、つまりは福沢とは発想も思想も正反対のものが、多量に含まれていることが明らかになったのである。

次回は、その例として、平山氏が挙げている「中国・朝鮮問題」への発言を見ていこう。


*写真は、福沢諭吉が支援した、朝鮮の近代的改革を目指した開化派指導者キム・オッキュン(金玉均)。