一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
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人間のストーリー/プロット変換機能について(6)

2005-07-11 00:16:20 | Essay
『竹取物語』の類話が、チベットにあるのを知ってました?
『斑竹姑娘』といい、
「彼女は竹の中から生まれ、母子家庭の一人息子に出会う。その後、領主の息子たちの無理やりの求婚を退け、めでたく主人公と結ばれるという話」
だそうです。
日本とチベットとは、直線距離にして3000~4000キロメートルも離れています。
どうして、これだけ離れた場所に、類話があるのでしょうか。

従来は、離れた地域に類話があると、A地点からB地点に伝わった、つまりお話が〈伝播〉した、と考えられ勝ちでした(あるいは、C点からAB両地点に伝わった。これを「伝播論」という)。
しかし、最近では、異なる地点で同じようなお話が発生しても不思議ではない、という考え方もかなりされてきているようです。
日本神話で言えば、海幸・山幸のお話と類似したものがポリネシアにあっても、それは伝播ではなく、人類共通の発想(想像力)によるもの。だから、ポリネシアから日本へ、人間の移動があった証拠にはならない、となってきている。

この「人類共通の発想(想像力)」という考え方を、ストーリー展開に妄想したのが、前回のお話でした。
今回は、それをキャラクター(登場人物)と絡めて考えてみようというわけ。

カール・グスタフ・ユングに〈原型〉(Archetypus)という考え方があるのはご承知のとおり。
〈原型〉には、
 1. 影
 2. アニマ/アニムス
 3. 父/母
 4. 老賢人
 5. 英雄/トリックスター
 6. 自己
が挙げられていますが、これを一種のキャラクターとして捉え、お話(仮称〈物語素〉)と絡めたらどうだろう、というのが今回提示する妄想です。

短絡的に言えば、〈影〉というのは、悪役でしょう。しかも、それは単なる「悪」ではなく、無意識に抑圧している自己の部分でもある(その辺が、ゾロアスター教的な「善悪二元論」とは違う)。
つまり、
「私が生きなかった私の半身であり、実は無意識に私の行動を支配している隠れた力」
ということになります。
アニマ/アニムス以下の〈原型〉については、ご興味のある方は、各自お調べください。

実際に、アーシュラ・ル・グイン(『ゲド戦記』)やら、誰やらのファンタジイは意識的に、これらの〈原型〉が使われているということですから(ユング→キャンベル→『スターウォーズ』という線もある)、まんざら妄想というわけではない。
これと前回述べた〈物語素〉とを結びつけると、いかなることになるか、それが妄想の妄想たる由縁であります。

〈以下、続けられるか?〉