恐怖の描写ばかりに専念しても、われわれは戦争をなくすことはできないだろう。生きることの歓びと無益な死の悲惨をいくら声高に述べ立ててみても、われわれは戦争をなくすことはできないであろう。すでに数千年来、母親たちの涙については語られてきた。だが、そのような言葉が息子たちの死を阻止することはできなかったことを認めねばならない。
(サン-テグジュペリ『人生に意味を』)
サン-テグジュペリは、1944年7月31日午前8時45分、F-5B(P-38の武装を外し、速度を増した偵察型の機種。P-38は、ブーゲンビル島上空で山本五十六の乗機を撃墜したことで有名な双発双胴の戦闘機)で、コルシカ島のボルゴ基地を離陸、グルノーブル、アンベリュー、アヌシー方面の高々度写真偵察に向かった。
当時、南フランスは、ペタン元帥を首班とする政府をヴィシイに置き、北フランスを占領していたナチス・ドイツと協力関係にあった。一方、ロンドンのド-ゴール将軍は、亡命政権を樹立、連合軍の一員として自由フランス軍を指揮下に置いていた。サン-テグジュペリは、この自由フランス軍の空軍大尉だったのである。
しかし、偵察に向かった彼の乗機は、二度と帰ってくることはなかった。
2000年5月になり、マルセイユ沖の海底からF-5Bの残骸が発見された。機体番号223から、サン-テグジュペリの乗機だということが確認されたという。
この発見により、コルシカ島東岸を偵察中のドイツ空軍フォッケウルフFw190Dに撃墜された、という従来の説が裏付けられたことになる。
さて、冒頭のことばだが、文学者としての絶望を示しているように思える。つまり、戦争に対して文学(あるいは広く芸術)は無力だということである。
確かに、従来、文学が戦争を阻止したという事実はない。
しかし、われわれは文学のない世界を想像できないように、文学がなかった場合に、戦争がより悲惨なものになっていたということを否定することもできない。
ここで次の、ある賢者のことばを引くことは、無意味ではあるまい。
たとえ明日世界が滅びるとしても、
それでも私はリンゴの木を植える