ただの偶然なのですか

私のお気に入りと日々の感想  

映画「BALLAD 名もなき恋のうた」の感想

2009年09月19日 | 映画
現代から戦国時代にタイムスリップしてしまった一人の少年。
そこで少年は一人の武将と、その武将が守っているお姫様に出会います。
戦国時代は、身分の違う者どうしは恋愛どころか好きという気持ちを表すことさえ許されない時代。
お互いの気持ちを隠しながら、姫を守る武将と、武将の無事を祈る姫。
その、ひたむきで真っ直ぐな想いに、見ていて何度も涙が出てしまいました。
いつ戦で命を落とすかわからない状況の中での身分違いの恋。
好きならその想いを伝えなくちゃという現代の少年の気持ちも純粋で、私も一緒にタイムスリップしたように、少年と同じ視点で見ることができました。

どんなに好きでも叶わない身分違いの恋。
「祈ることが愛すること」
それは、草くんを想うファンの気持ちにも通じるものがあるような気がします。

そして私は携帯の待ち受け画面を草くんの写真に替えました。

2009年に劇場で観た映画

2009年09月19日 | 映画
「レスラー」
「グラン・トリノ」
「BALLAD 名もなき恋のうた」
「エヴァンゲリヲン新劇場版:破」
「チェンジリング」
「人生に乾杯!」
「スラムドッグ$ミリオネア」 

以上、私のお気に入り順です。
「人生に乾杯!」は、いい映画そうな感じでしたが、いまいち理解できないセンスで、感想を書けませんでした。

映画「エヴァンゲリヲン新劇場版:破」の感想

2009年07月01日 | 映画
も~!!!どんだけ待たせるのよ~!前作の公開から2年近く経ってるし~!大体、なんで今さら「エヴァンゲリオン」なのよ~!これって大人の都合なんじゃないの~?いろいろたくさん利権ありそうだし…
とか言いながら、公開3日目に観に行く私って…

やっぱり大画面で観るとエヴァの世界にどっぷり浸れていいです~。でも、戦闘シーンが多すぎて、迫力はありましたが、ちょっと詰め込み過ぎな感じがしました。私的には、もっと細かい心理描写とか内面の葛藤を見たかったです。

「エヴァンゲリオン」のテーマのひとつに、息子と父親の確執が描かれていますが、ここのところが女性である私には、いまひとつ理解できないところです。母親と娘との関係なら同性であるがゆえに同化してしまうことによる息苦しさとか葛藤が何となくわかるんですけど、父親と息子の関係ってこんなに隔たりがあって会話とか少ないものなんですか?父親は息子にとって超えなければいけない壁みたいなものであり、母親を巡ってはライバルなのかしら?

今回から登場した新キャラのメガネ娘ですが、わりと沈着冷静でさばさばした感じで、戦うときに言う独り言が他人事みたいな言い方なのに自らを鼓舞しているようで、かっこよくて萌えました。

エヴァンゲリオンってロボットと違って、生き物としての生々しさがあって、戦うときに流される血に痛みが感じられます。その痛みが搭乗者にもシンクロしていて、精神的にも侵食されていく感じが、自分の内面と向き合わされているようで重くて深いです。

ストーリーは相変わらず難しくて、「エヴァンゲリオン」を初めて観る人にはもっと説明が必要なんじゃないかなと思いますが、初めて観る人なんていないのかしら…。ストーリーに整合性を求めるよりも、「気分」を味わう作品のような気がします。でも今回、ずっと不思議に思っていた「何で、この時代にカセットテープを聞いてるの?」っていう疑問に対して説明があったのでよかったです。そしたら今度は、あのカセットテープに入っている曲は何なのかしら?ということが気になってきましたが…。

音楽といえば、「えっ、何でここでこの曲が流れるの?」っていう所が2ヶ所あるのですが、それが誰もが子どものころに歌ったことがあるというか、卒業式とか合唱コンクールで大人に「歌わされていた」曲なんです。それらの曲のキレイ過ぎる世界観が痛烈な皮肉に聞こえて、こんな嘘っぱちなキレイごとを子どもに押し付けるなんて、実は大人の世界は汚いくせに!って、責められているような気分になったんですけど、あの曲たちが使われている意味をどう解釈しましたか?

「エヴァンゲリオン」を観ると、大人であるはずの自分の内面が実は子どもであることを思い知らされます。私も誰かに手をつないでほしいのかなって…。
でも内面は子どもでも、私は今は育てる側にいるわけで、自分は大人だという自覚をもって子どもと向き合っていかなければと思いました。




映画「レスラー」の感想

2009年06月16日 | 映画
正直に言うと、プロレスを見るのは好きではありません。
過激なパフォーマンス、それを見て興奮する観客、そして流血…。
でもリングの上で流される血よりも、痛いのは現実の世界で心から流れ出る血。
この映画を見るとプロレスには筋書きが打ち合わせされている部分もあるようですが、現実はプロレスよりも痛い。
特にプロレスラーにとって老いによる肉体の衰えは「引退」という過酷な現実を突きつけてきます。
そんなに頑張らなくてもいいのに…もっと肉体的に楽な仕事をして無茶はやめなよ…と思ってしまいますが、レスラーとしてしか生きられない主人公。
なんでそんなに不器用にしか生きられないんだと思いながらも、この映画の主人公の姿が、自分自身の老いや葛藤と重なって胸が苦しくなりました。
ストーリー自体は多分あなたが予想しているとおりで、誰にとっても過酷な「人生」が描かれていますが、とにかく身につまされるリアリティがあります。
主演のミッキー・ロークの演技が素晴らしく、演技というよりは完全に主人公と同化しています。
音楽も素晴らしくて、特にエンディングの歌がすべてを物語っていて涙があふれました。無理に盛り上げようとするようなBGMが無いのもよかったです。
強烈な生きざまが描かれているのに、静かで穏やかな感じがして、包み込むような優しい視点を感じました。
ひとりのレスラーのリアルな生きざまと、その崇高さに魂が揺さぶられました。




映画「グラン・トリノ」の感想

2009年04月30日 | 映画
私は、いつも怒っている。
いや、正確には「いつも」じゃない。
ときには穏やかな気持ちや安らぎを感じることもある。
でも、やはり怒りの感情は私の原動力だと言っても過言ではない。
家族に怒り、理不尽な事件や犯罪に怒り、神にも怒っている。
特にこの一ヶ月間は、大切な人の優しさが踏みにじられているのを見て、何も出来ない自分の無力さに、やるせなさが募るばかりです。
理屈や良識が通じない相手と、どう戦えばいいのでしょう。
私の言葉は想いはどこにも届かない。
だからといって、怒りの感情だけで物を言えば反感をかい、相手との間に溝を作るだけ。
暴力は暴力となって返ってきて、傷はより深くなるだけ。
大多数の善良な人々は暴力の前でただ怯え、なす術も持たず、弱い者、優しい者は踏みつけにされるしかないのでしょうか。
この映画を観れば、もしかしたら答えが見つかるかもしれないと思っていましたた。
でも、この映画に登場する神父の諭しは正論ですが絵空事にしか感じられませんでした。
そして、クリント・イーストウッドは、この映画で彼なりの答えを示したのかもしれません。
でも、あの方法では私は戦えません。
私には他にも守らなければならないものがあるからです。
それでも、クリント・イーストウッドのメッセージは私の心にガツンと届きました。
彼の存在感と内面から溢れる信念と気迫に圧倒されました。
理不尽な暴力を相手に真正面から戦いをいどみ、成すべきことを示したイーストウッドの良心に感服しました。
大切なものを守るためには戦わなければなりません。
イーストウッドが私たちに求めているのは、考え続けることなのでしょう。
暴力をふるう相手に対して暴力を使わずに、大切なものを守ることができるのでしょうか。
冷静になろう。状況を分析しよう。
考えよう。考えよう。考えよう。

くそっ…。



映画「スラムドッグ$ミリオネア」の感想

2009年04月23日 | 映画
あのクイズ番組は好きじゃないんですよね…。
もったいぶったような大げさな演出とか、間のとりかたが長すぎるところとか、4択で運まかせみたいなところとか…。
でも、知識を試すクイズ番組じゃなくてショーだと思って見れば乗れるんでしょうね。
この映画の脚色はミリオネア以上で、とてもドラマティックな作品です。
「クイズ$ミリオネア」が好きな方なら、この映画を観ても感動できるかもしれません。

映画「チェンジリング」クリント・イーストウッド監督の感想

2009年02月25日 | 映画
ああ、救われない、救われない、救われない…。
汚い奴はどこまでも汚くて、腐りきっていて吐き気がする。
でも、これは実話ですから、私の気分が悪いのは監督のせいではありません。
良心に基づいてとことん真実を追究するクリント・イーストウッド監督の姿勢には感服します。
ここまでやるのか、そこまでやるのか、さすが巨匠です。
『ミリオンダラー・ベイビー』や『ミスティック・リバー』と同じく、本作も名作なのは間違いないでしょう。
世の中には、いい人もいるし腐った奴もいる。
人生にはこういうことも起こり得ます。
客観的に現実を直視しないで感情に流されていては戦えません。
気分で感想を書くのも気分で生きているのも私の悪い癖です。
この気分、しばらく引きずりそうです。



2008年に劇場で観た映画

2008年12月26日 | 映画
今年、私が劇場で観た映画を、お気に入り順に並べてみました。

ベストワンは「ダークナイト」です。
心理的なテーマの深さが素晴らしく、ドキドキする見せ場の連続が最高で、生涯ベストテンにも入りそうなくらいの作品です。

その次は「ラスト、コーション」です。
街並や衣装や音楽など、映画全体の雰囲気が異国情緒というか恋愛情緒にあふれていて、恋愛における当事者達の痛切さが実感としてわかる感じがしました。

以下の作品の順番は次のとおりです。


「ダークナイト」
「ラスト、コーション」
「ラースと、その彼女」
「ジェイン・オースティンの読書会」
「ヒトラーの贋札」
「告発のとき」
「マンデラの名もなき看守」
「ある愛の風景」
「つぐない」
「アフタースクール」
「トゥヤーの結婚」
「悲しみが乾くまで」
「イースタン・プロミス」
「トウキョウソナタ」
「ぐるりのこと。」
「ヤング@ハート」
「ぼくの大切なともだち」
「おくりびと」
「モンゴル」
「レッドクリフ」
「魔法にかけられて」
「俺たちフィギュアスケーター」
「君のためなら千回でも」
「最高の人生の見つけ方」
「言えない秘密」
「この自由な世界で」
「モンテーニュ通りのカフェ」
「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」
「銀幕版 スシ王子! ~ニューヨークへ行く~」


昨年は年末にお気に入り順を考えたのですが、今年は観た直後にその都度、順番を考えました。
でも、時間が経つと印象が変わってくる映画もあって、この順番を変えたくなります。
時間の経過とともに作品の解釈が熟成されてくることもあるようです。





映画「ラースと、その彼女」の感想

2008年12月23日 | 映画
他人の心の中は外からは見えない。
人と関わるためには、他人の心の内を思いやる想像力が必要。
そして、他者の心の内を想像するのは、なかなか難しいことでもあります。
しかし突然、突拍子も無い形で誰かの心のSOSが目の前に表出したら…。

ラースは内気な青年で、人との関わりを恐れ特に女の子と接するのが苦手です。
そんな彼を心配している兄嫁は、ラースを食事に招待しますが断られてしまいます。
でも、ある日、ラースは恋人が出来たと言って兄夫婦に紹介します。
しかし、ラースが連れてきた彼女は、なんと等身大のラブドールでした。
それまでラースのことを大丈夫だと思っていた兄は、ラースの心の中を目の当たりにして驚愕します。
そのラブドールはラースの孤独と不安が具現化されたものであり、彼の心の中では彼女は本物の女性として認識され実在しています。
ラブドールに真面目に真剣に接するラースを見て、あわてふためき唖然とする兄夫婦の様子には笑ってしまいました。
しかし、兄夫婦も町の人々も、そんなラースを笑ったりはしません。
まるで繊細で壊れやすい宝物のようにラースの心を大切にし、ラブドールを受け入れて本物の人間として扱い、ラースの妄想に付き合います。

この町の人たちの相手を思いやり受け入れる心の温かさ優しさが素晴らしいです。
心優しいラースが町の人たちから愛されているのがわかります。
そして、ラースの心の中を思いやり寄り添うことによって、町の人々が温かい心で繋がっていきます。
他人と関わるとはどういうことか、コミュニケーションとは何なのかということを考えさせられました。
もし他人の心の内を想像することができなければ、逆に他者は人形と同じ存在になってしまうでしょう。
そして、コミュニティーの大切さと、それが持つ治癒力について学んだ気がしました。
おとぎ話のようですが、人と人との関わりが深い小さな町なら、こんなふうに温かいコミュニティーが築けるかもしれないと思いました。
こんな町でなら、うちの息子のような子たちも幸せに暮らせるんじゃないかしらと思ってしまいました。






映画「この自由な世界で」の感想

2008年12月18日 | 映画
「自由な世界」という言葉から、どんな世界をイメージしますか?
「自由」の意味にもいろいろありますが、私が抱く「自由」のイメージは、開放的で伸び伸び生きられる世界、なんとなく明るい感じの言葉だと思っていました。
でも、この映画で描かれているのは「自由市場」という世界です。

ロンドンで暮らしているシングルマザーのアンジーは、勤めていた職業紹介会社をクビになってしまいます。
理不尽な扱いを受けてきたアンジーは、それならばと自分で職業紹介所を立ち上げます。
バイクに乗って営業先を回り顧客を開拓し自分で道を切り開いていくアンジーの姿は、最初はパワフルでかっこよくて反骨精神にあふれています。
幼い息子と一緒に暮らせるようになるために必死に働くアンジーには、不法移民の家族を救おうとする優しい一面もあったりします。
しかし、競争にさらされ利益を追ううちに、彼女は他者を犠牲にするようになっていきます。
それでも、アンジー自身も豊かにはなれず、相変わらず多額の借金を抱えています。
最初は颯爽としていたアンジーですが、その表情はどんどん険しく目つきはキツくなっていきます。
搾取される側から搾取する側になったアンジーは、ますます他者を犠牲にするようになり、「自由」な道を突き進んでいきます。

自由市場なのは日本も同じで、価格の安さを求めるあまり生産工場を国外に移し、賃金の安い外国の労働者から搾取しているのは私たちも同じなのではないか…。
また、国内においても、ここ数ヶ月の間の雇用状況の急激な悪化と短期雇用の問題点が浮き彫りにされるのを見ていると、自由市場の非情さに、これでいいのかと考えさせられます。
この映画を観たのが半年前ならもっと実感が少なかったかもしれませんが、全世界的に自由経済が崩壊しつつある今では、「自由」という名の残酷さ冷たさに、人間的な温かさを失った不条理を感じました。
搾取される者たちの怒りがアンジーに向かいますが、その怒りは私にも向けられているような気がしました。

自由経済の競争の中を生き抜くには、他人を犠牲にするのは仕方のないことなのでしょうか。
もはや“神の見えざる手”もあてにはならず、このまま自由市場は崩壊するのでしょうか。

搾取される側の痛みを同じ人間として感じないのか。
搾取する者は搾取される者より偉いのか。

そんな問題を突きつけてくる作品です。