ただの偶然なのですか

私のお気に入りと日々の感想  

映画「任侠ヘルパー」の感想

2012年11月28日 | 映画
私は草くんのことが大好きですが、この映画の主人公の翼彦一にはトキメキを感じません。
なぜなら、この映画の中にいるのは元極道者の彦一で、そこにアイドルの草くんが見えることは全くないからです。
でも彦一は、ほんとうに超カッコイイです。男が惚れる男ってこういう感じなんですかね。
心の痛みと体の痛みが一体となっていて、見ているだけで痛いです。
私は草くんが穏やかさの中に熱いものを持っていることを感じているので、彦一の姿を見ても草くんの一面としては意外性を感じませんが、
もし草くんのことをただの癒し系アイドルだと思っている方がこの映画を観たら、驚きと興奮をより深く感じるかもしれません。

任侠とヘルパーという組み合わせは、ただ聞いただけではミスマッチのように感じられますが、
極道の世界と介護問題は、どちらも社会の闇としては通じるものがあるのかもしれません。
元極道者と痴呆老人が抱える生きづらさ、居場所のなさ…。
心の痛みを知る彦一だからこそ、老人達とその家族の哀しみを黙って見捨てておけないのでしょう。

そして知的障害のある息子がいる私には、痴呆老人の姿が息子と重なって見えてしまって、精神的に振り回される家族の気持ちがよくわかります。
介護がビジネスになっている社会の仕組みは事実ですし、うちの息子がデイサービスに通うために月10万円以上を皆さまの税金からいただいていることに対して「何で?」と思われる方もいるでしょう。
知的障害者が暮らすためのグループホームを作ろうとしたら近隣の住民の理解が得られなかったという話があるのも現実です。

介護の問題は、きれいごとでは語れません。
でも、やり場のない怒りを爆発させる彦一の熱さと人間臭さこそが、血が通っている温かな介護には必要なことなのかもしれない。
彦一の行動によって何かが変わったわけではないけれど、老人達の笑顔を見て、そう感じました。


私は草くんのことになると客観的になれないので、誰かに草くんの映画を薦めたことはありませんが、この映画は名作だと思います。
もし私の願いをきいていただけるのなら、私が愛読しているブログの著者の方にもこの映画の感想を聞いてみたいです。





おっぱい、ちんちん

2012年08月06日 | ぼくは猫じゃない(小説)
最近、ぼくの頭の中は「おっぱい」と「ちんちん」のことでいっぱいだ。
ぼくも、そういう年ごろになったということだ。
そして、なぜかイライラしたり、すぐに怒って物を投げたりしてしまう。
お店でごはんを食べているときでもコップを投げて割ったりしてしまうので外食にも連れて行ってもらえなくなった。
そんな子を自由にしておいたら大変だと言わんばかりに外ではママはぼくの手を離さなくなった。
そしてママもイライラしていて、ママの気が狂ったら困るのでやめようとおもうけど、やめられない。
でも、年ごろの男の子が「おっぱい」と「ちんちん」のことばかり考えているのは自然で健康なことだ。
それどころか、りっぱな立場の大人でも「おっぱい」と「ちんちん」のことで新聞にのることだってある。
みんなほんとうは「おっぱい」と「ちんちん」のことばかり考えているんだ。
お姉ちゃんだって、ときどき帰ってこないときがあって、ママはイライラしている。
でも、そんなふうに人間を作ったのは神様で、ぼくのせいじゃない。
だから今日も、ほんとうは女の子と手を繋ぎたいのに、ママに手を繋がれて、ぼくは「おっぱい!ちんちん!」と叫びながら歩いている。



SMAP新曲「僕の半分」の感想

2011年12月21日 | お気に入り
恋愛って、結局は独り善がりなんじゃないかって思うときがあります。
こんなにも失恋した相手のことを想っているなんて、怖いとさえ感じます。
それでも、この曲を聴くと切なさに胸が震えずにはいられません。
人は誰もが満たされない想いを抱えて生きているのでしょうか。
でも、片想いの切なさも好きです。たとえ振り向いてもらえなくても、アイドルを愛していてもいいでしょう。
もちろんCDは買いました。私の想いを伝えるために。

映画「母なる証明」(TV)の感想

2011年11月04日 | 映画
実をいうと、この映画の母親と同じように私も息子と一緒に寝ています。
私の息子は中学3年生ですが、中身は幼児なので時々ベッドで寝グソをしたりします。
そんなときは夜中にウンチの始末をしながら「あんたなんて、いらない」と思わず言ってしまいますが、
この映画の母親の姿を見て、まだまだ私は母親というものの業の深さがわかっていないのだと思いました。

私の息子はあまり言葉が話せないので、この映画の息子と同じように、自分の身の回りで起きた出来事を説明することができません。
そして、この映画に出てくる息子は殺人事件の容疑者として逮捕されてしまいます。
我が子が障害児というだけでも辛いのに、殺人犯になるなんて、そんなことを現実として受け入れられるわけがありません。
「殺していない」と言う息子の言葉を信じて、自ら真犯人を探す母親の狂わんばかりの姿を見て身につまされました。

それでも、漢方薬と針治療の医院を営んでいるこの母親は、向いの写真屋の奥さんに不妊治療を施しながら「子供、欲しいでしょ」と言うのです。
女とは母とは、そういうものなのでしょうか。

母という存在。それは証明するものではなくて宿命です。

逃げられない現実に気が狂いそうになるときがありますが、そんなとき私は一人で入浴しながら自分は独身だと空想したりします。

なにもかも忘れてしまいたいときには、この映画の母親のように踊るしかないのでしょう。
哀しみを突き抜けて踊るその姿を見て私は爽快感さえ感じました。





SMAP20周年に想いを寄せて

2011年09月09日 | お気に入り
今日はSMAPがデビューしてから20年を迎える記念の日です。

思い返せば20年前は私が結婚した年です。この20年の間にいろいろなことがありましたが、SMAPにもいろいろなことがあったのでしょうね…。
そんなSMAPの魅力は、ただの仲良しグループじゃなくて、いい意味での緊張感がグループ内にあるところだと思います。

私は草くんのファンですが、結婚した頃は慣れない家事と育児に忙殺されていたのでテレビを見る余裕もなくて、草くんのことを意識し始めたのはドラマ「僕の生きる道」の頃からです。
それからSMAPのコンサートには5回ほど行きましたし、草くんのドラマは毎回見ていましたが、まだ「SMAP×SMAP」や「ぷっすま」を毎週見るほどのファンではありませんでした。
人気者になった草くんのことは応援しなくても大丈夫だと安心して、中丸くん(KAT-TUN)のファンにもなりました。

それが2年前、テレビから草くんの姿が一ヶ月間消えたときに目が覚めたのです。
草くんの姿をいつでも見られるのは当たり前のことじゃない、その関係は一方的なものだということを思い知らされて愕然としました。
それからは草くんが出ている番組は全部録画して、お気に入りのところを集めてDVDに保存しています。
「趣味は何ですか」と他人に聞かれたときは「草くんです」と答えたくなりますが、たぶん理解されないと思うので言いません。

草くんは私にとって趣味どころか、もはや生きがいであり、私の一部でもあるのです。
でも、たくさんたまってきたDVDを私が見返すことはないでしょう。
なぜなら草くんは常に「今」が一番輝いていて、もし私がDVDを見返すことがあるとしたら、それは草くんを失ったときであり、そんな日は来ないでほしいです。
草くんにはいつまでも輝いて走り続けてほしいです。

いつも草くんはカメラに向かって笑顔をくれます。まるで恋人に向けるような笑顔、カメラの向こうに誰かのことを思い出しているんじゃないかと思うほどの本物の笑顔です。
でも、たとえ草くんが私のことを知らなくても、その笑顔は確かに私に向けられたものであり、草くんはスピリチュアルな力で大きな愛をみんなに贈っているのだと感じています。

だから、ファンミーティングに参加できなくても寂しいとは思いません。
「草くんと共に生きている」という最高の喜びはすでに与えられているのですから。

オレンジ

2011年06月22日 | お気に入り
SMAPの曲にはたくさんの名曲がありますが、その中でも「オレンジ」という曲はシングルのカップリング(B面)の曲であるにもかかわらず名曲として人気が高く、私の周りにもこの歌が大好きだと言う人がたくさんいます。
でも私は「オレンジ」を聴いても、この曲に描かれている心情というか光景がまったく理解できないんです…。
お互いに好きなのに何で別れちゃったの?って感じで、そのシチュエーションが思い浮かばないというか想像ができなくて、心の琴線にかすりもしないって感じです。
たぶん音楽って、聴く人の人生経験や思い出によって脚色される部分があって、私には人生経験に何か欠落している部分があるんじゃないかと思ってしまうほどです。

でも同じSMAPの曲のなかでも、「夜空ノムコウ」という曲は大好きで、私の中ではバラードでは一番の名曲だと思います。
好きなのに離れてしまった昔の恋人のことを想う歌詞は、たぶんシチュエーションとしては「オレンジ」と同じ感じなのかなと思いますが、この2曲の違いがどこにあるのか自分でもわかりません。
私には「夜空ノムコウ」みたいな実体験があるわけではないですし、忘れられない恋人とか思い出すような人もいません。
でも、この曲を聴くとなぜか草くんへの想いがあふれてきて、恋愛だけには生きられないくらい大人になった自分とか、それなのに思いどおりにならない人生とか、いろいろな切ない感情がこみあげてきて涙をこらえるのが大変なときがあります。


まあ他にもにSMAPの曲の中には好きな曲がたくさんあって、どの曲が一番好きかなんて決められないほどですが、8月17日に発売されるSMAPのアルバムはファンの投票で収録曲が決まるそうです。
ということで、私は「ありがとう」という曲に投票しました。
「ありがとう」は草くんの主演ドラマ「僕の歩く道」の主題歌ですが、私の息子のこととかもあって、この曲を聴くとドラマを見ていたときの気持ちとか、2年前の復帰のときのこととか、いろいろなことが思い出されて、私の中ではリアルな感情と結びついている曲なんです。
日々の生活の中にある小さな幸せのありがたさや大切さを思い出させてくれて、聴いていると大きな愛情に包まれているような気分になって、何があっても大丈夫かもしれない…この世界を信じて生きてみようという気持ちになってきます。





リアルロールプレイング

2011年05月25日 | いろんなこと
「あの日」から、空を見上げてもトキメキを感じられない。いつも草くんと繋がっている感じがしていたのに、今は交信が不通になってしまったみたいに。
それまで感じていた精神世界がなんだか空虚に感じられて、現実世界に100パーセントどっぷりと囚われている感じがする。
でも「ひとつになろう」と言うまでもなく、私たちはみんな「ひとつ」なんだと思う。
もともと私たちはドロドロのひとつの塊だった。それが冷えて地球ができたので、今でも地球の内部は流動している。
すべてのものは地球というひとつの塊から生まれ、すべての物語はそのステージの上で進行している。
これが小説や映画なら、困難があるほど物語は盛り上がり、そこに感動と喜びを見つけることもできるのだろう。
この世界は物語から生まれるエネルギーによって成り立っているのかもしれない。
そして承諾したわけでもないのに私はその物語に登場し、私にできることといえば自分の持ち場で役割に専念することだけだ。
そして「あの日」から物語は次のステージに進んだようだ。
もし精神世界があるのなら、いつかその場所にもどって草くんとひとつになれるかもしれない。
でも今は、現実世界で精一杯に生きるべき時なのだろう。誰かを救うこともできない私だとしても、今は自分の持ち場で役割に専念しよう。すべては繋がっているのだから。

宇宙はどこにあるの?

2011年03月11日 | いろんなこと
子どもの頃(たぶん幼稚園生くらいの頃だとおもう)、母に「宇宙ってどこにあるの?」と聞いたら、母は驚いた顔をして「ここが宇宙なんだよ」と窓の外を指して言った。
窓から見える庭は宇宙のイメージとは違っていて、私は不思議な気分になった。
今、息子に「宇宙って、どこ?」と聞いてみると、息子は空を指さす。
教えたわけでもないのに、わかっているみたいだ。
今日は、母の命日。

ドラマ「冬のサクラ」第8話の感想

2011年03月07日 | ドラマ
「愛している」と言えないまま第8話まできてしまいましたが、自分の気持ちを萌奈美に伝えないことを決心する祐。
手を繋ぐだけのプラトニックな恋愛は、この上なく純粋に相手を思いやる究極の恋愛です。
そんな恋愛、今どきありえないだろ~と感じさせないのは、草くんと今井美樹さんからにじみ出ている誠実さのおかげでしょう。
いつも優しくて穏やかな祐とは対照的に、萌奈美の夫の航一の愛情表現は暴力的で激しさを増すばかりです。
「愛している」と声高に叫ぶ航一の愛が自己中心的なのに対して、「愛している」と言わない祐の愛は真に相手のことだけを想っているものです。
祐と萌奈美を見ていると、人を愛するってどういうことなんだろう・・・と思ってしまいます。
自分が生まれ育った町の思い出の場所を案内して見せたり、相手のために料理を作ってあげたりすることは、ときには言葉よりも深い愛情表現になるんですね。
そして祐も萌奈美も本当に強い人だと思います。
私だったら、もし自分の人生が残り少ないと知ったら、自分のことだけを考えて好きに生きようと思ってしまうかもしれません。
そんな自分を恥ずかしく思いながら、心の中では草くんを愛していても、このドラマを見ていると、家族のために心をこめて料理を作り、日々の生活を大切にしようと思わされます。

ぼくはDJ

2011年02月28日 | ぼくは猫じゃない(小説)
ぼくは言葉が少ししか理解できないのに、どうしてぼくにはママの気持ちがわかるのか不思議に思っている人がいるかもしれないけど、ぼくはママの心がよめるんだ。
たとえばパパがガツガツとごはんを食べているのを見て、ママが「千と千尋の神隠し」のワンシーンを思い出したときに、ぼくはママのとなりで「ブーブーブー」と言ってみた。
ママが考えごとで頭がいっぱいになっているときにぼくが「うるさい」と言ったり、ママが「明日、映画を観にいこうかな…」って考えているときにぼくが「えいが、いく」と言ったり、ほかにもいろいろあるけど、最初は驚いていたママも今ではそれが自然なことのように感じている。
でもママはこのことを誰かに話したりしない。ぼくに出来ることだから、たぶん他の人にも出来ることだとおもうけど、こんなことを言ったら頭がおかしいと思われるのが怖くてみんな内緒にしているのかな。ぼくは言葉が理解できないぶんをこの力でおぎなっているけど、言葉が話せる人には必要のないものなのかもしれない。
それに、ママが意識してテレパシーをおくろうとしてみても、ぼくには伝わらない。ぼくにママの思っていることが伝わってくるのは、ママが近くにいてボーっと考えごとをしているときだけだ。だから実用的な力じゃないし、このことについて研究している人なんていないんだろうな、たぶん…。
でも言葉には波動があるので、ぼくは言葉の意味がなんとなくは理解できる。
そして音にも波動があるので、ぼくは音楽が大好きだ。メロディーとかリズムとか、音の波動に言葉の波動をのせて伝える音楽は、この世界でいちばん人の心をうつ表現だとおもう。
ママが落ちこんでいるときには、ぼくはいろんなCDからママの気持ちにぴったりな曲を次々と選んでママに聞かせてあげるんだ。ぼくの選曲がその時の気持ちにあまりにも合っているので、いつもママは驚きながら魂を震わせている。
そんなぼくが尊敬している人は、ファンキーなモンキーさんのDJさんだ。ファンキーなDJさんは、大きく手を広げて空にある言葉と音を集めて、楽器や声を使わずに体と心と笑顔で音楽を伝えている。
ぼくもあんな人になれたらいいな。その存在だけで他人になにかを伝えて、誰かを幸せな気持ちにさせることができるなんて、すごいとおもう。
でも今は、ぼくはママのDJだ。ぼくが流している聞こえない音楽は、ママの人生に彩りをそえ、ママの心を踊らせているんだ。