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歴史人物の生き様から見える、日本人特有の思想「無常」とは  202206

2022-06-05 23:00:00 | 📗 この本

歴史人物の生き様から見える、日本人特有の思想「無常」とは
 幻冬社ゴールドライフオンライン より 220605  新妻 健,新妻 健

※本記事は、新妻健氏の書籍『オールガイド 日本人と死生観』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。

◆第1章 前提としての「無常観」と「アニミズム」
⚫︎第1節 無常観と死の受容
 今まで多くの文献を通して得た私の実感では、日本人の死生観の根底にある大きな要素として、「無常観」を抜きにすることはできない。

 この無常観こそが日本人の死に対する淡白さや潔さを特徴づけ、「死の受容」を容易にしたと思えるからである。
 東日本大震災のあった平成23・二〇一一年の6月、村上春樹はスペインでの「カタルーニャ国際賞授賞式」で講演を行った。その内容を紹介したい。

 この大地震で日本人は激しいショックを受け、無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じているが、結局は「我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについては、僕はあまり心配してはいません。
 我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです」と言って、村上は自然災害を「仕方ないもの」と受け止めることで乗り越えてきた力として、「無常」観を挙げた。

「日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態は一つとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。

 これは仏教から来ている世界観ですが、この『無常』という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。(中略)生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚はかなさの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。

 しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆もろい世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具そなわっているはずです。」(毎日新聞・二〇一一年6月14〜16日夕刊)

 村上のこうした指摘は必ずしも目新しいものではない。
既に寺田寅彦(一八七八~一九三五)は、昭和10年の「日本人の自然観」という論文で、

「仏教が遠い土地から移植されてそれが土着し発育し持続したのはやはりその教義の含有するいろいろの因子が日本の風土に適応したためでなければなるまい。
 思うに仏教の根底にある無常観が日本人のおのずからな自然観と相調和するところのあるのもその一つの因子ではないかと思うのである。
 鴨長明の方丈記を引用するまでもなく地震や風水の災禍の頻繁でしかも全く予測し難い国土に住むものにとっては天然の無常は遠い遠い祖先からの遺伝的記憶となって五臓六腑にしみ渡っているからである」(『寺田寅彦随筆集第五巻』岩波文庫一九七七年)と述べている。

 地震・津波・台風・火山などの自然災害だけではない、病気もまた人々を死に追いやった大きな暴威だった。江戸時代はもちろん、太平洋戦争以前、コレラ・疱瘡・麻疹などによる病死は日常的なもので、特に幼児死亡率は高く、
「出生児十人のうち六歳に達するのが七人以下、十六歳まで生存できるのは五、六人にすぎなかった(鬼頭宏『日本二千年の人口史』、渡辺京二『江戸という幻景』弦書房二〇〇四年より引用)。

 こうしたことを挙げながら、渡辺京二は「死を気軽に考えている江戸時代人」の「かすかに哀愁を帯びながら徹底的に明るい虚無感」の背景の一つに、「人間いつ死ぬかわからないという」当時の人々の無常観を指摘している。

 小林一茶(後述)は娘のさとが数え2歳で死んだ時、「露の世は露の世ながらさりながら」(『おらが春』)と詠んだが、自然災害と病気の脅威の前には露の如くはかないこの生、との思いが日本人の無常観を強くしたことは当然である。

 ここで、日本人の無常観の歴史を少し振り返っておきたい。
古くは『万葉集』に「うつせみの世は常なしと知るものの秋風寒み(=寒いので)思しのびつるかも」(大伴家持、亡き妻を偲しのんでとか、「世の中を何にたとへむ朝びらき漕こぎ去いにし船の跡なきがごと」(沙弥満誓)などと詠われた。
 やがて仏教の社会への浸透とともに、多くの「無常」の歌が挽歌・釈教歌として詠まれるほかに、多くの人の愛でる「桜」が無常の象徴の一つともなった。

『古今集』でも、「うつせみの世にも似たるか花ざくら咲くと見しまにかつ散りにけり」(よみ人知らず)と詠まれた。そして無常なるこの「穢土」を厭い、「浄土」を欣求する浄土教信仰は源信の『往生要集』(九八五年成立)などの影響もあって人々の間に拡大していった。

『方丈記』『徒然草』また『平家物語』の無常観については言うまでもないだろう。
 兼好法師ら知識人にとってのみならず、鎌倉期に中国から日本に渡来した禅宗でも「生死事大・無常迅速」は根本的な課題だった。
 室町時代の蓮如の「白骨の御文章(御文)」は福沢諭吉なども「一時は暗記した」こともあった(「福澤全集緒言」『福沢諭吉全集』第1巻岩波書店②)ほど、人々によく知られていた。

「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそ儚はかなきものは、この世の始中終しちゅうじゅう、まぼろしのごとくなる一期いちごなり。(中略)されば、朝あしたには紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、即ち二つの眼まなこたちまちに閉ぢ、一つの息ながく絶えぬれば(下略)」
 といった文章を幼い時に聞かせられて、この世の無常と死の受容の心情に染まった人は実に多い。

 浄土真宗信仰の家庭に育った内科医で臨死体験もしたという毛利孝一(一九〇九~二〇〇二)もその一人で「子供のころから無常感の傾向がしみついている」ためか、人生上の問題にぶつかると「まず仏教書に頼ってきた」と記している(『生と死の境』東京書籍③)。
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関西で人気の日本百名山「伊吹山」最短20分で琵琶湖の絶景を一望できる楽ちんコースをご紹介 202206

2022-06-05 21:57:46 | 🚇 旅選定の参考

関西で人気の日本百名山「伊吹山」最短20分で琵琶湖の絶景を一望できる楽ちんコースをご紹介
 キャンプクエスト より 220605  ヨシダケン


 キャンプクエストでは他にもキャンプ関連情報を多数掲載!気になる方はキャンプクエストの最新記事一覧をご確認ください。

「伊吹山」は関西では非常に人気の日本百名山の1つで、登りごたえのある本格的なコースから、最短20分で登頂できる超初心者コースまでバリエーション豊かな登山コースが用意されています。
 山頂は大変広大で沢山のお店が立ち並び、多くの観光客や登山者で賑わっていました。勿論眺望も素晴らしく、関東で人気の日本百名山「筑波山」と類似点が多い印象です。
 今日は最短20分で登頂可能な、観光がてらにトレッキングできるコースをご紹介いたします。

 琵琶湖を一望できる関西で人気の日本百名山「伊吹山」

 滋賀県と岐阜県の県境にまたがる「伊吹山(いぶきさん)」は、名神高速道路関が原インターから車で約40分。
 伊吹山地の主峰であり、最高峰でもある標高1,377mの山です。山頂は滋賀県米原市にあり、滋賀県最高峰の山となります。また伊吹山山域は琵琶湖国定公園に指定されています。

 伊吹山は標高が1500m以下なのに「日本百名山」に選定された数少ない山の1つで、伊吹山以外で日本百名山に選定された標高1500m以下の山は「筑波山」をはじめ、わずか4座しかありません。

 ちなみに日本百名山の選定基準は「品格・歴史・個性」を兼ね備えた、原則、標高1500m以上の山だそうです。
 日本百名山以外では、新・花の百名山、一等三角点百名山、関西百名山、近畿百名山、ぎふ百山に選定されています。

 伊吹山は古来より荒ぶる神が支配する山として知られ、伊吹山の神は「伊吹大明神」とも呼ばれる超強力な神なんだそうです。なんでも「古事記」では、ヤマトタケルがこの伊吹大明神と戦って唯一敗北してしまい、死に追いやられたという伝説がある程です。そういったこともあり、山頂部には日本武尊(ヤマトタケル)の石像が設置されています。

 伊吹山山頂付近は遮る木々が殆どなく、琵琶湖を一望できる360度パノラマビューです。山頂は大変広大で、石灰岩でできたカルスト地形が広がる絶景スポットが数多く点在します。お店も沢山あり、多くの観光客で賑わっています。登山ルートもバリエーション豊かで、観光から本格登山まで誰もが親しみやすい関西屈指の人気の山ですよ。

「伊吹山」登山コース

 伊吹山登山する場合、大きく分けて3つの登山ルートがあります。コース別で簡単に説明します。

1.伊吹山正面登山道(上野口コース)から登頂する
 バスでもアクセス可能な最も定番で人気のコース。周辺に駐車場は沢山ありますが、どれも有料です。また、入山料が別途300円必要です。
 標高の割には登りごたえがあるコースで、標高差やコースタイムが富士山に似ているため、「ミニチュア富士」とも呼ばれているんだそうです。以前はゴンドラで3合目まで行けたそうなのですが、現在は廃止しています。
最寄りの駐車場は「伊吹山ゴンドラ乗り場前駐車場」(駐車可能台数約40台/300円/トイレ有)
標高差約1200m/片道約5.5km/約210~240分程度

2.上平寺ルートから登頂する
 上平寺から弥高尾根の東にある尾根を登るコースです。駐車場は無料ですがトイレは無いそうです。
 京極氏遺跡までは整備された登山道ですが、途中で荒れた山道を進む玄人向けの登山ルートといった印象です。上野口コース同様、なかなかハードそうですね。
最寄りの駐車場は「伊吹山登山者用駐車場」(駐車可能台数約30台/無料/トイレ無)
標高差約1200m/片道約6km/約230~280分程度

3.伊吹山ドライブウェイから登頂する
 伊吹山ドライブウェイで9合目まで一気に車で登ることが出来ます。駐車場は無料ですが、伊吹山ドライブウェイは有料道路なので3,140円の通行料がかかります。
 駐車場にはお店も沢山あり、最短コースを使えば僅か20分で登頂が出来る、観光がてらにお勧めのコースです。
 最寄りの駐車場は「スカイテラス駐車場」(駐車可能台数約600台/無料/トイレ有)
標高差約120m/片道約1km/約30~45分程度

⚫︎今日は1時間以内で登頂できる、伊吹山ドライブウェイから山頂を目指すコースをご紹介いたします。

 伊吹山ドライブウェイから駐車場へ

 伊吹山ドライブウェイは1965年に開業した全長17kmの有料道路です。通行できる時間帯が朝8時~20時(入場は18時まで)とあって、開通前の朝早くから車の行列が出来ていました。本当に人気なんですね。
 料金所で3,140円を支払います。ETCやクレジットカードは使えないので注意が必要です。伊吹山ドライブウェイは通年営業ではなく、冬季(11月最終日曜日の翌日から4月の第3金曜日まで)は積雪で閉鎖されます。

 伊吹山ドライブウェイのお陰で9合目まで一気に車で登ることが可能になりました。この影響を受けて上野口コースにあるゴンドラは廃業に追い込まれたんだそうですよ。

 約20分ほど車を走らせると伊吹山ドライブウェイへ到着です。駐車場は大変広大で、約600台の車を停めることができます。

 伊吹山ドライブウェイは観光スポットが目白押しです。標高1260mの場所にあるスカイテラス伊吹山にはレストランや売店、展望テラス、お土産屋さんまで何でもあります。

 勿論トイレもありますが、トイレットペーパーは無いので注意してください。トイレ入口の自動販売機でポケットティッシュを100円で購入できます。

 伊吹山ドライブウェイは登山口の駐車場としてだけではなく、絶景スポットとしても人気です。駐車場からは北アルプスをはじめ、北陸方面の山々や琵琶湖をばっちり拝むことが出来ます。

 登山口は全部で3つあります。東登山道は下山専用なので、中央登山道か西登山道を利用します。中央登山道を使うと、距離にして約500m、僅か20分で登頂可能です。距離が短い代わりに傾斜はきつめです。

 今回は距離が長い代わりに見晴らしが素晴らしい西登山道から登頂します。西登山道は、駐車場最奥地、スカイテラス伊吹山の横にあります。伊吹山の看板と琵琶湖の絶景を拝める展望台の傍です。

 西登山道はゲートをくぐった先からスタートです。この時点で既に絶景の予感しかしませんよね。

 西登山口から山頂を目指す

 西登山道の入り口のゲートには入山届のポストがあります。山頂まで40分の標識がありますね。約1kmの距離で標高を120メートルあげます。比較的緩やかな道が続き、景観の良いコースです。

 登山道は大変整備されていて登り易いです。特に前半の道のりは小石が敷き詰められた歩きやすい道です。開放感のある景色が続くのでハイキング気分で登ることが出来ます。

 暫く歩くと、再び柵をくぐります。ここまで大体10分程度で到着します。展望がどんどん開けてきましたね。

 伊吹山は沢山の高山植物が咲き誇るので草花を楽しみながら開放感のある大自然をハイキングできます。

 中盤はつづら折りの道を進みます。琵琶湖の絶景を眺めながらゆっくりと高度を上げていきます。天空を散歩している気分になりますよ。

 700mほど進むと目立った登りは終わります。この先は広大な開けた台地を散策できますよ。

 木道が整備された山道は開放感抜群です。ここから先は寄り道スポットが沢山あるので散策しながら進みましょう。右手に進むとびわこ展望台があります。寄り道してみましょう。

 1分も歩かないうちに琵琶湖が目の前に広がる絶景スポットに到着です。琵琶湖は初めて見ましたが、本当に巨大な湖ですね。

 元の道に戻ると、左手に雪渓が広がります。伊吹山は標高1500メートルにも満たない山ですが、実は積雪量世界一のギネス記録を持つ山なんです。5月初旬でも雪が溶けずに残っている山容は良い意味で期待を裏切られました。

 更に200m程度進むと建物が見えてきました。なんでも伊吹山には5軒の山小屋があるんだそうですよ。

 伊吹山山頂付近には本当に沢山の売店と山小屋があり、関西屈指の人気の山であることが伺い知れます。

 山荘や売店に混じって伊吹山寺(いぶきさんじ)があります。伊吹山は修験道の山なんだそうで、当時の寺院は残念ながら残っていないのですが、1991年に伊吹山寺覚心堂が建てられました。こちらは避難小屋も兼ねているんだそうですよ。

 山頂付近は想像以上に建物だらけのうえ広大で、どこに山頂があるのか探すのが大変でした。山頂はえびすやさんの先にあるみたいです。

 伊吹山山頂です。標高1,377メートル。山頂付近は本当に広大で山頂を見つけるのに苦労しました。

 伊吹山山頂を散策

 山頂の標識の隣には日本武尊(ヤマトタケルノミコト)像がありました。伊吹山で最も象徴的な像ではないでしょうか。

 伊吹山は周りに遮る山が無く、山頂を含め360度パノラマビューです。トイレ越しに琵琶湖を見渡すことが出来ます。山頂にトイレがあるのはありがたいですよね。

 山頂は本当に広大で、カルデラ台地が広がります。この先は人工物も無く、見どころが満載なので散策してみましょう。

 伊吹山弥勒堂は、山頂から少し離れた場所にあります。石の祠には弥勒菩薩が安置されてますよ。南側には南弥勒堂があるので向かってみましょう。

 南弥勒堂です。現在はこの2か所だけのようですが、大昔は山頂に多くの石塔・石仏が祀られていたんだそうですよ。

 南弥勒堂の傍には伊吹山山頂一等三角点があります。山頂の標識から結構離れた場所に三角点があるんですね。

 三角点の傍には方位盤があり、そちらを見ると360度全方位で名立たる主要な山々を一望できることがよくわかります。どの方向にどんな山があるかも書かれています。

 三角点のある場所からの展望は本当に素晴らしく、山頂の標識がある場所よりも、こちらのほうが大自然を感じることができます。

 三角点より東側は広大なカルスト台地が広がり、空と緑のコントラストが大変美しく、歩いていて気持ちの良い道が続きます。山頂だけでここまで見どころ満載な山は、なかなかありませんよね。流石は関西屈指の人気の山です。

 東登山口から下山する

 広大な山頂の東端まで歩き進むと、東登山口の入り口が見えてきました。こちらは下山専用の山道です。西登山口と比べ足場が悪いらしく、注意書きの看板が立っていました。

 大変開放感のある山道で、思った以上に道も整備された歩きやすい登山道でした。前半はよい雰囲気の道を下っていきます。

 中盤にさしかかると木々や岩が増えてきます。伊吹山山頂がここからだと綺麗に見えますね。

 後半に差し掛かると石灰岩がむき出しの足場の悪い道が続きます。道が狭く、木々が行く手を遮ります。

 30分ほど歩くと、伊吹山ドライブウェイの駐車場が見えてきました。終始絶景続きで伊吹山山頂付近をたっぷりと周回できる贅沢なコースなので、初めての伊吹山登山にお勧めのコースだと思いました。

 伊吹山に登ってみてわかったこと

 伊吹山は本当に山頂が広大で、終始絶景が広がるお得感満載の山でした。伊吹山に登ってみてわかったことをまとめました。

 最短20分で登頂可能なの難易度の低さ

 伊吹山ドライブウェイから中央登山道を利用すれば、山頂まで最短20分で登頂できる難易度の低さが魅力です。とにかく1秒でも早く山頂を目指したい方にはオススメの登山ルートです。

 360度パノラマビューの絶景

 伊吹山には周りを遮る高い山がなく、360度パノラマビューの絶景が広がります。東方向には濃尾平野、西方面には琵琶湖や比良山系、南方向には鈴鹿山脈や伊勢湾、北から東にかけては北アルプスの山並みを見渡すことが出来ます。

 山頂が広大すぎて嬉しい悲鳴があがる

 伊吹山の山頂は本当に広大で見どころ満載です。広すぎて迷子になるくらいでした。トイレや山小屋、売店も充実していて山頂でゆっくりと休憩しながら大自然を満喫できます。ファミリーにも大変お勧めです。

 本格的な登山も楽しむことが出来る

 伊吹山のもう一つの魅力は、上級者でも登りごたえがある登山ルートが用意されている点ではないでしょうか。その標高差は、伊吹山ドライブウェイから登頂する場合の約10倍。約1200メートルとガチです。機会があれば上野口コースからの登頂もチャレンジしてみたいと思いました。

 伊吹山ドライブウェイの料金が高い

 伊吹山9合目まで車で登ることが出来る伊吹山ドライブウェイは大変魅力的ですが、通行料が3140円と高額なところがネックです。その代わり、通常の1/10の時間と労力で日本百名山に登頂できるので、むしろ感謝すべきことなのかもしれませんね。

 意外性だらけ!関西屈指の人気を誇る日本百名山

 伊吹山は標高1300m程度と低山の部類に入るのですが、まるで2000m級の山のような壮大な景色が広がり、登山コースによっては富士山と同じ標高差を登るハードな登山コースがあったりと、本当に1300mの山なの?と思うような意外性たっぷりの山でした。

 関西屈指の人気を誇る日本百名山は伊達ではありません。筆者は関東在住なので気軽に行ける場所ではありませんが、機会があれば本格的な登山道からチャレンジしてみたいものです。
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宇宙へ熱を逃がす!?、エネルギーを使わずに冷却するスゴい素材 202206

2022-06-05 20:27:00 | ¿ はて?さて?びっくり!

宇宙へ熱を逃がす!?、エネルギーを使わずに冷却するスゴい素材
 ニュースイッチ by 日刊工業新聞 より 220605


 スペースクール(東京都港区、宝珠山卓志社長)は、エネルギーを使わずに冷却できる素材「スペースクール」を発売した。
 粘着剤付きの光学フィルムで、精密機器を内蔵する分電盤やトラックなどの外側に貼り付け内部の温度上昇を抑える。サイズは幅1・25×長さ25メートルで厚さ0・11ミリメートル。ロール状で提供する。色は銀と白の2種類。価格は非公表。熱対策用途として使われる日射反射塗料と同等の価格を見込む。

 同素材は太陽光と大気からの熱を遮断し熱の吸収を抑える効果に加え、電磁波として宇宙に熱を逃がす「熱放射」の原理を利用し、エネルギーを使わずに施工した対象物の温度を下げる。

 同素材を開発した大阪ガスは夏場に2トントラックを利用した実証実験を実施。荷台の外装に同素材を施工し、トラックが直射日光を受けた際の外装や荷台の温度を計測した。何も施工していないトラックと比べ、天井の温度は40度C下がって約30度Cに、内部の気温は10度下がって33度C付近になることを確認した。
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🚶‍♀️…槙島…なか卯🍱… 220605

2022-06-05 20:22:00 | 🚶 歩く
🚙👭〜🚉
🚶‍♀️…右岸堤防道…太閤堤跡公園…宇治橋…左岸河川敷…JR新橋下…井川排水機構…ユニチカ中央研前…任天堂前…槙島(大幡…オートバックス…大町…蛭子嶋神社沿…徳州会沿…巨椋池土地改良区沿…城陽宇治線…アルペン沿…大河原)…京滋バイパス下…なか卯🍱…バイパス下:北沿…宇治川高架橋…右岸堤防道…>
🚶‍♀️12176歩2kg+109歩

☁️:宇治川高架橋25℃:風心地よいが蒸し暑い
 帰宅後は雨になり降り続く。
オートバックス:高撥水性を探す…
なか卯で夕食:鰻かうどんかで,うどん系に(組合せ上)、ネギ親子うどん+ネギ、ネギたっぷりで美味。
  鰻単品が…
 そして一万歩越え目当てで持ち帰りを購入⁈

夜)☂️🚙↔︎🚉👭




彼方に宇治橋,ヤナギハナガサ

京阪宇治駅とJR宇治橋

フウセントウワタ



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東映特撮の原点!67年放送の三大ヒーロー、歴史の闇に埋もれた悲しき理由 202206

2022-06-05 01:00:00 | 📚 豆知識・雑学

東映特撮の原点!67年放送の三大ヒーロー、歴史の闇に埋もれた悲しき理由
  マグミクス より 220605  加々美利治


あまりの金看板がマイナー化の原因に

TBSのウルトラシリーズで唯一、東映が制作したSF宇宙特撮『キャプテンウルトラ』DVD第1巻(東映)
「仮面ライダー」シリーズ、「スーパー戦隊」シリーズという二大特撮番組を製作し続けてる日本でも有数のヒーロー製作会社である東映。そのルーツはどこにあるのでしょうか?

【今見てもカッコいい! 1950・60年代東映特撮ヒーローを見る

 東映がはじめて製作したTV作品は時代劇の『風小僧』(1958年)。初の変身ヒーロー番組は『七色仮面』(1959年)です。ここから東映TV作品は始まったと言えるでしょう。

 その後、いくつかの特撮ヒーロー作品を生み出しますが、大きな分岐点となったのが『悪魔くん』(1966年)です。この作品によって漫画家の水木しげる先生を表舞台に上げ、後にアニメ作品として『ゲゲゲの鬼太郎』を誕生させるきっかけともなりました。この作品を生み出したのが、後に多くの特撮ヒーロー作品を生み出した平山亨さん。その平山さんの初プロデュース作品でした。

 この翌年の1967年、平山さんが生み出した3つの特撮ヒーロー作品。それが現在に続く東映ヒーロー作品の原点だと筆者は思います。それはちょうど今から55年前のことでした。

 当時、子供たちに大人気だった『ウルトラマン』(1966年)。しかし、その丹念な製作方法がアダとなり、高視聴率を維持しながらも製作が放送に間に合わないという時間的な問題から放送終了となってしまいます。
 次回作『ウルトラセブン』(1967年)の製作は決まっていましたが、どうしても半年の間、番組枠は空いてしまう。そこで半年間、番組枠を維持するため、スポンサーの武田薬品工業とTBSは円谷プロ以外の製作会社に作品を作らせることを決めます。

 この半年だけの番組製作という不利な状況に手を挙げたのが東映でした。東映としては資本提携しているNET(現在のテレビ朝日)以外の局での番組枠獲得が悲願だったからです。
 こうして『ウルトラマン』に続く『ウルトラシリーズ第3弾』である『宇宙特撮シリーズ キャプテンウルトラ』(1967年)は東映で製作されることになりました。

 この『キャプテンウルトラ』は当時の子供たちにも大人気で、東映はタケダとTBSから高評価を受けます。その功績で後に東映は円谷プロに代わって、この放送枠「タケダアワー」で『妖術武芸帳』(1969年)を製作、続いて『柔道一直線』(1969年)のヒットでスポコンブームをけん引しました。

 しかし、『キャプテンウルトラ』という作品自体は金看板である『ウルトラシリーズ』が逆にアダとなります。後年、『ウルトラシリーズ』が円谷プロ製作だけになったことで、『キャプテンウルトラ』は作品として扱いづらいものになってしまいました。その結果、再放送もあまり行なわれず、歴史の闇に埋もれる形になります。

 こういった事情から、当時の熱を知らない世代からいわれのない誹謗中傷のような評価を受けますが、『キャプテンウルトラ』はまぎれもなく一時代を築いた特撮ヒーロー作品のひとつでした。ちなみに筆者のマイベストヒーローでもあります。

横山先生が十八番とした「忍者作品」と「ロボもの」

 横山光輝原作による1967年放送の東映初カラー特撮ドラマ 「『仮面の忍者』 赤影 第一部 金目教篇Blu-ray」(東映)

『キャプテンウルトラ』と同時期に東映で製作されていたのが『仮面の忍者 赤影』(1967年)です。実は『赤影』は別の作品として企画がスタートしていました。

 本来は劇場作品として人気を得た『大忍術映画ワタリ』のTV化の予定だったのですが、原作マンガ『ワタリ』の作者である白土三平先生は、あまりにも原作と違うテイストになった劇場版に激怒して、TV化を断ってしまったのです。

 そこで白土先生と同じく忍者漫画の大家である横山光輝先生に原作を依頼しました。横山先生は人気作だった『伊賀の影丸』の連載を終了させ、新たに『週刊少年サンデー』で『赤影』の原作となる『飛騨の赤影』を連載します。この原作マンガのタイトルは、後にTV放送に合わせて変更されました。

 こういった経緯から企画書の段階から『大忍術映画ワタリ』に出演していた白影役の牧冬吉さんと青影役の金子吉延さんの名前は記されており、赤影役の坂口祐三郎さんは最後に決定したそうです。

 放映日時の都合で本作が東映ヒーロー初のカラー作品となりました。名前に色を入れたのもスポンサーの三洋電機がカラーテレビを普及させるためで、本作は最初からカラー作品として製作が決まっていたからです。その完成度はとても高く、三洋電機も関西テレビ(フジテレビ系列)も大いに盛り上がりました。しかし、それゆえにとんでもない事態になります。

 それは「この完成度ならウルトラにも勝てる」と、よりにもよって東映で同時に製作していた『キャプテンウルトラ』の裏番組に当てようとしました。これにはTBSも大激怒だったそうで、「もうウルトラはいらない」と放送中止も侍さない構えだったそうです。しかし、この事態に平山さんはじめ東映のスタッフが関西テレビに時間帯変更を談判して、この一件は事なきを得ました。

 この『赤影』が縁となって東映で製作した作品が『ジャイアントロボ』(1967年)。平山さんによると、『赤影』で横山先生の所に出入りしていた時に次の連載作品として用意されていた『ジャイアントロボ』の絵を見て、即座に横山先生に許諾を得て翌日には企画書を書いたそうです。

 それまでの特撮ヒーロー作品になかった巨大ロボによる目新しい作品は、当時の子供の心をとらえました。作品は高評価で放送も延長される予定でしたが、予算をはるかに上回る製作費のために断念したそうです。

 この『赤影』と『ジャイアントロボ』は再放送に恵まれ、特に関東地区では多かったことから世代を超えたファンを多数生み出しました。後年にリメイク作品として製作されたことも、その人気の一端を証明していると思います。

 55年前に製作された『キャプテンウルトラ』『赤影』『ジャイアントロボ』。この3つの作品が、後に東映で製作された数多くの特撮作品の原典でした。その影響力の大きさは特撮ファンなら誰でも実感していることでしょう。

(加々美利治)
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