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🚞左右の座席ナシ、ど真ん中に「立ち掛けシート」 京都地下鉄烏丸線の新車 ユニーク内装

2021-08-16 18:34:00 | 🚃 鉄道

左右の座席ナシ、ど真ん中に「立ち掛けシート」 京都地下鉄烏丸線の新車 ユニーク内装
  乗りものニュース編集部  より 210816

全編成違うデザイン!

⚫︎烏丸線の新型
 京都市交通局が2021年度から、地下鉄烏丸線に40年ぶりとなる新型車両を導入します。その内装が、なかなかユニークです。

烏丸線の新型車両に設けられる「おもいやりエリア」の「立ち掛けシート」のイメージ(画像:京都市交通局)。

 先頭車両(1号車、6号車)には、多目的スペース「おもいやりエリア」が設けられます。ここは車内両側の座席を取り払ったうえ、床の中央に衝立のような仕切りが設けられ、それが「立ち掛けシート」になっています。西武鉄道40000系電車の「パートナーゾーン」などに似通いますが、ここに“京都らしさ”が盛り込まれます。

 仕切りの上部は、伝統産業の素材を飾り付けるガラス張りスペースになっており、全9編成18種類でそれぞれ異なる素材が飾り付けられるとのこと。第一編成には、西陣織と京友禅の生地が選ばれました。

 このほか外観や内装には、伝統産業の金属工芸による「交通局章」、京象嵌(ぞうがん)による車両番号などの「標記銘板」、金属工芸による「釘隠し」、北山丸太と京くみひもなどを用いた「吊手」などが設置されます。これら伝統産業を活用した内装品は、一般販売やふるさと納税への出品も予定されています。
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🚶‍♀️…天ヶ瀬ダム前…平等院表参道… 210816

2021-08-16 17:03:00 | 🚶 歩く
🚙〜👭〜🚉
🚶‍♀️…右岸堤防道…朝霧通…観流橋…右岸路…天ヶ瀬吊橋…左岸路…白虹橋:天ヶ瀬ダム前…第一志津川橋…右岸路…天ヶ瀬吊橋…左岸路…網代の道…平等院表参道🍦…宇治橋…右岸堤防道…>
🚶‍♀️10662歩

夜)🚙〜🚉👭↩︎

☁️:白虹橋27℃:風穏やか
昼から雨予報だったがセーフ
行きの右岸路:亀石楼過ぎた辺りでひぐらしの声聞く!良い。
ダム放流772m3/sで川水位も高まる
昨日16時以降ほぼ変わらず

🍦蛸QのMix美味!

🌡25℃〜28℃


⚠️5時3分頃に滋賀県北部で震度4、5時56分頃、8時17分頃にも同震源で震度3 計3回
 ここも,3回目で気づく(震度1)


朝霧通 桔梗

亀石楼前 後1m弱で河川より冠水に









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「朱子学」の特徴とは? 日本に与えた影響と「陽明学」との違い【親子で歴史を学ぶ】

2021-08-16 13:58:00 | 📚 豆知識・雑学

「朱子学」の特徴とは? 日本に与えた影響と「陽明学」との違い【親子で歴史を学ぶ】


「朱子学」は、日本の歴史を学ぶ際に、一度は目にする学問でしょう。中国で生まれた朱子学は、日本や朝鮮にも伝わり、各国の政治理念や国民性に大きな影響を与えました。朱子学の歴史と日本との関係、間違えやすい「陽明学」について解説します。

⚫︎「朱子学」とは?
 朱子学は、中国で誕生した学問の一つです。作り上げた人物や時代など、主な特徴を見ていきましょう。
 朱子学は、南宋の儒学者、「朱熹(しゅき)」が構築した学問です。

 朱子学という呼び方も、朱熹から来ています。ただし中国では、朱熹が先駆者としていた北宋の「程頤(ていい)」と合わせ、「程朱学(ていしゅがく)」と呼んでいます。

 儒学とは、孔子が広めた宗教「儒教」のことで、「四書五経」を経典として定めていました。

 長崎孔子廟大成殿(長崎市大浦町)。1893(明治26)年、清国政府と在日華僑が協力し、日本で唯一の本格的な中国様式の霊廟。72賢人の石像や、中国歴代博物館も併設している。孔子廟は、中国各地や台湾、日本、東南アジアなどに多数建立されている。
朱熹は、それまで別々に存在していた儒教の経典を体系的にまとめ、独自の解釈や新しい概念を加えて再構築したのです。

⚫︎基本の考え方
 朱子学の基本の考え方は、「理気二元論」です。
「理」は、万物がこの世に存在する根拠のことで、「気」は万物を構成する物質です。それぞれ別のものですが、単独では存在し得ず、互いに作用し合う関係にあるとしています。

 理気二元論を人間に当てはめると、「性即理」になります。
「性」とは人間の本質で静かな状態、すなわち「理」です。性が動くと「情(気)」となり、情のバランスが崩れると「欲(悪)」になるとしています。
 このため、人は常に情をコントロールして、性に戻さなければなりません。

また、朱熹は理気二元論から、すべての物事には、上下関係があると導き出しました。上下関係は当然、人間社会にも存在します。

 自分よりも身分が上の人や父親の言うことは絶対、とする「君臣父子(くんしんふし)の別」を重んじているのが、朱子学の特徴です。

⚫︎朱子学の欠点
 朱子学は、後に、国家の公認学問として「科挙(=官僚登用試験)」に採用されたことから、広く学ばれるようになります。
 しかし、科挙に合格すれば、将来が安泰ということもあり、受験のために朱子学を学ぶ風潮が根付きます。さらに受験にはお金がかかるため、一部の恵まれた人しか挑戦できませんでした。

 このため、朱子学は、経済力と成績によって人生が決まる、学歴社会・官僚社会を生み出す一因となったといわれています。
 また、朱子学が重んじた「君臣父子の別」は、上に立つ者にとって、都合のよい考え方でした。

 中国では、さまざまな思想や学説が許されており、社会の発展に貢献してきましたが、朱子学が広まったことで、他の学問が排斥され、思想統制の時代に変わっていったのです。

日本や朝鮮でも、朱子学を人民の支配に利用しはじめました。特に、朝鮮では朱子学以外の学問を一切認めず、朱子学者による身分階層が

⚫︎朱子学と日本の関係
 朱子学は、いつごろ日本に伝わり、どのような影響をもたらしたのでしょうか。朱子学と日本との関係を見ていきましょう。

⚫︎日本に伝わったのは、いつ?
 朱子学は、鎌倉時代前期に宋に渡った禅僧「俊芿(しゅんじょう)」が伝えたといわれています。鎌倉時代後半には、広く学ばれるようになり、鎌倉幕府倒幕に動いた後醍醐天皇にも影響を与えました。

 室町時代にも、禅僧による朱子学の研究は続けられ、さまざまな学派が生まれます。

 江戸幕府を開いた徳川家康は、幕藩体制の基本理念として、朱子学を採用しました。朱子学者「林羅山」を登用し、家臣や大名に広く学ばせたのです。

⚫︎どのような影響を与えた?
 徳川家康以降、歴代の将軍や老中たちも、社会秩序を維持するために、朱子学を奨励します。例えば、5代将軍・徳川綱吉は、朱子学を学ぶ場として「湯島聖堂」を建設しました。

 湯島聖堂大成殿(東京都文京区湯島)。1690(元禄3)年、昌平坂学問所に付随して設けられた。林羅山が上野忍が岡に築いていたものを移築した。
 また、11代将軍・徳川家斉の時代には、松平定信(さだのぶ)が、他の学問を規制する「寛政異学の禁」(1790)を出しています。

 しかし、上下関係を重んじる朱子学の思想は、幕末に「尊王攘夷論」に発展し、幕府が倒されるきっかけになってしまいました。

 明治維新を迎え、西洋の文化が入ってくると、朱子学は過去のものとなります。

 一方で、日本人の行動や考え方には、未だに、朱子学を含めた儒教の思想が根付いているようです。自己主張せず、周りに合わせたり、上司や親、先生など、上の立場にいる人が高圧的な態度を取ったりするのも、儒教の影響が強く残っているためという説もあります。

 尊王攘夷とは何? 今さら聞けない幕末の政治運動についてチェック【親子で歴史を学ぶ】
「尊王攘夷(そんのうじょうい)」は、幕末の歴史を学ぶ際に必ず出合う言葉の一つです。尊王攘夷の意味を知ることで、当時の時代背景...

⚫︎「陽明学」との違い
 朱子学を学ぶ際に、よく登場するのが「陽明学」です。朱子学と陽明学は、どちらも儒教がベースの学問ですが、考え方は大きく異なります。両者の違いを簡単に解説しましょう。
 王陽明が構築した学問
 陽明学は、明の儒学者「王陽明」がおこした学問です。

 権威や秩序を重んじる朱子学と異なり、陽明学では、「心のままに、自分の責任で行動すること」を説いています。
 当時の朱子学は、支配階級に都合よく解釈され、本来の理想とは、かけ離れた姿になっていました。すっかり形骸化した朱子学を憂い、真っ向から否定したのが陽明学です。

 朱子学では、知識を学ぶことが大前提とされ、学ぶ機会を得られない下級層の人々は、いつまでたっても偉くなれませんでした。ところが、陽明学では、学ぶことはすべてではなく、行動することが大切と説きます。

 また、目上の人にただ従うのではなく、間違っていると思ったら従わなくてもよいとしました。このため陽明学は、身分制度に縛られて思うようにならなかった人々に受け入れられ、人気を集めることになります。

⚫︎陽明学に影響を受けた人物
 陽明学は日本において、江戸幕府の統治体制に疑問を感じていた人々に、大きな影響を与えます。

 寛政期には、陽明学を学んだ元大坂奉行東組与力・大塩平八郎が、幕府の役人でありながら、幕府の不正を暴くために乱を起こしました(1837)。

 幕末には、吉田松陰が「松下村塾」を開いて陽明学を広めます。門下生の多くが倒幕運動に参加し、明治維新へとつながっていきました。

 同時代に活躍した西郷隆盛や岩崎弥太郎、渋沢栄一くもなども陽明学の影響を受けていたのです。
 
 岩崎弥太郎の生家(高知県安芸市井ノ口)。「三菱財閥」の創業者・弥太郎は、この建坪約30坪の茅葺きの平屋で、1835(天保5)年に生まれた。1873(明治6)年に「三菱商会」として海運業で名を成し、外国資本をも圧倒すると、「東洋一の海上王」と呼ばれた。

 旧岩崎邸庭園(東京都台東区池之端)。明治時代初期は、舞鶴藩牧野氏の屋敷であったものを弥太郎が購入した。3代目久弥が、ジョサイア・コンドルに設計を依頼し、1896(明治29)年、世界の住宅史でも稀有とされる洋館が竣工した。現在は、都立庭園として公開されている。

 渋沢栄一は何をした人なのか? 生い立ちや功績の数々を徹底解説!
「渋沢栄一は大きな会社をたくさん作った人」と知ってはいても、「具体的なことは曖昧だ」という人は少なくありません。そこで、渋沢...
⚫︎朱子学の考え方を理解しよう
 朱子学は、上下関係を重んじたことで、思想統制の道具として利用されます。支配体制を揺るがしかねない他の学問や思想は排除され、人々は生まれついた身分に縛られて生きることを余儀なくされました。

 しかし朱子学は、本来、儒学者が儒教の教えにオリジナリティーを加味してまとめた壮大な学問です。一部分だけが都合よく解釈されて利用され、悪者にされがちな朱子学ですが、正しい意味を理解して歴史の学習に役立てましょう。

⚫︎朱子学の背景についてもっと知りたい方に
 小学館版 少年少女学習まんが 日本の歴史14「幕府の改革―江戸時代中期」

 火事の多かった江戸の町に町火消しを置き、庶民の意見を聞くために目安箱を設置した八代将軍、徳川吉宗をはじめ、干拓などの事業に着手した田沼意次、天明の大飢饉ののち財政の立て直しを図った老中・松平定信など、江戸中期におけるさまざまな改革を描きます。また、日本古来の学問「国学」や、外国の学問「蘭学」など、この時代に成熟した学問の世界もしっかり描かれます。

📗小学館 コミック版 逆説の日本史「幕末維新編 日本の開国と近代化を遅らせた『朱子学』の毒!」
 累計572万部突破のベストセラー『逆説の日本史』の著者・井沢元彦氏が、気鋭の漫画家・千葉きよかず氏とタッグを組んだコミック版。この明治維新の巻では、日本の開国と近代化が遅れた原因を朱子学にもとめつつ、その「朱子学の毒」からいかに脱却したか、という視点で幕末維新史を読み解きます。
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東京理科大と東大が人体通信に適した周波数を特定! 202108

2021-08-16 13:44:00 | ¿ はて?さて?びっくり!

東京理科大と東大が人体通信に適した周波数を特定!
 ニュースイッチ by 日刊工業新聞 より 210816

 東京理科大学の村松大陸プロジェクト研究員と東京大学の佐々木健教授らは、頭の中を通る人体通信に適した周波数を特定した。
 10メガヘルツ(メガは100万)や20メガヘルツ、30メガヘルツの電磁波が適しており、人体への安全性も確認した。人体通信は人体を介してデータや電力の送受をする技術。信号がもれず、省エネになる可能性がある。
 補聴器のように両耳に付けるデバイスの充電頻度を10分の1に抑えられる可能性がある。
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⚠️ 「数十年に1度の危機」頻発に危機感「気候の変動を前提に全てを考え直さなければいけない」 202108

2021-08-16 13:37:00 | 気になる モノ・コト

玉川徹氏「数十年に1度の危機」頻発に危機感「気候の変動を前提に全てを考え直さなければいけない」
  スポーツ報知 より 210816

 16日放送のテレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」(月~金曜・午前8時)では、九州や中国地方を中心に全国的に大雨が続き、浸水や土砂崩れの災害が広がっていることを報じた。

 番組では佐賀県内の順天堂病院の浸水被害を伝え、リモート出演した同局社員の玉川徹氏は「2年前にも同じような水害にあっている。大雨特別警報が出たんですけど、2年前も出ているんですね。『数十年に1度の重大な危機がさし迫っている』といういい方をするけど、前回も数十年に1度と言っている。数十年に1度の災害が2年おきで起きてしまっていて、ポイントになるのがここかなと思う」と数十年に1度といわれる災害が頻発していることに注目した。

 「ハザードマップで危ない所の土地利用を考え直すという話を13日にしたんですけど、数十年に1度と思われているものが2年に1度とか、4年に1度と起きてくるようになったら、根本的に考え方を変えなければいけないんじゃないかと思う」と見解を示し、「土地利用で考えても、病院を作っていい場所なのかと。例えばそれが50年に1度の水害であれば、受け入れられる部分はもしかしたらあるかもしれないですけど、数年に1度同じような状況が起きるとしたら、この場所は病院の場所としてふさわしい場所なのかと考えないといけないと思う」と具体案を話した。

 そして「今回、広島市の西区でも土砂崩れが起きているんですけど、2014年にもほぼ同じ西区で土砂崩れが起きているんですね。我々も気候が変わっているということを前提にして、全てを考え直さなければいけないんじゃないかと思う」と危機感を語った。
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