中国語学習者のブログ

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《雲郷話食》を読む: 豌豆黄(エンドウ豆の羊羹)

2011年04月14日 | 中国グルメ(美食)



 今回は、清朝宮廷料理で、西太后が好んだ点心を紹介します。北京の北海公園内にある「倣膳」の名物料理といえば、“小窩頭”、“豌豆黄”、それに“肉沫焼餅”ですが、今回取り上げられているのは前の二つ、“小窩頭”と“豌豆黄”です。

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■ 旧時北海公園中各個茶座上,出售許多種好点心,其中以倣膳的小窩頭和豌豆黄最為使人懐念。

・倣膳 fang3shan4 北京・北海公園内にある、清朝宮廷料理を出すレストラン。“御膳房”(清朝宮廷で、皇帝、皇后に食事を供するため、紫禁城内に設けられた厨房)の料理を真似た(“倣”)ことから、“倣膳”と名付けられた。

□ 昔、北海公園内の茶店では、多くの種類の点心(お菓子)が売られていたが、その中で、“倣膳”の“小窩頭”と“豌豆黄”が最も人々に懐かしく思い出される。

■ 小窩頭是清宮御膳房在西太后那拉氏庚子蒙塵(即逃難),従西安回北京后,想出来的花招。本来玉米面窩窩頭在北京是窮苦人家的主食,那拉氏蒙塵帰来,也要吃窩窩頭,以示不忘民間“劇苦”。但又不能吃真窩頭,于是御膳房就想出花招,蒸出所謂栗子面的小酒杯大的窩頭来。倣膳等処売的名点,就是這種小窩頭。就名称上説,叫作“栗子面小窩頭”,実際并不是栗子磨的面,而主要是以少量的新玉米(玉蜀黍),多量的黄豆,糯米等几様的東西配在一起磨成面;面要磨的極細,要用很細的絹籮羅几次。蒸時再加足量的糖,捏成很小很薄的窩頭形,不過是個意思,取其形似耳。

・那拉氏 na4la1 shi4 満州族の氏族の一つで、吉林省・伊通河一帯に居住していた。叶赫那拉氏、哈達納拉氏、烏喇那拉氏などに分かれる。ここでは、叶赫那拉 杏貞、後の慈禧太后、すなわち西太后のこと。
・庚子 geng3zi3 ここでは、西暦1900年の“庚子事変”のこと。この年は干支で“庚子”に当たっていた。義和団運動による北京の外国大使館包囲に対し、八カ国連合軍による北京攻撃により、皇帝、皇族が戦火を避けるため、北京の紫禁城を離れた。
・蒙塵 meng2chen2 皇帝が戦火を避け、宮廷の外へ逃げ延びること。“逃難”tao2nan2も同じ意味。
・花招 hua1zhao1 広く宣伝効果をねらうやり方、趣向。手練手管、悪だくみの意味にも用いる。[用例]耍shua3 ~。玩弄wan2nong4 ~。(どちらも手練手管を使う、の意味)
・窩窩頭 wo1wo1tou2 一般には“窩頭”という。トウモロコシやコウリャンの粉を水で捏ねて円錐形に丸め、蒸したもの。中国北方の農民の主食であった。
・玉蜀黍 yu4shu3shu3 トウモロコシ。一般には“玉米”yu4mi3という。
・羅 luo2 ふるいにかける。

□ “小窩頭”は清朝宮廷の御膳房により、西太后・那拉氏が庚子事変で北京を逃れ、後に西安から北京に戻ってから、考え出された趣向である。本来、トウモロコシ粉で作った“窩窩頭”は。北京では貧しい人々の主食であった。西太后は宮廷の外への避難から戻ってからも、“窩窩頭”を食べることで、民間の「ひどい苦しみ」を忘れていないことを示そうとした。しかし本当の“窩頭”は(不味くて)食べられないので、御膳房が趣向を考え出し、いわゆる“栗子面”(栗を挽いた粉)で盃(さかずき)くらいの大きさの“窩頭”を蒸し上げた。“倣膳”などで売られている名物点心は、こうした“小窩頭”である。名称に関して言うと、「栗の粉で作った“小窩頭”」と呼ばれているが、実際には栗の実を挽いた粉ではなく、主に、少量の新鮮なトウモロコシ、多量の大豆、もち米など、数種類の材料を混ぜて粉に挽いたもので、粉はきめ細かくないといけないので、目の細かい絹を張った篩(ふるい)で何度か篩にかける。蒸す時には、更に分量の砂糖を加え、捏ねて小さく薄い“窩頭”の形に作るが、趣向だけで、形が似ているだけである。

■ 蒸這種小窩頭的面,過去有専門舗子来磨。北長街有家大糧店,字号叫泰来,東家是山東海陽人,姓趙,結交内務府、御膳房内監等人,専作宮里生意,蒸小窩頭的栗子面,就是他家磨的。据説磨時多少要放一些風干栗子。

・東家 dong1jia 主人。商店の店主。
・内監 nei4jian4 宦官。“Nei4jian1”と発音すると、重罪犯人を収容する監獄のこと。“監”をjian4と四声に発音すると、昔の役所の名前のことで、例えば“国子監”などという。宦官のことは、普通、“太監”というが、これもtai4jian4と四声である。一方、“jian1”と一声に発音するのは、監視するという動詞の時。“監督”、“監管”がそうで、名詞では監獄のことである。
・結交 jie1jiao1 付き合う。交際する。

□ こうした“小窩頭”を蒸すのに使う粉は、嘗ては専門の店が来て粉に挽いた。北長街に大きな穀物店があり、屋号を“泰来”といい、店の主人は山東・海陽の人で、姓は趙であった。内務府、御膳房の宦官などと交流があり、専ら宮廷で商いをし、小窩頭を蒸す“栗子面”はこの店で挽いたものであった。粉に挽く時に、乾燥させた栗の実を多少加えたと言われている。

■ 豌豆黄也是北京伝統食品,徐珂《清稗類鈔》云:

   京都点心之著名者,以面裹楡莢,蒸之為糕,和糖而食之。以豌豆研泥,間以棗肉,曰豌豆黄。

□ “豌豆黄”も北京の伝統食品である。徐珂《清稗類鈔》に言う:

   北京の点心の有名のものに、小麦粉の中に楡の実を混ぜ、蒸して蒸しパンにしたものに、砂糖をつけてこれを食べる。エンドウ豆をすりつぶし、中に棗(なつめ)の果肉を入れたものを、“豌豆黄”という。

■ 徐珂対做法説得太簡単,実際是像做澄沙一様,把豌豆煮得稀爛,用細籮濾過去其皮,豌豆湯澄淀成豌豆泥,加糖再煮,成糊状,加石膏作定型剤,放在容器中送到冰箱内冰鎮,凝固后便成。取出切成四方小塊,放在盤中,一色姜黄,方方正正,乍一望去很像一塊塊的高級“田黄”或“南瓜凍石”図章。近人雪印軒主《燕都小食品雑咏》云:

   従来食物属燕京,豌豆黄儿久著名,紅棗都嵌金屑里,十文一塊買黄瓊。

・澄沙 deng4sha1 こしあん。“澄”はdeng4と発音する時は、濁った液体を澄ませる、という意味。一方、cheng2は、水が清く澄んでいる、という状態を表す。或いは“澄清”cheng2qing1の形で比喩的に、混乱した状態をはっきりさせる、事実を明らかにする、という意味でも使う。“澄清”はdeng4qing1という発音でも使えるが、この場合は濁った液体を澄ませる、の意味しかない。
・稀爛 xi1lan4 どろどろ(な状態)。
・四方小塊 si4fang1 xiao3kuai4 通常は“四方塊儿”で四角、立方体の意味。
・姜黄 jiang1huang2 ウコン。
・方正 fang1zheng4 正方形である。形が整っている。[例]他的字写得方方正正(彼はきちんとした字を書く)。
・乍 zha4 [副詞]……したとたん。
・田黄 tian2huang2 福建寿山で採れる石で、印章用の高級石材。色は黄色である。
・凍石 dong4shi2 彫刻工芸品や印章に使われる石材で、きらきらして透明で、光沢がある。様々な色のものがあるが、黄色いものは、よくかぼちゃの形に彫刻を施し、“南瓜凍石”と呼ばれる。
・図章 tu2zhang1 印章。
・咏 yong3 詩や歌を節をつけて読む。物事を詩や歌に詠む。

□ 徐珂は作り方の説明が簡単過ぎる。実際は、こしあんを作る時のように、エンドウ豆をどろどろに煮て、細かい篩(ふるい)で皮を除き、エンドウ豆の煮汁を澄ませて沈殿したエンドウ豆のペーストに、砂糖を加えて再び煮、糊状になったら、石膏を加えて定型剤とし、容器に入れて冷蔵庫で冷やし、凝固したら出来上がりである。取り出して四角く切り、大皿に並べれば、ウコン色一色で、きちんと形が整っていて、見たところ、高級な“田黄”や“南瓜凍石”の印章のようである。近世の人、雪印軒主は《燕都小食品雑咏》でこう言っている:

   これまで、北京の食べ物では、“豌豆黄”がずっと有名であった。赤い棗(なつめ)が金の破片をちりばめたようになっている。一個10文で黄色い玉(のような“豌豆黄”)を買った。

■ 在詩后還有注釈説:“以去皮之豌豆,入砂鍋内,煮之成粥,后入以紅棗,俟水分漸干,即可成塊,満嵌紅棗,可観亦可食。”這説的也很好,不過這様做的,是推車小販在街上売的豌豆黄。這種街上売的豌豆黄,和棗煮在一起,不多放糖,不甚甜,是普通豌豆黄。北海倣膳売的豌豆黄,和好白糖煮,加点桂花,不放紅棗,做的十分細膩,是宮里的做法,是高級的豌豆黄。夏天喝茶時,買一盤豌豆黄,剛剛従冰箱中取出来,用牙簽扦qian1着吃,又甜、又軟、又涼、又香,入口即化。其甜和糯的滋味,正像日本作家五十嵐力所著《我的書翰》中説上野“空也”点心,“吃起来餡和糖及果実渾然融合,在舌頭上分不出各自的味来。”即日本式果子屋売的豆制“果子”(点心),而凉和香則是日本式“果子”所没有的,小窩頭和豌豆黄比較起来,那豌豆黄要好吃多了。老実説,大窩頭不好吃,小窩頭也同様不好吃。

・俟 si4 待つ。
・細膩 xi4ni4 きめが細かくなめらかである。
・扦 qian1 突き刺す
・糯 nuo4 粘り気がある。ねっとりした。

□ 詩の後には注釈があり、こう言っている:「皮を除いたエンドウは、土鍋の中にいれ、煮て粥(状)にする。その後、干し棗を加え、水分がなくなるのを待てば、塊りになり、あたり一面、赤い棗が散りばめられ、見た目も良いし美味しい。」この説明もたいへん良いのだが、こうして作ったものは、荷車を引いた行商人が街で売る“豌豆黄”である。こうした街売りの“豌豆黄”は、棗といっしょに煮るので、あまり砂糖を入れず、それほど甘くない。これが普通の“豌豆黄”である。北海公園の“倣膳”で売られる“豌豆黄”は、上等の白砂糖といっしょに煮られ、キンモクセイの花を加え、干し棗は入れない。たいへんきめ細かくなめらかで、宮廷式の作り方で、高級な“豌豆黄”である。夏に茶を飲む時、“豌豆黄”を一皿買うと、冷蔵庫から取り出してきたばかりで、これを楊枝で突き刺して食べると、甘く、軟らかく、冷たく、風味が良く、口に入れるや溶けてしまう。その甘くねっとりした味わいは、日本の作家、五十嵐力が《私の書簡》の中で言っている上野“空也”のお菓子のように、「口に入れると餡と砂糖と果実が混然一体と融合し、舌の上でそれぞれの味を見分けることができない。」これは日本式の菓子屋で売られている小豆で作った「菓子」(点心)であるが、冷たくて風味がよいものは日本式の「菓子」にも無い。“小窩頭”と“豌豆黄”を比べると、“豌豆黄”の方がずっと美味しい。正直に言うと、“大窩頭”は美味しくないが、“小窩頭”も同様に美味しくない。


【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月


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