中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

老舎《出口成章》を読む: 戯劇語言(7)

2011年04月12日 | 中国文学

 長い講演の結論として、老舎が芝居で使う言葉の理想として考えたのは、韻律の美しさ、調子の良さを活用した言葉で、これは古典文学を手本とすべきで、古典文学に関する素養が必要としています。
 それにしても、最後のところの、政治宣伝の話劇の脚本を書くよう強制され、自分の本当に書きたいものが書けない、という訴えは、胸に響くものがあります。改めて、当時の文化人の苦しみを再認識させる文章であると思います。

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■ 現在,譲我們談談語言的音楽性。

□ 次に、言葉の音楽性についてお話ししましょう。

■ 用文言写的散文講究経得起朗誦。四五十年前,学生学習唐宋八大家的文章都是唱着念,唱着背誦的。我們写的白話散文,往往不能琅琅上口,這是個缺点。一般的散文不能上口,問題或者還不太大。話劇中的対話是要拿到舞台上,通過演員的口,送到聴衆的耳中去的。由口到耳,必渉及語言的音楽性。

・経得起 jing1deqi3 試練や困難に耐えられる。[用例]真理~時間的考験(真理は時間が経っても変わらない)
・誦 song4 ①朗読する。[例]朗lang3~。②暗誦する。[例]背~。過目成~(一度読んだだけで暗唱できる。記憶力が良い形容)
・琅琅 lang2lang2 玉石のかち合う澄んだ音。そこから転じて、明るく澄んだ読書の声。朗々。
・上口 shang4kou3 すらすらと読める。朗読が流暢である。そこから派生し、詩文がすらすら読めるよう、流暢に書けている意味にも使う。

□ 文言で書かれた散文は、声を出して読むのに耐えるように書かれています。4、50年前は、学生は唐宋八大家の文章を勉強する時は、声に出して読んで、読みながら暗誦したものです。私たちが書く口語の散文は、しばしば朗々と読み上げることができません。これが欠点です。普通の散文が声に出してすらすら読めなくても、問題はあるいはたいしたことではないかもしれません。芝居の中の台詞は舞台の上に持って上がり、俳優の口を通じ、聴衆の耳に届けられます。口から耳まで、言葉の音楽性に関わらねばなりません。

■ 古体詩文的作者十分注意這個問題。他們都揺頭晃脳地吟詩、作文章。他們用一個字,造一句,既考慮文字的意象,又顧到声音之美。他們把毎個方塊儿字都解剖得極為細致。意思合適而声音不美,不行,必須另換一個。

・揺頭晃脳 yao2tou2 huang4nao3 [成語]独りで悦に入るさま。“揺頭”も“晃脳”も、頭を揺り動かすことで、得意そうな様子を表す。“揺頭擺尾”~ bai3wei3は、軽薄で得意然としたさま、独りよがりの様子を表す。
・意象 yi4xiang4 イメージ。
・方塊儿字 fang4kuai4r zi4 角張った文字。漢字のこと。
・解剖 jie3pou1 解剖する。転じて、細かく吟味する、という意味も持つ。

□ 古体詩の作者は、このことにたいへん注意を払っています。彼らは首を振り振り詩を吟じ、文章を作ります。彼らは文字一つを用い、語句一つを作るのに、文字のイメージを考慮し、音声の美しさを気にします。彼らは角張った漢字一文字一文字を細かく分解してみます。意味が適当でも、音が美しくなければだめで、別の文字に置き換えなければなりません。

■ 旧体詩文之所以難写,就因為作者唯恐対不起“文字解剖学”。到了咱們這一代,似乎又嫌過于籠統了,用字有些平均主義,拍拍脳袋就算一個。我們往往似乎忘了方塊儿字是有四声或更多的声的。字声的安排不妥,不幸,句子就聴起来不大順耳,有時候甚至念不出。解剖文字是知識,我們応該有這様的知識。怎様利用這点知識是実践,我們応当経常動筆,于写小説、劇本之外,還要写写詩,編編対聯等等。

・唯恐 wei2kong3 “惟恐”とも書く。……のみ恐れる。……だけが気にかかる。必ず、動詞、または主述句を目的語にとる。
・籠統 long3tong3 あいまいである。漠然としている。大まかである。
・順耳 shun4 er3 耳障りでない。聞いて気持ちがよい。通常は否定に用いる。

□ 旧体詩を書くのが難しいのは、作者がただ、「文字の解剖学」に申し訳がたたないことを恐れるからです。私たちの世代になると、また漠然とし過ぎるのを嫌い、文字の選択が幾分平均主義的で、頭をちょっと叩いたら一丁上がり、というようなところがあります。私たちはしばしば漢字には四声、或いはもっと多くの音があることを忘れがちです。文字の音声の配列が不適切だと、不幸にも、文を聞いてみると耳障りで、時にはうまく読めないことさえあります。文字を「解剖」するのは知識であり、私たちはこのような知識を持たねばなりません。どのようにこの知識を利用するかが実践であり、私たちは常にペンを持ち、小説や芝居を書く他に、詩を書いたり、対聯を作ったりしなければなりません。

■ 我們要従語言学習中找出楽趣来。不要以為郭老編対聯,田漢老作詩,是他們的愛好,与咱們無関。咱們都是同行,都是語言藝術的学習者与運用者。他們的楽趣也該成為咱們的楽趣。慢慢的,熟能生巧,我們也就習慣于将文字的意、形、音三者聯合運用,一斉考慮,増長本領。我們応当全面利用語言,把語言的潜力都挖掘出来,聴候使用。這様,文字才能既有意思,又有響声,還有光彩。

・楽趣 le4qu4 楽しみ。
・熟能生巧 shu2neng2 sheng1qiao3 [成語]何事も慣れれば、こつが分かる。
・本領 ben3ling3 腕前。技能。

□ 私たちは、言葉の学習の中から楽しみを見つけ出さなければなりません。郭(沫若)老が対聯を作り、田漢老が詩を作るのは、彼らの趣味で、私たちとは無関係だと思ってはなりません。私たちは皆同業者で、言語芸術の学習者であり、運用者です。彼らの楽しみは、また私たちの楽しみでもあります。ゆっくりと、慣れてこつが分かったら、私たちも文字の意味、形、音の三者を合わせて運用するのが習慣になり、いっしょに考えることができ、腕前が上がります。私たちは言葉を全面的に利用し、言葉の潜在力を発掘し、実際に聞いてみてから使用します。このようにしてこそ、文字は意味があり、響きがあり、しかも光沢が出てきます。

■ 朗読自己的文稿,有很大的好処。詞達意確,可以看出来。音調美好与否,必須念出来才暁得。朗読給自己聴,不如朗読給別人聴。文章是自己的好,自念自聴容易給打五分。念給別人聴,即使聴者是最客気的人,也会在不易懂、不悦耳的地方皺皺眉。這大概也就是該加工的地方。当然,一個人有一個人的写作方法,我們并不強迫人人練習朗誦。有的人也許越不出声,越能写的声調鏗鏘,即不在話下。

・鏗鏘 keng1qiang1 楽器などのリズミカルな音。
・不在話下 bu4zai4 hua4xia4 [成語]言うまでもない。

□ 自分の原稿を朗読してみるのは、たいへん大きなメリットがあります。言葉の意味が通じるか、正しいかが、分かります。音の調子が美しいかどうかは、読んでみてはじめて分かります。しかし、朗読してみて自分で聞くのは、朗読して他人に聞いてもらうのに及びません。文章は自分のものが良く思えるので、自分で読んで自分で聞くと、容易に五点満点を付けることができます。読んで他の人に聞いてもらうと、たとえ聴衆が遠慮深い人でも、聞いて分からなかったり、耳障りなところでは眉をしかめます。そういうところは、おそらく手直ししなければなりません。もちろん、各人には各人の執筆方法があり、私たちは全ての人に朗読練習を強制はできません。中には、声に出さない方が、音の調子が益々リズミカルになる人もいるのは、言うまでもありません。

■ 我們的語滙似乎也有些貧乏。以我自己来説,病源有三:一個是写作雖勤,而往往把読書時間擠掉。這是很大的損失。久而久之,心中只剩下自己最熟識的那麼一小撮語滙,像受了旱災的庄稼那麼枯窘可怜。在這種時候,我若是拿起一本偉大的古典作品読一読,就好似大旱之遇甘霖,胸中開拡了許多。即使我記不住那些文章中的詞藻,我也会得到一些啓発,要求自己要露出些才華,時而万馬奔騰,時而幽琴独奏,別老翻過来調過去耍弄那一小撮儿語滙。這麼一来,説也奇怪,那些忘掉的字眼儿就又回来一些,叫筆下富裕了一些。特別是在心里干枯得像焼干了的鍋的時候,字找不到,句子造不成,我就拿起古詩来朗読一番。這往往有奇效。

・貧乏 pin2fa2 文字通りの意味は、貧しいということだが、もう少し抽象的な意味として、“豊富”の反対語として、欠乏している、という意味でも使われる。
・擠掉 ji3diao4 オミットされる。締め出される。“擠”とは、ぎゅっと圧縮して、絞り出したり、押し出したりする動作。
・久而久之 jiu3 er2 jiu3zhi1 [成語]月日の経つうちに。
・一小撮 yi1 xiao3 cuo1 “撮”は量詞。“撮”とは指でつまむという意味で、指でつまめるわずかな量を表す。数字は通常“一”を用いる。“小”は量の少ないことの強調。
・枯窘 ku1jiong3 力や文才などが枯渇する。尽きる。
・甘霖 gan1lin2 慈雨。
・開拡 kai1kuo4 考えや気持ちが明るくのびのびしている。[例]胸懐~(心がのびやかになる)
・詞藻 ci2zao3 ことばのあや。
・才華 cai2hua2 才気。すぐれた才能。
・万馬奔騰 wan4ma3 ben1teng2 [成語]勢いが極めて盛んで、猛烈に前進しようとするさま。千軍万馬の勢い。
・耍弄 shua3nong4 もてあそぶ。
・字眼儿 zi4yan3r 文中の語や句。
・筆下 bi3xia4 “筆底下”bi3di3xia とも言う。文章を書く能力。

□ 私たちの語彙にも、欠乏しているところがあります。私自身について言うと、病の根源は三つあります。一つ目は、執筆は真面目にしていますが、しばしば読書の時間が取られてしまうことです。これは大変大きな損失です。月日の経つうちに、頭の中には自分が最もよく知っている、ごくわずかな語彙しか残っておらず、旱魃を受けた作物のように、可哀そうなほどに枯渇してしまいます。このような時に、一冊の偉大な古典作品を持ってきて一読してみれば、旱魃の時に慈雨にめぐり会ったかのように、心の中が随分とのびやかになります。こうした文章のことばのあやは憶えていなくても、何がしかのヒントが得られ、自分自身でも少しばかり才気を発揮せんと、時に千軍万馬の勢いを得、時に独りひっそり琴を爪弾くようにし、いつまでもわずかな語彙をひっくり返し、それを当てはめるようなことは止めにします。そうすると、不思議なことに、あの忘れてしまった語句が蘇ってきて、文章が豊かになります。とりわけ心の中が乾ききって、焼け焦げた鍋のようである時は、文字も思い浮かばず、文も作れないので、私は古い詩を持ってきて朗読をしてみます。これはしばしば奇跡のような効果があります。

■ 詩中的警句使我狂悦。好,尽管我写的是散文,我也要写出有総結性的句子来,一針見血,像詩那様一説就説到家。所謂総結性的句子就是像“山高月小,水落石出”那様用八個字就画出一幅山水来,像“欲窮千里目,更上一層楼”那様用字不多,而道出要立得高,看得遠的願望来。這様的句子不是泛泛的叙述,而是叫大家以最少的代価,得到最珍貴的和最多的享受。我們不能叫劇本中的毎一句話都是這様的明珠,但是応当在適当的地方這麼献一献宝。

・警句 jing3ju4 人生や社会、文化などについて、真理を簡潔な中に鋭く表現した語句。
・一針見血 yi1zhen1 jian4xie3 [成語]短い言葉で急所をずばりと言い当てる。“血”は通常、口語で単音節の表現の時は“xie3”と発音し、複音節の表現や書き言葉では“xue4”と発音する。“出血”、“血統”はxue4である。
・到家 dao4jia1 相当高い水準に達する。

・山高月小,水落石出: 蘇軾《后赤壁賦》の一節。意味は、「麓から見ると、山は高く聳えているが、月は逆に天に昇るにつれ小さく見える。渇水期に川の水位が下がると、川底の石が露出して見えるようになる。」事の真相が明らかになることの比喩。

・欲窮千里目,更上一層楼: 王之渙《登鸛雀楼》の一節。意味は、「千里の外を見ようと思えば、楼閣のもう一層上に登らないといけない。」もっと大きな成功を望むなら、一層の努力をしなければならない、ということの比喩。

□ 詩の中の警句は、私を狂喜させます。よろしい、たとえ私が書くのが散文でも、総括的な文句を書くことができれば、短い言葉で、詩のように急所を突いたことを言うことができます。いわゆる総括的な文句とは、「山高ければ月小さく、水落つれば石出づ」のように八文字で一幅の山水画を描くことができ、「千里の目を窮めんと欲すれば、更に上れ一層の楼」のように用いている文字は多くありませんが、言っていることは高きに立ち、遠くを見たいとの願望です。このような文句は、うわべだけの叙述ではなく、読む者全員が最小の代価で、最も貴重で最大の享受を得れるようにしようとするものです。私たちは芝居の中の一句一句を皆このような珠玉の名文句にすることはできませんが、適当なところでは、このように素晴らしい文句を献上しなければなりません。

■ 我的語滙不豊富的第二個原因是近几年来経常習写劇本,而没有写小説。写小説,我須描絵一切,人的相貌、服装,屋中的陳設,以及山川的景色等等。用不着説,描写什麼就需要什麼語滙。相反的,劇本只需要対話,即使交代地点与人物的景色与衣冠,也不過是三言五語。于是,我的語滙就越来越少,越貧乏了。近来,我正在写小説,受罪不小,要什麼字都須想好久。這是我個人的経験,別人也許并不這様。不過,假若有人也有此情况,我願建議:別老写劇本,也該練習練習別的文体,以写劇為主,而以写別種文体為副,也許不無好処。

・交代 jiao1dai4 説明する。
・衣冠 yi1guan1 衣服と冠。身なり、服装。

□ 私の語彙が豊かでない二つ目の原因は、ここ数年ずっと芝居の脚本を書く練習をし、小説を書いていないからです。小説であれば、人の容貌、服装、屋内の装飾、山や川の景色など、一切を描かなければなりません。言うまでもありませんが、何かを描こうと思えば、それに関する語彙が必要です。その反対に、芝居は台詞のみが必要で、たとえ場所と人物の景色や身なりを説明するにしても、二言三言で済みます。それで、私の語彙は益々少なくなり、益々欠乏してしまったのです。最近、私は小説を書いていますが、損害は小さくなく、どんな文句でも、長く考えなければなりません。これは私個人の経験なので、他の人はそうではないかもしれません。けれども、このような情況の人もいるのであれば、私はこう提案したいと思います:芝居ばかり書くのではなく、別の文体も練習しましょう。芝居を主にし、別の文体は副としても、おそらく問題は無いでしょう。

■ 第三,我的生活知識与藝術知識都太少,所以筆下枯渋。思想起来,好不傷心:音楽,不懂;絵画,不懂;芭蕾舞,不懂;対日常生活中不懂的事就更多了,没法在這儿報帳。于是,形容個悦耳的声音,只能説“音楽似的”。什麼音楽?不敢説具体了啊!万一説錯了呢?只挙此一例,已足見筆墨之枯窘,不須多説,以免涙如雨下!作一個劇作家,必須多知多懂。語言的豊富来自生活経験和知識的豊富。

・枯渋 ku1se4 無味乾燥で生気がない。
・報帳 bao4zhang4 清算する。
・筆墨 bi3mo4 文字や文章。[用例]難以用~来形容(筆舌に尽くし難い)。

□ 第三に、私の生活知識と芸術知識が少な過ぎるので、文章が無味乾燥で生気が無いのです。考えてみると、たいへん悲しいことです。音楽のことを知らない、絵画のことを知らない、バレーのことを知らない。日常生活で知らないことはもっとたくさんあり、ここでは全てを清算することができません。それゆえ、耳に心地よい音声を形容するにも、「音楽のようだ」としか言えません。どういう音楽なのでしょうか。具体的に説明ができません。万一、間違ったらどうしよう。この一例だけ挙げても、文才の枯渇が見てとれます。これ以上言うのはやめましょう。涙が雨のように流れ落ちないように。一人の劇作家として、多くのことを知り、理解していなければなりません。言葉の豊かさは、生活経験と知識の豊富さから来ています。

■ 朋友們,我的話已説了不少,不願再多耽誤大家的時間。請大家指教!

□ 皆さん、私の話が長くなりました。これ以上皆さんの時間を無駄にしたくありません。どうもありがとうございました。


【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月


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