中国語学習者のブログ

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中国語で読む成語のお話Vol.19「死灰復燃」

2020年07月15日 | 中国語成語

 今回は「死灰复燃」sǐ huī fù rán、『史記・韓長孺列伝』に書かれているお話を出典とする成語です。

 古时候,有个官员名叫韩安国,字长孺,是汉代成安县人。他曾在梁国做过中大夫。公元前154年,吴王刘濞联合了好几个诸侯国,一齐起兵反叛中央政权。韩安国统率梁国的军队,和朝廷的军队一起讨伐叛军,扫平了刘濞发起的叛乱,立了大功。

Gǔ shíhou,yǒu ge guānyuán míng jiào hán ānguó,zì cháng rú,shì hàn dài chéng ān xiàn rén。Tā céng zài liáng guó zuò guo zhōng dàfū。Gōngyuán qián 154 nián,wú wáng liú bì liánhé le hǎo jǐ ge zhūhóu guó,yīqí qǐ bīng fǎnpàn zhōngyāng zhèngquán。Hán ānguó tǒngshuài liáng guó de jūnduì,hé cháotíng de jūnduì yīqǐ tǎofá pàn jūn,sǎo píng le liú bì fāqǐ de pànluàn,lì le dà gōng。

 昔、名前を韓安国、字(あざな)を長孺という役人がいた。彼は漢の時代、成安県の人である。彼は以前、梁で中大夫の位にあった。紀元前154年、呉王の劉濞(りゅうび)は多くの諸侯国を結集し、一斉に挙兵し、中央政権に反旗を翻した。韓安国は梁の軍隊を率い、朝廷の軍隊と一緒に反乱軍を討伐し、劉濞が起こした反乱を鎮圧し、大いに功績を立てた。

呉楚七国の乱

 この反乱は、「呉楚七国の乱」と言います。漢の前の秦の時代の国内の統治は郡県制を採用し、地方は全て郡と県に分けて直轄統治しました。これと秦の苛烈な法治主義による統治により、地方の自由な活力は一切許されず、結果として人々の活力が奪われ、国力は疲弊してしまいました。漢ではそれに対する反省から、郡県制を布く地方と、諸侯王を封じた半独立国を作って治めさせる地方とを並立させた郡国制を採用しました。漢は文帝・景帝時代の善政により次第に国力を回復したのですが、諸侯王の方でも自らの領地内では完全な独立の権限を保持し、中央政府の命令を聞かない者が多くなってきました。これに対し、中央政府の方では、諸侯王の権限を削っていく動きが出たのに対し、諸侯王が起こした反乱が、呉楚七国の乱です。

 「中大夫」というのは、漢の初期においては、文官の最高位の官位で、今日で言う、政策顧問のような役職でした。漢の諸侯国、梁は、河南省東部から山東省南部に位置し、都は睢陽suīyáng(現在は河南省商丘市の一部)でした。

 韓安国のふるさと、成安県は、今の河南省汝州市の東南部にありました。

 

 后来,韩安国因为触犯刑律,被判入狱。一个姓田的狱吏见韩安国由高官沦为囚犯,认为他永无出头之日子,便看不起他,并且经常侮辱他。韩安国对此并不发怒,只是对田某说:“熄灭了的灰烬难道就不能再烧起来吗?”这话的意思是说,我现在是穷途潦倒,受尽屈辱,难道就一定不能东山再起吗?田某冷笑一声,说:“如果这些灰烬能重新烧起来,我就拉尿把它淋熄。”

Hòulái,hán ānguó yīnwèi chùfàn xínglǜ,bèi pàn rù yù。Yī ge xìng tián de yùlì jiàn hán ānguó yóu gāo guān lúnwéi qiúfàn,rènwéi tā yǒng wú chū tóu zhī rì zi,biàn kànbuqǐ tā,bìngqiě jīngcháng wǔrǔ tā。Hán ānguó duì cǐ bìng bù fā nù,zhǐ shì duì tián mǒu shuō:“xīmiè le de huījìn nándào jiù bù néng zài rán qǐlái ma?”zhè huà de yìsi shì shuō,wǒ xiànzài shì qióngtú liáodǎo,shòu jìn qūrǔ,nándào jiù yīdìng bùnéng dōng shān zàiqǐ ma?tián mǒu lěngxiào yī shēng,shuō:“rúguǒ zhè xiē huījìn néng chóngxīn shāo qǐlái,wǒ jiù lā niào bǎ tā lín xī。”

 後に、韓安国は刑法に触れ、投獄の判決がなされた。田という姓の牢役人は、韓安国が高官から囚人に落ちぶれ、彼は生涯、再び世に出ることはないと思い、彼を見下し、いつも彼を侮辱した。韓安国はそうされても決して怒らず、ただ、この田なにがしに対し、「火の消えた灰や燃えさしが、よもや再び燃えることはないなどということがあろうか。」と言った。このことばの意味は、自分は、今は失意のどん底の状況にあり、屈辱の限りを受けているが、どうして再起は不可能だと断言できるだろうか、ということである。田はせせら笑うと、「もしこの灰が再び燃え出したら、おれはしょんべんをかけてそいつを消してやるよ」と答えた。

 「灰烬」huījìnは、「灰燼に帰す」の「灰燼」の簡体字表記です。ちなみに、灰燼に帰すは中国語で、「化为灰烬」huà wéi huījìn。

 

 不久,朝廷派了使者来找韩安国,请他回去做官。原来,梁国的一个重要的职位,内史空缺了,一时找不到合适的人选,皇帝知道韩安国的才干,又念及他过去扫平叛乱的功劳,就赦了他的罪,把他任命为年俸二千石的梁国内史。

Bù jiǔ,cháotíng pài le shǐzhě lái zhǎo hán ānguó,qǐng tā huí qù zuò guān。Yuánlái,liáng guó de yī ge zhòngyào de zhíwèi,nèishǐ kòngquē le,yī shí zhǎo budào héshì de rénxuǎn,huángdì zhīdao hán ānguó de cáigàn,yòu niànjí tā guòqù sǎopíng pànluàn de gongláo,jiù shè le tā de zuì,bǎ tā rènmìng wéi nián fèng èr qiān dàn de liáng guó nèishǐ。

 それからほどなくして、朝廷は使者を差し向けて韓安国を探し出し、彼に役人に復帰するように頼んだ。それというのも、梁の重要な役職である、内史が空席となり、しばらく適当な候補者が見つからず、皇帝は韓安国の才能を知り、また彼の以前の反乱を平定した功績が思い出され、彼の罪を許し、彼を俸禄2千石で梁の内史に任命したのだった。

 「内史」は、漢の諸侯国においては、民政を預かる役職であったようです。俸禄2千石、「石」はdànと発音します。役人の俸禄の石高ですね。

 

 这时,姓田的狱吏吓得魂不附体,当即逃跑了。韩安国上任之后,要田某回去重任旧职,否则就把他的宗族都杀掉。田某没有办法,只好将上衣脱了,来向韩安国请罪。

Zhè shí,xìng tián de yùlì xià de hún bù fù tǐ,dāngjí táopǎo le。Hán ānguó shàngrèn zhī hòu,yào tián mǒu huí qù chóng rèn jiù zhí,fǒuzé jiù bǎ tā de zōngzú dōu shā diào。Tián mǒu méiyǒu bànfǎ,zhǐhǎo jiāng shàngyī tuō le,lái xiàng hán ānguó qǐng zuì。

 この時、田という姓の牢役人は肝がつぶれるほど驚き、直ちに逃げ出した。韓安国は着任後、田に戻ってきて前の職に再び就くように言い、さもなければ田の一族を全員殺すと言った。田は仕方がなかったので、上着を脱いで、韓安国へ罪をわびるしかなかった。

脱上衣请罪(负荆请罪)

 この「脱上衣请罪」ですが、通常は、上着を脱いで上半身裸になると、裸の背にイバラの杖(「荆」jīng)を背負いました。「荆」は古代、むち打ちの刑具であったので、どうか私をむち打ちの刑にして罰してくれと背中を出し、自分の罪を認めて相手への心からの謝罪の気持ちとしたのです。これを、「负荆请罪」fù jīng qǐng zuìと言います。

 

 韩安国笑着对田某说:“如今死灰烧起来了,你可以拉尿了!”田某吓得脸色发青,一句话也说不出来。韩安国就安慰他说:“象你们这样的人,难道也值得我跟你们作对吗!”他一直对田某很好。

Hán ānguó xiào zhe duì tián mǒu shuō:“rújīn sǐ huī shāo qǐlái le,nǐ kěyǐ lā niào le!”tián mǒu xià de liǎn sè fā qīng,yī jù huà yě shuō buchūlái。Hān ānguó jiù ānwèi tā shuō:“xiàng nǐmen zhè yang de rén,nándào yě zhí de wǒ gēn nǐmen zuò duì ma!”tā yīzhí duì tián mǒu hén hǎo。

 韓安国は笑って田に、「今、火の消えた灰がまた燃え出したから、しょんべんをかけて消してくれよ。」と言った。田はびっくりして顔が真っ青になり、一言も発することができなかった。韓安国は彼をなぐさめ、「おまえたちのような者を、どうして私は目の敵にすることができるだろう。」と言い、それからずっと彼によくしてやった。

 

 後に人々は、韓安国が言った、「死灰独不复燃乎」sǐ huī dú bù fù rán hū(死灰、独り復た燃えざるか)を略した、「死灰复燃」ということばを成語として使うようになりました。現在では、どちらかというとよくないこと、例えば悪人や悪い事象が、一度勢いを失っていたものが、再び勢いを盛り返す意味で使われます。例えば、「防止军国主义死灰复燃」(軍国主義が息を吹き返すのを防止する)というような使い方をします。