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中国語学習者、聡子のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

雲郷の食べ物話《雲郷話食》を読む:【対訳】 大酒缸

2011年01月16日 | 中国グルメ(美食)
 前回の《火鍋》の後に、もうひとつ、冬の情景として、北京の“大酒缸”の様子が描かれています。“大酒缸”とは、本来は酒を入れた甕のことですが、ここでは酒を量り売りで飲ませる小さな酒屋のことです。今はもう姿を消してしまいましたが、一杯飲み屋で束の間の暖を取る庶民の暮らしを思い描いてください。

■ 老舍《駱駝祥子》一書中,有過一段“大酒缸”的描写。写一個風雪寒夜,一個年老拉洋車的和孫子闖到一家小酒舗中取暖的悲惨景象。几十年前在北京這種酒舗是很多的,不同于江南的像《孔乙己》中所描絵的“咸亨酒店”。毎家這様的小舗里,都有両三口蓋着紅油漆蓋子的装酒的大缸,俗話都叫大酒缸。它也有正式名称,如和益公酒舗、四友軒酒舗之類,但人家都不叫,仍習慣叫它的俗名。

・大酒缸 da4jiu3gang1 “缸”は甕。酒の入った大甕である。
・闖 chuang3 不意に飛び込む

 老舎の《駱駝祥子》という本の中で、“大酒缸”の描写が出てくる。風雪すさぶ寒い夜、一人の年老いた人力車夫とその孫が一軒の小さな酒場に飛び込み暖を取るという悲惨な情景である。数十年前、北京ではこのような酒屋がたいへん多くあり、江南の《孔乙己》の中で描かれた“咸亨酒店”とは感じが違っていた。このような酒屋はどこでも、二つか三つ、赤いペンキで塗られた蓋で蓋をされた酒を入れた大甕が置かれ、俗に“大酒缸”と呼ばれた。こうした店には正式の名称もあり、和益公酒舗だとか、四友軒酒舗といった類の名前であるが、人々はそう呼ばず、相変わらずその俗名で“大酒缸”と呼んでいた。

■ 這種舗子一般都是一間門面,有両三副座位,有個柜台,柜台后有両三個酒缸;也有的大酒缸的木蓋就是桌子,店中人很少,掌柜兼帳房先生在里面売酒,再有一個小徒弟或内掌柜相幇照料就可以了。夏天,門口挂个竹簾子;冬天,当地生个煤球炉子,又焼開水又取暖。門口挂個夾板棉門簾子,一撩簾子就是一団夾着酒気的熱気撲到你臉上。在北国的風雪寒夜中,這種小舗是各種各様街頭労働者的“避風港”。 夾着大棉襖,一撩簾子闖了進来,把手中的銭往柜台上一放,説道:
   “掌柜的,来両個酒,一包花生米。”

・門面 men2mian4 商店の間口
・掌柜 zhang3gui4 店の主人
・帳房先生 zhang4fang2xian1sheng 会計係
・内掌柜 主人のおかみさん
・相幇 助ける。手伝う
・照料 面倒を見る
・撩 liao1 まくり上げる
・撲 pu1 (風や香気が)当たる
・避風港 元々、台風が来た時に船舶が避難する港のこと。

 こうした店は一般に間口が一間で、椅子が二三脚置かれ、カウンターがあり、カウンターの後ろに二つか三つの酒甕が置かれていた。中には大きな酒甕の木の蓋がそのままテーブルとして使われていることもあった。店には人が少なく、店の主人兼会計係が中で酒を売り、もう一人、小僧か主人のおかみさんが手伝い、面倒を見ればよかった。夏は入口には竹のすだれが掛けられ、冬はここで、炭団(たどん)でストーブが焚かれ、お湯を沸かし、暖を取った。入口には板で綿を挟んだ覆いが掛けられ、覆いをまくり上げると、酒の臭いの籠った熱気が一気に顔に当たった。北国の風雪すさぶ寒い夜には、こうした小さな店は各種各様の街頭の労働者の「風除けシェルター」であった。綿入れの外套を着込み、覆いをまくり上げて店に飛び込むと、手に持った銅貨をカウンターに置くと、こう言った。「おやじさん、酒を二碗と、ピーナツを一包みくれ。」

■ 花生米,老北京習慣叫生仁儿、花生豆儿,現在這花生豆儿好像很少聴到人説了,都叫花生米了。

 ピーナツは、昔の北京の人は“生仁儿”、“花生豆儿”と呼び習わしたものだが、今ではこの“花生豆儿”と言う人はほとんど見かけなくなったようで、皆“花生米”と言うようになった。

■ 説話干脆,酒和一包花生米買好,便到辺上的桌子旁坐下,和熟人辺説,辺飲起来。這是干了一天活之后的一点点人生的享受。是可怜的一点享受。有的索性一包花生米也不買,買一個酒,一口喝了就走,因為他們回去還有別的事要干,没有時間坐在大酒缸辺上慢慢地咀嚼那几粒花生米。

・索性 suo3xing4 いっそのこと。思い切って。

  はっきり言えば、酒と一包みのピーナツを買って、傍らのテーブルのそばに座り、顔見知りの人と話をしながら一杯やる。これは一日の仕事を終えた後のちょっとした人生の楽しみである。それは可哀そうな楽しみである。中にはいっそピーナツも買わず、酒を一碗買うと、ひと口で飲むや出て行ってしまう人たちもいる。なぜなら彼らは家に帰ってからまだ別のことをしなければならず、酒甕の傍らに座ってゆっくりとピーナツを味わっている暇が無いからである。

■ 所謂“一個酒”,就是用提子従酒缸中提,提出的酒倒入粗瓷碗中売給顧客。小提一提一両,倒入碗中謂之一個酒,両提二両,謂之両個酒。買両個酒喝完了,尚未過癮yin3,便拿空碗到柜台上再買両個。一般人喝両個酒就差不多了,如喝四個酒那就是大量了。大酒缸売的都是焼酒,即干搾白酒,又称白干,那里従来不売黄酒和薬酒(如五加皮、竹叶青等)。至于洋酒,什麼威士忌、白蘭地等等,更是聴也没有聴説過。一個酒下肚,就熱乎乎的,照当年的説法,就是“多穿了一件小皮襖”了。北国天寒,全仗它擋擋寒气啊!

・過癮 guo4yin3 堪能する。満足する。
・干搾白酒 gan1zha4bai2jiu3 白酒のこと。“白酒”を別名“干搾酒”ということから。製法が、水を使わずもろみを発酵させる(乾式法)ことから。
・皮襖 pi2ao3 毛皮の裏地をつけた服
・擋 dang3 さえぎる。防ぐ

 いわゆる「一杯の酒」というのは、ひしゃくで酒甕から汲み、汲んだ酒を粗末な磁器の碗に入れてお客に売ったものである。ひしゃく一杯が一両で、それを碗に入れたのが「一杯」、二回汲むと二両で、酒「二杯」という。二杯買って飲み終え、まだ足りなければ、空の碗をカウンターに持って行ってもう二杯買う。普通の人は酒を二杯飲むと十分で、四杯も飲むと飲み過ぎである。“大酒缸”で売られるのは焼酎、すなわち白酒であり、また白干儿(バイカル)と呼ばれる。そこでは黄酒や薬酒(五加皮や竹叶青など)は売られたことがない。洋酒に至っては、ウイスキー、ブランデーなど、名前を聞いたこともない。酒が一杯お腹に入ると、じわっと暖かくなり、その当時の言い方をすれば、「毛皮を一枚余分に纏った」かのようである。北国の天気の寒さは、全てこの一杯で防ぐのである。

■ 大酒缸門口也要挂幌子,一個葫芦再吊一塊紅布。似乎没有古詩中写的那種青旗的韵味,純粋是北京的風格,所謂開口便吃焼刀子了。

・焼刀子 shao1dao1zi 俗に焼酒(つまり白酒)のことを言う。特に東北地方のアルコール度数の高い酒をこう言う。

 大酒缸の入口には必ず看板が掛かっていて、それはひょうたんに赤い布切れが一つぶら下がったものである。昔の詩に書かれているような青い旗がはためく情趣は感じられないが、純粋に北京のスタイルで、いわゆる「口を開けば強烈なのを一杯ひっかける」である。

■ 大酒缸附近要有羊肉床子,往往代売包子,都是用剩下的砕肉包的。冬天用一張白菜叶子代紙,買十几個熱騰騰的包子托進大酒缸,喝完酒一吃,是最実惠的了。

・床子 chuang2zi 露店などで商品を並べるための屋台。

  大酒缸の近くには必ず羊の肉を売る店があり、しばしばそこでは包子(肉まん)を売っていて、それは余った屑肉を使った肉まんである。冬には白菜の葉を包み紙の代わりにした。十数個の熱々の包子を買って手のひらに載せて大酒缸に入り、酒を飲んだらそれを食べるのが、最も経済的であった。

■ 在風雪之夜,北風呼嘯的馬路上,或者胡同拐角処,遠遠地望見有個透出紅紅灯光的小舗,那就是大酒缸。去吧,那里有温暖,進去買個酒吃吧!

 風雪すさぶ夜、北風は通りを吹きすさび、或いは横丁(胡同)の曲がり角で、はるかに赤い灯りの漏れる小さな店が見えれば、そこが大酒缸である。行こう、あそこへ行けば温まれる。あそこに入って酒を一杯買って飲もう。


【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月


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雲郷の食べ物話《雲郷話食》を読む:【対訳】 火鍋

2011年01月15日 | 中国グルメ(美食)
 沈宏非の火鍋を以前紹介しましたが、どちらかと言うと、広東人から見た火鍋でした。もう一人、雲郷の描く火鍋を読んでみたいと思います。これは、本家北京の、それも古い時代の火鍋の話で、鍋料理だけでなく、鍋そのもののことも論じています。昔の北京を舞台にした映画の情景が思い浮かぶようです。

■ 到了冬天,過去在北京很喜歓吃火鍋子。火鍋子,江南人叫暖鍋,実際不如北京的叫法確当,因為它不単純是“暖”,而的確是生了火的。銅制的火鍋,中間是膛tang2火口,四周是容納菜肴的鍋槽,上面是圓洞的鍋蓋,正好套在“火口”上蓋住鍋子。鍋子中装好菜肴,把木炭放在炉子上点燃,従火口放進去,扇子扇旺炭火,木炭“劈劈啪啪pi1pi1pa1pa1”地,火苗従火口竄cuan4出来,鍋子中的菜肴便“呲呲zi1zi1”作響。焼開了,端上桌子,一掀鍋蓋……正像《老残游記》中写“一品鍋”一様,這是“怒髪衝冠的海参”,那是“酒色財気的鴨子”,大家便可狼吞虎咽地吃起来了。

・確当 que4dang4 適切である・膛 tang2 器などの中空になっているところ。胴。
・扇 shan1 [動詞](うちわで)あおぐ / 扇 shan4 [名詞]うちわ
・劈劈啪啪 pi1pi1pa1pa1 [擬声語](薪が燃える時の音)ぱちぱち
・火苗 huo3miao2 炎
・竄 cuan4 逃げる。走り回る。
・呲呲 zi1zi1 [擬声語](鍋の中の食べ物が勢いよく煮える音)じゅうじゅう
・開 kai1 沸騰する
・掀xian1 (蓋、覆いを上へ持ち上げるように)開ける
・怒髪衝冠 nu4fa4chong1guan1 [成語]怒髪冠を衝く。髪の毛が逆立つほどに激しく怒るさま。
・酒色財気 jiu3se4cai2qi4 昔はこれを人生の四戒とした。酒・女に溺れること、不正な金を得ること、ヒステリーと、良くない性格や癖のこと。但し、ここでは酒気を帯びたように赤みを帯びた家鴨の肉。
・狼吞虎咽 lang2tun1hu3yan4 [成語]食事を大急ぎでかきこむさま。

 冬になると、嘗ての北京では火鍋(北京の言い方では“火鍋子”)を食べることがたいへん好まれた。火鍋子、江南の人は“暖鍋”と呼んだが、実際は北京の呼び方ほど適切ではない。なぜなら単に「暖かい」のではなく、確かに火を点けるからである。銅でできた鍋は、中間が中空になった火口であり、その周りが具材を入れる槽になっていて、上には丸い穴の開いた鍋蓋であり、ちょうど“火口”を覆って鍋に蓋をしている。鍋の中に具材を入れ、木炭をコンロで火を付け、火口から中に入れ、扇子であおげば、木炭がぱちぱちといって炎が火口から上り、鍋の中の具材はじゅうじゅうと音をたてる。煮えたら、鍋を両手で奉げ持ってテーブルに出し、鍋の蓋を開ければ……。《老残游記》に書かれた“一品鍋”と同様、これは「怒髪冠を衝くかのように角を立てたナマコ」、あれは「酒気を帯びたように赤みを帯びた家鴨の肉」と、皆が争ってがつがつ食べ始めたことだろう。

■ 火鍋是一種非常方便而実用的炊具,我不知道早発明者是誰?徐凌霄《旧都百話》記道:

 火鍋はたいへん便利で実用的な炊事器具である。嘗てこれを発明したのは誰なのか、私は知らない。徐凌霄《旧都百話》に次のような記載がある。

■ 鍋子之類甚多,有菊花鍋子,為肉類与菜蔬及花瓣之大雑烩hui4,整桌酒席,在秋冬間視為要素。及羊肉鍋子,為歳寒時最普通之美味,須于羊肉館食之。此等吃法,乃北方游牧遺風,加以研究進化,而成為特別風味也。

・花瓣 hua1ban4 花弁。花びら
・雑烩 za2hui4 いろいろな材料をいっしょに煮たもの。寄せ鍋。
・整桌酒席 “桌”は酒席や酒席のテーブル数を数える量詞。ここでは酒席の料理全体。
・視為要素 “要素”の前に“第一”、“関鍵”が省略されており、“視為関鍵要素”ということではないかと思います。

 鍋料理の種類はたいへん多い。“菊花鍋子”というのがあり、これは肉類と野菜、菊の花びらの寄せ鍋だが、宴会のコース料理の中でも、秋から冬にかけてはメイン料理と見做される。羊の鍋は、寒い季節に美味しくなり、これは羊肉館で食べるものである。こうした食べ方は、北方遊牧民の遺風であり、それが研究され進化し、特別な風味となったのである。

■ 徐氏的話似乎有些道理,総之是在北方寒冷的地方創造出来的東西。南方有暖鍋歴史并不長,光緒時厳緇在 《憶京都詞》注中説到“火鍋”時,還説“南中無此風味也”。可見那時還只是北京,或者説北方時興吃火鍋。

 徐氏の話は道理があるようで、要は北方の寒冷な地方で生まれたものである。南方の“暖鍋”の歴史はそれほど長くなく、清の光緒帝の時代、厳緇が《憶京都詞》の注で“火鍋”に言及した際、「南方にはこの風味は無い」と言っている。そこから、当時はまだ北京、或いは北方でのみ火鍋が盛んに食べられていたことが分かる。

■ 在北京制造火鍋的銅舗,過去集中在打磨廠一帯,另外還有山西大同的紫銅鍋,都是有名的。紫銅火鍋是用紫銅制成坯子打造,鍋内再挂一層錫。外面是紫銅色,里面是銀色。鍋子大小不一様,分成几等。生木炭火的膛也不一様。一般火鍋,炉膛較小,鍋槽較大,可以多放菜,火不須太旺。専作涮shuan4鍋用的鍋子,則炉膛特大,可以焼旺火,湯不停地翻滚gun3,能保証生肉一燙即熟。但鍋槽較小,因為只放湯,不放菜,也不需要大鍋槽。

・打磨廠 北京市内の通りの名前。前門外正陽橋の南方の東側、東西1.5Kmの通りで、明朝初期、北京の西方の房山で産出する石材をここで研磨する職人が集まったことからこの名がある。
・紫銅 zi3tong2 純度の高い銅。電線銅。“紅銅”ともいい、赤みがかった色の銅。
・坯子 pi1zi 白地。まだ焼いていないれんが。半製品

 北京で火鍋用の鍋を作る銅製品の店は、嘗ては打磨廠一帯に集中していた。その他、山西省大同の紫銅鍋も有名である。紫銅火鍋は銅製の板から作られ、鍋の内側には錫が塗られている。外側は赤銅色で、内側は銀色である。鍋の大きさは様々で、いくつかの等級に分かれる。木炭の火を起こす胴も同じではない。一般の火鍋は、炉の胴が小さく、鍋の槽が大きいので、たくさん具材を入れることができ、火力はあまり強くする必要はない。しゃぶしゃぶ専用の鍋は、炉の胴が特大で、火力を強くし、スープを絶えず煮えたぎらせておけるので、生の肉を加熱するとたちまち火が通る。しかし鍋の槽は小さい。というのも、中に具材を入れないので、大きな鍋は必要ないからである。

■ 《老残游記》中所説的“一品鍋”,那又是另一種東西。那是一個像小面盤大小的帯蓋子的平底銅鍋,下面有一鏤空花圓圈,架住這個鍋,圈中放一敞口大杯,内放高粱酒,点燃焼這個鍋,像酒精灯一様,用以保温。這是清代接官筵宴上必要的。“一品”,取其口彩,所謂“官高一品”,另外取其方便。当時的官,不管多大,也無汽車、飛机可坐,長途旅行,一天也只能走百八十里路,途中要吃飯,在荒村野店,地方官迎接,准備供応,預先焼好,臨時防止菜冷,所以用酒灯保温。一品鍋照例有全鴨、蛋、海参、肚子等,実際等于大鍋葷什錦耳。

・鏤 lou4 彫刻する
・圓圈 yuan2quan1 丸。輪
・敞 chang3 広げる。開ける
・口彩 kou3cai3 縁起の良いことば

 《老残游記》の中で言う“一品鍋”も、また別のものである。それは洗面器くらいの大きさの蓋付きの平底の銅鍋で、下の方は輪の模様がくり抜かれていて、この鍋を台に固定すると、輪の中に口の開いたコップを入れ、その中には高粱酒を入れ、火を点けてこの鍋を温めると、アルコールランプのように、保温することができるのである。これは清代に役人を接待する宴会では必需品であった。“一品”は語呂合わせでは「官位が“一品”高い」という意味だが、もう一つ大事なのは便利だということである。当時の役人は、どんなに位が上でも、自動車や飛行機に乗ることはできなかったので、遠方に行く時は、一日に4、50キロしか進めず、途中で食事をしようとすると、人里離れた村の粗末な宿屋で、地方官が出迎え、食事を準備するのだが、事前に煮たきを済ませ、いつでも料理が冷めないように、アルコールランプで保温しておくのである。一品鍋の中身は通常、アヒル、たまご、なまこ、豚の胃袋などで、実のところは生臭入りの寄せ鍋に過ぎない。

■ 几十年前,北京有一種舗子,叫做“盒子舗”,実際就相当于江南的鹵味店、広州的焼臘店。這是売醤肉、清醤肉、小肚、白肚、鶏、肉丸子等熟肉的熟肉舗。因為把這些切好装在一些花格食盒里,像“什錦拼盤”様売給人家,所以叫“盒子舗”。這些熟食統名之曰“盒子菜”。這種舗子,秋冬之際,便準備很多只銅火鍋,一一装好,可以根据需要,一只、両只,甚至更多,送到顧客中。送時還帯好“白湯”極為方便。家中偶然来個客人,你去買了,小伙子給你送来,点燃木炭,把火煽旺。鍋子開了,端到桌上,説声“回見”走了,明天再来收家伙,你好意思不給両個賞銭嗎?

・盒子 he2zi “盒子”は本来は小型の蓋付きの箱のことだが、ここでは“盒子菜”のこと。“盒子菜”とは、酒のさかななどにするいろいろな種類のおかずの折詰で、木製の丸い箱に詰め合わせて売ったことからこの名がある。
・鹵味 lu3wei4 醤油で煮しめた料理・焼臘 shao1la4 ローストした肉と燻製の肉
・醤肉 “醤牛肉”のことか。牛肉の醤油煮で、薄切りにして前菜にする。
・清醤肉 以下の段落で“也叫"炉肉"”と書いてあるので、“炉肉”lu2rou4のことであることが分かる。大きなオーブンに吊るしてローストにした焼き豚である。
・小肚儿 xiao3du3r ブタ肉の腸詰。薄く切って前菜にする。
・白肚 bai2du3 ブタの胃袋を下処理して醤油や香菜と煮込んだ浙江料理。/“肚”は胃袋の場合発音がdu3と3声になるので注意。
・熟肉 shu2rou4 調理したり高温処理した肉の加工品
・白湯 bai2tang1 ブタ肉を水炊きして“白肉”を作る時の煮出し汁を“白湯”という。

 数十年前、北京に“盒子舗”と呼ばれる仕出し屋があったが、これは江南の“鹵味店”、広州の“焼臘店”に相当する。ここで売ったのは牛肉の醤油煮、焼き豚、腸詰、豚の胃袋、鶏の燻製、肉団子といった肉の加工食品である。これらをきれいに切って格子模様の柄の蓋付きの箱に詰め、「前菜の盛り合わせ」のようにして売ったので、“盒子舗”と言うのである。これらの肉の加工品を総称して“盒子菜”と言う。これらの店では、秋から冬にかけ、たくさんの銅製の火鍋を用意し、一つ一つ、中に具材を入れ、注文があると、一個、二個、時にはもっとたくさんの数の鍋を、客の家に配達するのである。配達の時、同時に豚の煮出し汁のスープも付けて届けたので、たいへん便利であった。家で急な客があると、注文すれば、店の小僧が鍋を届けに来て、木炭に火を着け、火が燃えたち、鍋が煮えると、両手で抱えてテーブルまで運び、「毎度あり!」と言って帰って行く。翌日にまたやって来て鍋を引き取って行く。これなら気持ちよく、小僧に銅銭二枚もチップをやろうという気になろうというものだ。

■ 一般鍋子里装的是肉丸子、龍口細粉、酸白菜墊底;上面鋪白肉,叫“白肉鍋”; 鋪白鶏、白肚片、白肉叫“三白鍋子”;清醤肉(也叫"炉肉")、魚、猪腰花等曰“什錦鍋子”;海参、炉肉、鶏蛋等叫“三鮮鍋子”。郷間或寺廟中,用油豆腐、粉条、蘿卜条装的素鍋子,是最清淡中吃的。至于“菊花鍋子”,便是把白菊花瓣加入到“三鮮鍋子”的湯中。那更是清香絶倫,成為高級的飲食肴饌了。

・白肉 水炊きした豚肉
・腰花 ブタや羊の腎臓(“腰子”という)に細かく隠し包丁を入れたもの。調理して熱を加えると、花が開いたようになることから。
・油豆腐 小口切りした豆腐を油で揚げたもの。厚揚げ。ただし一般に油豆腐にする豆腐は2~3センチ四方に切ったものを使い、厚揚げのように切らずにそのまま使う。
・絶倫 jue2lun2
・肴饌 yao2zhuan4 ごちそう

 一般に鍋の中に入れるのは肉団子、“龍口”ブランドの春雨、白菜の浅漬けを底に敷く。その上に茹でた豚肉を入れたものを、“白肉鍋”と呼ぶ。水炊きした鶏、豚の胃袋、豚肉を入れたものを“三白鍋子”と呼ぶ。焼き豚、魚の燻製、豚の腎臓などが入ったものを“什錦鍋子”と呼ぶ。なまこ、焼き豚、卵などが入ったものを“三鮮鍋子”と呼ぶ。田舎やお寺では、厚揚げ豆腐、春雨、大根の細切りを入れた精進鍋が、最もあっさりとした味で食べられる。“菊花鍋子”は、白菊の花びらを“三鮮鍋子”のスープに入れたものである。そうすることで一層香りがすばらしくなり、高級なごちそうとなる。

■ 清前因居士《日下新謳》有詩云:
  客至干花対半斤,火鍋一品備肥葷,随常款待無多費,恰够gou4京銭三百文。

 清の前因居士は《日下新謳》の中で、次のような詩を詠んだ。

 客が来たので、白酒の辛口と花の香りのする甘口を半斤ずつ、鍋は豚のバラ肉入りを用意した。日常の接待なので出費もたいしたことなく、北京の銭で300文も出せば十分である。

■ 后面注道:沽焼酒,用干、花両対,即醇淡相攙chan1也。火鍋之価不一,倹者二百四十文,是則京銭三百,即敷款客之資矣。這是乾、嘉時的価格。在三十年代中,便宜的鍋子六角、八角,貴的也不過一元多銭,如一元五六角銭,便可叫只三鮮鍋子。和今天比,那真不可同日而語了。

・沽 gu1 買う
・干、花両対 “干”はドライ、つまり辛口。“花”はキンモクセイなどの香りのつけた酒のことではないだろうか。“竹叶青酒”のようなものもあり、氷砂糖で甘口になっていると思う。
・攙chan1 混ぜる
・不可同日而語了 [成語]同日には語れない。比べものにならない

 後に注があり、こう言っている。白酒を買ってきて、辛口のものと花の香りのする甘口を両方飲むと、芳醇さと淡白さが混じり合う。火鍋の価格は様々で、倹約するなら240文、北京の銭で300に相当し、すなわち客をもてなす費用である。これは乾隆、嘉慶時代の価格である。1930年代には、安い鍋は6角、8角で、高いものでも1元あまりであった。1.5~1.6元もするのは、三鮮鍋子であった。今日と比べると、同日に語ることはできない。


【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月

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沈宏非のグルメエッセイ: 【対訳】 臘味

2011年01月08日 | 中国グルメ(美食)
 “臘”la4というのは旧暦の12月のこと。またこの時期に肉や魚を塩漬けにし、寒風に晒して保存食としたことから、肉、魚の燻製のことを“臘”と言います。新年の第1回目の読み物として、沈宏非の《臘味》を取り上げます。
 本文で紹介されている、広東式釜飯の臘味煲bao3仔飯、しばらく食べていませんが、また食べたくなりました。

                          臘味

■ 臘肉総是譲我想到下雪,棉襖,火炉,以及冬令里的種種節慶。如果要用一種味道来形容冬天,臘味会是我的首選。

 燻製の肉というと、降雪、綿入れ、ストーブ、更には冬の間の様々な行事やお祝いを思い浮かべる。もし一つの食べ物の味で冬を形容するとしたら、燻製の肉や魚を第一に挙げる。

■ “臘,干肉也”(《辞源》),凡是経過腌制,并且到了臘尾春頭時拿出来吃的,才算臘肉。本国的咸肉之類雖然也是経過腌制的“干肉”,欧洲的“干肉”雖然也很好吃,却因想吃就吃,終究不能称為臘味,再説老外的暦書里曾経有熱月,霧月,却従来没有臘月。

・腌 yan1 塩漬けにする
・熱月,霧月 フランス革命の時に使われた革命暦で、8月を“熱月”(Thermidor)、11月を“霧月”(Brumaire)と言った。

  “臘”とは、乾し肉のことである。」(《辞源》)凡そ塩漬けにし、年末から春先に取り出して食べるものが、“臘肉”である。中国のベーコンの類も塩漬けにされた“乾し肉”であり、欧州の“乾し肉”もたいへん美味しいが、食べたい時にいつでも食べられるもので、結局のところ“臘味”と呼ぶことができない。また外国の暦には嘗て“熱月”(Thermidor)、“霧月”(Brumaire)はあったが、“臘月”は無かった。

■ 臘肉以湘粤両省所産最佳。不同的是,湘臘偏咸,而且在腌漬過程中還加以煙熏,滋味剛烈,且有錯綜複雑的煙熏感(包括稲谷、甘蔗皮、橘皮及木屑)。臘味做主角的代表作,是臘味合蒸。参與“合蒸”者,除了片狀的臘肉,還有條狀的臘魚,以料酒、猪油和鶏湯調味,入蒸籠中蒸20分鐘,色澤金黄,咸香味濃,乃為天作之合。

・天作之合 tian1zuo4zhi1he2 [成語]神様が結びつけたように、完璧な取り合わせである

 燻製の肉は湖南省と広東省のものが最も良い。両者の異なる点は、湖南の燻製は塩辛過ぎ、しかも塩漬けの途中、煙で燻すので、味は力強く、複雑に錯綜した燻し感(稲籾、砂糖キビの皮、蜜柑の皮、木屑を含む)がある。燻製肉を主役とする料理の代表作は、“臘味合蒸”(燻製肉の合わせ蒸し)である。いっしょに蒸されるのは、薄切りの燻製肉の他、燻製の魚の細切りで、料理酒、ラード、チキンスープで味を調え、蒸籠で20分蒸せば、色は黄金色、塩辛く味は濃厚、まるで神様が結びつけたように、完璧な取り合わせである。

■ 粤式臘味的制造属于無煙工業,故味道較淡,湖南人吃起来可能感覚它“半生不熟”。正因如此,粤式臘味不宜独食,也不宜挙行湖南臘味的和蒸式的全体会議,扮演的往往是調味的角色,也就是説,它通常参与的只是一場場“拡大会議”,而且是列席身份。例如在秋、冬季節応市的煲bao1仔飯,便最能体現粤式臘味的魅力。炉火在煲bao1底不緊不慢地焼著,而在煲bao1内,米飯是主体,臘肉是陪襯,當那些覆蓋在表面的臘肉、臘鴨、臘腸的肉汁全面地滲透了満煲bao1的米飯,掲開煲bao1蓋,澆上醬油,米香肉香撲面而来,再佐以広東特有的陰湿寒風,端的是意奪神駭,讓吃客感動得落涙。因此,広東人不大説“臘肉”,而是取代以“臘味”一詞。

・煲仔飯 bao1zai3fan4 小さな土鍋に米と具を入れ、直接火にかけて炊き上げたもの。広東でよく見られる。釜飯。
・陪襯 pei2chen4 引き立て役・滲透 shen4tou4 浸透する。染み込む
・駭 hai4 驚く。びっくりする

 広東式の燻製の作り方は煙で燻さないので、味が比較的淡白で、湖南の人が食べると「まだ半分生で熟成していない」感じがする。このために、広東式の燻製はそれだけで食べるには適せず、湖南の燻製の「合わせ蒸し」式の全体会議を挙行するのにも適さず、演じるのはしばしば味を調える役割、つまり、それが通常加わるのは一回一回の「拡大会議」で、しかも列席者の身分である。例えば秋、冬の季節に市場に出る釜飯は、広東式燻製の魅力を最も良く表している。コンロの火は鍋の底から早すぎず遅すぎず焚いていく。土鍋の中は、米飯が中心で、燻製は引き立て役である。表面を覆う燻製の豚肉、アヒル、腸詰の肉汁は全面的に鍋の中の米飯全体に染み込み、鍋の蓋を開け、醤油を振りかけると、米の香りと肉の香りが顔に当たり、広東特有の陰湿な寒風を手助けに、テーブルに運ぶと気も漫ろになり、お客に感動の涙を落とさせるのである。そたがって、広東人は“臘肉”とはあまり言わず、代わりに“臘味”ということばを使うのである。

■ 説到臘肉,早在2500年前就有了中式的版本,事実上,在冰箱発明之前,臘肉的腌制術完全是出于保存食物的目的。不管是塩蔵、燥蔵、熏炙,臘的手段多種多樣,関鍵詞却只有一個,就是脱水。多樣化的不僅是手段,還包括了脱水目標,牛、羊、馬、鹿、獐子、狗熊,皆是早期被臘的熱門。反正,若為保存故,一切皆可臘。人能不能臘?可臘,非常臘,遠的有木乃伊,近的有蠟像館,不過,“臘人”的原則却完全不同于針対牛、羊、馬、鹿、獐子的“有臘無類”,它従来都只奉行一個標準,即非成功人士不臘。

・獐子 zhang1zi キバノロ。鹿の仲間
・狗熊 gou3xiong2 クマ。ツキノワグマ

 燻製について言うと、2500年前には中国式の燻製が生まれたが、実際のところ、冷蔵庫の発明以前は、燻製肉を塩漬けにより作る技術は完全に食物を保存する目的から生まれたものだった。塩漬け、乾燥、燻製にして炙るなど、燻製の手段は多種多様であるけれども、肝心なことは一つだけ、すなわち水分を抜くことである。多様であるのは手段だけでなく、水分を抜く対象も、牛、羊、馬、鹿、ノロジカ、ツキノワグマは何れも昔はよく燻製にされた。いずれにせよ、もし保存したいと思えば、皆燻製にされた。人間は燻製にできるか?できる、間違いなくできる、遠くはミイラがそうであり、近くは蝋人形館(“臘”と“蝋”は同じ発音であるla4 )がそうである。しかし、「人間の“燻製”」の目的は牛、羊、馬、鹿、ノロジカの「種類を選ばず燻製にする」のとは異なり、一つの基準を守っている。すなわち、「成功しなっかった人は“燻製”にされない」のである。

■ 史上最著名的臘肉属于孔子,“束脩十条”是孔老師辧教育的定額收費。“束脩”者,即鮮肉加上香料再経風干制成的臘肉。批林批孔的時候,“束脩十条”亦忝列為公審孔老二的呈堂証供,七十二乗以十,至少七百二十条臘肉足以将他帰入罪悪的肉食者階層并清理出教師隊伍。奇怪的是,在我吃過的各種孔府菜里均不見這一口。“莫春者,春服既成,冠者五六人,童子六七人,浴乎沂,風乎舞雩yu2,咏而帰。”不知此踏青団除了“冠者五六人,童子六七人”之外,有没有携帯“臘肉七八条”以做野餐之用?“三月不知肉味”,到底是“肉味”還是“臘味”?孔子究竟是更愛吃肉還是更愛音楽,這些都不太好説,不過以臘肉的質感而論,倒也不失為一種適用于收取教学費用的“硬通貨”。

・脩 xiu1 乾し肉。孔子が自分の教える弟子の学費を乾し肉十本と定めたことから、後に転じて“束脩”shu4xiu1は先生への謝礼、学費の意味となった
・忝 tian3 [謙譲語]かたじけなくも
・孔老二 孔子のこと。孔子の兄弟には、上に一人兄がいたので、“孔老二”という呼び方をする。
・呈堂証供 cheng2tang2zheng4gong4 法廷に提出する証拠や供述
・莫春 “莫”は“暮”のことで晩春。
・冠者 成人に達し元服した者は冠をつけたことから、ここでは成人の意味。
・踏青 ta4qing1 4月5日の清明節の頃に若草を踏んで春のピクニックに行くこと。

 歴史上著名な燻製肉は孔子に関係がある。“束脩十条”、乾し肉十本は孔子が学問を授ける時の定額の学費であった。“束脩”とは、新鮮な豚肉に香料を加え、風に当てて乾燥させて作った燻製肉である。“批林批孔”の時代、“束脩十条”も孔子の罪状審議の証拠物件に並べられ、72 x 10、少なくとも720本の燻製肉は、彼を、罪を犯した肉食者階層と結論づけ、教育者の名誉を剥奪するに十分であった。不思議なことに、私は各種の“孔府菜”(孔子一族の家庭料理)を食べたが、燻製肉が使われているのを見たことがない。“莫春者,春服既成,冠者五六人,童子六七人,浴乎沂,風乎舞雩yu2,咏而帰。”(晩春、春の衣服が整ったら、成人5、6人、子供6、7人で、沂水の水を浴び、雨乞いの舞台で風に吹かれ、歌を歌いながら帰ってきたいものだ。)《論語・先進》この春の遠足の一行は、「成人5、6人、子供6、7人」の他、「燻製肉を7、8本」持って行ってお弁当にしなかったのだろうか?“三月不知肉味” (三か月の間、肉の味も忘れる程に斉の音楽に夢中になった)《論語・述而》これは果たして「新鮮な肉の味」なのか、それとも「燻製の肉」の味なのか?孔子はつまるところ肉の方が好きだったのか、それとも音楽の方が好きだったのか、これはどちらともいえないが、燻製肉の質感から言えば、学費徴収に使う「ハード・カレンシー」としての資質は失っていないだろう。

■ 還是先別替古人担憂了。欲哭無涙的是,世界上好吃的臘味,怕是終有一天也会被以“健康”的名義徹底消滅,更為淒惶者,甚至連冬天也可能不再寒冷。一年四季三缺一,終生不知臘味,那光景,可就真個是“臘肉成灰涙始干了”。

・欲哭無涙 yu4ku1wu2lei4 泣きたいのに涙が出てこない。心配でたまらないが、それをうまく表現できないこと。
・三缺一 元々麻雀で3人いるが1人欠けていて麻雀を始められないこと。そこから転じて、何か一つが欠けているため物事が始められないことを言う。
・臘肉成灰涙始干了 唐・李商隠の詩“蠟炬成灰涙始乾” 蠟炬灰と成りて涙始めて乾く(蠟燭は燃え尽きる時に蠟の涙はやっと乾く。恋する女性のことを死ぬまで思い続けるという意味)をもじったもの。“臘”も“蠟”も同じ発音la4。

 やはり先ずは昔の人の代わりに憂えるのはやめよう。泣くに泣けないのは、世界中の美味しい“臘肉”が、いつの日か「健康のため」という名目で消し去られることで、もっと心配なのは、(温暖化で)冬でも寒くなくなることだ。(そうなると美味しい“臘肉”が作れなくなる。)一年四季のうち三つはあるが一つが欠け、一生燻製の味を知らない、そのような情景は、「“臘肉”灰と成りて涙始めて乾く」だ。私はあくまで“臘肉”のことを思い続けたい。


【出典】沈宏非《飲食男女》南京・江蘇文藝出版社 2004年8月

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沈宏非のグルメエッセイ: 【対訳】蛇を食する者の言い分(2)

2010年12月20日 | 中国グルメ(美食)
 今回は、蛇を食べる話の後半です。

                        食蛇者説(下)

■ 吃蛇的風俗雖越千年,但是,此期間大概除把生食改了熟食、従蛇胆吃到了蛇鞭之外,烹蛇之術却長期地不思進取,直到九十年代初“蛇窩”(即蛇肉火鍋)問世。

 蛇を食べる風習は千年を超えると言いながら、この間、生で食べるのを加熱調理に改め、蛇の胆から蛇のペニスまで食べるようになった他は、蛇を調理する術は長期間新たな発展を志す意思が無く、90年代初頭になってようやく“蛇窩”(蛇肉の火鍋)を世に出した。

■ “蛇窩”之前,蛇饌一直以“蛇羹”為重。宋朱沃《萍州可談》即有“広南食蛇,市中売蛇羹”之記載,江孔殷先生的“太史五蛇羹”則把它推上了頂峰。到目前為止,香港的蛇饌仍以蛇羹為主,依然是満足于那一碗飄満菊花的黏稠之物再加一小碗潤腸蝋味飯的可怜享受。

・潤腸 run4chang2 便通をよくする

 “蛇窩”が出る前は、蛇料理はずっと“蛇羹”(蛇のスープ)に重きを置いてきた。宋の朱沃《萍州可談》には「広東南部では蛇を食べ、市中では蛇羹を売る」との記述があり、江孔殷先生の“太史五蛇羹”はその最上のものと位置づけられた。現在に至るまで、香港の蛇料理は相変わらず蛇羹が中心で、一碗の菊の花をいっぱいに散らしたどろどろとしたスープに、小さな茶碗一杯の便通をよくする蝋味飯(中華風のソーセージやベーコンの薄切りを入れて炊き込んだご飯)を添えた貧相なもので依然として満足しているのである。

■ 当然,蛇胆永遠是蛇的最精華部分,也是伝統食蛇者的最愛。在這種“補”字当頭的錯誤思想指導下,伝統的吃法,蓋以蛇胆為主,在香港和台北,至今仍行此“得一胆而棄全身”之古風。蛇肉既淪為棄之可惜之物,一定要弄来吃的話,厨房里面的下手之重,竟毫不吝惜佐料――“蛇王満”生前就最長于此道。

・淪 lun2 沈む。没落する。(悪い状況に)落ちる
・吝惜 lin4xi1 (金、物、力を)出すのを惜しむ
・佐料 zuo3liao4 調味料。

 薬味 もちろん、蛇胆は永遠に蛇の最も精緻な部分であり、伝統的な蛇食者の最も愛するものである。こうした“補”の字を最も重んじるという間違った考え方により、伝統的な食べ方は、蛇胆を主とすることに席巻され、香港や台湾では、今でもこの「胆を得たれば全身を棄つる」という古い風習が行われている。蛇肉は捨てられてしまうには惜しく、なんとかこれを食べるようにするには、厨房での調理が重要で、調味料を少しでもけちってはならない――“蛇王満”は最盛期にはこのやり方が最も長けていた。

■ 伝統蛇饌中的“龍虎鳳大会”(其実是一種豪華版的蛇羹),曾経是粤菜大系之殿堂級力作,同時也正在変成伝説。

 伝統的な蛇料理の中の“龍虎鳳大会”(実は豪華版の蛇スープなのだが)は、嘗ては広東料理大系の殿堂級の力作であったのだが、同時に今まさに伝説に変わろうとしている。

■ 一九八八年秋,重新装修的槳欄路“蛇王満”――几乎是当時全国唯一的蛇餐館――隆重復業時,留在菜単上的主打蛇饌,依然不離炒蛇柳、煎蛇脯以及蛇羹之類。能与新潮装修配称的,無非多了一道蛇串焼,吃起来好像偸工減料的羊肉串。

・偸工減料 [成語]仕事の手を抜き材料をごまかす

 1988年秋、新装なった槳欄路の“蛇王満”――当時は全国で唯一の蛇料理レストランであった――が盛大に営業を再開した際、メニューに載った主力の蛇料理は、相変わらず蛇肉の細切りの炒め物、蛇の干し肉を焼いたもの、蛇のスープの類から離れることはなかった。新装に合わせて加わったのは、蛇の串焼きだけで、食べてみると手を抜いていいかげんに作った羊の串焼きのようであった。

■ 更要命的是,它依然以“治好了多少風湿病患者”為標榜。

 更に致命的だったのは、相変わらず「どんなリューマチ患者でも治る」ことを標榜していることだった。

■ “蛇王満”曾于装修后開業首日大宴賓客,我是座上客之一。十一年后,這家享誉全中国的百年老店,終于在国慶節前夕因経営無力、周転困難而拖欠員工工資,被広州市荔湾区人民法院査封。其実,這家百年老店黯然結業,除了不思進取及不肯専注于本業之外,基本是被蛇肉火鍋打死的。

  “蛇王満”は新装開業の初日は賓客を招待しての大宴会があり、私はその客の一人であった。十一年後、この中国全土で百年続く老舗と称えられた店は、遂に国慶節前夜に経営不振で、資金繰りがつかず、従業員の給与支払いが遅滞し、広州市荔湾区人民法院に差し押さえられた。実は、この百年続いた老舗が暗然と店を閉めたのは、進取の意思が無く本業に専心しようとしなかったことの他、主に蛇肉の火鍋に客を取られてしまったことによる。

■ 蛇肉火窩之所以能够gou4成為“蛇王満”及其代表的伝統蛇饌的終結者,技術上是因了火鍋這種簡便到近乎自助的方式,其次,它也標志着真実的感性最終戦勝了那様一種似是而非的理性,是味覚的勝利。

・似是而非 [成語]似て非である。正しいようだが実は正しくない

 蛇肉の火鍋が“蛇王満”やその代表的な伝統蛇料理を終結させることができたのは、技術的には火鍋という簡便でほとんどセルフサービスのビュッフェスタイルと言ってよい方式であるからで、次いで、それは、真実の感性があのもっともらしい理性に最後には勝利したこと、つまり味覚の勝利であることを表している。

■ 把蛇放在火鍋里涮shuan4,広東人称為“打蛇窩”。打辺炉有多種形式,我喜歓的吃法,是首先起一個火鍋,完全是打辺炉的家常方式,在店家事先做好的大鍋湯底里,照例是加入了川芎、枸杞和紅棗等広府人常用的中薬材,我不慣薬材,因而只要清湯(比較講究的食肆,会把蛇骨拆出熬成湯底)。然后,再斬上一只或半只鶏(非本地土鶏不可,洋鶏与土蛇溝通不来),一只約莫一斤重的甲魚,斬件上桌。待鍋里的湯開始沸騰,可以先把鶏炖上,然后再放進甲魚。甲魚和鶏共冶一炉,安坐在火炉上慢慢煨wei1着。那廂辺,一条条蓁蓁大蛇己告屠畢,現在輪到主角登場:可以是斬成手指長短的、晶瑩剔透的蛇碌(段),也可以是切成生魚那様不厚不薄的蛇片。甲魚和鶏被煨出的最初的香気四溢之際,正是将蛇赴湯的大好時机。

・川芎 chuang1xiong1 センキュウ。漢方薬の一種。せり科の植物の根茎で、活血剤、強精剤に用いられる。四川産のものが最も品質がよいので“川芎”と呼ばれる。
・蓁蓁 zhen1zhen1 草木が生い茂るさま。イバラが群がり生えるさま。
・晶瑩 jing1ying2 きらきらして透明である
・剔 ti1 (骨から肉を)削り取る。そぎ取る。(隙間から)ほじくり出す。
 [参考]玲瓏剔透:(透かし彫りなどの)細工が巧みで、みごとに彫られているさま。

 蛇を火鍋の中に入れ湯にくぐらすことを、広東人は“打蛇窩”(蛇鍋をやる)と言う。鍋を囲むのは様々な方式があるが、私が好きな食べ方は、先ず鍋に火を点けたら、後は皆で鍋を囲む家でやるやり方と全く同じである。店では事前に準備してある鍋のスープのベース(“湯底”と言う)に、通常は川芎、クコ、棗の実など、広州の人々がよく用いる漢方の薬材を入れるが、私は薬材に慣れていないので、清湯(よく研究している店では、蛇の骨を砕いたものを煮出してスープのベースにしている)だけにする。その後、鶏を一羽ないしは半羽(地元産の鶏でなければだめで、輸入ものでは地元産の蛇と合わない)と、一匹がおおよそ一斤のスッポンを切って、切り身を食卓に並べる。鍋のスープが沸騰し出したら、先ず鶏を入れて煮込み、次いでスッポンを入れる。スッポンと鶏は一つの“炉”の中で“製錬”され、鍋の中に鎮座しゆっくりと煮られている。部屋のあちらの方では、一匹一匹荊のように絡み合った大蛇を既に殺し終って、さあ主役の登場である。手の指の長さほどに切って、きらきら透明で皮の模様の美しい筒切りにしても良いし、魚の刺身のように厚くも薄くもない切り身にしても良い。スッポンと鶏が煮込まれて醸し出される最初の香気があたりに溢れたら、蛇をスープに入れるタイミングの到来である。

■ 蛇肉的真味,非常微妙,介乎于鶏肉和魚肉之間,也就是説,在鶏和甲魚的渲染之下,蛇肉的美味得到了最大程度的還原,其鮮甜至此方被演繹至空前絶后、淋漓尽致的境界。

・介 jie4 中間にある。またがる
・渲染 xuan1ran3 (中国画の技法で)雰囲気を出すために色や輪郭をぼかす、ぼかし。
・還原 huan2yuan2 還元。原状に復する
・淋漓尽致 lin2li2jin4zhi4 [成語](文章や話が)詳しく徹底しているさま。

 蛇肉の真の味は、たいへん微妙で、ちょうど鶏肉と魚肉の中間であり、つまり、鶏とスッポンによるぼかしが入って、蛇肉の美味は最大限還元され、その旨み甘みはここに至って空前絶後、徹底した境地にまで演繹されている。

■ 我估計,首創此種吃法之人大概也是個懐着一顆吃心読《聊斎》的。類似的吃法,相近的味道,見之于《豢huan4蛇》:有客中州者,寄居蛇佛寺。寺中僧人具晩餐,肉湯甚美,而段段皆圓,類鶏項。疑問寺僧:“殺鶏何乃得多項?”僧日:“此蛇段耳。”

・吃心 気を回す。疑う

 私はおそらく、最初にこの食べ方を考えた人は、気を回して《聊斎志異》を詠んだのではないかと思う。これと似た食べ方、近い味の料理が、《豢蛇》に見られる:客の中州という者が、蛇佛寺に寄寓した。寺の僧が晩飯を用意してくれたが、肉もスープもたいへん美味で、肉は一個一個が丸く、鶏の首のようである。寺の僧に「鶏からどうしてこんなに首が取れるのかね?」と聞いたところ、僧は「これは蛇のぶつ切りです」と答えた。

■ 芥川龍之介《羅生門》里面的那個抜死屍頭髪的老嫗,在自辯中也指責説“我剛才抜着那頭髪的女人,(生前)是将蛇切成四寸長,晒干了,説是干魚,到帯刀的営里去出売的。倘tang3使没有遭瘟,現在怕還売去罷。這人也是的,這女人去売的干魚,説是口味好,帯刀們当作缺不得的菜料買。”

・老嫗 lao3yu4 おばあさん。
・遭瘟 zao1wen1 疫病にかかる

 芥川龍之介の《羅生門》の中で、死体から頭髪を抜いているばあさんは、非難がましくこう言った。「私がさっき髪の毛を抜いた女は、生前、蛇を四寸の長さで切っては、日に干し、魚の干物だと言って、お侍の兵営に行って売っていた。もし疫病でくたばらなかったら、今でも売りに行っていただろう。こいつもだ、この女が売りに行った干物を、美味しいと言うものだから、お侍達は欠かせない食料として買っていた。」

■ 《山海経》里説的“以虫為蛇,以蛇為魚”,据考証是因“蓋蛇古字作它,与訛声相近;訛声転為魚,故蛇復号魚矣。”可是,就味覚而言,蛇跟魚的関係可能不僅僅只存在于語音的変遷吧。

 《山海経》の中で、「“虫”を以て“蛇”と為し、“蛇”を以て“魚”と為す」と言っている。考証によれば、「確かに“蛇”の古字は“它”であり、その訛った発音が近かったので、転じて“魚”となった。ゆえに“蛇”をまた“魚”と呼んだのである。」しかし、蛇と魚の関係は単にことばの発音の変遷だけではないように思う。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 蛇の食べ方も変化しているのですね。でも、蛇肉火鍋(“蛇窩”ということばは一般的ではないようです。なんせ「蛇の巣」ですから)は鶏やスッポンをたっぷり使うし、蛇も捌き立てを持ってくるのですから、結構な高級料理なのでしょうね。新しい発見をしました。


【出典】沈宏非《写食主義》四川文藝出版社 2000年9月

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沈宏非のグルメエッセイ: 【対訳】蛇を食する者の言い分(1)

2010年12月18日 | 中国グルメ(美食)
 本格的な冬を迎えましたが、この時期、広東では蛇が盛んに食べられるようになります。火鍋の回でも書かれていましたが、広東の冬は、意外にもじんわりと冷える寒さがあり、体を温める蛇は人気があります。しかし、蛇を食べることには、奇異な眼で見られる面があるようで、そのあたりが今回のお話のテーマです。

                        食蛇者説(上)

■ 粤人的食蛇史,見之于中国的几部早期典籍:“越人得蚺ran2它以為上肴,中国得之無用。”

・蚺ran2 “蚺蛇”ran2she2 =“蟒蛇”mang3she2 うわばみ(大蛇の俗称)

 広東人の蛇食の歴史は、中国のいくつかの初期の典籍に見られる。「越人(粤人に同じ。広東人のこと)は大蛇を得るとそれを料理して食べるが、中国では食べない。」

■ 《山海経》和《淮南子》,“盖古之巫書”,里面提到的事,尽皆有点不可思議,但起碼要比《剣橋名人録》之類可信而且可怕得多。什麼是“既可信又可怕”?比方説,蘇東坡的妾侍,在広東惠州時将蛇羹誤做海鮮吃下,事后得知所吃為蛇,竟然于数月后死于非命。

・山海経 秦代の古籍で、神話伝説に富んだ、最古の地理書と言われている。
・淮南子 前漢の淮南王・劉安が編纂した書で、老荘思想に基づき、治乱興亡、逸事、瑣談を記載したもの。

 《山海経》や《淮南子》は、「古代の呪術を集めた書」で、この中に書かれていることは、皆不可思議なことだが、少なくとも《剣橋名人録》の類に比べれば、信頼がおけるし、ずっと恐ろしい。どういうことが「信頼がおけて恐ろしい」のか。例えば、蘇東坡の側室は、広東恵州にいた時、蛇のスープを間違って海鮮と思って食べたが、後で食べたのが蛇だと知り、数ヶ月後に非業の死を遂げたそうである。

■ 足見“杯弓蛇影”的恐怖,有的時候竟比親口吃下去的真実還要致命。

・杯弓蛇影 bei1gong1she2ying3 [成語]杯中の蛇影。疑心暗鬼して周章狼狽する譬え。(酒杯に映った壁上の弓を蛇の影と思い、恐ろしさのあまり病みついた人物の故事による)

 ここから、「杯中の蛇影」の恐怖は、時に自ら食した真実よりもっと命にかかわる危険となることがあるということが分かる。

■ 即使在今天,対于居住在“中国”的大部分“中国人”来説,広東人的這種愛好,仍然是一種可怕的風俗。不過,山東人偶尓也有吃蛇的。《聊斎》早面有一則《蛇癖》説道:“予郷王蒲令之僕呂奉寧,性嗜蛇。毎得小蛇,則全吞之,如啖葱状。大者,以刀寸寸断之,始掬以食。嚼之铮zheng4,血水沾頤。且善嗅,嘗隔墻聞蛇香,急奔墻外,果得蛇盈尺。時無佩刀,先噬其頭,尾尚蜿蜒于口際。”

・啖 dan4 食う。
掬 ju1 すくう。両手で受け止める
・铮 zheng4 (物の表面が)ぴかぴか光っているさま
・頤 yi2 下顎。あご
・嗅 xiu4 においをかぐ
・盈 ying2 満ちる。余る。
・噬 shi4 噛む
・蜿蜒 wan1yan2 蛇などがくねくねと這うさま。

 今日でも、“中国”で暮らす大部分の“中国人”にとって、広東人のこうした好みは、依然として恐ろしい風習である。しかし、山東人もときたま蛇を食べることがある。《聊斎志異》の最初の方の一節、《蛇癖》でこう言っている。「私の郷里の王蒲令の家僕、呂奉寧は、その性、蛇を好む。小蛇を得る度、全部を丸呑みにし、まるで葱を喰らっているかのようである。大きいものは、包丁でぶつ切りにし、両手ですくって食べる。食べると口の周りが油でてかてか光り、血があごを濡らす。且つ嗅覚が鋭く、家の壁を隔てて蛇の臭いを嗅ぎつけると、急いで家の外に飛び出したかと思うと、果たして一尺余りの長さの蛇を捕まえてきた。刀を身につけていない時は、頭から食べる。尻尾はなお口許をくねくねとのたうっている。」

■ 尽管山東人之“啖葱状”足以收入粤語版的《山海経》或《淮南子》,不過,蒲松齢或許相信,広東人吃起蛇来,与呂奉寧大同小異。但在前者看来,這種吃法雖然生猛,却未免過于浪費,没文化,甚至暴殄天物。

・暴殄天物 bao4tian3tian1wu4 [成語]自然のものをやたらに無駄にする。物をちりあくたのように粗末にする

 山東人の「葱を喰らう様子」が広東語版の《山海経》や《淮南子》に収めるに足るにせよ、蒲松齢は或いは、広東人が蛇を食べる様子は、呂奉寧と大同小異だと信じていたのかもしれない。しかし前者から見れば、こうした食べ方は、材料は新鮮でぴちぴちしているが、あまりに浪費的で、野蛮で、物を粗末にしている感は免れない。

■ 広東人不吃小蛇,不吃蛇頭,更不生吃。天生一只能聞出“蛇香”之鼻的広東人,非但善于不厭其煩地炮制蛇羹,還能炒蛇片、醸蛇脯,近年来又推陳出新,涮shuan4蛇和“椒塩蛇禄”風行広州,而且,吃起来文明得就連砕片也不剩。広州的連鎖食肆“惠食佳”,即以“椒塩蛇禄”為招徠,并且在本地的高級雑誌上大做整版広告。那広告,底,襯着一盤金燦燦的“椒塩蛇禄”,下書一行小宇:“始創于1987”,那份矜貴,絶対不輸給同一本雑誌上的進口皮具広告。

・推陳出新 古きを退けて新しきものを出す。古いものの良さを新しいものに活かす
・風行 流行る
・招徠 zhao1lai2 誘致する。招き寄せる
・襯 chen4 際立たせる。引きたてる
・金燦燦 jin1can4can4 金色に輝く
・矜 jin1 慎み深い。控えめである

 広東人は小さな蛇は食べないし、蛇の頭も食べない。生では尚更食べない。生まれつき、「蛇の香り」を嗅ぎ分けられる鼻を持った広東人は、煩雑を厭わずに蛇スープを焙じるのに長けており、また蛇の身を炒めたり、蛇の干し肉を醸したり、最近はまた伝統を活かして新しいものを生み出し、蛇肉のしゃぶしゃぶ、蛇肉のから揚げは広州で流行し、しかも食べると上品で、屑も残さない。広州のレストラン・チェーン、惠食佳は蛇肉のから揚げを看板メニューとし、当地の高級雑誌に全面広告を掲載している。その広告は、黒をバックに、ひと皿の金色に輝く蛇肉のから揚げを際立たせ、その下に一行、小さな文字で「1987年創業」と書かれている。この控え目で高貴な広告は、同じ雑誌に掲載されている輸入皮革製品の広告に絶対に負けない。

■ 然而,這并不表示吃蛇従此不再引起友邦驚詫。前几年,太陽神的股票在海外上市,因標榜含有蛇、鶏之精華,上市当晩,美国一家電視台的両個財経主持人,根本没有把希腊概念的Apollo当一回事,却一口一個“Snake Stock”(蛇股)地侃了個没完没了。

・驚詫 jing1cha4 驚きいぶかる。けげんに思う。
・標榜 biao1bang3 標榜する
・侃 kan3 =“侃大山”北京語で、とりとめのない世間話、むだ話をする
・没完没了 mei2wan2mei2liao3 果てしがない。きりがない。

 しかし、このことは蛇を食べることが今後二度と友好国を驚かせないという意味ではない。数年前、太陽神の株式が海外で上場された際、蛇、鶏のエキスを含むと宣伝したため、上場の日の晩、アメリカのTV局の二人の経済ニュースのキャスターは、ギリシャ概念で言うアポロ的な秩序が全く無いのと同じだと、口を開けば“Snake Stock”だと、とりとめのないむだ話を言い続けた。

■ 很早就有中国人対此看不過去,林語堂曾経正告老外:“任何人都不能使我相信蛇肉的鮮美不亜于鶏肉這一説法。我在中国生活了四十年,一条蛇也没有吃過,也没有見過我的任何親友吃過……吃蛇肉対中国人和西方人同様是件稀罕事儿。”

・看不過去 容認できない。気に入らない
・正告 厳粛に告げる。

 とっくに中国人はこうした見方を気に入らなく思い、林語堂は嘗て、厳かに外国人にこう言ったことがある。「如何なる人も、私に蛇肉の美味しさは鶏肉に劣らないという説を信じさせることはできない。私は中国で暮らすこと四十年、一匹の蛇も食べたことがないし、私の如何なる親友が食べるのも見たことがない……蛇肉を食べるのは、中国人にとっても西洋人と同様に珍しいことなのだ。」

■ 不是林語堂忘了広東人也是中国人,就是他在一時的正義衝動之下挺身而出地干了一樁zhuang1蠢事。《淮南子》里面提到“越人”固然不可能包括衣冠南渡之后的閩南居民,而且,古早的漳州人吃不吃蛇一時也無従考証,不過他們経常被蛇吃到却是事実。漳州南門之外,過去曾専設“蛇王廟”一座,其功能就是替人解除蛇咬之痛――有効範囲只限于被城里的蛇所咬,郷野之蛇無効。

・挺身而出 ting3shen1er2chu1 [成語](困難や危険に)勇敢に立ち向かう
・樁 zhuang1 [量詞]事柄を数える。件。
・蠢事 chun2shi4 愚かなこと。ばかなまね。
・衣冠南渡 西晋末年、匈奴王の劉曜が長安を陥落させ、西晋は滅亡した。晋の元帝・司馬睿は建康(南京)に都を移し東晋を建国したが、この時、中原の漢族の臣民は、北方の遊牧騎馬民族の支配を嫌い、多く南に逃れたことを“永嘉之乱,衣冠南渡”と言う。“衣冠”とは衣服や冠の意味だが、ここでは、漢民族の文化を指す。この時期、福建省にも多くの漢族が移住し、“衣冠南渡,八姓入閩”と言う。

 林語堂は広東人も中国人であることを忘れたのではなく、彼は一時の正義感から衝動的に立ち上がり、ばかなまねをしてしまったのだ。《淮南子》の中で言う“越人”とは、固より“衣冠南渡”後の閩南(福建南部)の住民を含めることはできない。しかも、古代の漳州(福建省の最南部で、広東省の潮州に接する)人が蛇を食べていたかどうかも考証する手立てが無いが、彼らがよく蛇に咬まれたのは事実である。漳州南門外に嘗てそのために“蛇王廟”が設けられ、その効能は蛇に咬まれた痛みを取り除くことで――効能があるのは、城内で蛇に咬まれた際に限られ、田舎の蛇は効果が無かったが。

■ 食蛇之被視為異行,皆出自惧蛇。像広東人那様干脆把蛇吃到肚子里去,非但可使自家的恐惧全消,還能使対方之恐惧倍増。

・出自 (~から)出る

 蛇を食べることは特異な行動に見られるのは、蛇を恐れることから出ている。広東人のように、何の躊躇もなく蛇をお腹に入れてしまうと、自らの恐怖が消失してしまうだけでなく、却って相手の恐怖心は倍増する。

■ 在伝統的中国飲食文化中,凡好吃的束西一開始都是好薬,蛇也不能例外。先民們見面時,応該不会以“吃飯了嗎?”為問候,而是“有好薬嗎?”

 伝統的な中国の飲食文化では、凡そ美味しいものはその始まりから良い薬であった。蛇も例外ではあり得ない。先人達は出会った時に“吃飯了嗎?”(飯を食ったか?)を挨拶言葉としたのではなく、“有好薬嗎?”(良い薬は有るか?)と言ったに違いない。

■ 不過,蛇的薬効従一開始就有点詭異,就像蛇一様。《山海経》之《海内南経》章称:“巴蛇食象,三歳而出其骨,君子服之,無心腹之疾。”対于這個語焉不詳的“心腹之疾”,学術上有各種不同的説法。当然也有人相信所謂“君子”的“心腹之疾”其実就是餓。不過,既然是療飢的食物,何必称“服之”?

・詭異 gui3yi4 怪しい。奇異である。
・語焉不詳 yu3yan1bu4xiang2 言葉が簡単すぎて意を尽くさない

 しかし、蛇の薬効は最初から多少怪しいところがあり、これは蛇も同様である。《山海経》の《海内南経》の章に、「巴(四川省東部、今の重慶付近)の蛇が象を食べると、三年してその骨が出てくる。君子がこれを服用すると、“心腹之疾”が無くなる」と称している。このよく訳の分からない“心腹之疾”は、学術上はいろいろ異なる説がある。もちろん、いわゆる“君子”の“心腹之疾”とは、実は飢えであろうと信じる人がいる。しかし、飢えを凌ぐ食物であるのに、どうして「服用」するのか?

■ “薬性”在広東的蛇饌里十分顕著。据南海県史志資料記載:曾経是広東最経典、最権威的蛇餐館“蛇王満”(注:已倒閉),其創始人呉満自幼即以捕蛇為業,并且籍向両地的薬商供応蛇胆及生蛇而発達。他在広州開設的“蛇王満”,除了以出售蛇胆為号召之外,還“開発研制”了“三蛇胆陳皮”、“三蛇胆油”等等薬物,至于蛇肉后来也上了“蛇王満”食譜,主要是因為呉満在他的研究過程中“発現蛇肉対風湿病有良好療効”。本質上,百年老字号“蛇王満”餐館与佛山的另一家百年老店“賓芝林”其実并無差別。

・饌 zhuan4 ごちそう。酒肴。
・号召 hao4zhao4 呼びかけ
・風湿 feng1shi1 リューマチ

 “薬性”は広東の蛇料理ではたいへん顕著である。南海県史誌の資料の記載によれば:嘗て広東で最も代表的で、最も権威のある蛇料理店は“蛇王満”(注:既に倒産)で、その創業者、呉満は幼い時から蛇を捕まえることを生業とし、佛山、広州両地の薬商に蛇の胆、生きた蛇を納入することで発達してきた。彼は広州で“蛇王満”を開設すると、蛇の胆を販売することを宣伝した他、“三蛇胆陳皮”、“三蛇胆油”等の薬物を研究開発し、蛇肉を後に“蛇王満”のメニューに載せたのは、主に呉満が研究過程で、「蛇肉はリューマチに対し良好な治療効果があると発見」したことによる。本質的には、百年の伝統のある“蛇王満” 餐館と、佛山の別の創業百年の老舗“賓芝林”とは、実は違いは無い。

■ 中医相信,蛇胆和蛇肉具有行気活血,駆風袪qu1湿,化痰止咳及明目強肝的神奇作用,蛇油能防止血管硬化,蛇舌可鎮痛……総而言之,蛇的一身都是宝,活脱脱就是一根会咬人的人参。

・袪 qu1 取り除く
・活脱脱 huo2tuo1tuo1 生き写し。瓜二つ。

 漢方医は、蛇の胆と蛇の肉には気を通し血を活性化し、“風湿”(リューマチ)を除き、痰を解かし咳を止め、胆を強める不思議な作用があり、蛇油は血管の硬化を防止し、蛇の舌には鎮痛作用があると信じている……要するに、蛇は全身が宝であり、言わば人を咬むかもしれない人参のようなものである。

■ 但是這様還不够gou4,広東人還無可救薬地堅信蛇肉之滋補壮陽遠勝于美味,就連那奇腥的蛇鞭也不肯放過,据称,此物的補腎壮陽之功効比鹿鞭還要高出十个百分点。不過,以蛇鞭的短小精悍,壮陽者可能都会対“以形補形”的信仰做出暫時的背棄,改信了蛇的性格。想想也是,要是“以形”真能“補形”,還不如干脆学《聊斎》里的山東人呂奉寧,以啖葱之勢,把一条蛇完整地吞下去罷了。

・無可救薬 手の施しようがない
・滋補 zi1bu3 栄養を補給する
・壮陽 zhuang4yang2 精力をつける。精力を盛んにする。
・鞭 bian1 ペニス
・背棄 bei4qi4 背く。破棄する。

 しかしこれでもまだ十分ではない。広東人は更に蛇肉の栄養補給、精力増強は美味にはるかに勝ると、手の施しようのない程固く信じていて、あの奇妙な生臭い蛇のペニスも手放したがらない。それというのも、その腎を補い精力を強める効能は鹿のペニスより10%高いと言われているからである。しかし、蛇のペニスの短小で精悍なことは、強壮者が「形を以て形を補う」信仰を暫し捨て去り、改めて蛇の性格を信じることになるかもしれない。考えてみれば、「形を以て」本当に「形を補う」ことができるなら、さっさと《聊斎志異》の山東人・呂奉寧の真似をし、葱を喰らう勢いで、一匹の蛇を丸のまま呑み込んでしまった方がよいからである。

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 今回はこれまでです。続きは次回をお楽しみに。


【出典】 沈宏非《写食主義》四川文藝出版社 2000年9月

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